雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧183話半ばまでのリメイクです。


創立記念祭四日目・『レン』

 無事に保護され、気が抜けたのか眠ってしまったコリンをティオの部屋で寝かせている間、レンは彼の隣から離れることはなかった。無論、アルシェムも。レンはコリンに付き添っているのだが、アルシェムはレンにつきそっていた。そのガキがどうなろうが、アルシェムにとっては意味がないからだ。ただレンが気にかけているのならばそれで良かった。

 と、そこに扉が叩かれて声が掛けられる。

「レンさん。今、ロイドさんが連絡したそうです。……もうすぐ、こちらに来ると」

「……ティオ。分かったわ、ありがとう」

 レンはそう返すと、アルシェムの手を握った。その手は冷たく、微かに震えている。それだけでアルシェムには彼女が緊張していることが分かった。何を覚悟しているのかさえも、分かっていた。故にアルシェムはただ黙ってその隣にいようとして――

「……レンは、どうするの?」

 その□□□の発した言葉に凍り付いた。そんなことはレンが決めることだ。アルシェムが口を挟むべきことではない。だがその声に、余裕のないレンは気づくことが出来なかった。それがアルシェムの言葉ではないことを、レンは知らなくても良かったのだ。今自分がどうなれればいいのか。その自問自答に□□□の言葉が混ざろうとも、レンには気づくことは出来ない。

 それを狙っているのか、□□□はなおも言葉を発する。

「私はレンの気持ちを尊重するよ。レンの選択を邪魔したりなんかしない。それはレンが決めるべきことだから」

 それに誘導されるかのように、レンは迷いを振り捨てた。この先、こんな機会が二度とあるとも思えない。いつか気持ちの整理が着いたら会いに行く、などということが起こり得るとも思えない。何故ならコレは奇跡/軌跡なのだから。この先何があろうとも、この機会を逃せば感情的になって話し合える機会など二度と訪れないだろう。本心を聞くことも。

 故に、レンは選んだ/選ばされた。

「――会うわ。それで、全部決着をつける。そのためにアル……お願いがあるの」

「何?」

「手を。このまま、手を握っていて欲しいの。怖気づいたレンが逃げちゃったりしないように。ちゃんと……向き合えるように」

 それに返される答えは当然肯定の意で。たった一人で選ぶべきその道を、レンは□□□によって強制/矯正されていた。全てはそう――□□□の愛するロイド・バニングスたち特務支援課のメンバーのために。彼らの救い手たる『レン・ヘイワース』はただの『レン』ではなく『レン・ヘイワース』でなければならない。そうでなければ――クロスベルが滅びる。

 手を繋いで、心を落ち着けて。レンが落ち着いた数秒後に扉がノックされた。

「いらっしゃったわよ」

「うん。普通にお通ししてくれて良いから」

 エリィの声にそう返したアルシェムは、自分の発した声が終わるや否や部屋に飛び込んできた夫妻を見て内心で軽く溜息をついた。ここまで必死になるのならば、何故レンを置いて行ったりしたのか。否――恐らくは、レンのことがあったからこそここまで必死になれるのだろう。親、というモノがこういうものなのかどうかアルシェムには分からない。分からないが、そうであればどれほど残酷なのかと思ってしまう。

 ベッドで寝かされているコリンの元に駆け寄った夫妻は、眠る我が子を抱きしめてむせび泣いた。その隣に見捨てられた自分の娘がいるとも思わずに。それが娘と息子に対する態度の違いのように見えて、アルシェムの手に知らぬうちに力が入る。もしもこれが逆なら。コリンがレンと同じ目に遭い、ここで眠っているのがレンならば。彼らは同じ態度をとっただろうか。

 落ち着くまでむせび泣いたハロルドは、涙で腫らした瞳をレンに向けて言葉を漏らした。

「……貴女は……」

「……ッ」

 久し振りに自らに向けられた両親の言葉にレンの声が詰まる。それは怒りによるものなのか、哀しみによるモノなのかレンの中で整理が付けられていない。覚悟は決めていたのに、いざという時になると全てがぶっ飛んでしまっていた。彼らはレンの両親だ。だが、レンがそれを認められるかと言われるとまた別の話である。彼女の中では未だ彼らの真実が確定しているわけではないのだから。

 そこにアルシェムが口を挟んだ。

「彼女は、息子さんを助けるのに一躍買ってくれた方です」

 名は告げない。告げる意味がない。自らでそれに気付かなければ、ハロルド達がここにいる意味がないからだ。もっとも――もし万が一気付かなかったのだとしても気付かせる方法などいくらでもある。大切なのは過程ではなく結果なのだから。『レン・ヘイワースが家族と和解しクロスベルに残る』という結果さえ満たされれば、細部はどうだっていいのである。

 わずかに動揺したハロルドは、レンに向けて頭を下げた。

「私達の息子を助けて下さってありがとうございます」

「……別に……別に、私は大したことなんて、してないわ」

 震える声に、ハロルドは何を思ったのか。約八年ぶりに聞く娘の声を理解したということは有り得ない。既にレンは声変わりを果たしている。その当時と声が同じわけがない。だが、それでもハロルドの顔に浮かんでいたのは動揺だ。この声に聴き覚えがある。そういう予感がしたのだ。彼女は、もしや――自分達の娘なのではないのかと。

 故にハロルドはそれに探りを入れるかのような発言を無意識に発していた。

「……いいえ。貴女はかけがえのない私達の子供にまた会わせて下さった。本当に、本当に感謝しています」

 コリンに、と彼は言わなかった。目の前の少女がもしも娘ならば、ハロルドにとってはそれも事実だからだ。よく見れば、自らによく似た髪の色。顔だちは妻ソフィアにも似ている。娘と別れたあの時とは全てが違っていたとしても、変わらないモノだってあるのだ。それは『レン・ヘイワース』が自分達の娘であるという事実。目の前の少女がそうであったにせよそうでなかったにせよ、それは変わることのない真実なのだ。

 だからこそ、少女が乾いた声で漏らした声にハロルドは呆然とするしかなかったのだ。

「……本当に、そう思ってるの?」

「……え?」

「かけがえのない子供だから、会わせてくれてありがとう? なら、かけがえのある子供なら会いたくなかったのかしら」

 その言葉は、ハロルドの精神に多大な一撃を与えた。今、少女は何と言ったのか。『かけがえのある子供』。そんなモノ、ハロルド達にとっては有り得ないことだ。今ここにいるコリンだって、昔手を離してしまって今目の前にいるかもしれないレンだって、ハロルド達にとってはかけがえのない子供だ。ヘイワース夫妻にとってかけがえのある子供などという存在はなかった。

 だからこそハロルドは少女に反駁する。

「かけがえのある子供なんて、私達にはいません。今ここにいるコリンも、昔死なせてしまった娘も、私達にとってはかけがえのない――」

「なら、どうして手を離したの? どうして一緒にいようとしなかったの!? ……どうせ、貴男達にとって娘が邪魔だったからでしょう?」

 口角を上げて皮肉げに笑う少女には、確かに昔の面影などなくて。しかしだからこそハロルドには分かった。彼女が亡霊だろうが何だろうがどうでも良い。再び会えたのならば、あの時の後悔を、過ちを伝えなければならない。それが親として誤ってしまったハロルド達に唯一出来る償いだから。ただ――レンを喪って心を病んでいたソフィアは震えるままに何も言うことが出来ない。

 声は震える。体も、心も。だが、それでもハロルドは伝えなければならない。

「……それを、否定することは私には出来ません。その時に余裕がなかったのは事実ですから」

「あら、認めちゃうのね」

 所詮親なんてその程度よね――そう言いたげなレンの言葉に、ハロルドは完全に自制をかなぐり捨てた。そこにロイド達がいようが、誰がいようが気にしてなどいられない。目の前にいるかもしれない娘に伝えなければならないことがたくさんあるのだ。故に、ハロルドは最早周囲に気遣うことなどしなくなっていた。もっとも、ロイド達はそれを察して一人ずつそっと部屋から退出していたのだが。

 自制をかなぐり捨てたハロルドは娘に自分達の想いを伝えるために言葉を吐きだす。

「でも……私達と一緒にいて、娘が目の前で害される可能性があるのに連れて行くことなんて出来るわけがなかった!」

「じゃあ、何!? 目の前で傷つけられないんだったら娘なんてどうなっても良いってこと!?」

「そん――」

 ハロルドの言葉は、そこでレンの絶叫に叩き切られた。

 

「殴られたわ! おかしな薬だって呑まされたわ! 沢山の男の人の相手だって、何だってやらされたわ! レンの身体に汚れてないところなんてない!」

 

 今、レンは自らを『レン』と呼称した。その意味を彼女は理解していない。理解せずとも良かったのだ。何故なら、ここにいるのはただの『レン』である必要はどこにもなく、闇と悪意に染められた『レン・ヘイワース』であるべきなのだから。そして、ハロルドもソフィアもそのことに気付いた。昔の面影は――無垢で無邪気な少女はもうそこにはいない。だが、そこにいるのは紛うことなく自らの娘なのだと。

 今の叫びの内容に、ハロルド達は絶句するしかなかった。今彼女に嘘を吐く必要などどこにもない。つまりこれは真実だということで――レンは、自らの娘はそんな目に遭ってきたということで。自分達が手を離さなければ、そんな目には遭わなかったのかもしれないのにと突き付けられているような気にさせられた。殴られた。一体誰に? おかしな薬を飲まされた。一体どうして? たくさんの男の人の相手。一体何があって、そんなことをさせられていたのか。それをハロルド達が完全に理解することはできない。

 何も反応できない両親に向けて、レンが震える声を吐き出す。

「邪魔だったから置いて行ったっていうのを否定できない? そんなの嘘だってレンは知ってるわよ! 『前の子はあんなことになってしまったけど』? 『あのことはもう忘れよう』? 所詮その程度の存在だったんでしょう、レンなんて!」

「それはッ! ……それは、あの時心に余裕がなくて――」

「それはつまり本性ってことよね。余裕がない時にこそ本性って出るものだわ。……すぐそばにレンがいたことにすら気づかないんだもの」

「――ッ!」

 ハロルドは何も返すことが出来なかった。何故ならそれは事実だからだ。あの時は手のかからない娘すらも煩わしくて、守るべきものを他人に預けてしまったのはハロルド自身。妻だけは絶対に守ると誓っておきながら、自らの娘は他人に託せるほどの愛しか持ち合わせていなかったという証拠。借金取りから逃げるためとはいえ、してはならないことだった。それを今は理解している。

 そこに口を挟む部外者がいた。

「レン。わたしに普通の親子は理解出来ないけど――あそこに売り渡すつもりでこの人たちがレンを置いて行ったわけじゃないってのは分かってるでしょ?」

「……その言い方は嫌いよ、アル。……でも、もしそうならそれで借金なんて全部帳消しに出来てるはずだものね」

 その後も借金の返済のために身を粉にして働いていたことを、レンは知っていた。お節介のように調べて教えに来る人物たちもいた上、自分でも僅かに聞きかじっていたからだ。知るつもりがあろうが無かろうが、リベールであの『ヘイワース夫妻人形』を使った時には知っていたこと。ただの情報としてだけでも、彼らが必死で働いて借金を返済したことも知っていたし、娘が死んだと思っていることも知っていた。

 ハロルド達は何も言えなかった。故に、アルシェムは――□□□は会話のきっかけを作るべく言葉を吐きだす。

「私からも聞きたいんだけど、どうしてレンが生きているかも知れないって信じられなかったの?」

「……レンは、私達が死なせてしまった。私達はレンの分まで幸せでいなくてはならない――そう決めなくては、生きていけなかったからです」

「探し続ければ良かったのに。そうすれば――去年には情報だけなら見つかってたと思うよ?」

 その言葉にハロルドとソフィアは息をつめた。ということは、『レン』は一度であっても表舞台に出て来ていたということだ。どういう形であるにせよ、その情報を手に入れられなかったというのは、ひとえに自分達がレンを死んだと認識していたからに他ならない。レンを探し続けていれば、情報だけであったとしても去年見つけられていたということはそういうことだ。

 だが、当の娘はそれを皮肉げに笑ってこう返した。

「あら、そんなのでレンを見つけたって意味ないわよ。だってこの人たち、レンが今までどういう生活をしてたかなんて想像もつけられないんだろうしね」

「どういう……というのは……」

 レンはハロルドの知らない表情で微笑んで告げた。

 

「たくさんの人を殺したわ。いっぱい訓練して、《パテル=マテル》にも出会ったのよ。それで皆でお茶会をしたの。楽しい楽しい狂ったお茶会をね」

 

 だからレンは汚れている。そう彼女は告げた。そうしなければ生きていけなかったし、そうしたいからそうやって生きて来た。他人を殺し、自分のためだけの居場所を確保する。自分の居場所のためならば、少し親しくなった人ですら容赦はしなかった。誰にも痛くされない方法は、痛くしてくる人たちを殺すことだった。それはとても単純なことで、簡単なこと。

 そこでずっと黙り込んでいたソフィアが口を開いた。

「なら、どうして私達を殺さなかったの、レン。どうしてコリンを助けてくれたの?」

「……そんなの、簡単なことだわ」

 そう言ってレンは俯いた。そうだ、簡単なことなのだ。レンにとって、ヘイワース夫妻などどうでもいい人たちだから。それ以上の理由はない。故にレンはそれを口にする。

 

「だってそうでしょう? パパはレンを護ってくれて、ママはレンを愛してくれる。それがパパとママなら、レンのパパとママは貴方達じゃない。《パテル=マテル》なのよ」

 

 それは訣別の言葉で。それでも、レンは自分の言葉に自信を持てなかった。何故なら、本当にハロルドはレンを護ってくれずソフィアはレンを愛してくれなかったのかどうかまだ整理しきれていないからだ。もしかすると守られていたのかもしれない。愛されていたのかもしれない。でも、それをレンが感じ取れないのならば――それに本当に意味はないのか。

 その迷いを断ち切るように、ソフィアはレンの言葉を否定した。

「違うわ、レン。貴女にはもう分かっているはずなのよ……私達の可愛い娘。うぬぼれかも知れないけれど、勘違いかも知れないけれど、それでも私は信じています。レンは、私達を愛してくれているんだって」

 その言葉に、レンは嘲笑してソフィアの顔を見た。

「……面白いことを言うのね? なら――聞かせて、ママ。貴女にレンの何が分かるっていうの?」

「私には――ママにはレンに起きたことを多分全部は理解出来ないし、受け入れることは出来ないんだと思う。ママたちが貴女にしたことを考えれば、分かってあげられるだなんて口が裂けても言えないわ。そんな資格がないことだって十分わかっています。でも……」

 ソフィアはレンの瞳をまっすぐに見つめて宣言した。

 

「私は、ソフィア・ヘイワースはレン、貴女の母親です。貴女に起きたことを受け入れることは出来なくとも、貴女自身を受け入れられないことなんてない。娘を受け入れられなくて何が母親ですか」

 

 その言葉に、レンの心は少しだけ揺らいだ。《パテル=マテル》は確かにレンのことを受け入れてくれていたはず――それは、本当に? ただレンに対して無条件に従うよう作られているだけではないのか。《パテル=マテル》はノバルティスから与えられたもの。本質的にはレンを補助するための機能の付いたただの機械人形でしかないのだ。

 微かに全身を震わせたレンに、ハロルドも声をかける。

 

「……私は、レン。パパ達は貴女から罰せられるべきなのだと、そう思うよ。レンは私達を一生赦さなくて良い。それだけのことを、私達はしたんだ。でも、レンがもし赦してくれるのなら――私達にも、レンをそんな目に遭わせた奴らを憎む権利をくれないか」

 

 隣に立つアルシェムには、レンの震えが痛いほどに感じられた。どうすればいいのか、どうしてやれば自分の気が済むのか。レンはそれを頭の中でぐるぐると考え続けている。訣別しようと心に決めたはずなのに、二人の言葉に心が揺らいでいた。

 

 そしてレンは――

 




 気になるところでしょうが、切ります。一話に14000字弱はちょっと個人的に読みづらいので。

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