雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧180話終盤~181話直前までのリメイクです。


創立記念祭三日目・夜

 ヨナからの依頼を終え、支援課ビルに戻ってきたアルシェムは目の前の光景を見、そして階上の気配を探って溜息をついた。どう考えても一人多い。応接間兼リビングには既にロイド達が揃っているのに、丁度アルシェムの自室のあたりに微かな気配があるのだ。それも、よく知っている気配が。さっきの今でここまで移動したのはそれなりに驚くものの、予想は出来ていた。

 どうせならたまには外食して来ようと思ったアルシェムは、人数分夕食を用意しようとしていた食事当番のエリィに声をかける。

「ああ、エリィ。悪いけどわたしの分はいらない」

「え? 何か予定でも入ったの、アル?」

「うん、まあ、そんなところかな。どれだけ時間がかかるか分かんないし、もしかしたら外食してくる可能性もあるから」

 ふうん、とつぶやいたエリィに階上の気配を察した気配はない。どうやら気付いていないようだ。それはロイドも同様だが、彼は何となく察していた。恐らくレンに会いに行くのだろう、と。そうでなければいきなり出かけようなどとは言わないだろう。アルシェムが特に親しくしていそうなエステル達とは先日食事に出かけたばかりなのだから。

 それ以外に親しい友人と聞かれて、ロイドが知っているのはティオしかいない。というよりも、アルシェムは自分のことをあまり話さないのでわからないのだ。どんな友人がいるのかも、昔のことですら。聞かれてもはぐらかすことの方が多い。故に、ロイド達がアルシェムについて知っていることは驚くほどに少なかった。もっとも□□□に言わせれば、ロイド達がアルシェムのことを深く知る必要もないと言うだけのことであるが。

 と、そこにランディが冷やかし気味に声をかける。

「愛しの彼女か?」

「……その表現はわたし、どうかと思うんだけど……まあ、あながち間違ってもないし、相手が男じゃないことだけは確かかな」

 そこまで言い終えてアルシェムはとんでもない誤解を生む発言を肯定してしまったことに気付いた。アルシェムには女の子同士の絡みに偏見があるわけではないが、自分がそうであるかと言われるとまた別の話だからだ。因みにアルシェムが恋愛対象として見る人物は過去現在未来において存在しない。ただ、もし彼女が恋をする気になるとするのならば、それは恐らく性別に関係なく彼女をすべて受け入れてくれる人なのだろうとは言える。

 故に彼女は恋をしない。愛することも無ければ、共に将来を歩もうと思える伴侶を探そうなどと思ったこともない。そんなことをしている暇があるならば、彼女は今頃フツウのニンゲンとして暮らせているはずだ。彼女に恋だの愛だのという余計な感情を抱かせて目的を果たせなくなるくらいならば、□□□は自ら動くだろう。その目的を成就させるために。

 結局、若干の誤解をアルシェムは解くことはなかった。解く意味がないからだ。

「じゃ、日付が変わる前には多分帰ってくると思うけど、気にせず寝てていいからね」

 ひらり、と手を振ってアルシェムは準備のために自室へと戻った。そこに待ち受けていたのは――すみれ色の髪の少女。かつて『レン・ヘイワース』であり、《殲滅天使》として活動し、今現在ではただ『レン』と名乗る少女だ。その彼女が、いつもの特徴的なロリータ服でベッドの上に座っていた――アルシェムが手慰みに作ったオーブメントを触りながら。

 暇が出来ればオーブメント細工を作っていたアルシェムの部屋は、最早本来の広さの半分ほどになっている。大物細工も多数あるが、それ以上に小物細工であふれかえっているからだ。何かしらの気の迷いでその気になれば、オーブメント細工職人としてでも食べていけそうな規模である。もっとも、アルシェムがその道を歩むことだけは有り得ないのだが。

 手元でオルゴール状のオーブメント細工を弄りながらレンは悪戯っぽく笑う。

「うふふ、アルとお付き合いするのも悪くないかもしれないわね」

「いや、レンにはもっといい人がいると思うんだけど……まあいっか。それで、何か話があるんじゃないの?」

 複雑な顔をしてそう返したアルシェムに、レンはオーブメント細工を置いて近場のレストランへと移動することを告げた。どうやら既に貸切にしてあり、ミラも払っているようである。ミラを無駄にするのも嫌だったアルシェムとしてはそれを断る理由はどこにもなかった。家族同然のレンとの食事なのだ。少々ミラが張ろうが、それが楽しくないわけがない。

 支援課ビルよりほど近くのレストラン《ヴァンセット》に入ったアルシェム達は、少な目の量で出てくるフルコースに舌鼓を打った。その間レンは一切何も話そうとはしない。何か考えていることがあるらしく、脳内で言葉をまとめながら食事をしているようだ。何となく何を言われるのかアルシェムには分かっていたので、心の準備をして貰う為にも声を掛けなかった。故にその場に響くのは微かにこすれ合う食器の音のみ。

 デザートのソルベに入ったところで、ようやくレンは口を開いた。

「……あの録音、聞いたわ」

「……そっか」

 その言葉だけで、アルシェムには分かった。あの時――魔獣被害の件でアルモリカ村を訪れた時、ハロルド・ヘイワースと交わした会話を録音したものだ。むしろそれ以外録音したものを渡した記憶はない。レンの顔には覚悟を決めたかのような色が浮かんでいた。つまり、結論を出したということだ。それもこうして話すまでの間にすら迷うほどの大きな決断を。

 何となく、アルシェムにはレンの選択が分かっていた。否――知っていた。何故ならそれは彼女の知るはずのない情報であり、同時に彼女が知っていなければならない情報なのだから。レンの選択は、アルシェムにとっても――□□□にとっても重要な意味を持つものだ。その選択をする権利はレンにあるが、その選択を提示するのは□□□の義務。□□□にとって、レンの選択は矯正/強制しなければならないほどに重要なのだ。

 レン・ヘイワースはロイド達にとっての救い手であり、ロイド達はレン・ヘイワースにとっての救い手である。その未来は変える必要はない。ただ、彼女が揺らぐという事態だけは避けなくてはならないのだ。何故ならレン・ヘイワースはこの先ロイド達を数度救う。そして、クロスベルの未来にも大きくかかわる道行の道しるべとならなければならない。□□□がそう決めたのだ。

 アルシェムはそれを、聞き届けなくてはならない。見届けなければならない。道を外れるようならば、矯正/強制しなければならない。それがアルシェムに与えられた役目なのだから。たとえどれほど彼女がそれを望んでいなかったのだとしても、それが『アルシェム・シエル』に――やがて『アルシェム・シエル=□□□□□□』となる彼女に与えられた役目なのだから。

 そして、レンはその小さな口から答えを吐き出した。

「……全部を、受け入れることは出来ない。でも……でも、確かめなくちゃいけない」

 その声には少なくない葛藤が含まれていた。棄てられたのかもしれないという考えを、これから受け入れなければならないということに対する怯え。それでもレンは知らなくてはならないのだ。あの両親がレンを売ったのか。そうでなければ、いつまでたっても先に進むことなど出来ないのだから。ひとところに留まり続けるのは確かに楽だ。だが、進まなければ何も変わらない。

 棄てられた、売られたというのならば話は簡単だ。もう二度と会わないようにクロスベルから消え、ここで燻る不穏な影からも逃げれば良い。両親が死んだところでレンの関知することではないし、最早関係のないことだ。実の娘を売るような両親など、二度と『両親』だと思わない。自分の手を汚す価値もなく、ただよどみに呑まれて死んでしまえば良い。そう、レンは思っている。

 だが、そうでなかったのならば。彼らが預けたのは善意からで、本当に全てが不幸な事案の重なり合いだったのだとしたら。その時は――レンは、選ばなくてはならない。光ある道を示してくれたエステル達のためにも。そして――闇から抜け出すことのできない『姉』のためにも。そして、未だ『レン・ヘイワース』を喪ったことで苦しんでいるであろう両親のためにも。

 微かに全身を震わせているレンにアルシェムは言葉を返す。

「そう決めたのなら、わたしは何も言わない。言わないし、言えない」

 そして、アルシェムは謳うように続けた。それは決してアルシェム自身の言葉ではなく――

 

「何を決めようとも、何を成そうとも、貴女に与えられた役割をきちんとこなすのならば――レン・ヘイワース。貴女がどんな選択をしようと私は受け入れるわ」

 

 それを、レンは理解した。神託の如きその言葉を。今の言葉はアルシェムの言葉ではない。誰の言葉なのかも理解出来ない。ただ、分かることは――今現在、アルシェム・シエルは何者かに乗っ取られているということだ。その事実を彼女は正しく理解した。理解し、飲みこんで目を細めたレンはその黄金の瞳で彼女の微かに碧く光る瞳を射竦める。陶然としているその瞳は、一瞬だけ揺らいでいつものアルシェムの瞳に戻った。

 そこに浮かんでいるのは、困惑。目の前で険しい顔をしていられるレンに対する疑念と困惑だ。

「……レン?」

 アルシェムの困惑に、レンは困惑した。何故今の自分の反応でアルシェムが困惑するのかが全く以て理解出来ないからだ。自覚して発した言葉ではない、という情報を無意識に脳内に叩き込みながらレンは思考を巡らせる。そうしてはならない、という脳内に鳴り響く警告は無視。そうでなければ、何か取り返しのつかないことが起きてしまう。そう感じたからだ。

 故にレンは確認するかのように声を発した。

「……アル、今――何があったの」

 固い声で問い詰めて来るレンの言葉を、アルシェムは理解することが出来ない。何者かに――□□□に借りられた自らの口から出た発言を、正気のままで聞き終えた人間など今までいなかったからだ。それを今レンが正気を保ったまま聞き、それを理解しているというその一点において、その事実をアルシェムは理解出来なかったのだ。

 否、理解出来てはならないのだ。理解してしまえば全てが崩壊してしまうのだから。アルシェムが□□□□□□だということまで察知されてしまえば、その先にあるのは破滅しかありえないのだから。アルシェムは純然たるニンゲンなどではなく、ただの□□であることなど、知られてはならない。既にヒントはあの時に出されてしまっていたのだとしても。

 レンがそれを分析してしまう前に、アルシェムは声をかける。

「いや、疲れてたんじゃないかな。最近ちょっとぼんやりすることがあってね……」

 そのとぼけた言葉を、アルシェムは最後まで言い切ることは出来なかった。誤魔化したかったわけではない。ただ、知られたくないだけだ。ただでさえ普通のニンゲンではないと知られてしまっているのに、これ以上どういう立場なのか知られるのも嫌だから。それ以上に――そこまでアルシェムのことで案じられていると思いたくなかったのだ。いずれ『アルシェム・シエル』は『消える』から。

 虚ろに笑って声を発するアルシェムを、レンはこわばった顔で叱責した。

「誤魔化さないで。今、アルを乗っ取ってたのは誰だって聞いてるのよ」

 レンの叱責に、アルシェムは顔をこわばらせた。その問いに答えることは絶対に出来ないからだ。何故なら、アルシェムはまだその人物に会ってすらいない。存在すら知らないはずなのだ。否、『在る』ことは知っているが、それが本当に稼働できる状態なのかどうかすら知らない。そのはずだ。たとえ夢の中でその人物を見つけたのだとしても。

 近い将来、アルシェムは彼女に会う。それは運命であり、既定のレールの上を走るようなものだ。『シエル』として《ハーメル》にいたのも、『アルシェム』としてリベールにいたのとも同じ。既定のレールの上を走るようなもの。絶対に外れてはならない道。外れれば、恐らく彼女に待つのは――尊厳すらない、死ですらない悍ましいナニカだろう。

 故に、アルシェムの答えはこうだ。こう、応えるしかない。

「……知らない」

 しかしレンはアルシェムの答えを否定するかのように断言する。

「嘘。アルは知ってるはずよ。そうじゃないと説明がつかないもの。たとえそいつが誰だとしても、『レン・ヘイワース』なんて単語が出るのはアルか、エステル達かくらいしかいないんだから」

「違う……そんなはずない。だって、だってわたしは――」

 アルシェムの瞳が狂気を帯びる。それは確定事項ではないにもかかわらず、その口調は断定の色を帯びている。その言葉に、レンは更に顔を険しくした。何故アルシェムが未来形でこのことについて語るのかわからなかったからだ。理解出来ないわけではない。ただ、そんなことがあり得るのだとすれば――何故、アルシェムはことごとく不幸にダイブしまくっているのかが理解出来ない。

 要するに、レンはアルシェムのソレを未来視の類だと思ったのだ。先ほどまでアルシェムを乗っ取っていたのは未来の『アルシェム・シエル』ならばそれで説明もつく。他にまだわからないことはいくつかあるが、それも問い詰めればすべてわかるはずだ。それですべて解決する。そのはずだった――少なくとも、レンの思考の中では。

しかし――次に出るその言葉が、それを真っ向から否定した。

 

「『アルシェム・シエル』は『レン・ヘイワース』をクロスベルに縫いとめるための楔。私がそう決めたの。他でもない《□と□の□□》が」

 

 最後の言葉にはノイズが入って聞こえない。だが、それでもアルシェムには理解出来てしまった。これで、全てがつながってしまった。誰がアルシェムを生み出し、その未来を決めて来たのか。それがこの乗っ取りの主。その真なる正体だ。分かっていた。そんな気もしていた。それでも、認める気はなかった――自らの運命を、他人に決められ続けてきたことなど。

 今や、アルシェムの顔色は紙よりも白かった。既に青ざめるを通り越してしまっている。そして、レンも同様だ。顔色が悪くなっているのはホラー体験をしたからではない。ただ、この一瞬で何となく推理できてしまったからだ。アルシェムがニンゲンではないことくらいレンも理解していたつもりだった。だが、そこまでニンゲンに似せられていないとは思いもしなかったのだ。

 これでは――『アルシェム・シエル』はただの人形ではないか。ギリ、と歯を食いしばってレンは正面を見据えた。そこにいるのはアルシェムだけだが、その向こうにいるはずの誰かを透かし見るように。だが、そういう時に限ってソイツが出てくる気配はない。自分の『姉』を乗っ取り、操り人形の如く動かしているその相手を縊り殺したい。そうレンは思った。

 殺気を放ち始めるレンにアルシェムは言葉を掛ける。

「え、あー……な、なんちゃって?」

「これ以上誤魔化す気ならいくらアルでも折檻コースよ」

「アッハイ」

 冗談で気を紛らわそうとして失敗したアルシェムは、それ以上揺らぐことはなかった。これ以上レンの前で深く考察してはならないと判断されたからだ。その判断した主が《聖痕》を使い、動揺する精神を凍結させた。これ以上考えさせてはならない。今偶然『アルシェム・シエル』を観測していたからこそ良かったものの、そうでなければ□□□の計画が崩れ去るところだったのだ。

 それ以上の動揺が見られないアルシェムにレンは再び目を細め、そして一言発した。

「――帰るわ」

「う、うん……気を付けてね」

 アルシェムは自身に違和感を覚えつつそう返す。何をされたのかは何となく理解しているが、今このタイミングで干渉されるとは思ってもいなかった。それも、他人に露見するほどのレベルで。

 柄にもなく不安を覚えつつ支援課ビルに戻ったアルシェムは、誰とも顔を合わせずに自室にこもり、考え事をしながらオーブメント細工を量産する。そうすることでしか、彼女は不安を解消することは出来なかった。

 

 ❖

 

「……何で」

 その声には、困惑が満ちていた。それはそうだろう。自らがつくりだし、都合のいい存在として操ってきたはずの『アルシェム・シエル』が初めて反抗めいたことをしたのだから。彼女はあの時、レンに『アルシェム』の《聖痕》を使って記憶の凍結を行う予定だった。それが一切発動しなかったのだ。アルシェムが彼女の思い通りに動かなかったのはこれが初めてだった。

 『アルシェム・シエル』はいつだって彼女の思い通りに動いてきた。『カリン・アストレイ』を救い、『レオンハルト』を救い、彼女を救うに足る存在のことごとくを救わせてきた。その代償に『アルシェム・シエル』がどうなろうが関係のないことで、憎まれようが恨まれようが彼女には一切関係がないと思っていた。何故なら□□□は『アルシェム・シエル』の上位存在だから。

 故に今更抵抗めいたことをされて困惑したのだ。『アルシェム・シエル』はただの駒で、彼女の思い通りに動くことしか赦されていないのだから。『アルシェム・シエル』のいる世界はいわば彼女の夢と願望の詰まったものだ。好きに出来ないことなどあるはずがない。そう――あるはずがないのだ。ただの駒に過ぎない『アルシェム・シエル』が彼女に反抗してくることなど。

 彼女はアルシェムの反抗を気のせいだと鼻で笑わなかった。注意すべき――そして、逆らうようならば処分しなければならない。そこまで考えていた。そうすることでロイド達は救われる。そして、自分も――

 

「だから、邪魔なんてしないで――『お人形さん』」




 ある意味これで大体のネタは割れています。が、ネタバレ感想は禁止でお願いします。

 では、また。

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