雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧178話半ば~180話終盤までのリメイクです。


創立記念祭二日目~三日目・支援要請

 深夜。誰もが寝静まった頃、アルシェムの部屋に来客があった。静かに叩かれた扉の向こうに誰がいるのか、その人物が扉の前に立った時点でアルシェムは既に把握している。ただし何故彼が深夜に女の部屋を訪ねてくるという暴挙に出たのかわからなかったのだが。

 アルシェムは鍵を開け、静かに扉を開けてその人物――ランディを引き入れた。

「……あっさり入れていいのか?」

「やらかそうとした瞬間に斬り落とすんじゃない?」

 いぶかしげな顔をしてそう問うたランディにアルシェムは口角を片方だけ上げてそう応えた。因みに斬られる対象はナニではなく、首である。つまりランディは夜這いをした時点で命の危険があるといっても過言ではない。もっとも、彼がここを訪れた目的はそういう大人の時間を過ごすためではなく、どうしても聞いておかなければならないことがあったからだ。

 故に、イロイロと勘違いされる前にランディはアルシェムに問うた。

「さっき、ヨシュアと俺、それにお前にのみ出来る方法があるって言ったな」

「うん、する気は今のところないけど」

「そうじゃない。……何で俺が裏の人間だったって知ってる?」

 そう言ってランディは目を細めた。正直に言って凄むロイドよりも数倍コワい。ただしその程度の殺気ならばアルシェムも慣れているので普通に返答することになるのだが。

「ここ来る前にね、ランディのお父さんに――バルデル・オルランドに会ってるからだよ」

「……親父と? どこで……」

「それは秘密。まあ、彼と面識があるわけだから当然ランディのことも知ってたわけ」

 それ以上の情報を掘り下げて聞かれるとアルシェムとしては非常に困る。そもそも何故彼と敵対していたのかを語ることは出来ないからだ。いずれ明かすことになるとしても、今はまだ正体を明かすわけにはいかない。折角裏から逃げ出せた人間を元の場所に戻そうとするほどアルシェムは鬼畜ではない。それが今の同僚ならばなおさらだ。

 渋面を作ったランディは溜息と共に言葉を吐き出した。

「……成程な……」

 そしてランディは黙り込んだ。何かを考えているらしい、とアルシェムは思うが、彼がそのままここに留まっているのも色々な意味で危険なので会話を促すことにした。

「……それで、用件ってそれだけ?」

「いや、本題はこっからだ。お前は――裏に、《結社》に本当に戻るつもりはないのか?」

「ないよ。意味ないし、戻った方がデメリットが多いから。ま、メリットが多くても戻るつもりはないけどね」

 正確には戻れない、なのだがそれを明言する必要はどこにもないだろう。最終的にはその理由として今現在アルシェムが置かれている立場を明かさざるを得なくなるとしても、それを今明かすだけのメリットはない。ランディが未だ《赤い星座》に帰るつもりがある可能性がある以上、明かせないともいえる。情報漏洩は最低限にしておいた方が良い。

 それに――と、そこまで考えて、アルシェムはふと意識が混濁するのを感じた。そして自分の声帯を使って自分ではない誰かが話し始めるのを感じる。

 

「それに、『アルシェム・シエル』の役目はより良い未来を選択するためのトリガーだから。たとえ何があってもロイド達と敵対することだけは有り得ないし、あってはならない」

 

 その後の記憶はアルシェムにもランディにもなかった。

 

 ❖

 

 創立記念祭三日目。かなり寝不足気味のアルシェムは、目をこすりながら起床して着替え、階下へと降りた。そこには既に朝食が用意されている。どうやら本日の当番はエリィらしい。手早くがっつり食べられるベーグルサンドと紅茶が用意されているが、セルゲイだけは自前でコーヒーを用意していた。全員が食卓に着くのを待ち、そして食事をとる。

 食事をとり終えれば、端末を見て本日の予定を決めるのみだ。ロイドは本日も豊富な支援要請を見て、マインツ鉱山の魔獣退治にランディとエリィを、ストーカーの調査に自身とティオを、そして古戦場の手配魔獣をアルシェムに振り分けた。残る偽ブランド商の追跡はタングラム門から集合時間を決められているため、終わった人から順次合流する予定だ。

 アルシェムは懐の導力銃を確認してから、古戦場へ向けて走り出した。幸いなことにバスは近くにいないため、爆走していても何ら問題はないだろう。導力車でいきなり通りがかる人に関しては音で分かるので視認できる範囲に出る前に速度を落としている。街道灯の近くの魔獣のみを射殺するだけはしておき、アルシェムは一時間もしないうちに古戦場へとたどり着いた。

 すると、奥に行くまでもなく手配魔獣セピスデーモンが出現していた。最近忙しくて消費できていないセピス分を嫌がらせのようにIBCで交換してやろう、と思いつつアルシェムは敢えて少々時間をかけたうえで倒した。上手く外殻に当てれば大量のセピスが手に入るのである。無論アルシェムがその手段を取らないわけもなく、数十分の格闘――もとい、導力銃での低威力での蹂躙――を経てセピスデーモンは消滅した。

 と、そこに素早く動く魔獣が現れた。すわシャイニングポムかと思ってアルシェムがそちらを見てみると――

「……何故にトマト?」

 緑色のトマトがいた。動くトマトだ。しかも何故か顔がついている。動きが気持ち悪かったので思わず射殺すると、汁が飛び散ってあたりに何とも言えないヤバイ臭いが充満した。この臭いには心当たりがある。そう、あれは確か――リベール原産のニガトマトである。何故こんなところにいる、もといあるのだろうか。あの激苦トマトが。しかも中身を飛び散らせて消滅したはずのニガトマト魔獣は、何故かニガトマトを落としている。いやどうなってんだよ、とアルシェムは思った。

 実態を調査しても良いのだが、どうせくだらない理由があるような気がしてアルシェムはニガトマト魔獣を盛大に無視することにした。それよりも今すべきは次の支援要請にこたえることだ。幸い、ここからタングラム門までの距離はそうない。歩いてもゆうに間に合うだろう。そう思ったアルシェムは、ゆっくりのんびりと歩きながらアルモリカ古道をタングラム門方面へと歩いて行った。

 そして――定時になっても、誰もタングラム門には現れなかった。アルシェムは軽く食べられる昼食を食堂でとっていたのだが、ENIGMAが鳴ることも無ければ声を掛けられることもなかった。どうやら皆、手間取っているようだ。取り敢えずは市内で待機しておいてもらうべきだろう。今から来てももう間に合わないのだから。よってアルシェムはENIGMAからロイド達に通信を入れて、もし間に合うようならバスの到着口で待つように伝えておいた。

 昼食を終え、一服した後にタングラム門からの依頼人であるシーカー曹長とその補佐のコルティア軍曹――もといリオ――と合流したアルシェムは、偽ブランド商がクロスベル入りするという情報を得たことを彼女らから聞いた。もっとも、その情報がどこからもたらされたものなのかも問題なのだが。警察内部よりのタレコミである可能性もあるが、犯罪者を隠れ蓑にしてスパイが流入してくるという可能性すらあるのだから。

 一通り話を聞き終えたアルシェムはノエルに問う。

「それで、入ってきた観光客ってのは見せて貰えるの?」

「はい。今はバスの都合が悪いという口実をつけて食堂で待機して貰っています」

「……そ。分かった。一通り顔見て情報だけ取ってくる。曹長と軍曹は服で目立つし近くで待機しててもらえる?」

 そのアルシェムの言葉に分かりました、と答えた二人は、食堂の中へと入っていくアルシェムを見送った。そこに不安はない。リオの方は無論のことながら自身の主を信じないということはないのだが、ノエルの方は別だ。ただ、何となく。何となくアルシェムは信じられると、そう判断しているのである。人間的に好きになれるかどうかは完全に別になるが。人間的に問題があるのだとしても、信頼できる人間はいるものである。

 それはさておき、食堂の中に入ったアルシェムはそこで自身の失敗を悟った。まさかこのルートから本気で入って来ようとするスパイがいるとも思っていなかったからだ。それも、裏をかいたつもりになっているだろう共和国の人間が。端的に言えば、そこにいたのは黒髪の麗人だったのである。そう――人呼んで《飛燕紅児》キリカ・ロウラン。ロックスミス機関の室長がそこにいた。

「……あら」

 しかも声を漏らすというわざとらしさまで発揮してくれた。いい迷惑である。彼女に関しては完全に警備隊と警察に情報を売ってやろう、とアルシェムは心に誓いながら共和国からの観光客たちと会話を始めた。大半は普通の観光客。だが、そこに紛れている異分子が――二人。一人は言わずもがな、キリカである。芸能関係の仕事についていると抜かしたが、無論アルシェムがそれを信じることはない。

 問題なのは、この発言をした人物なのである。

「ええ、孫と一緒にミシュラムに遊びに行こうと思っていましてね。前に来たのは五年前だったかしら……」

 見かけ上はヒトのいい老女だ。だが、アルシェムには分かる。注意深い人物ならば誰でもわかるだろう。何故なら孫と一緒に遊びに行けるような施設は、五年前には存在していなかったのだから。そう――所謂ミシュラム・ワンダーランドは五年前には影も形もなかったのである。この老女がスパイではなく、偽ブランド商であるのは最早明白だ。何故ならスパイならばそんなあからさまな失言などしない。中途半端にクロスベルを調べた結果だからこその失言だ。

 故に、それを理解したアルシェムは一度食堂から出てノエルのいる場所へと移動した。

「……取り敢えず怪しいのが二人、かな」

 開口一番にそういうアルシェムにノエルたちは顔をしかめ、詳細を聞きたがった。ここで検挙できれば市内にそういう人物を入れないで済むからだ。だが、一人はともかくもう一人については不可能だ。何故なら彼女が明白にスパイであると自供したわけではないのだから。当然、キリカの方をノーチェックで通さざるを得なくなってくる。老女の方はともかく、だ。

 微かに顔をしかめながらアルシェムはノエルたちに説明した。

「一人は顔見知りだけど、証拠がないからこのまま通すしかない。もう一人は会話的に問題しかないからそのまま検挙できるよ」

「えっと、顔見知りって……」

「元遊撃士協会リベール王国ツァイス支部の受付、キリカ・ロウランっていう黒髪の美女なんだけどね。一回共和国に帰って何故か芸能関係の仕事をしてるらしいよ? ……《泰斗流》の師範代が」

 それを聞いたノエルは険しい顔になって黙り込んだ。流石にノエルでも《泰斗流》の名前は知っている。確か今のクロスベル所属遊撃士にも一人いたはずだ。その師範代――ある意味では一番強い人が芸能関係の仕事をしている。そんなことがあり得るのだろうか。むしろ、スパイ活動をするために肩書を騙って侵入してきたと言われた方がしっくりと来る。

 対するリオは遠い目をしながら言葉を零す。

「あー、じゃあ、副司令にでも報告しておくし、警察の方にも報告しておくよ。何だってまた泰斗の麒麟児が……」

「何か理由があるんだろーけどねえ。ま、そろそろ時間もアレだし、偽ブランド商だけ検挙しておこうか?」

「……そうですね。では、偽ブランド商をここで検挙してしまいましょう」

 険しい顔をしたまま、ノエルはそう提案した。本来であればクロスベル警察に連行したうえで聴取を受けさせるべきなのだろうが、水際で食い止めるという意味ではこの際市内にすら入れずタングラム門で撃退した方が外聞が良い。バスに乗せる際に食堂に忘れ物をしているという名目で老婆を引き留め、バスが出発した後に正体が割れていることを告げて色々あったものの偽ブランド商を捕獲することが出来た。

 なお、その際に起きた老婆逃走事件についてタングラム門からは一切の声明は出されていない。しかし、風の噂によれば全員が走り込みの訓練を三倍に増やされたらしい。そこにいたはずのアルシェムは、そのことについて遠い目をするだけでやはり一切を語ることはなかった――警備隊の名誉のために。

 

 ❖

 

 一日のうちに走り回り、割と力尽き気味のアルシェムはそれでもなおバスを使ってクロスベル市に戻ろうとはしなかった。街道を早歩きで通り過ぎ、魔獣を狩り、不用意に街道に出ている観光客に注意を促しながら市内に戻った頃には夕方になってしまっていた。キリカにも絡まれていたのだが、アルシェムは面倒だからと適当にあしらうことしかしていなかったので何も情報はぬかれていないはずである。

 それはさておき、本日もまた何かしらの問題が起きたようだ。《ENIGMA》の鳴る音を聞いたアルシェムはそう思った。そうでなければ今このタイミングで鳴るはずがない。

 アルシェムは道の端によって《ENIGMA》を手に取った。

「はいアルシェム・シエル……えっ、あ、そー。わかった、端末持って向かうからちょっとだけ待ってね」

 そう言って通話を終えたアルシェムは、通信相手――ロイドから言われた事案について思案する。本日の一大事件はどうやらヨナ・セイクリッドという人物と『仔猫』と呼称された人物に関わりがあるようだ。ロイド達は彼のことを知っているようだが、残念なことにアルシェムは彼――あるいは彼女――のことを知らない。何故ならヨナとロイド達が接触した時点において、アルシェムがヨナと関わる必要がなかったからだ。

 支援課ビルに戻ったアルシェムは、ロイドに指示された場所に辿り着くまでに端末を使って『ヨナ・セイクリッド』という人物を調べた。端末から得られる情報として、性別は男でティオと同じ年くらいの少年であるらしいことは分かる。彼がエプスタイン財団に所属していることもだ。そんな彼が捕えたい『仔猫』が誰であるのか、アルシェムには残念なことに見当がついていた。

 今現在のクロスベルにおいてネットワーク上で逃げ回れる人物はと問われると、かなり限られてくるからだ。言わずもがなアルシェム、そしてティオ、追いかけられる技量を持っているからこそ依頼をしてきたであろうヨナ、そして――レンだ。それ以外にもいないわけではないが、彼女がヨナから逃げるなどという怪しい行動をこのタイミングでとるわけがないのでその選択肢は排除できる。故に、恐らく『仔猫』はレンであろう。

 そう思案しながらジオフロントに潜ったアルシェムは、目の前に広がる光景に遠い目をした。

「……何この不摂生なガキ」

「アルは他人のことなんて言えませんよね? むしろヨナの方がきちんと三食取っているようなので健全です」

 しれっとティオが言い返すが、流石にこれより不摂生であることなどあるまい、とアルシェムは思う。目の前に広がるのは端末以外何もないはずの部屋ではなく、そこらじゅうに宅配ピザの空箱が散乱している汚部屋なのだから。たかが一食程度抜いたところでどこが不摂生なのだか、とアルシェムは思っている。もっとも、ティオから見ればどっちもどっちなのだが。ヨナは栄養が偏っているがアルシェムは栄養が足りていないという点において五十歩百歩なのである。

 ピザの箱から目を逸らしたアルシェムはヨナに問うた。

「それで、『仔猫』を捕まえればいいの? それって物理的に? それともネットワーク上で?」

「そりゃネットワーク上……って、物理的に捕まえられるのかよ!?」

「いや、今クロスベルにいる人で『仔猫』のハンドルネーム使いそうなクラッカーと言われればあの子しかいないしねー。ちょっと本気出さないと危ないけど、出来……うん、出来ないこともない」

 脳内でアルシェムはレンとのガチバトルを想定して身震いしたが、それでもそう返した。レンとのガチバトルなど笑えたものではないのである。間違いなく《パテル=マテル》にぶっ飛ばされる未来しか見えない。しかもレンは無限に回復されるのである。流石パパとママ。一応アルシェムにもまだ適用されないこともないが、権限を切るのはレンにはたやすいだろう。

 そこにロイドが口を挟んだ。

「出来ないこともないって……その、もっと穏当にな? 口頭注意とか出来ないのか?」

「聞く子じゃない。好奇心の塊みたいな子だからねー……まあ、クロスベルで法を犯すことだけはないと思うけどね」

「ええっと……」

 ロイドは困惑した表情で言葉に詰まった。アルシェムの言う『あの子』が誰なのか、何となく想像できてしまったからだ。アルシェムが親しそうに話す子供で、得体のしれない子供など彼女しかいないのだから。マインツ山道にある《ローゼンベルグ工房》に住まう少女。レンという名のあの少女が恐らく『仔猫』なのだろう。思い返せばあの時、アルシェムは彼女のことを『昔の仲間のようなもの』と称していた。ということは彼女も裏社会に所属している/していた人間で――

 そこまで考えて、ロイドは首を振った。今それは恐らく関係ないのだ。ヨナの話を聞く限り、『仔猫』はネットワーク内を荒らしているというよりは遊び場に使っている印象なのだから。もしもそういう裏社会に流すために情報を抜いているというならば、ばれないようにやるはずだ。そういう場合、情報を抜いているということを知られてはならないのだから。

 そして――アルシェムとヨナはその場に残り、ティオはロイドと共にジオフロントのB区画へと移動した。アルシェムの魔改造端末はともかく、ティオはその場に端末を持ってきているわけではなかったからだ。ロイドとティオは過去の話をしていたようだが、アルシェムとヨナの間に流れる会話というモノは存在しない。話す必要もない。『ヨナ・セイクリッド』は『アルシェム・シエル』に触れる必要などないのだから。

 アルシェム達はしばらくの時間端末内での鬼ごっこに明け暮れていたが、それも時間がかかったわけではない。日が沈む前に鬼ごっこを終え――『仔猫』は最終的に捕まったがヨナをおちょくって逃げて行った――、ロイド達は支援課ビルへと戻ったのであった。




 だがニガトマトマン、貴様は駄目だ。

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