雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧164話半ば~165話のリメイクです。


聖ウルスラ医大での聴取

 聖ウルスラ医科大学に辿り着いたロイド達は、エステル達と別れて病院内の受付まで来ていた。ロイドがそこでナースを一人呼び出していたのだ。そのナースさえいればある程度事情は了承してくれるだろうし本人への事情聴取もスムーズにできると判断したため、ロイドは彼女――セシル・ノイエスに渡りをつけた。

 受付で多少訝しがられたものの、本人の登場によって受付担当の疑問は解消されたようである。もっとも、彼女がロイドに抱き着いたことで新たな疑惑――ロイドがセシルの恋人ではないかという疑惑だ――が浮かび上がってしまっていたが。実際は全くそんなこともなく、セシル・ノイエスという女性はロイドの兄ガイ・バニングスの婚約者だった女性である。後でセシルは勘違いを解くために奔走することになるだろう。

 にわかに騒がしくなった待合室から、患者への負担を考えてセシルは皆を休憩所へと案内した。あのまま騒いで興奮しては身体に障る患者も出てくるだろうという判断だ。そこでロイドが一通りの事情を話し終えると、セシルは看護師長に話を通すべく断りを入れて去って行った。

 それを見送って胸に手を当て、一言漏らすエリィ。

「……負けたわ」

「ねーエリィさんや、ケンカ売ってる?」

 アルシェムは敢えて下を見ないようにしてそう返した。下を見れば綺麗に地面が見えるだろう。遮る胸などほぼないのだから。ただしティオは胸当てがあるのでそんなことはないだろう。中身のサイズがどうなっているかどうかはアルシェムも知らないことであったが。もっとも、もしもアルシェムがティオの胸の大きさを知っていたとすれば絶望していたに違いない。齢十四の少女に完全に負けているのだから。

 それはさておき、ギリギリと歯ぎしりの音が響く方を見てみれば、ランディが悔しがりながらぼやいている。

「くそぅ……羨ましすぎるぜロイドォ……! あんな美人なお姉さんとお知り合いだと……? 不公平だろ……」

「ええっと……し、知り合いというか、兄貴の婚約者だった人だから……な?」

 ロイドの困惑したような答えにランディは一瞬だけ眉を寄せたが、敢えて深刻な空気にするよりも茶化して終わることにしたようだ。ロイドの頭をぐりぐり撫でながら羨ましいなコンチクショーとしきりにぼやいていた。

 そんなことをしているうちにセシルが戻ってきた。どうやら許可が下りたらしい。セシルは一行を先導して魔獣に襲撃されたというリットンの病室へと案内されていった。アルシェムは何となく嫌な予感が続いていることに眉を寄せているのだが、それに誰かが気付いた様子はなかった。

 セシルが立ち止まってこの病室にリットンがいることを告げると、アルシェムは顔をひきつらせた。カーテンですら遮られていない病室の中に、この場所での最有力容疑者がいたからだ。その男はリットンを診察していて、何ら変わったところのない普通の男に見えないこともない。

 だが、彼は普通の男ではない。アルシェムは知っている。識っているし、知っている。聞こえる声にも覚えがある。あの時と何ら変わりのない声と、顔と、雰囲気。あの口が地獄行きを告げ、あの手が運命を加速させ、あの雰囲気で以て煉獄の主となっていた。忘れるはずがない。忘れていてはならない。忘れてしまっては、何のために――アルシェムは。

 何故ここにいる。何故そこにいる。何故生きている。何故、そこで一般人のように笑っていられる。その裏に何人の犠牲があったのか、本当に理解しているのか。平凡な人間の振りをしてそこに居座っていられるのか。何人が彼を恨みながら死んでいったと思っているのか。あの苦しみを与えた貴様が、そこで平然とのうのうと生きているのは何故だ。

 アルシェムがそこまで考えた時だった。ティオがアルシェムに声をかけて来たのは。

「……アル?」

 その一言だけで良かった。ティオは純粋にアルシェムを心配している。それが分かったから、アルシェムは冷静になれたのだ。ティオには悟らせてはならない。異変を告げるべきではない。今この時に、ティオがそれを知っているはずがないのだから。

 故に、アルシェムはティオの声を無視してロイドに声を掛けた。

「ロイド、ちょっと先に屋上見て来るよ。こんなぞろぞろ行く理由もないしね」

「え……あ、ああ……」

 ロイドは困惑したようだったが、アルシェムの言葉に納得したように送り出した。少々様子がおかしいと思ったのはあるのだが、今はリットンから話を聞くのを先にすべきだと判断したのだ。アルシェムとはあとでも話せるのだから。話してくれるかどうかも分からないが、もし話せないようなことなら時間をかけて聞き出せばいいと思っていた。

 故に、アルシェムは一人で屋上に赴いた。エリィとランディ、そしてティオは気づいていてアルシェムを放置した。ティオに関しては触れてはならないことをわかっていたからだが、エリィは何となく追えないと思っていたからであり、ランディは野生のカンで一人にした方がいいと思ったからだ。その気遣いがありがたいとアルシェムが思ったかどうかは別であるが。

 とにかく、屋上に上がってしなければならないことは精神を落ち着けることだった。大きく息を吸いこみ、吐き出す。吐くときに体が震えていることに気付いて深呼吸を繰り返す。心拍数を押さえて、平静を保てるレベルまで落ち着いて。そこからアルシェムは屋上を調査し始めた。

 傷の位置と、襲われた位置。そして、どう考えれば一番合理的に説明できるのか。それを考えつつ、黒い獣の毛を回収してアルシェムは一つの結論に至った。襲われた位置に魔獣が到達するために、どのルートを使えば良いかを考えれば普通に分かることなのだ。獣の毛はそもそも鳥型魔獣ではなく四足歩行の獣の特徴を持っている。つまり、魔獣は地面からやってきたはずで――敢えて頭上から投下されたとは言わない――、そのために必要な踏み台となる場所に傷も足跡もなかったのだ。

 アルシェムは無表情で言葉を漏らす。

「新興の猟兵団か、魔獣を使役する必要のある組織――ま、この場合だと《ルバーチェ》かな」

「こないだの人員補充が出来なかったからってか?」

 アルシェムは唐突に聞こえたその声に内心で飛び上がった。どうやら完全に平静にはなり切れていなかったらしい。アルシェムの間合いの外に立っていたのは、ランディだった。ランディが間合いの中に入っていないのは簡単なことだ。何故か殺気立っているアルシェムに近づくだけで斬られかねないと判断したから。故に、ランディはアルシェムと目を合わせてから彼女に近づいた。

 しかし、アルシェムは渋面を作ってランディに告げる。

「あ、ごめん今近づかないでねー。ランディみたいなむさい男に近づかれたらちょっと何するか分かんない」

「そ、そうか……あー、で、何か分かったか?」

 アルシェムの言葉に狼狽した様子のランディは、しかしすぐに切り替えてアルシェムにそう問うた。アルシェムはランディに調査の結果分かったことを告げる。魔獣が入り込んだのは――駐車場の方からなのだと。もし看護師長にでも話を聞いて大きめの車が止まっていたと言われれば完璧だ。それが《ルバーチェ》ならばほぼ間違いないだろう。

 ランディもその目で物証を確認して頷いた。ついでに恐らく新興の猟兵団ではないことも確認――もとい、わざわざこの場所で実験する意味が分からない――出来たために容疑者はほぼ《ルバーチェ》に絞られたのである。後は物証を一つ一つ固めていくだけだ。

 そう判断したアルシェムはランディに先導して貰って建物の中に戻った。すると――

「あら、どうだった? ランディ」

「ああ、イロイロ興味深いことが分かったぜ。そっちはどうだった?」

「後で話そう」

 ロイドも何かしらつかみかけているようで、ランディにそう返した。そして病室の扉を叩く。いきなり何を始めているのかと思いきや、セシルがそこにいるらしい。普通は病人が誰かも分からない時点で声をかけるのすら躊躇うと思うのだが、ロイドは躊躇しなかった。セシルが返事をすると、病室の中に入ってしまったのだ。

 調査の経過と対策を練ろうと思っていることをセシルに告げると、セシルは頷いてベッドに座っている少女に向けて謝罪した。

「ごめんね、シズクちゃん。私このお兄さんたちとお話があるの」

「いえ、お気になさらないで下さい。それよりも、そのお兄さんたちって……?」

 ロイド達はそのシズクと呼ばれた少女が目を閉じたまま自分達の方に顔を向けているのを見て訝しんだ。何故目を開けないのか――否、ここにいる理由を考えれば分かることだ。目が見えないのだろう。見えないのか、見ようとしないのかは分からないが。

 セシルが目線で促してきたというのもあるのだが、誰何されて答えないというのも警察としてどうかとも思うのでロイドは特務支援課の一同をシズクに紹介した。

「俺は特務支援課所属のロイドっていうんだ。こっちは同僚のランディにエリィ、ティオ、それとアルシェム。よろしくな」

「貴男方が……えっと、いつも父がお世話になっています。シズク・マクレインです」

 その言葉を聞いてエリィは驚愕した。何となくそんな気がしていたティオと入口の患者名の記されたプレートを見ていた他の面々はやはりそうなのかと思っていたのだが。ただ、こんな良い子があのアリオスの娘だとは信じられない様子だった。

 少々シズクと談笑した一同は、セシルがシズクから引き出した情報――リットンが魔獣に襲撃された際に聞いた謎の甲高い音のことだ――を聞いて病室を辞した。そして、一応ナースたちからも話を聞くべくナースステーションへと向かう。

 すると、そこにいた女性――看護師長が特務支援課のメンバーを見て瞠目し、声を押さえて叫ぶという器用なことをした。

「あんた……ティオちゃんじゃないかい!?」

「……ごぶさたしています、マーサ師長さん」

「ああ、やっぱり! こんなに美人さんになって……っと、ごめん。話があるんだね?」

 ティオは首肯すると、立ち話では出来ない話をするので奥に通して貰えるように頼んだ。看護師長は面識のある人物がいるからか、快く奥へと通してくれる。ナース用の休憩所のような場所で、セシルが淹れてくれたコーヒーを飲みながらロイドは看護師長から話を聞いた。

 その最中で口を挟むようにアルシェムが問う。

「ちょっと聞いて良いですか? ……最近、もっと言えばリットンさんが襲撃された日。《ルバーチェ》が大型トラックででも訪ねて来てません?」

 看護師長はその言葉に瞠目した。それが答えだ。これで《ルバーチェ》ではなく別の組織であればもっと事件は複雑になっていただろうが、今回はある意味わかりやすい。足りない人員の代わりに魔獣を使おうとしているだけなのだから。

「その顔だけで十分です。……ロイド、他に何か気になることは?」

「ないとは言わないけど……そうだ、魔獣がもう一回侵入しないように対策は出来そうだったのか?」

「あー、屋上のフェンスを追加すれば問題ないかな。フェンスのある場所にもう数アージュ程の高さのある奴を」

 どこ、とは敢えてアルシェムは指定しない。病院の裏にトラックを持って行けば魔獣が侵入することなど容易なのだから。そういう意味では、フェンスもあまり意味がないのだがそれは言ってはいけない。全てにおいて完璧などという言葉は有り得ないのだから。

 その後、ロイド達は《ルバーチェ》との取引に注意を喚起して聖ウルスラ医科大学を後にした。今回はバスに乗れたので帰りは楽だったのだが、一同の顔は冴えない。この間から続く《ルバーチェ》の暗躍に何か危ないことが起きるのではないかという懸念がぬぐいきれないのだ。この先確かにそういうことは起こるだろうが、今心配しても何も出来ないと分かっているアルシェムは別のことで顔を曇らせていたのだが。

 バスから降り、支援課ビルへと戻った一行は報告のためにセルゲイの部屋を訪ねた。経過報告という形にはなるが、最終報告ではない。まだマインツ鉱山町には出かけていないからだ。

 事情を一通り聞き終えたセルゲイは煙草の煙を吐き出しながら口の端を上げて言葉を零す。

「そうか……にしても、歩いて行くなんて遊撃士の真似でもしてるのかと思ってたが、偶然とはな」

「え……」

 セルゲイの言葉にロイドは瞠目した。その言葉の裏を返せば、遊撃士はいつでも街道を歩いているということになるからだ。あの距離をいつも歩いて行っているというのもそれはそれで時間ロスな気もしないではないのだが、それ以外に何か有益な理由があるのだろうか。

 ロイドの疑問には、そのままセルゲイが答えた。ただし、何か揶揄するような色が含まれていたのは否めない。

「自分が守るべき場所は自分の目で確かめる、だったか? アルシェム」

「……カシウス・ブライトの格言ですね。今日会ったイチャラブバカップル……ごほん、遊撃士たちの父親の」

 アルシェムはしれっとそう答える。ここでそう告げるということは、セルゲイはアルシェムがかつて準遊撃士でリベールにいたことを知っているもしくは調べたのだろう。調べることについて何かしら言うつもりはないが、今ここで明かすことでもない。

 だが、セルゲイは更に爆弾を投下する。

「バカップルとは言うが、凄腕なんだろう? お前も一緒にリベールの異変の解決に大いに貢献したんだろうに」

「ええっ!?」

 セルゲイの言葉に、一気にアルシェムに視線が集まった。クロスベル出身ではなさそうだったが、まさかリベールから来ていたとは思いもしなかったのだ。しかも、先日の《リベールの異変》に関わっていたとは思えなかった。確かに遊撃士だったらしいという情報はあったが、《異変》に関われるほどの立ち位置だったとは思いもしなかった。

 一同の驚愕にアルシェムは嘆息して応える。

「一緒にしないで貰えません? 五割がエステル、二割がヨシュア、後の三割はエステルを核に集まってきた遊撃士その他の功績なんでわたしは別に関係ねーです」

「関係ないというわけではないだろう? ……その時に遊撃士を辞めてたんだとしても、な」

 セルゲイの視線が何かを探るような視線に変わる。アルシェムは目を細めてその視線を真っ向から受け止めた。周囲に広がる緊張感。今不用意に言葉を発すれば何かが台無しになってしまうという妙な緊張感の中。最初に動いたのは、やはりアルシェムだった――ただし、緊張感をさらに高めるという方向にだが。

「あんまり首突っ込むと次の日には死体になってるかもね、セルゲイ・ロゥ。ただし下手人はわたしじゃないだろうけど」

「脅迫のつもりか?」

「いんや、ただ事実を言ってるだけだよ。藪を突いて蛇を出すどころの話じゃなくなるって意味ではね」

 セルゲイとアルシェムの視線がぶつかり合って、緊張感が最大まで高まろうとして――ふと、それが途切れた。途切れさせたのはセルゲイの方だ。それに気付いたアルシェムも半ば無意識に出てしまっていた殺気をおさめる。

 だが、その痕跡を残すつもりはあるようでセルゲイはアルシェムに告げた。

「後で話がある」

「あーはいはい。話せるとこまでならね。あとロイド達の同席も無しで」

 それでおおむね合意できたため、その場はお開きとなった。実に微妙な空気の中でとる夕食はあまり良いものではなかったのだが、これもまた必要なことだ。最終的には和解できるだろうという根拠のない自信からロイドは雰囲気を取り繕おうと奮闘するのだった。

 そして、深夜――ロイド達が寝静まった頃。アルシェムはセルゲイの部屋の扉を叩いていた。彼が起きていることは気配だけで分かったし、待たれているというのもまた理解していたからだ。セルゲイは昼間の格好のまま待ち受けており、アルシェムには見せなかったがショットガンを帯銃していた。

 話を切りだしたのはセルゲイだった。

「それで、確認だが……お前、今も《身喰らう蛇》に所属しているのか?」

「してないよ。今後必要があれば戻るかも知れないけど、多分そんなことは起きないと思う。犯罪組織に所属してないとできないことなんてもうないしね」

 実にあっさりと応えたアルシェムだったが、内心ではホッとしていた。セルゲイが《星杯騎士》まで辿り着いていたならば抹殺もしくは記憶の抹消もあり得るからだ。この場で記憶の抹消が出来ない以上、抹殺の可能性が出てくるというのは頂けない。しかも状況がアルシェムが犯人だと語っているようなものだ。故に、セルゲイの問いはある意味都合がよかったのだ。

 だが、本題はそこではなかった。セルゲイはもう一つの問いにこそ答えてほしかったのだ。

「もう一つだ。お前とは、今年会ったのが初対面か?」

「……多分ね。ま、一回記憶ぶっ飛んでるから保証はしないけど」

 セルゲイが確信したかったのは、アルシェムがあの時――ティオを救出した時に出会った仮面の少女《銀の吹雪》と同一人物なのかどうかだ。もし同一人物ならば伝言を預かっている。それも、もうすでにこの世にいない人間からの。

 だが、アルシェムはそれを肯定しなかった。何故ならば今後の行動に制約が加えられそうだからだ。特に彼らからどう思われているのか判然としない今では。元執行者だとは知られていても問題ないが、その時にやらかしたことを知られるわけにはいかない。

 その後、話が続かなかったのでアルシェムはセルゲイの前から辞した。これ以上追及されても後が面倒だと思ったからだ。何となくもやもやした気分を感じつつもアルシェムは眠りにつくのだった。

 

 ❖

 

 黒い狼型魔獣が、四人の男女を取り囲む。嬲るようにじわじわとけがを負わせ、身を削り取り、血を流させていく。囮となるべく飛び出す赤毛の男性は、遠くへ、遠くへと誘引されていって。茶髪の青年は無残にかみ殺されて。銀色の髪の女性は囚われ、喪服の少女は女性に絶望を見せるべくその場で屈辱を与えられた。救援に来たと思しき白き神狼はそれを止められずに操られ、自らの意志に反して荒れ狂う。

 そして魔都は闇に呑まれ、闇が支配し、混乱の極みに陥り――滅ぶ。

「そんなこと、赦さない」

 少女の声が響く。その光景は、銀色に包まれて見えなくなった。赦さない、赦さない、殺させたりなんかさせない――その声とともに数多の悪夢が消し去られていく。それと共に消えていく銀色の靄を彼女が気に掛けることはないだろう。そもそも銀色の靄は自らの力の一端だと思っているのだから。


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