雪の軌跡・リメイク   作:玻璃

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 旧155話のリメイクです。


旧友からの問い詰め

 深夜――ロイド達が寝静まり、なかなか寝付けなかったアルシェムが次はどんなオーブメント細工を作ろうかと思案していた頃。アルシェムの部屋の扉が控えめに叩かれた。

 その叩き方で何となく誰なのかは分かったのだが、声を掛けないわけにはいかないのでアルシェムは小声で返事をした。

「起きてるよ」

「では失礼します」

 帰ってきた返事も小声で、静かに扉を開いた少女――ティオは体を扉の内側に滑り込ませると静かに扉を閉めた。その恰好は昼間に見た格好のまま。黒いインナーに銀色の胸当てをつけた格好だ。パジャマには着替えていないので、今まで起きていたのは確実なのだろう。その長い水色の髪に寝癖も何もついていないのもその考えを裏付けている。

 アルシェムはティオに問うた。

「どしたの、こんな時間に」

「聞いておかなくてはならないことがあったから来たんですよ。後で説明すると言っていたでしょう?」

 そう告げるティオの瞳には真剣な色が浮かんでいた。アルシェムの立場を覚えているが故になぜこんな場所にいるのか疑問に感じていたのだろう。ティオの記憶は敢えて消さずに残しておいたのだから、星杯騎士であるということは完全に覚えているはずだ。ティオの場合は忘れさせてもつけているセンサー類から色々と類推されて間違った方向に行かれる可能性があること、そして何よりも暗示を持ち前の感応力で悟られてしまう可能性があったのである。

 ふう、と嘆息したアルシェムは肯定の言葉を吐いた。

「あー、そーだったね」

「ええ、そうです。それで――クロスベルで、何かが起きると思っているんでしょう? アル」

「起きる――というよりは、半ば引きずり出すの方が正しいかな」

 ゆっくりと言葉を吐き出しながら、アルシェムは闘志に火をつけた。――そうだ。引きずり出すのだ。あの悪夢のような日々を押し付けて来た男を。その元凶となった人物たちを。楽には死なせない。そのためには、クロスベルで起きるだろう混乱を抑える必要がある。クロスベルで動き始めるであろう全てに備えてアルシェムはここにいるのだ。

 ティオはアルシェムの言葉を聞いて微かに眉をしかめ、問うた。

「何が起きるのか、私に教えて貰えますか」

「一応守秘義務ってのがあるんだけど」

「じゃあ、アルの正体を警察本部の中で吹聴して回ります」

 そこまで聞いたアルシェムはスッと目を細めた。つまり彼女はアルシェムの任務の邪魔をしようとしているのだと思ったからだ。内容次第では復讐心を突いて利用するつもり満々だっただけに、その言葉は頂けない。アルシェムの正体を吹聴して回られては、警察本部を丸ごとどころかクロスベル中の住民に暗示をかけて回らなくてはならない可能性がある。

 完全に仕事モードに入ったアルシェムはティオに言葉を投げつける。

「そうなる前に記憶を消されるとは思わなかったわけ?」

「思いませんよ。なんだかんだ言って、アルってお人好しでお節介なんですから」

 視線と視線が絡み合う。しばらく見つめ合って――先に目を逸らしたのは、アルシェムだった。確かに記憶を消すのは色々な意味で不可能だ。まずアルシェムは法術を修めていないので使えない。今クロスベルにいる人員で暗示が使えるのは、今は警備隊に所属している彼女とどこかに潜伏している星杯騎士達だけだ。それさえタイムラグがあるため危険すぎる。

 これは、情報を少しでも洩らさない限りティオは退いてくれないだろう。彼女の過去にもかかわることだけに、あまり口外はしたくなかったのだが仕方がない。改めて協力を取り付けられるのならばそれで問題ないのだ。アルシェムはそう判断した。

 長く息を吐いたアルシェムは、ティオに向けて告げた。

「あんまりティオが聞いて楽しい話じゃないんだけど」

「構いません。何が起こるか分かっていれば備えられますから」

 ティオの決意は固いようだった。彼女にも目的がある。恩人の一人であるガイ・バニングスが死んだ理由を知ること。見付かっていない下手人を探すことだ。その下手人を見つけてどうするのかと問われると困るのだが、一応警察に引き渡すつもりだ。その後で逃亡するようならティオ自身の手で討つ。それが可能かどうかは分からない。仇を討ったとして、ガイが喜ばないのも分かっている。だが、しかるべき報いを受けさせなければ気が済まないのだ。

 その決意を感じ取ったアルシェムは言葉を漏らす。

「《D∴G教団》の首魁と、それを隠れ蓑にしている人物たちを追っている」

 それを聞いたティオは思わず息を呑んだ。その話が今更出て来るとは思えなかったからだ。しかも、今のタイミングで言われるということはほぼ首魁が誰だか分かっているということ。彼らを狩る準備が出来ているかどうかは分からないが。それでも思いがけないかたき討ちのチャンスは、ティオの心に暗いさざ波を起こさせた。やっと、復讐を始められる。

 声を震わせてティオは誰何した。

「その人が……誰だか、分かっているんですか」

「大まかなところまでは、ね。ただ隠れ蓑にしてるやつらの方がヤバいかも知れない」

 かも知れない、とアルシェムは表現したが、間違いなく《D∴G教団》を隠れ蓑にしている人物たちの方が厄介である。何せここまで表立った動きをしてきていないのだ。裏でもほぼ動きを掴ませないように動いている彼らを始末するのはアルシェムの役目でもある。それに付随する可能性のある□□についてもだ。むしろ水面下の動きさえつかめれば一気に行けるということなのだが、彼らも周到にそれを掴ませない。

 アルシェムの言葉を聞いたティオは平静を失っているようだった。無理もない話である。彼女に辛い過去を押し付けたのは《D∴G教団》なのだから。その悪魔崇拝の教団をも隠れ蓑に出来る人間がいるというのはどれほど恐ろしいことなのか。そして、あの悍ましい儀式で得たものをどう使うのか。そこまで思考が至ってしまって、呼吸が乱れる。

 無数の断末魔。幼い子供達の嘆き。恨み。全てを忘れることなど出来なかった。むしろ、今でも鮮明に思い出せる。思い出してしまえば、その後は熱で寝込んでしまう。そして悪夢と現実の中を彷徨うのだ。その中でずっと縋っていたのが、ガイから貰ったストラップだった。あれさえあればもう恐ろしいことは何もないと理解出来る。

 ティオは《ENIGMA》を取り出してみっしぃのストラップを握りしめた。そうすれば少しでも落ち着けると分かっていたし、そう信じていたからだ。ガイから貰った大切なお守り。不安定になった時の、ティオの精神安定剤。それを握りしめて徐々に呼吸を落ち着けていくティオは、気付かなかった。アルシェムも平然と語れていたわけではないことを。

 アルシェムも、それなりに顔から血の気が失せていた。それだけで済んだのは《影の国》を出て以降制御がより容易になってしまった《聖痕》の存在があったからだ。本来ならば涙を流しながら布団にくるまってダンゴ虫状態になりながら叫ぶスタイルに移行していたに違いない。泣き叫びたくなる心を凍てつかせて、アルシェムは感情の嵐に耐えていた。そうしなければ、ならなかった。

 そして、ティオが落ち着いてきたころ。アルシェムもようやく平静を装えるようになって声を発した。

「辛いならここでやめるけど?」

「……やめないで下さい。あんな目に遭う人たちなんて、もう出しちゃいけないんです……だから、続けて下さい。私が乗り越えるためにも」

「……わかった」

 アルシェムとしてはここで話を止めたかったのだが、どうもティオはそれを赦してくれないようだ。それに、乗り越えなければならないのはアルシェムも同じである。いつまでも男に恐怖している場合ではないのだ、いい加減。ついでに人間不信もいつかは克服しなければならない。いつかはいつかであって、今である必要は全くないのだが。

 アルシェムはティオに語った。再び動き始めた《D∴G教団》のことを。何故彼らが存続できているのかからも含めて。

「そうだね。まずは一番重要なところから始めようか」

「はい。……どうして、まだ教団が存在しているのか、からですね」

 ティオは顔を固くしてその問いを発した。声は震えていたが、その目は真剣だ。今夜も恐らく悪夢を見るだろうことは確定しているので、行けるところまで行ってしまおうと思ったのだ。悪く言えば開き直っているのである。どれほどの悪夢を見たとしても、その悪夢を打ち破れるような情報は得たいのだ。あの時に死んだ純粋無垢な『ティオ・プラトー』を供養し、明日へと進むために。

 アルシェムはそんなティオを見つつこう返す。

「うん、折角ヤバい人たち集めて殲滅したはずなのにどうして生き残っちゃってるのかってのが問題。誰かが資金提供していたってーのもあるだろうけど、わたしはソイツが薬学系統に詳しい人間じゃないかと踏んでるんだ」

 その言葉にティオは衝撃を受けた。確かに有り得ない話ではない。グノーシスを薬と呼ぶのも悍ましいが、確かにアレはクスリの類だ。故に薬学系統に詳しい人間だろうというのは納得できる。ただ、《拠点》が潰された後も資金提供しているような人間がいたというのだろうか――あの、悍ましい実験に?

 資金提供をしていた人間の悍ましさに震えながらティオはアルシェムに問う。

「医学系でいけば、内科とか外科とかそういう選択肢もあったと思いますけど……何で薬学なんですか?」

「どんな薬を作っていても怪しまれないからだよ。しかも普通の薬と偽って市民に配ることだって出来る」

「そ、それは……そうですけど」

 アルシェムの答えにティオは戦慄した。ということは、アルシェムはどこかの病院にその人物が潜んでいると考えているのか。このあたりで病院があるとすれば――聖ウルスラ医科大学なのだ。ティオがかつて搬送され、グノーシスを抜くのに入院させられていた場所。その場所に、あの時既にその人物が潜んでいたら。それを考えるだけで恐ろしい。

 だが、アルシェムはティオのその考えを否定した。

「あーでも、それなりに最近に赴任してきた人物だと思うよ。ずっと研究し続けてたにしては――去年盛られたグノーシスと思しきクスリは効果が弱かったから」

「……え?」

 ついでにアルシェムから言葉の爆弾を飛ばされたティオは目を見開いて硬直した。それも根拠だということか、という考えよりも先に再びグノーシスを盛られたのかという考えの方が出て来て驚愕したのだ。それを平然と話せるアルシェムの精神状態にも。

 数秒おいてティオがアルシェムに小声で詰め寄る。

「大丈夫だったんですか……!?」

「ま、ここで生きてるわけだからね。イロイロ破壊工作しないといけなかったからドーピングしてたと思えば何とか冷静でいられたし」

「そういう問題じゃないと思うんですけど……」

 しれっと返したアルシェムにティオは思わず呆れてしまった。あの悪夢のような記憶を――ティオがようやく数週間に一度程度しか見なくなった悪夢を、アルシェムは既に乗り越えているのだ。こうして笑って話せるほどに。そう勘違いした。実際は全く以てそんなことも無ければ恨みつらみも深いのだが、それはさておく。

 若干の呆れを含ませたままティオはアルシェムに返した。

「それで、どうしてクロスベルに彼らが潜伏してると考えているんですか?」

「あーそれは簡単。この辺に散らばってる古代遺跡から資料をかっさらって全部読みこんだところによると、《D》とやらがこの地に存在してたっていう記録があってね。それとグノーシスの効果を比較した資料――あの時押収された資料ね――を見比べたらあーら不思議。クロスベルの中心に近づくほど効果が高まっているじゃあーりませんか。ま、それはついでだけど、本当はグノーシスの流通ルートを探ったらクロスベルに辿り着いただけなんだけどね」

 おどけてそうティオに答えたアルシェムの声はほんのわずかだけ震えていた。全てを知らせるわけにはいかない。ここで全ての情報を開示してしまえば――アルシェムが□□であることがティオにまでばれてしまう。半ばばれているようなものだが、最後の確信まではさせてはならないのだ。□□であることに、ティオを巻き込むつもりはないのだから。

 ティオはアルシェムの声の震えには気付いた。だが、何かを隠していることには気付けなかった。たとえ気づいていてもアルシェムは隠し事をしていること自体を全力で否定しただろう。それが怪しまれることになると分かっていても。知られるわけにはいかない。巻き込むわけにはいかない。最終的にアルシェムがどうなろうとも、これ以上《D》や《G》に関わらせてはならないのだ。

「それで、ですか……」

「あと、押収した資料には資金提供者の情報も書かれてたんだよね。全部黒塗りにされてたけど。いやー全部調べるのは面倒だったよ。最終的にほぼクロスベルに集まってるってのが分かってからは早かったけどねー」

 それが、彼らがクロスベルに潜伏していると思った理由だ。隠れ蓑にしている人物たちについてもほぼ確信を持てているので周囲への影響を全く考えなければ今すぐにでも狩れるのだ。彼らの目の前で外法認定を宣言し、クロスベルのどこかに潜伏しているもう一人の星杯騎士と協力しさえすれば。

 だが、それは出来ない。彼らを狩れば、間違いなくクロスベルは大混乱に陥るだろう。アルシェム個人としては、今なお教団と繋がっているであろう変態髭親父などはクロスベルが大混乱に陥らないのならば今すぐにでもぶち殺したいのである。正直に言ってクロスベルは帝国よりも――アルテリアの枢機卿どもの腐敗具合には遠く及ばないだろうが――腐っている可能性が高い。

 その昏い考えを遮るようにティオがアルシェムに問う。

「……私に、手伝えることはありますか?」

「いや基本的にはないけど……一つだけ教えてよ」

 誰がガイ・バニングスを殺したのか。そう続けたアルシェムの言葉は、ティオに更なる驚愕を齎した。今このタイミングで聞くということは、ガイの死も教団に関わっているということではないだろうか。少なくともアルシェムがそう考えているのはよく分かる。そうでなければ、今聞く意味がない。全くの無関係ではないということに、ティオは暗い感情を募らせる。

 ティオは彼女が知る限りのガイの死因を列挙した。《オルキスタワー》建設現場で倒れていたガイ。彼の肉体には微かな切り傷と、背後から撃たれたと思しき弾痕が残されているだけだった。そして、ガイの得物――トンファーとクロスベル警察のバッジは持ち去られている。容疑者と思しき人物すら絞り込めていないというクロスベル警察の怠慢に呆れたことまで。

 それを聞いたアルシェムは、眉をひそめて言葉を吐いた。

「――あのガイ・バニングスが銃を持った相手に背を向ける?」

「ええ、有り得ないと思います」

 その点だけは間違いなかった。アルシェムとティオの知る『ガイ・バニングス』は何があってもそれが正しい道である限り前に突き進む熱血漢だった。その彼が拳銃を持った相手と対峙していて背中を向けて逃げるだろうか。結論から言えば有り得ない。つまり、ガイは背後から不意を打たれて殺されたことになる。

 アルシェムは顎に手を当てながら声を漏らす。

「武器を持ち去ったということは、犯人に不利な情報が刻まれてたってことだろーし……」

「私は、複数犯だと思っています」

 ティオはそんなアルシェムの声に断言するように答えた。そうでなければおかしいのだ。トンファーが凹んでいたにしろ切り刻まれていたにしろ、そういう証拠となり得るものが残されていない限りは持ち去る理由がないのである。そして、残されているであろうトンファーの傷は恐らく弾痕ではない。弾痕ならばトンファーを持ち去ろうが持ち去るまいが銃の特定のわずかな一助になってしまうだけだ。ほぼ意味がないのである。

 故に、少なくとも犯人としてあげられるのは、銃を使った人間とガイと対峙した人間の二人はいるはずなのである。ガイを殺そうと思う人間が二人もいたことに、最初ティオは困惑した。真っ当な人間から恨みを買うような人間ではないことだけはティオが一番よく知っていたからである。なら裏の人間かと言われれば、それも首をかしげることになる。何故なら、証拠は残さないにしろマフィアがガイ殺しを吹聴しないわけがないからだ。

 それを聞いたアルシェムは、脳内で犯人をリストアップした。誰でも導力銃が手に入るわけではないのだが、ガイを殺す動機を持ちつつ銃を扱える人物と言われると限られてくる。ここ数週間程度でクロスベル市民の顔をある程度見てはいたのだが、それに該当しそうな人物は今のところはいない。警察内の人間も容疑者と言えば容疑者なのだが、動機が見えてこない限りは犯人には出来ないのだ。

「……そっか。ま、調査はしておくよ。今日はもう寝た方がいーよ、ティオ」

「でも……いえ、そうですね。明日からもよろしくお願いします、アル」

 ティオは不平を口にしようとして止めた。目の端に時計が映ったからだ。深夜の三時である。流石にこれ以上はティオ自身もアルシェムも朝がつらくなるだろうということでこの場は解散となったのであった。

 

 ❖

 

 暗い闇が渦巻いて、全てを呑みこもうと大きな口を開けた。闇から飛び出す石と釘バット。叩き潰されるロイド・バニングス。倒れ伏し、血を流している彼に駆け寄るエリィ・マクダエル。彼女に襲い掛かろうとするマフィアを返り討ちにするランディ・オルランド。マフィアに人質にされて冷静に状況を見られなくなったティオ・プラトー。

 もう、分かっていた。この悪夢は乗り越えなくてはならないモノだ。


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