さおりんのいない日   作:ばらむつ

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その7

 

「けしからん。じつにけしからん」

 

 河嶋桃は頰をふくらます。

 

 前々から思ってはいたが、今年の下級生は、上級生に対する敬意が足りない。

 

 困ったことがあると言っていたから、多忙を極める生徒会広報のこの私が、相談に乗ってやろうとわざわざ出向いてやったのに。

 バレー部のやつらめ、人の顔を見たとたん逃げ出しおって。

 あひるチームのくせに、脱兎のごとく逃げ出すとはどういう了見だ。

 

 私はそんなに頼りないか。

 頼りにならないやつだと思われているのか。

 けしからん。実にけしくりからん。

 あいつらをとっ捕まえて、強引にでも悩みを聞き出してやる。

 すっぱりさっぱり鮮やかに解決してやる。

 そうしなければ、先輩―― いやさ、生徒会役員として面目が立たない。

 かけっこや持久走では運動部員にかなわないが、こちらには年上の経験がある。

 学園の地理と建物の接続に関する知識に、一日の長がある。

 後を追いかけるだけが捕り物ではない。

 ここで見張っていれば、そのうち向こうから網に飛び込んでくるはず――

 

 そう考えて廊下の角にしゃがんで待ちつづけること、優に十五分。

 角のむこうに、ちらりと金髪がのぞく。

 

 この好機を逃すほど、河嶋桃は愚鈍ではない。

 

「捕まえたぞ、バレー部!」

 

 桃は叫びながら、相手の足にしがみつく。

 

「ふふふ、どうだ! 待ち伏せは予想外だっただろう! この河嶋桃の知略をあなどったのが運の尽きだったな! おまえたちは(ここ)の出来がちがうのだ!!」

 

 だが――

 

「ひぃ!」

 

「なんだ!? ウェルキンゲトリクスの罠か!」

 

「ご乱心めされたか! 殿中! 殿中でござるぞ!!」

 

「それはしがみついた方が言う台詞ぜよ」

 

 相手の反応が、予想と異なる。

 

 驚いてはいる。

 桃を引きはがそうと、足を動かしてもいる。

 

 だが、逃げ出す気配がない。

 

「この姿、手すりにしがみついて主君を諫めた漢の朱雲のようだ!」

 

「アキレウスに慈悲を請うたトロイのプリアモスを思わせる!」

 

「むしろ貫一とお宮みたいぜよ」

 

「「「それだ!!!」」」

 

 なにやら歴史談義まで始まっている。

 

 桃はまわした両腕で相手にがっちりしがみついたまま、片眼鏡を指で押し上げる。

 

 目の前にあるのは、ロングブーツを履いた足。

 その上は、緑のスカートと、サンドベージュのジャケット。

 けげんな表情で桃を見おろしているのは、短い金髪の下級生だ。

 

 桃は尋ねる。

 

「……おまえは、バレー部ではないな?」

 

「ええ、まあ」

 

 エルヴィンこと松本里子が返事をする。

 

 そうか、と答えておいて、桃は静かに立ちあがる。

 ていねいに服のほこりを払い、こほん、とせきばらいをひとつ。

 ゆっくりと深呼吸する。

 

「ええい、まぎらわしい! いつもの帽子はどうした! おかげで人違いをしてしまったではないか!!」

 

「出た! 生徒会の横暴!!」

 

「どういうキレかたぜよ?!」

 

「やかましい! ははぁ、読めたぞ! さてはおまえたち、バレー部と結託しているな?! 松本がおとりになって、その間にあいつらを逃がす算段だろう!」

 

 桃がエルヴィンを捕まえようと腕をのばす。

 エルヴィンが体を引いて逃げる。

 驚きあきれて見守る三人の周囲を、ふたりはぐるぐる回る。

 

「知りません、バレー部なんて!」

 

「ではなぜ逃げる!」

 

「先輩が追いかけるから!」

 

「いや! 逃げるのはやましいことがあるからに決まっている!」

 

「おりょう、助けて!」

 

 エルヴィンがおりょうの背後に逃げ込む。

 

 おりょうが不思議そうににふり返る。

 

「どうしたぜよ、エルヴィン。さっきから口調が……」

 

「そうだ! まるで女の子みたいなしゃべり方をして! 変装のつもりか!」

 

 桃ちゃんが前からにじり寄る。

 エルヴィンが、紋付にしがみついたまま、おりょうの後ろからおずおずと顔を出す。

 

「ちっ、ちがう! 帽子をかぶらないで外を歩くのがひさしぶりだから、落ち着かないっていうか! すごく無防備な気がして、は、恥ずかしい……!」

 

「おお! エルヴィンの貴重なお宝ショット!」

 

「言ってる場合か! 仲間の危機だぞ!」

 

 もんざとカエサルが、桃をなだめて引き離そうとする。

 

 桃が暴れる。

 

 騒ぎは、しばらくおさまりそうにない。

 

#

 

「うーん。こっち、かな」

 

「そうだと思います。足跡がまだ新しいですから」

 

 西住みほは、足跡を追って歩いている。

 澤梓を先頭に、ウサギさんチームの一年生たちがあとに続く。

 

 梓は真面目な表情。

 だが、後方の面々は、自分たちが何をしているのかも理解していないらしい。

 

「みんな、さっきからどこへ向かってるの?」

 

 尋ねたのは、坂口桂利奈。

 

 すぐ前を歩く山郷あゆみが答える。

 

「紗希の足跡を追いかけてるんだよ」

 

「そっかー、そうだよね。そうじゃないかなーとは思ってたんだー」

 

 眼鏡の大野あやが、桂利奈の後ろから口をはさむ。

 

「それより、さっきから聞こうと思ってたんだけど、誰が結婚するの?」

 

「結婚? 何のこと~?」

 

 あやの後方で宇津木優季が首をかしげる。

 

「優季が言ったんじゃん。結婚式がどうとか」

 

「え~、そんなの言ってないよ~?」

 

「言ったよぉ。ちゃんと聞いたもん」

 

「ああ、冠婚葬祭の話?」あゆみが先に気がつく。「あれは、武部先輩が休んでいるのは、結婚式だからかもって話だよ」

 

「え? 武部先輩、結婚式に出席するの?」と、あや。

 

「武部先輩が結婚するの??」と、優季。

 

「学生結婚?!」と、桂利奈。

 

「だから学校休んでるんだ!」と、あや。

 

「違うでしょ。だって、相手がいないよ」と、あゆみ。

 

「でも、武部先輩なら、相手がいなくても結婚しそうじゃない?」と、桂利奈。

 

「ああ~」

 

「武部先輩ってそういうとこあるよねー」

 

 ひどい言われようである。

 

 だが、勘違いしてはいけない。

 彼女たちは武部沙織を馬鹿にしているわけではない。

 これは一年生なりの、沙織に対する親愛の表現なのである。

 

「結婚式かー」

 

 桂利奈が頭の後ろで両手を組む。

 

「武部先輩はお色直し何回やると思う?」

 

「三回はやるよね」

 

「五回くらいやりそう」

 

「スピーチの順番とか、引き出物の内容とか、すっごく凝ると思う」

 

「ボードに披露宴会場の見取り図を書いて、誰をどのテーブルに配置するか、色つきマグネットでシミュレーションしてそうだよねー」

 

「悪口言うと順位落とされちゃったりするんだ」

 

「なにそれ~。こわ~い」

 

「でも……」

 

 あゆみが真面目な表情になる。

 

「武部先輩が本当に結婚しちゃうとしたら、どうする?」

 

「きっと家庭を大事にするよね」

 

「うん。学校やめちゃうかも」

 

「ええ~。やだよ、そんなの~」

 

「学校はやめないよ。武部先輩、ああ見えてしっかりしてるもん。でも……」

 

「あ、そうか。そうだよね」

 

「え、なに? どういうこと~?」

 

「戦車道のほうは、きっと今までみたいにはいかなくなる。授業はともかく、朝練や放課後は出てくれなくなっちゃうかも」

 

「わたしたちの恋愛講座は?」

 

「そんなの最初にアウトだよ。いちばん関係ないことじゃない」

 

「わたし、あの講座、けっこう気に入ってたんだけどな」

 

「わたしも」

 

「わたしだって」

 

「でも、そうするのが武部先輩のためだったら、どうする? みんな、我慢できる?」

 

「そりゃ、するよ」

 

「決まってるじゃない」

 

「武部先輩には幸せになってほしいもん」

 

 優季がくすんと鼻を鳴らす。

 

「でも、さびしいな」

 

「うん。わかる」

 

「武部先輩のためだよ。わたしたちが我慢しなきゃ」

 

「わかってる。わかってるけど……」

 

 最初は、もしかしたらという軽口のはずだった。

 それがいつの間にか、武部沙織がどこかの誰かと入籍して、披露宴のために学校を休んだという設定が、確定事項のようになってしまっている。

 

 先頭を行くみほと梓は、足跡を探すのに忙しくて、後方の会話が耳に入らない。

 そのせいで、四人はますます妄想を加速させてゆく。

 

#

 

「どうしてこんなことになったぜよ……」

 

 おりょうが力なくつぶやく。

 

 歴女組四人がうらめしげな視線を送るのは、前方を意気揚々と進む上級生。

 つまり、河嶋桃である。

 

 あの後、バレー部の仲間だと疑われた四人は、やむなく事情を説明した。

 

 エルヴィンの帽子がなくなったこと。

 落としただけかもしれないけれど、盗まれた可能性もあること。

 秋山さんにも探してもらっていること。

 

 それを聞いた桃ちゃんが、よくないタイプのハッスルをしちゃったのである。

 

「なるほど、話はわかった! 松本の帽子は、きっと私が見つけてやる!」

 

 自信ありげに胸を張った桃ちゃんの前で、四人は顔を見合わせた。

 

 あまり頼りにはしたくない。

 しかし、断っては角が立つ。

 どうにか受け流して、損害の少ないうちによそへ行ってもらおう――

 

 四人ともそういう腹だった。

 

 だが、桃ちゃんの次のひと言は、歴女組の想定を軽々と上回った。

 なにしろ、彼女はこう宣言したのだ。

 

「こういう場合、いちばん怪しくないやつがいちばん怪しいのだ! つまり仲間だ! 同じチームの三人のなかに、帽子を盗んだ犯人がいる!!」

 

「そんな!」

 

「ありえん!!」

 

「疑われただけで屈辱ぜよ!!!」

 

 三人はたまらず抗議する。

 

 だが、桃ちゃんは、片眼鏡を冷たく輝かせて続ける。

 

「しかし、犯罪とはそういうものだ。殺人事件の大半は、家族や親族、顔見知りの犯行だと、前にどこかで読んだ。凶悪事件というとすぐに連想される、見知らぬ不審者による犯行は、実際はごく少数なのだ」

 

「それがどうしたぜよ!」

 

「今回の件とは関係がない!」

 

「どうかな。そんなふうに取り乱しているのが、なによりの証拠であるように思えるが?」

 

「なっ……!」

 

 おりょうとカエサルが絶句する。

 

 もんざが一歩進み出る。

 

「なるほど、御説もっとも」

 

「もんざ?!」

 

「なにを言うぜよ!」

 

「だが、よく考えてもらおう。この場においていちばん怪しくない人間は、本当にわれわれ三人かな? もっと怪しくない者がいるのではないか。そう、探偵役の河嶋先輩がな!!」

 

「なっ、なにぃぃっ?!?!」

 

 こんどは桃ちゃんが絶句する。

 

「おお! でかした、もんざ!」

 

「華麗なる論理のアクロバットぜよ!」

 

「生徒会広報たるこの私が容疑者だと言うのか?! ありえん! だいたい私は、ついさっきまで帽子のことなど知りもしなかったんだぞ!」

 

「それを誰が証明できる。犯人は知らないふりをすると相場が決まっているぞ」

 

「ぬう……!」

 

 桃ちゃんが唇をかむ。

 

「よ、よし。そう答えるのを待っていた。いまのはいわゆる、カマかけというやつだ。おまえたちの中に犯人がいるとは思っていなかったが、一応念のために確かめておく必要があるからな。犯人が今のような反応をするはずがない。うむ、よくわかった」

 

 苦しまぎれの発言であることは、誰にでもわかる。

 

 だが、わざわざそれを指摘するほど、歴女組も酔狂ではない。

 さすがは先輩ですと適当に持ち上げておけば、機嫌を直してどこかへ行ってくれるだろうという読みもある。

 

 だが、桃ちゃんの次のひと言は、またも四人の想定を上回った。

 なにしろ、彼女はこう宣言したのだ。

 

「しかし、この河嶋桃、困っている後輩を放置してどこかへ行くほど不人情ではない。松本の帽子が見つかるまで、責任をもっておまえたちに同行しようではないか!」

 

#

 

「華さん」

 

 先頭を歩いていた西住みほが、チームメイトに気づいて声をかける。

 

 五十鈴華は、物思いに沈んでいた様子。

 みほから声をかけられて、驚いたようにまばたきする。

 

「あら、みほさん。どちらへ?」

 

「丸山さんがこっちに行くのを見たっていう人がいて、それで探してるの」

 

「丸山さんが、こちらへ?」

 

 華は尋ねながら、みほの後ろをのぞき込む。

 

 澤梓が頭を下げる。

 

「華さんは見なかった? たぶん、ウサギを一匹つれていると思うんだけど――」

 

 華はすこし考える。

 

「……いいえ。見なかったと思います」

 

「そっか。華さんのほうはどう? 自動車部の探しものは見つかった?」

 

「そちらはまだですが、落とし物をひとつ発見できたかもしれません」

 

「じゃあ、進展があったんだね。よかった」

 

 みほの表情がゆるむ。

 

 だが、華は、気がかりに眉をひそめている。

 

「それより、みほさん。後ろのみなさんは大丈夫ですか?」

 

「後ろがどうかしたの?」

 

 みほと梓が後方をふり返る。

 そして、ぎょっとする。

 

 山郷あゆみ、坂口桂利奈、大野あや、卯木優季――

 

 四人との距離が、いつの間にか開いている。

 おまけに四人は、歩きながらぼろぼろ大粒の涙をこぼし、肩を震わせて大きくしゃくり上げているではないか。

 

「え!?」

 

「どうしたの、みんな!?」

 

 みほが呆気にとられ、梓が四人に駆け寄る。

 

「だっ゛でぇ゛ぇ゛……」

 

「そんなのって、そんなのってないよぉ~」

 

「落ち着いて。桂利奈、鼻水。優季も。何があったの? 紗希に関係あること?!」

 

「ぢがう゛げどお゛ぉ゛」

 

「せ、せんぱい。先輩が……」と、あや。

 

「先輩? どの先輩のこと?」

 

 梓があやの肩に手を置いて問いかける。

 

 だが、あやはうまく言葉が出ない。

 あゆみが、かわりに答える。

 

「武部先輩が、わたしたちに黙って結婚しちゃうから……」

 

 後方で、あんこうチームのふたりが目を丸くする。

 

「結婚?!」

 

「沙織さんが?!」

 

 梓が、こんどはあゆみに近づく。

 

「どういうこと、あゆみ?」

 

 あゆみが、目元に涙をためながら、それでも懸命に説明する。

 

「だって、武部先輩が、今日学校を休んでるのは、自分の結婚式に出席するためだって。学校はやめないかもしれないけど、戦車道は今まで通りには続けられないって……」

 

 みほと華が顔を見合わせる。

 

「そんな話聞いてる、華さん?」

 

「初耳です」

 

 しかし、一年組は、ふたりの言葉を聞いて、さらに悲しみをつのらせる。

 

「西住先輩たちにまで秘密なんだ!」

 

「誰にも知らせずに入籍なんて、きっと人に言えない、道ならぬ恋なんだぁ!」

 

「駆け落ちするんだ!」

 

「もう学校に来ないんだぁ!!」

 

「やだよぉ~!!」

 

「武部先輩がえ゛っ゛でぎでぇ゛ぇ゛ぇ゛」

 

 四人はわんわん大泣きである。

 

 梓がふり返って、みほを見る。

 瞳を大きく見開いたまま。

 ほろり、と涙が頰をつたう。

 

「本当ですか、西住先輩」

 

 しっかり者の後輩の涙に、みほはあわてふためく。

 

「え。あの、あのね。たぶん、なにかの誤解だと思うよ。ね、華さん」

 

「ええ。そんなことは、明日地球に巨大隕石が直撃するくらいの確率でしかありえないはずですが……」

 

「じゃあ、どうしてこういう話になってるんですか」

 

 そんなことを聞かれても、みほだって同じ質問をしたいくらいだ。

 

 戦車を指揮しているときは、あんなに頼もしいのに――

 みほはただ、あわあわするしかない。

 


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