「ああ、ここから出たんだ」
西住みほがつぶやく。
みほとうさぎチームの一年生たちは、飼育小屋の周囲を捜索中。
みほは小さなトンネルの前にしゃがみ込んでいる。
穴の場所は、小屋の外壁のそば。
飼育小屋は、正面が金網で、それ以外はトタン板。
地面近くはコンクリートの壁。
ウサギが逃げないよう、コンクリートは地面の下まで続いている。
だが、ウサギたちは、敵戦車の背後に回り込むがごとき機転を発揮して、コンクリートの下まで地下道を掘り抜いてしまったらしい。
「ほんとだ、穴が空いてるー」
阪口桂利奈がみほの背後からのぞき込む。
「でも、さっき見たとき、そこにはトタン板が敷かれてました」
山郷あゆみが報告する。
「上から重しみたいにものが載せてあったよね」
大野あやがつけ加える。
「うん。きっと、これ以上逃げ出さないように、誰かが蓋をしたんだね」
「紗希だ!」
一年生たちが、わっと湧く。
「きっと、一匹が逃げ出しているのに気がついて、穴をふさいでから捕まえたんだよ!」と、あゆみ。
宇津木優季が口をはさむ。
「捕まえてから穴をふさいだのかも~」
「そこ大事?」と、あや。
「よかった。ともかく、紗希が連れ出したわけじゃなかったんだ」
澤梓の肩から力が抜ける。
「そうだよ~。逃げ出したウサギを捕まえたのなら、ヒーローだよ~。インタビューしなきゃ~」と、優季。
「でも」みほが考える。「そこまではいいとして、どうしてウサギを抱いたままで、どこかへ行っちゃったのかな?」
「鍵を取りに行ったのかも!」
あやが目を輝かせつつ手をあげる。
「鍵?」と、あゆみ。
「だって、飼育小屋には鍵がかかってるから、ウサギを戻すには鍵が必要でしょ?」
「ああ~」
優季が手を打ち合わせる。
「いや…… 違うと思う……」
桂利奈が意外と深みのある表情で言う。
「穴があるんだから、ここから戻すだけでいいと思うよ」
「それもそうだ」と、あゆみ。
「あやはバカだな~」優季が笑う。
「なにおぅ。優季だって感心してたくせにー」
あやがむくれる。
「穴を埋め戻すために、道具を取りに行ったとか?」と、あゆみ。
「そういうのって、先にウサギを戻してからじゃない?」と、梓。
「そういえば、ずっと気になってたんですけど」
あゆみがふと思い出して尋ねる。
「武部せんぱいは、どうして今日お休みなんですか?」
「家庭の事情って聞いてるけど」と、みほ。
「家庭の事情って?」
桂利奈が横の梓に尋ねる。
「ほら、冠婚葬祭ってやつだよ」と、梓。
「かんこんそうさい」
桂利奈がおうむ返しにする。
「葬はお葬式だよね。親戚の法事とか」と、あゆみ。
「婚は結婚式~?」と、優季。
「そうそう」梓がうなずく。
「結婚? 誰か結婚したの?」
話題に乗り遅れたあやが、きょろきょろと左右を見る。
「祭はなんだろう…… お祭り?」
梓が首をかしげる。
「えっ、じゃあ、夏祭りとかねぶたで学校を休んでいいの?」と、桂利奈。
「なぜ、ねぶた」あゆみがつぶやく。
「じゃあ、冠は……?」と、梓。
一同が、うーん、と悩む。
しばらく後。
桂利奈が飛び跳ねるように顔を上げる。
「わかった、冠をもらえるくらい立派な人が親戚にいて、表彰式があるんだよ!」
「あー。それは学校休んででも見に行くねー」
あゆみがうなずく。
「どうなんですか、西住せんぱい!」
一年生全員から、せんぱいなら知っているはず、という信頼のまなざしで見つめられて、みほは苦笑する。
「どうなんだろう。わたしも知らないな。こんど辞書で調べておくね」
みほが立ちあがりながら尋ねる。
「それで、紗希さんを見た子は、どっちに行ったって言ってたのかな?」
「部室棟のほうへ歩いていったって言ってました」と、梓。
「部室棟――」
みほは、部室棟の方角へ目を向ける。
偶然だろうか。
あちらには、自動車部のガレージがある。
それに、エルヴィンが帽子をなくした水飲み場も、あの方角ではなかったか――
#
「まあ、本当に」
五十鈴華は頭上をあおいで感心する。
華が立っているのは、自動車部のガレージの裏手。
屋根の下の明かり取りの窓に開いた、大きな穴を見上げているところだ。
華は地面に視線を落とす。
割れたガラスの破片は、小さなものがちらほらと落ちているだけ。
「破片があまりありませんね」
「うん。だいたいはガレージの中だね」
横で腰に手を当てているのは、部長の中嶋。
「中に石が落ちていたから、たぶんそれを投げつけたんだと思う」
「外から割られたのは確実なわけですね」
華がもう一度窓を見上げる。
「でも、その後、どうやって中に入ったんでしょう?」
「そこなんだよね」
中嶋も首をひねる。
割られた窓の位置は、かなり高い。
だが、周囲には、足場になりそうな箱のたぐいはない。
どこか遠くから持ってきてまた戻したような跡もない。
ガレージの壁はまっすぐで、手や足をかけてよじ登れそうな出っぱりもない。
「そうとう背が高くないとだめですよね?」
「うーん。背が高い人がジャンプしたら、窓枠には手が届くだろうけど……」
よじ登るには、身体を引きあげる必要がある。
よほど腕の力に自信のある人物でなければ、足を壁について、多少なりとも支えにしそうなものだ。
それなのに――
「壁には足跡も汚れもありませんね」
「そうなんだ。どうやって登ったんだろう」
華の視線が、壁から足元に落ちる。
「地面はどうでした? 足跡は」
「靴の跡はいくつかあったみたいだけど、ごめんね、あまり注意していなかったから、興奮したやつが踏み荒らしちゃったんだ」
「だって! 悔しいじゃないですか!」
遠くでツチヤが叫ぶ。
「盗んだやつを見つけたら、ぐるぐる巻きにして峠の上から転がしてやる!」
「どうどう、ツチヤ。どう」
スズキがなだめる。
「ああ、ここにひとつ残ってるのがそうじゃないかな」
中嶋が、壁に近い地面を指さす。
「これは…… 学生靴ですね。サイズはあまり大きくない…… なぜこの足跡だけ、はっきり残っているんでしょう」
「ジャンプしたときの踏み切りかな?」
中嶋がガレージの屋根を見上げる。
「運動神経のいいやつなら、いったん屋根に登って、そこから窓に下りたほうが楽かもしれないなあ」
「登れるところが、どこかにあるんですか?」
「うーん。雨どいを伝うとかすれば、もしかしたら」
華は中嶋が指さした雨どいに近づいてみる。
近くに足跡はない。
雨どいを揺さぶってみる。
壁に金具でしっかり固定されている。
身の軽い人物なら、登ることはできそうだ。
「ガレージの中も見せていただけます?」
「もちろん」
華はガレージの正面に回る。
出入り口は、大型のシャッターがひとつだけ。
あとは明かり取りの窓だけ。
もともと戦車用に設計されたのではないガレージの空間は、いまや大型の
華は割れた窓の下に近づく。
破片の落ちているあたりでは、P虎の車体が壁すれすれまでくっついている。
コンクリートの床に散らばるガラスの破片は、外のものより大きく、数も多い。
「石はどのあたりに?」
「それがさ、レオポンに乗っちゃってたんだ」
中嶋がP虎の砲塔を指さす。
華は砲塔に登る。
灰色に塗られた砲塔の上に転がっていたのは、白い、小さな石。
華でも片手に握り込めるサイズだ。
あとから登ってきた中嶋が、石を見おろしながら言う。
「傷になってなくてよかったよ。塗装のやり直しは面倒だから」
華は、石の場所と、窓の位置を確認する。
石の落ちていた場所は、窓からわりと距離がある。
そのわりに、高さがあまり変わらない。
「そうとう勢いよく投げたんだろうね」と、中嶋。
華は、腕を動かして、石を投げる真似をしてみる。
「どう? 名砲手の五十鈴さんなら、ここまで石を届かせられそう?」
「そんな。名砲手だなんて」
笑ってみせながらも、華は別のことを考えている。
窓に近づく。
P虎の車体の上にも、ガラスの破片が落ちている。
車体に登れば、窓から外に出るのは、それほど難しくなさそうだ。
「盗まれたというクーポンはどこに?」
「こっちこっち」
下からホシノが手をふる。
華は戦車を降りて、工具類のかかったパネルフックに近づく。
大量のレシートやメモが、パネルの縁に沿うように、大量に貼り付けられている。
なくなっているのは、ツールチェストに近いところにあった一枚。
天板がテーブル状に平たくなったチェストの上には、ペンやドライバー、メジャーの類が、乱雑に転がっている。
華はふと目をとめる。
壁掛け式の電話が、チェスト近くの壁に設置されている。
「固定電話があるんですね」
「これ? 部品の注文なんかでよく使うから、学園長に直談判して付けてもらったんだ」
ホシノが自慢する。
ちょっと昔っぽい、長細い形状。
持ち手の部分がゆるやかにカーブした大きな受話器が、ぐるぐるしたバネのようなコードで、壁の本体とつながっている。
「液晶も何もないんですね」
「レトロだよね。留守電機能も、リダイアルも、着信履歴もない。通話しかできないんだから、いっそいさぎいいよ」
そう言って笑ったホシノが、ついでのようにくしゃみをする。
「お風邪でも?」
「ううん。ちがうな」
ホシノが鼻の下をこすりながら言う。
「猫がいたんだと思う。たまにガレージに潜り込むんだ。危ないから、見つけたら追い出してるんだけどね」
「でも、ガレージの鍵は閉まっていたのでは?」
「不思議なんだけど、窓やシャッターをきちんと全部閉めておいても、どこかから入ってきちゃうんだ」
「閉める前にこっそり入ってきてるだけだよ」
スズキが笑う。
ホシノが反論する。
「ちがうって。閉める前にみんなで何度も確認してるじゃん。どこかに隙間があるんだって、ぜったい」
「どうしてわかるのさ?」
「毛だよ。鼻がむずむずするからわかるの!」
ふたりの様子からすると、これは自動車部にとっておなじみの話題であるらしい。
雰囲気が猫に似た吊り目のホシノが猫を批判する様子は、どことなくおかしい。
スズキはそれがわかった上でからかっているふしがある。
華はもう一度、割れた窓を見る。
(――石は)
やはり下から投げたのだろうと、華は考える。
屋根から投げたにしては、角度が合わない。
斜め上から投げ落とした石は、もっと壁に近い場所に落ちるはずだ。
窓から距離があり、高さもあまり変わらないP虎の砲塔に乗ったりしない。
(――そして、下から投げたとすると)
屋根に登ったとは考えにくい。
窓を割ってから屋根に登るのは、どう考えても非合理的だ。
登ったあとで上から石を投げたほうが、ずっとガラスを割りやすい。
この想定が正しいなら、窓を割った誰かは、下から石を投げた後に、足場を使わず、壁に一度も足をつかず、どうにかして天井近くの窓までよじ登ったことになる。
(――でも、どうやって?)
その方法が、華にはわからない。
自分が気づいていないだけで、足場になりそうなものが近くにあるのか。
それとも、思いつかないような登りかたがあるのか。
ぼんやりと考えながら壁に近づき、P虎の車体の下をのぞき込んだとき――
華は、なにかを発見する。