さおりんのいない日   作:ばらむつ

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その6

 

「ああ、ここから出たんだ」

 

 西住みほがつぶやく。

 

 みほとうさぎチームの一年生たちは、飼育小屋の周囲を捜索中。

 みほは小さなトンネルの前にしゃがみ込んでいる。

 

 穴の場所は、小屋の外壁のそば。

 

 飼育小屋は、正面が金網で、それ以外はトタン板。

 地面近くはコンクリートの壁。

 ウサギが逃げないよう、コンクリートは地面の下まで続いている。

 だが、ウサギたちは、敵戦車の背後に回り込むがごとき機転を発揮して、コンクリートの下まで地下道を掘り抜いてしまったらしい。

 

「ほんとだ、穴が空いてるー」

 

 阪口桂利奈がみほの背後からのぞき込む。

 

「でも、さっき見たとき、そこにはトタン板が敷かれてました」

 

 山郷あゆみが報告する。

 

「上から重しみたいにものが載せてあったよね」

 

 大野あやがつけ加える。

 

「うん。きっと、これ以上逃げ出さないように、誰かが蓋をしたんだね」

 

「紗希だ!」

 

 一年生たちが、わっと湧く。

 

「きっと、一匹が逃げ出しているのに気がついて、穴をふさいでから捕まえたんだよ!」と、あゆみ。

 

 宇津木優季が口をはさむ。

 

「捕まえてから穴をふさいだのかも~」

 

「そこ大事?」と、あや。

 

「よかった。ともかく、紗希が連れ出したわけじゃなかったんだ」

 

 澤梓の肩から力が抜ける。

 

「そうだよ~。逃げ出したウサギを捕まえたのなら、ヒーローだよ~。インタビューしなきゃ~」と、優季。

 

「でも」みほが考える。「そこまではいいとして、どうしてウサギを抱いたままで、どこかへ行っちゃったのかな?」

 

「鍵を取りに行ったのかも!」

 

 あやが目を輝かせつつ手をあげる。

 

「鍵?」と、あゆみ。

 

「だって、飼育小屋には鍵がかかってるから、ウサギを戻すには鍵が必要でしょ?」

 

「ああ~」

 

 優季が手を打ち合わせる。

 

「いや…… 違うと思う……」

 

 桂利奈が意外と深みのある表情で言う。

 

「穴があるんだから、ここから戻すだけでいいと思うよ」

 

「それもそうだ」と、あゆみ。

 

「あやはバカだな~」優季が笑う。

 

「なにおぅ。優季だって感心してたくせにー」

 

 あやがむくれる。

 

「穴を埋め戻すために、道具を取りに行ったとか?」と、あゆみ。

 

「そういうのって、先にウサギを戻してからじゃない?」と、梓。

 

「そういえば、ずっと気になってたんですけど」

 

 あゆみがふと思い出して尋ねる。

 

「武部せんぱいは、どうして今日お休みなんですか?」

 

「家庭の事情って聞いてるけど」と、みほ。

 

「家庭の事情って?」

 

 桂利奈が横の梓に尋ねる。

 

「ほら、冠婚葬祭ってやつだよ」と、梓。

 

「かんこんそうさい」

 

 桂利奈がおうむ返しにする。

 

「葬はお葬式だよね。親戚の法事とか」と、あゆみ。

 

「婚は結婚式~?」と、優季。

 

「そうそう」梓がうなずく。

 

「結婚? 誰か結婚したの?」

 

 話題に乗り遅れたあやが、きょろきょろと左右を見る。

 

「祭はなんだろう…… お祭り?」

 

 梓が首をかしげる。

 

「えっ、じゃあ、夏祭りとかねぶたで学校を休んでいいの?」と、桂利奈。

 

「なぜ、ねぶた」あゆみがつぶやく。

 

「じゃあ、冠は……?」と、梓。

 

 一同が、うーん、と悩む。

 

 しばらく後。

 桂利奈が飛び跳ねるように顔を上げる。

 

「わかった、冠をもらえるくらい立派な人が親戚にいて、表彰式があるんだよ!」

 

「あー。それは学校休んででも見に行くねー」

 

 あゆみがうなずく。

 

「どうなんですか、西住せんぱい!」

 

 一年生全員から、せんぱいなら知っているはず、という信頼のまなざしで見つめられて、みほは苦笑する。

 

「どうなんだろう。わたしも知らないな。こんど辞書で調べておくね」

 

 みほが立ちあがりながら尋ねる。

 

「それで、紗希さんを見た子は、どっちに行ったって言ってたのかな?」

 

「部室棟のほうへ歩いていったって言ってました」と、梓。

 

「部室棟――」

 

 みほは、部室棟の方角へ目を向ける。

 

 偶然だろうか。

 あちらには、自動車部のガレージがある。

 

 それに、エルヴィンが帽子をなくした水飲み場も、あの方角ではなかったか――

 

#

 

「まあ、本当に」

 

 五十鈴華は頭上をあおいで感心する。

 

 華が立っているのは、自動車部のガレージの裏手。

 屋根の下の明かり取りの窓に開いた、大きな穴を見上げているところだ。

 

 華は地面に視線を落とす。

 割れたガラスの破片は、小さなものがちらほらと落ちているだけ。

 

「破片があまりありませんね」

 

「うん。だいたいはガレージの中だね」

 

 横で腰に手を当てているのは、部長の中嶋。

 

「中に石が落ちていたから、たぶんそれを投げつけたんだと思う」

 

「外から割られたのは確実なわけですね」

 

 華がもう一度窓を見上げる。

 

「でも、その後、どうやって中に入ったんでしょう?」

 

「そこなんだよね」

 

 中嶋も首をひねる。

 

 割られた窓の位置は、かなり高い。

 

 だが、周囲には、足場になりそうな箱のたぐいはない。

 どこか遠くから持ってきてまた戻したような跡もない。

 ガレージの壁はまっすぐで、手や足をかけてよじ登れそうな出っぱりもない。

 

「そうとう背が高くないとだめですよね?」

 

「うーん。背が高い人がジャンプしたら、窓枠には手が届くだろうけど……」

 

 よじ登るには、身体を引きあげる必要がある。

 よほど腕の力に自信のある人物でなければ、足を壁について、多少なりとも支えにしそうなものだ。

 

 それなのに――

 

「壁には足跡も汚れもありませんね」

 

「そうなんだ。どうやって登ったんだろう」

 

 華の視線が、壁から足元に落ちる。

 

「地面はどうでした? 足跡は」

 

「靴の跡はいくつかあったみたいだけど、ごめんね、あまり注意していなかったから、興奮したやつが踏み荒らしちゃったんだ」

 

「だって! 悔しいじゃないですか!」

 

 遠くでツチヤが叫ぶ。

 

「盗んだやつを見つけたら、ぐるぐる巻きにして峠の上から転がしてやる!」

 

「どうどう、ツチヤ。どう」

 

 スズキがなだめる。

 

「ああ、ここにひとつ残ってるのがそうじゃないかな」

 

 中嶋が、壁に近い地面を指さす。

 

「これは…… 学生靴ですね。サイズはあまり大きくない…… なぜこの足跡だけ、はっきり残っているんでしょう」

 

「ジャンプしたときの踏み切りかな?」

 

 中嶋がガレージの屋根を見上げる。

 

「運動神経のいいやつなら、いったん屋根に登って、そこから窓に下りたほうが楽かもしれないなあ」

 

「登れるところが、どこかにあるんですか?」

 

「うーん。雨どいを伝うとかすれば、もしかしたら」

 

 華は中嶋が指さした雨どいに近づいてみる。

 近くに足跡はない。

 

 雨どいを揺さぶってみる。

 壁に金具でしっかり固定されている。

 身の軽い人物なら、登ることはできそうだ。

 

「ガレージの中も見せていただけます?」

 

「もちろん」

 

 華はガレージの正面に回る。

 

 出入り口は、大型のシャッターがひとつだけ。

 あとは明かり取りの窓だけ。

 もともと戦車用に設計されたのではないガレージの空間は、いまや大型のP虎(ポルシェティーガー)に、ほとんど埋めつくされている。

 

 華は割れた窓の下に近づく。

 

 破片の落ちているあたりでは、P虎の車体が壁すれすれまでくっついている。

 コンクリートの床に散らばるガラスの破片は、外のものより大きく、数も多い。

 

「石はどのあたりに?」

 

「それがさ、レオポンに乗っちゃってたんだ」

 

 中嶋がP虎の砲塔を指さす。

 

 華は砲塔に登る。

 

 灰色に塗られた砲塔の上に転がっていたのは、白い、小さな石。

 華でも片手に握り込めるサイズだ。

 

 あとから登ってきた中嶋が、石を見おろしながら言う。

 

「傷になってなくてよかったよ。塗装のやり直しは面倒だから」

 

 華は、石の場所と、窓の位置を確認する。

 

 石の落ちていた場所は、窓からわりと距離がある。

 そのわりに、高さがあまり変わらない。

 

「そうとう勢いよく投げたんだろうね」と、中嶋。

 

 華は、腕を動かして、石を投げる真似をしてみる。

 

「どう? 名砲手の五十鈴さんなら、ここまで石を届かせられそう?」

 

「そんな。名砲手だなんて」

 

 笑ってみせながらも、華は別のことを考えている。

 

 窓に近づく。

 

 P虎の車体の上にも、ガラスの破片が落ちている。

 車体に登れば、窓から外に出るのは、それほど難しくなさそうだ。

 

「盗まれたというクーポンはどこに?」

 

「こっちこっち」

 

 下からホシノが手をふる。

 華は戦車を降りて、工具類のかかったパネルフックに近づく。

 

 大量のレシートやメモが、パネルの縁に沿うように、大量に貼り付けられている。

 なくなっているのは、ツールチェストに近いところにあった一枚。

 天板がテーブル状に平たくなったチェストの上には、ペンやドライバー、メジャーの類が、乱雑に転がっている。

 

 華はふと目をとめる。

 壁掛け式の電話が、チェスト近くの壁に設置されている。

 

「固定電話があるんですね」

 

「これ? 部品の注文なんかでよく使うから、学園長に直談判して付けてもらったんだ」

 

 ホシノが自慢する。

 

 ちょっと昔っぽい、長細い形状。

 持ち手の部分がゆるやかにカーブした大きな受話器が、ぐるぐるしたバネのようなコードで、壁の本体とつながっている。

 

「液晶も何もないんですね」

 

「レトロだよね。留守電機能も、リダイアルも、着信履歴もない。通話しかできないんだから、いっそいさぎいいよ」

 

 そう言って笑ったホシノが、ついでのようにくしゃみをする。

 

「お風邪でも?」

 

「ううん。ちがうな」

 

 ホシノが鼻の下をこすりながら言う。

 

「猫がいたんだと思う。たまにガレージに潜り込むんだ。危ないから、見つけたら追い出してるんだけどね」

 

「でも、ガレージの鍵は閉まっていたのでは?」

 

「不思議なんだけど、窓やシャッターをきちんと全部閉めておいても、どこかから入ってきちゃうんだ」

 

「閉める前にこっそり入ってきてるだけだよ」

 

 スズキが笑う。

 

 ホシノが反論する。

 

「ちがうって。閉める前にみんなで何度も確認してるじゃん。どこかに隙間があるんだって、ぜったい」

 

「どうしてわかるのさ?」

 

「毛だよ。鼻がむずむずするからわかるの!」

 

 ふたりの様子からすると、これは自動車部にとっておなじみの話題であるらしい。

 雰囲気が猫に似た吊り目のホシノが猫を批判する様子は、どことなくおかしい。

 スズキはそれがわかった上でからかっているふしがある。

 

 華はもう一度、割れた窓を見る。

 

(――石は)

 

 やはり下から投げたのだろうと、華は考える。

 

 屋根から投げたにしては、角度が合わない。

 斜め上から投げ落とした石は、もっと壁に近い場所に落ちるはずだ。

 窓から距離があり、高さもあまり変わらないP虎の砲塔に乗ったりしない。

 

(――そして、下から投げたとすると)

 

 屋根に登ったとは考えにくい。

 窓を割ってから屋根に登るのは、どう考えても非合理的だ。

 登ったあとで上から石を投げたほうが、ずっとガラスを割りやすい。

 

 この想定が正しいなら、窓を割った誰かは、下から石を投げた後に、足場を使わず、壁に一度も足をつかず、どうにかして天井近くの窓までよじ登ったことになる。

 

(――でも、どうやって?)

 

 その方法が、華にはわからない。

 

 自分が気づいていないだけで、足場になりそうなものが近くにあるのか。

 それとも、思いつかないような登りかたがあるのか。

 

 ぼんやりと考えながら壁に近づき、P虎の車体の下をのぞき込んだとき――

 

 華は、なにかを発見する。

 


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