「麻子さん?!」
空き教室の出入り口から廊下をのぞいた西住みほが声を上げる。
階段の近くに冷泉麻子が倒れていたのだ。
「どうしたの、麻子さん? 転んだの?!」
あわてて駆け寄る。
息は…… している。
しているというより、これは、寝息だ。
麻子は廊下に突っ伏したまま、くぅくぅ寝息をたてて熟睡している。
倒れたような音がしたけれど、気絶しているのではない。
その証拠に、ときおり、むずかるようにむにゃむにゃと唇を動かしている。
教室から澤梓が顔を出す。
「せんぱい、大丈夫ですか?」
「いま、大きな音がしましたけど……?」
そう声をかけたのは、廊下を歩いてきた五十鈴華。
「よくわからないけど、寝ているだけみたい」
みほは麻子をひざ枕するような格好で、近づいてきたふたりを見上げる。
「なかなか豪快な睡眠法ですね」華が感心する。
「麻子さん、起きて」
みほが揺り動かすと、麻子は不服そうにうめきながら目を開ける。
「西住……さん。どうした」
あまり人の名前を呼ばないせいだろう。
こういうときの麻子はぎこちない。
「麻子さんこそ、どうしてこんなところで寝てるの?」
「寝ている? わたしは寝ていたのか」
麻子がゆっくりと上半身を起こす。
「まさか、ずっとここで寝てたの?」
「生徒指導室に行かれていたのでは?」と、華。
「指導室」麻子がまばたきする。「そうだ、指導室。わたしは生徒指導室にいた。用事が終わって、廊下に出て、階段を下りて、そこで……」
「そこで?」と、みほ。
麻子が眉をしかめる。
「たしか、誰かとぶつかったんだ。それで……」
「それで?」と、華。
「床に倒れ込んで…… ずっと眠かったので、そのまま寝てしまった」
「大丈夫なの?! どこか痛かったりしない?」
みほに体のあちこちを触られて、麻子は困ったような表情で答える。
「痛くは、ない。まだ、ちょっと、眠いが」
「さすがは冷泉さんです」
華が褒めたたえる。
「あの、西住せんぱい」
梓がおずおずと切り出す。
「ああ!」みほははっとする。「そうだった。ごめんね。どこにいるんだっけ。ええと―― わたしひとりのほうがいいのかな?」
「もしよかったらですけど、お二人にも来ていただけたら……」
「あら、なにごとです?」
「うん、歩きながら説明するね」
麻子が立ちあがるのを助けながら、みほが言う。
「恋愛相談か?」と、麻子。
「それは、わたしじゃ無理かな」
みほが苦笑する。
「ええと、おおまかに言うと、失せ物です」
梓が申し訳なさそうに説明する。
ところが。
梓の言葉は、意外な効果を巻きおこす。
「失せ物?」眠そうにしていた麻子が目を見開く。
「失せ物……?」華が立ち止まる。
「どうしたの、ふたりとも」みほがふり返る。
「……いや」麻子は、短く答える。「よくものがなくなる日だと思ってな」
華は、唇に軽く手を当てて立ち止まったまま。
(――どうして気づかなかったんでしょう)
そうだ。失せ物だ。
いつもあるあれが、なくなっていた。
違和感の正体は、あれだったのだ。
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「おや、西住殿」
「ゆかりさん」
格納庫の入り口で、秋山優花里は西住みほと遭遇する。
「五十鈴殿に冷泉殿、それに澤殿まで。戻っていらしたと言うことは、みなさん任務完了ですか?」
「ええと、正確にはちょっと違うんだけど。ゆかりさんのほうは?」
「それが、なんだか不思議ななりゆきになってしまって……」
「ゆかりさんも?」
「ゆかりさんもって、西住殿もそうなんですか?!」
「西住殿も、というか」と、麻子。
「もしかしたら、ここにいる全員が、かもしれません」と、華。
はあ、と優花里はとりあえずのあいづちを打つ。
「それで、ゆかりさんの不思議というのは?」と、華。
「ええと、これがなかなか、一口では説明しにくいのですが」
優花里がもじゃもじゃ頭をかく。
「みなさん、ドリンクバーのクーポン券とドイツの制帽を盗んででも手に入れたいのって、いったいどういう人物だと思います?」
「ドリンクバーということは、のどが渇いていらっしゃるのでは……?」と、華。
「暑いから帽子を借りたと考えると、つじつまはあうな」と、麻子。
「でも、わざわざ窓を破って、盗っていったのが割引券一枚なんですよ? おまけに、帽子は水飲み場でなくなったんです。のどが渇いていたなら、そこで水を飲めばよかったじゃないですか!」
「なんだか大変そうだね」と、みほ。
「そうなんです」優花里がため息をつく。「西住殿のほうは、いったいなにが不思議なんです?」
「こっちもよくわからないの。失せ物みたいなんだけど」
「失せ物? 西住殿もですか!」
「いろいろな場所で、いろいろなものがなくなっているみたいなんです」と、華。
「じゃあ、五十鈴殿や、冷泉殿のところでも? 一体、いくつものがなくなったんです?」
「ええと……」みほが数えながら、格納庫の扉を開く。「三つ。いや、四つかな」
「いや」麻子がさえぎる。「どうやら五つのようだ」
全員が麻子を見る。
それから、麻子が見ている方角に視線を向ける。
そして、気がつく。
格納庫の内部が、さっきよりやけに広く見える。
それもそのはず――
あんこうチームのⅣ号戦車。
チームのかなめである大切な戦車が、こつ然と姿を消していたのだ。