さおりんのいない日   作:ばらむつ

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その4

 

「麻子さん?!」

 

 空き教室の出入り口から廊下をのぞいた西住みほが声を上げる。

 階段の近くに冷泉麻子が倒れていたのだ。

 

「どうしたの、麻子さん? 転んだの?!」

 

 あわてて駆け寄る。

 

 息は…… している。

 しているというより、これは、寝息だ。

 

 麻子は廊下に突っ伏したまま、くぅくぅ寝息をたてて熟睡している。

 

 倒れたような音がしたけれど、気絶しているのではない。

 その証拠に、ときおり、むずかるようにむにゃむにゃと唇を動かしている。

 

 教室から澤梓が顔を出す。

 

「せんぱい、大丈夫ですか?」

 

「いま、大きな音がしましたけど……?」

 

 そう声をかけたのは、廊下を歩いてきた五十鈴華。

 

「よくわからないけど、寝ているだけみたい」

 

 みほは麻子をひざ枕するような格好で、近づいてきたふたりを見上げる。

 

「なかなか豪快な睡眠法ですね」華が感心する。

 

「麻子さん、起きて」

 

 みほが揺り動かすと、麻子は不服そうにうめきながら目を開ける。

 

「西住……さん。どうした」

 

 あまり人の名前を呼ばないせいだろう。

 こういうときの麻子はぎこちない。

 

「麻子さんこそ、どうしてこんなところで寝てるの?」

 

「寝ている? わたしは寝ていたのか」

 

 麻子がゆっくりと上半身を起こす。

 

「まさか、ずっとここで寝てたの?」

 

「生徒指導室に行かれていたのでは?」と、華。

 

「指導室」麻子がまばたきする。「そうだ、指導室。わたしは生徒指導室にいた。用事が終わって、廊下に出て、階段を下りて、そこで……」

 

「そこで?」と、みほ。

 

 麻子が眉をしかめる。

 

「たしか、誰かとぶつかったんだ。それで……」

 

「それで?」と、華。

 

「床に倒れ込んで…… ずっと眠かったので、そのまま寝てしまった」

 

「大丈夫なの?! どこか痛かったりしない?」

 

 みほに体のあちこちを触られて、麻子は困ったような表情で答える。

 

「痛くは、ない。まだ、ちょっと、眠いが」

 

「さすがは冷泉さんです」

 

 華が褒めたたえる。

 

「あの、西住せんぱい」

 

 梓がおずおずと切り出す。

 

「ああ!」みほははっとする。「そうだった。ごめんね。どこにいるんだっけ。ええと―― わたしひとりのほうがいいのかな?」

 

「もしよかったらですけど、お二人にも来ていただけたら……」

 

「あら、なにごとです?」

 

「うん、歩きながら説明するね」

 

 麻子が立ちあがるのを助けながら、みほが言う。

 

「恋愛相談か?」と、麻子。

 

「それは、わたしじゃ無理かな」

 

 みほが苦笑する。

 

「ええと、おおまかに言うと、失せ物です」

 

 梓が申し訳なさそうに説明する。

 

 ところが。

 梓の言葉は、意外な効果を巻きおこす。

 

「失せ物?」眠そうにしていた麻子が目を見開く。

 

「失せ物……?」華が立ち止まる。

 

「どうしたの、ふたりとも」みほがふり返る。

 

「……いや」麻子は、短く答える。「よくものがなくなる日だと思ってな」

 

 華は、唇に軽く手を当てて立ち止まったまま。

 

(――どうして気づかなかったんでしょう)

 

 そうだ。失せ物だ。

 

 いつもあるあれが、なくなっていた。

 違和感の正体は、あれだったのだ。

 

#

 

「おや、西住殿」

 

「ゆかりさん」

 

 格納庫の入り口で、秋山優花里は西住みほと遭遇する。

 

「五十鈴殿に冷泉殿、それに澤殿まで。戻っていらしたと言うことは、みなさん任務完了ですか?」

 

「ええと、正確にはちょっと違うんだけど。ゆかりさんのほうは?」

 

「それが、なんだか不思議ななりゆきになってしまって……」

 

「ゆかりさんも?」

 

「ゆかりさんもって、西住殿もそうなんですか?!」

 

「西住殿も、というか」と、麻子。

 

「もしかしたら、ここにいる全員が、かもしれません」と、華。

 

 はあ、と優花里はとりあえずのあいづちを打つ。

 

「それで、ゆかりさんの不思議というのは?」と、華。

 

「ええと、これがなかなか、一口では説明しにくいのですが」

 

 優花里がもじゃもじゃ頭をかく。

 

「みなさん、ドリンクバーのクーポン券とドイツの制帽を盗んででも手に入れたいのって、いったいどういう人物だと思います?」

 

「ドリンクバーということは、のどが渇いていらっしゃるのでは……?」と、華。

 

「暑いから帽子を借りたと考えると、つじつまはあうな」と、麻子。

 

「でも、わざわざ窓を破って、盗っていったのが割引券一枚なんですよ? おまけに、帽子は水飲み場でなくなったんです。のどが渇いていたなら、そこで水を飲めばよかったじゃないですか!」

 

「なんだか大変そうだね」と、みほ。

 

「そうなんです」優花里がため息をつく。「西住殿のほうは、いったいなにが不思議なんです?」

 

「こっちもよくわからないの。失せ物みたいなんだけど」

 

「失せ物? 西住殿もですか!」

 

「いろいろな場所で、いろいろなものがなくなっているみたいなんです」と、華。

 

「じゃあ、五十鈴殿や、冷泉殿のところでも? 一体、いくつものがなくなったんです?」

 

「ええと……」みほが数えながら、格納庫の扉を開く。「三つ。いや、四つかな」

 

「いや」麻子がさえぎる。「どうやら五つのようだ」

 

 全員が麻子を見る。

 それから、麻子が見ている方角に視線を向ける。

 そして、気がつく。

 格納庫の内部が、さっきよりやけに広く見える。

 

 それもそのはず――

 

 あんこうチームのⅣ号戦車。

 チームのかなめである大切な戦車が、こつ然と姿を消していたのだ。

 


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