さおりんのいない日   作:ばらむつ

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その3

 ツチヤが叫ぶ。

 

「うわぁん! 先輩たちのずるっこ! ひとでなし! 裏切り者!!」

 

「なんです!? なにがどうなっているんです?!」

 

 秋山優花里は尋ねる。

 

 優花里と自動車部の三人は、大型のツールチェストの背後に避難している。

 油差しに手袋、ダクトテープ、ワックスの缶、いろんなものが飛んでくるからだ。

 

 軍事マニアの優花里である。

 これが別の機会であれば、まるで塹壕戦のようだと喜んだかもしれないが、事情がわからない状況では、さすがに疑問のほうが先に出る。

 

「私に黙って、先輩たちだけで遊びに行ったんだ! 炭酸いっぱい飲んだんだ! ジュースを何種類も混ぜてオリジナルのドリンクを作って、回し飲みとかしてたんだ!!」

 

「落ち着け、ツチヤ! わたしたちがおまえに黙ってそんなことをするはずがないだろう!」

 

 中嶋がチェストの陰から説得する。

 

 しかし、ツチヤは聞き入れない。

 

「じゃあ、なんでなくなってるんですかぁ!?」

 

「か、風で飛ばされたのかも!」

 

「ガレージは閉まってたもん! しっかり留めてたから飛ばされたりなんかしないもん!」

 

 優花里には、まだ事情がわからない。

 飛んできた汚れクロスを頭を下げてかわしながら、となりの中嶋に尋ねる。

 

「なくなってるって、何のことです?」

 

 中嶋が、ツチヤの様子をうかがいながら答える。

 

「あの、ほら。最近、ファミレスなんかに行くと、レシートにアドレスが書いてあって、アンケートに答えるとクーポンとして使えるようになるやつがあるだろう」

 

「ああ。ありますねえ」

 

「行きつけのファミレスにもドリンクバーが割引になるクーポンがあって、ツチヤが集めていたのだが、それが一枚、どこかへ行ってしまったらしいんだ」

 

「ははあ」優花里は考える。「……ドリンクバーのクーポンなら、ネットでダウンロードできるやつがあるのでは?」

 

「あー、ほら。紙のほうが割引率高いから」

 

 中嶋が小声で答える。

 

 しかし、ツチヤは聞き逃さない。

 

「そんなんじゃないやい! みんなで集めるのが楽しかったのに、先輩たちといっしょに頑張るのがうれしかったのに、先輩たちが勝手に使っちゃうから!!」

 

「だから誰も使ったりしていない!」

 

「なくなってるもん! 誰かが使わなきゃなくならないもん!!」

 

 ついにゴムタイヤまで飛んできた。

 ホイールなしのゴムだけタイヤが、ぼいんぼいんと弾みながら、優花里の横を通りすぎてゆく。

 

「だいたいずるいよ! ルールの中でがんばって対応したら、こっちが不利になるように、すかさずレギュレーションを変更してさ! みんなもっと実力で勝負しようよ!!」

 

「冷静になれ、ツチヤ!」

 

「その愚痴はここじゃないぞ!」

 

 はて。

 この状況で、いったいなにをどうしたものか。

 

 優花里は途方に暮れて天を仰ぐ。

 

 先輩三人が説得を続ける。

 

「ツチヤが金曜日のドリンクバーを誰よりも楽しみにしていることを、わたしたちが知らないはずがないだろう! おまえを傷つけるようなことをすると思うか?」

 

「だって…… なくなってる……」

 

「きっと部屋の隅に落ちているだけだ! いっしょに探そう!」

 

「そしていっしょにファミレスに行こう!」

 

「いっしょにドリンクバーを頼もう、な、ツチヤ!」

 

「でも、ちゃんと留めてあったし…… 風のない部屋の中で飛ばされるはずが……」

 

「あのう、そのことなんですが」

 

 優花里がおそるおそる手を上げる。

 

「あそこのガラスが一枚、割れているようなんですが」

 

 優花里が指さしたのは、壁の天井近くにつくられた、横長の明かり取り。

 

 その中の一枚が、たしかに破られている。

 人ひとりが通れるほどの穴が、いつの間にか空いているではないか。

 

#

 

 なにかがおかしかった。

 でも、なにがおかしかったのだろう――

 

 考えごとをしながら歩いていたせいで、五十鈴華は誰かにぶつかりそうになる。

 

「ごめんなさい!」

 

「急いでいたもので!」

 

 廊下の角から飛び出してきたふたりの女生徒が、華に頭を下げる。

 

「あら、あなたがた……」

 

「五十鈴先輩!?」

 

 華がふたりに気がついたのと同時に、むこうも華に気がつく。

 ユニフォーム姿の近藤妙子と佐々木あけびだ。

 

「どうかされました?」

 

「いえその、なんでもありません!」

 

「バレー部はいつでも駆け足! 全力疾走ですから!」

 

 華はふと、格納庫でのふたりの言葉を思い出す。

 

「そういえば先ほど、バレー部存続の危機とかおっしゃっていませんでしたっけ……」

 

「ええと、それは」

 

 ふたりがあわてる。

 

「ちょっとエンドラインの位置を間違えたっていうか」

 

「サイドアウト制の試合だったのを、ラリーポイント制と勘違いしたっていうか」

 

 意味がわからない。

 が、困っているらしいことはわかる。

 

「わたくしにできることなら、お手伝いしますけど……」

 

 華が提案すると、妙子とあけびは相談するように顔を見合わせる。

 

 だが、それは一瞬だけ。

 走ってきた方角に目をやったとたん、ふたりの顔色が変わる。

 

「あの、お気持ちはありがたいんですけど」

 

「わたしたち、ほんとに急いでるので!」

 

 せわしなく頭を下げて、ふたりは走り去る。

 

 華はひとり取り残される。

 

(――やっぱり、変です)

 

 そうは思うものの、なにが変なのか、自分でもわからない。

 

「おい、五十鈴」

 

 河嶋桃に声をかけられて、華はわれに返る。

 

 片眼鏡の生徒会広報は、どういうわけか息を切らせている。

 

「バレー部のやつらがこっちに来なかったか?」

 

「カミナリ族みたいなスピードで、あちらへ走って行きましたけど……」

 

「そうか。すまんな」

 

 桃が不機嫌そうであることに、華は気がつく。

 それに、顔が赤い。

 怒っているのだろうか。

 

「どうかされました? 問題でも?」

 

「どうもこうもあるか。バレー部の三人め。問題があると言っていたから、いいところだったのを切り上げて出向いてやったのに、人の顔を見るなり逃げ出しおって! 許さんぞ! とっつかまえて説教してやる!!」

 

 桃ちゃんは頭からぷりぷり湯気を上げながら走ってゆく。

 

 華はまた、取り残される。

 

(――やっぱり、なにか、変です)

 

 その思いが、ますます強くなる。

 だが、違和感の正体に、まだ華は気づかない。

 

#

 

 西住みほは、廊下を歩きながら考えている。

 

 先ほど小山柚子から頼まれた件について、だ。

 

 難題というほどではない。

 しかし、得意分野とも言いづらい。

 

(こんなとき、さおりさんがいてくれれば――)

 

 つい、そんなことを考えてしまう。

 

(ううん、だめだめ。これくらい、ひとりでできるようにならなくちゃ!)

 

 ふるふると首をふる。

 

 誰と会話するでもないのに、このふるまい。

 この手の行動のせいで、わたわたした変な子だと他人から思われているなどとは、みほ本人は知るよしもない。

 

「西住せんぱい!」

 

 声をかけられて、背中をびくっと震わせる。

 これもまた、変なふるまい。

 

「あっ、はい! なんでしょう!?」

 

 返事をした後で、声の主を探して、きょろきょろと周囲を見まわす。

 

「こっちです、西住せんぱい!」

 

「ああ、澤さん」

 

 片腕に手をかけられて、ようやく相手を発見し、ほっとした表情になる。

 

「よかった、西住せんぱい。探してたんです!」

 

「どうかした? なにかあったの?」

 

「それが、その――」

 

 澤梓は、言いにくそうに左右をうかがう。

 

「あの、こっちへ」

 

「えっ、なに? どうしたの?」

 

「とにかく、こっちへ」

 

 梓は、先輩であるみほの手を引いて、空き教室へ連れ込む。

 そして、耳打ち。

 

 みほが目をぱちくりさせる。

 

「ウサギ? 飼育小屋の?」

 

「そうなんです」

 

 梓がうなずく。

 

 最初に発見したのは、操縦手の阪口桂利奈だった。

 

 飼育小屋のウサギが、一匹いなくなっている――

 

 ウサギたちは、M3リーの発見に貢献した、チームにとっていわば恩人である。

 お礼をかねて、以来みんなでかわいがっていたのだが、昼休み前の四時間目、教室移動のついでに飼育小屋に立ち寄ったときに、数が足りないことに気がついたのだ。

 

「それは大変だね」

 

 みほが大真面目な表情でうなずく。

 

 よかった。やっぱり西住せんぱいは、こういう話を真剣に聞いてくれる。

 梓は隊長に対する信頼をいっそう深くする。

 

「でも、どうして私に? こういうのは先生…… ううん、生徒会かな。会長なら、きっとなんとかしてくれると思うけど」

 

 ああ、でも会長は留守なんだった。

 みほは話しながら思い出す。

 

「おおごとにしたくないんです。じつは――」

 

 梓がまたみほの耳元に口を寄せる。

 

 みほが目を丸くする。

 

「丸山さんが?」

 

 梓のクラスメイトの証言である。

 

 桂利奈が小屋に立ち寄るちょっと前に、一年生チームの装填手、いつも物思いにふけっている丸山紗希が、ウサギを抱いてふらふら歩いている姿を目撃したというのだ。

 

「どうしよう、せんぱい。ウサギを小屋から出したことが問題になって、紗希が決勝戦に出られなくなったりしたら…… 学校の存続がかかった大切な試合なのに……」

 

「落ち着いて、澤さん。そんなことには絶対ならないから」

 

 みほが梓をなだめる。

 

「でも、誰かに見つかったら、きっと……」

 

 みほが落ち着いているのには、理由がある。

 

 戦車道履修チームには、生徒会長角谷杏がついている。

 学園艦において、生徒会長は絶大な権力を持つ存在。

 ウサギを逃がした程度のことが、問題になるとは思えない。

 

 だが、そういう事情を下級生に説いて聞かせるのは、なんだか違う気がする。

 

 だから、みほは言う。

 

「うん。わかるよ。心配だよね」

 

「みんなで手分けして校内を探したんです。でも、見つからなくて……」

 

「わかった。おおごとにしたくないんだよね。どうすればいいのかな――」

 

 みほが考えながら、周囲を見まわしたとき。

 

 廊下から、苦しげなうめき声がした。

 

#

 

「えっ、こっちもですか!?」

 

 秋山優花里は、そう言ってしまってから、あわてて口を閉じる。

 だが、もう遅い。

 包囲の輪が一段と狭くなる。

 

 場所は格納庫近くの校庭のすみ。

 優花里はカバさんチームの歴女組に囲まれている。

 

「どういうことぜよ、グデーリアン。こっちもとは」

 

 そう言ったのは、おりょうこと野上武子。

 ぼさぼさの黒髪にアンダーリムの眼鏡。制服の上から紋付をはおっている。

 

「いや、その」

 

「本当に困っているんだ。知っていることがあるなら教えてほしい」

 

 エルヴィンこと松本里子が頼み込む。

 こちらは左右がぴんととがった短い金髪の持ち主。

 セーラ服の上からサンドベージュの軍用ジャケットを身にまとっている。

 

「気持ちはわかりますが……」

 

「こちらも必死なんだ。ソウルネームを持つ仲間同士じゃないか!」

 

 拳を固めたのは、赤いマフラーをなびかせた、カエサルこと鈴木貴子。

 

「守秘義務というものがありまして……」

 

「ええい! かくなる上は、高手小手に縛ってきりきり締め上げるか!」

 

 真田紐を両手にぴんと張ってにじり寄るのは、左衛門佐こと杉山清美。

 六文銭をあしらったバンダナをひたいに結び、胸には制服の上から弓道の胸当て。

 いつも片目をつぶっている。

 

「関係あるかどうかわかりませんよ!? 単なる偶然かも!」

 

「それは聞かなければわかるまい!」

 

「話してくれ、グデーリアン!」

 

 優花里は、しかたなく話して聞かせる。

 

 自動車部のガレージに、侵入者があったらしいこと。

 窓を破って入ってきたらしいこと。

 なくなっていたのはドリンクバーのクーポンが一枚だけだったこと。

 

「それはまた、奇っ怪ぜよ」

 

「連続盗難事件の可能性があるな」

 

「いえ、まだそうと決まったわけでは……」

 

 優花里の言葉を、歴女組は聞き流す。

 

「現代の怪盗二十面相か」

 

「はたまたアルセーヌ・ルパンか」

 

「ねずみ小僧か石川五右衛門という線も」

 

「いずれにせよ、盗賊の神ヘルメスの加護を受けた者にちがいない」

 

 歴女組の興奮には、それなりに理由がある。

 

 自動車部と同じように、歴女組も無くし物をした。

 エルヴィンがいつもかぶっている緑の大きな制帽が消えてしまったのだ。

 

 優花里は尋ねる。

 

「いつのことです?」

 

「朝練のときはかぶっていたぜよ」

 

「移動教室のときかもしれない。今日は暑かったからな。水飲み場で帽子を脱いで汗をぬぐった記憶がある」と、エルヴィン。

 

「そのときに忘れてしまったんですかねえ」

 

「ああ、なんという! 妻の誕生日に前線を離れるがごとき不覚!!」

 

 腕組みしたエルヴィンが、くやしげにまぶたを閉じる。

 

「水飲み場には行ってみました?」

 

「ああ。だが、時すでに遅しで、影もかたちもなかったのだ」と、もんざ。

 

「えーと。落とし物は職員室でしたっけ……?」

 

「行ってみたけど、なかったぜよ」と、おりょう。

 

「幽霊師団ならぬ幽霊帽子というわけですか」優花里が考える。「占いでなんとかなりませんか?」

 

「試してみたんだが、うまくいかないんだ。近くにないのかもしれない」

 

 カエサルが難しい顔で頭をかく。

 

 エルヴィンが優花里の肩に手をかける。

 

「たのむグデーリアン、見つけてくれ! あれがなくては元帥に申し訳が立たん!」

 

「それはかまいませんが」

 

 どうせ自動車部からも調査を頼まれている。

 探しものがひとつ増えたくらいで、どうという違いはない。

 違いはないが……

 

 どうにも妙なことになってきたと、優花里は首をひねる。

 


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