「そうだ。思い出した」
麻子が憮然とした様子で口をはさむ。
「校舎の廊下を歩いていたとき、走ってきた誰かとぶつかって気を失ってしまったのだが、あれは丸山さんか?」
「あんた、そんなことあったの」沙織があきれる。「気絶したとか言って、どうせ寝てたんでしょ」
「ち゛がう゛」
紗希は無反応。
「記憶にないって言ってます」
無口な同級生の顔色をしばらくうかがったあとで、桂利奈が通訳する。
「あ、わたし知ってます」
もぐもぐ動く口もとを片手で隠しながら、バレー部の近藤妙子が手をあげる。
「ははぁ。さてはおまえたち、逃亡中に冷泉とぶつかったな?」
桃ちゃんが流し目で決めつける。
なにしろ追跡途中にさんざん持久走をやらされたのだ。
怨みのこもった視線である。
ところが、妙子の発言は、桃ちゃんの想定を軽々と裏切る。
「なに言ってるんです。冷泉先輩と衝突したのは河嶋先輩じゃないですか!」
「ぬぁにぃ?!」桃ちゃんが目をむく。「そんなはずがあるか! 濡れ衣だ! 身に覚えがない!!」
「でも、わたしも見ていました。河嶋先輩が、横から出てきた冷泉先輩を引っかけたところ」
妙子といっしょに逃げていた佐々木あけびが、横から加勢する。
「河嶋先輩はわたしたちを追いかけるのに夢中だったし、おまけにへろへろだったから、たぶんあれ気づいてなかったよねって、妙子と話してたんです」
「ばかな! 生徒会広報ともあろう者が、ちょっと走ったくらいでへろへろになるものか! だいたい……」
「かーしま」
大口を開いてどこかズレた弁解を続けようとする桃ちゃんを、角谷杏が制する。
桃ちゃんがビッと背筋を立てて口を結ぶ。
「時間が合わないんじゃないかな」と、みほ。「冷泉さんが誰かとぶつかったのは、松本さんが帽子をなくした後だと思う」
「それもそうか」
麻子が納得する。
沙織がからかうように麻子の頰をつつく。
「それで、そのあとどうなったの」
園みどり子が、地蔵と化した桃ちゃんの後を引きついで尋ねる。
「ガレージの電話で番号案内に電話をかけて、近くにある動物病院の電話番号と住所を教えてもらいました。それをメモするのに、近くのボードに留めてあった紙を使ったんです。てっきりただのレシートだと思って」
「ホントだ、裏にメモが書いてある」
ツチヤが手元のクーポンを裏返し、ナカジマとスズキ、ホシノの三人がのぞき込む。
「これ、裏になにか書いてあっても使えますよね、先輩」
「そりゃ使えるだろ」
「じゃあいいっす。問題ないっす」
ツチヤがにいっと笑う。
先輩たちが周囲から手を伸ばして、ツチヤの髪をくしゃくしゃにする。
「動物病院に予約している間に丸山さんが戻ってきたので、窓から帽子を投げ入れてもらって、なんとか猫を帽子に誘導しました」
「きっとそのときに眼帯を落としたんですね」と、華。
「ウサギの毛も帽子についてたんですかね」と、優花里。
「上に乗ろうとしたときに服についたのかもしれん」と、麻子。
「そうかもしれません。その後、窓から外に出て、病院までわりと距離があったから、乗り物を使ったほうがいいねって話になったんです」
「話になったのね」そど子が無表情で繰り返す。
「格納庫に行ってみたところ、やはり誰もいなかったので、近くにあった戦車で出発したんです」
「でも、どうしてⅣ号を選んだんです?」優花里が口をはさむ。「乗っていくなら、八九式でもリーでもよかったのでは?」
「Ⅳ号がいちばんそばにあったので……」と、典子。
「そんな理由ですか?!」
「いや、それが、格納庫に入ったところで、誰かが近づいてくる物音がしたので。見つかったらまずいと思って急いで出発したので、選んでいるひまがなかったんです」
「ものおと」と、優花里。
「誰だったのかな?」みほが隣を見る。
「昼休み、わたしたちが格納庫に集まって、Ⅳ号の上で昼食をとろうとしていたところに、みなさんがいらっしゃって……」華がふり返る。
「全員ばらばらに別れたんだよね」と、みほ。
「格納庫は無人になった」と、麻子。
「でも、わたしたち、その後でまた格納庫に行きました」と、桂利奈。
「そうだったっけ~?」宇津木優季が首をかしげる。
「ほら、河嶋先輩を追い出し……じゃないや、別れたあとで」大野あやがささやく。
「ああ~!」
「そのときはまだ、Ⅳ号は格納庫にありました」山郷あゆみが証言する。
「Ⅳ号がなくなった後、最初に格納庫に来たのは……」と、華。
「わたしたちだ」と、みほ。
「ほんとに間一髪だったんじゃないですか!」優花里が天をあおぐ。
「べつに見られてもよかったんじゃ? 悪いことしたわけじゃないんだから」
沙織が指摘すると、典子はきまり悪そうに頭をかく。
「いや、その前にガレージの窓ガラスを割っちゃったので。その件で探しに来た人だったら困るなあって思ったんだよね」
優花里が尋ねる。
「Ⅳ号に乗るのは初めてだったのでは? よく操縦方法がよくわかりましたね」
「そこは根性です!」
典子がぐっと拳を固める。
妙子、あけび、忍、バレー部一年の三人は、周囲で拍手せんばかりの喜びよう。
優花里はげんなりした表情である。
そど子が尋ねる。
「でも、どうやって、誰にも見られずに戦車で病院までたどり着けたの?」
「見られましたよ」
典子がこともなげに答える。
「誰も不思議に思わなかったの? 授業時間中なのに校外で何をしてるんだって尋ねられたりは??」
「尋ねられました」
典子がまたしてもこともなげに答える。
そど子が動揺する。
「じゃ、じゃあ、どうやって切り抜けたの」
歴女組が顔を見合わせる。
「まさか実力行使を……?」
「検問突破は乙女のロマンだからな……」
優花里まで横でうなずく。
「たしかにそういう用途なら、八九式よりⅣ号のほうが適役かもしれません」
「そんなことしません」
典子は落ち着いた様子でスパッツに手を突っ込むと、なにかを取り出す。
「これを使いました」
小柄なバレー部主将がテーブルに置いたのは、黒い小さな布きれ。
白糸で「風紀」の二文字が刺繍されている。
一目見て、そど子があわてる。
「なっ、あっ、そっ、どっ」
なにあなた、それをどこでの意であろう。
取り乱すのも当然。
そど子がなくした風紀委員の腕章である。
「あっ、あなたが犯人だったの?!」
「犯人とは?」典子がきょとんとする。
「い、言い訳無用! 校外に出るという目的のために、風紀委員にとって命よりも大切な腕章を窃盗したんでしょう!」
「ちがいます」
「じゃあ、なんなの!」
「これは校門のそばで見つけたんです」
典子が淡々と説明する。
「落とし物だということはすぐにわかったんですけど、校外で呼び止められたとき、風紀委員の仕事だって言い訳できたら便利だなーと思って、ちょっと借りちゃいました。これ、園さんのですか? 返しときますね」
典子から腕章を手渡されて、そど子は閉口。
「はっ、いっ、ぬっ、たっ」
金魚のように口をぱくぱくと動かす。
反省の色がない、盗っ人たけだけしい、の意であろう。
ウサギさんチームが顔を見合わせる。
「え? あの腕章、園せんぱいのなの?」
「ちがうでしょ。せんぱい、ちゃんと腕章してるじゃん」
「ひとりだけ色が違うよ?」
「でも、ふつう、自分が落とし物をしてたら、あんな風にふるまえないよ」
「だよね~」
「もおーーーーっっ!!」
そど子がテーブルに突っ伏すように頭を抱える。
ゴモヨとパゾ美は、後ろでおろおろ顔。
「大変だな、そど子」
ここぞとばかりに、麻子が冷やかす。
「それで、その先は?」
黙ってしまった桃ちゃんとそど子にかわって、みほが尋ねる。
「腕章のおかげで、病院にたどり着くのは楽でした。外に戦車を止めて、ウサギの治療をしてもらって、学校に戻ろうとしていたところに、会長がさっきのトラックでやってきたので、わけを話して、いっしょに帰ってきたんです」
優花里が首をかしげる。
「あれ、猫は診てもらわなかったんです?」
典子が頭をかく。
「それが、猫のほうは、戦車で走っている間にお産が始まっちゃって」
「おやまあ」
「てっきり病気だと思ってたから、すごくびっくりしてさあ。いちおう動物病院の先生を戦車のところまで引っぱってきて、ハッチから様子を見てもらったんだけど、母子ともに問題はなさそうって判断だったから、そのまま戻ってきたんだ」
めずらしく疲れた表情を見せた典子が、ため息をつきながら、背後のあけびに身体をあずける。