さおりんのいない日   作:ばらむつ

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その15

 

「あ、おいしい~」

 

「見かけはおっかないけど、案外あっさりだね」

 

「ひとは見かけによらないって本当かもー」

 

 家庭科室はなごやかな喧噪につつまれている。

 

 みんなで作ったあんこう鍋ができあがって、いまは食事の真っ最中。

 

 空腹は満たされた。

 失せ物もひととおり戻ってきた。

 気分も落ち着こうというものである。

 

「もー。腕が疲れちゃったよー」

 

 沙織がお椀を片手に頰をふくらませる。

 

 あんこうチームのみんなは笑い顔。

 なにしろ武部沙織、あの大きなあんこうをたったひとりで解体したのである。

 多少不平を言うくらいの権利はある。

 

「みぽりんや麻子はともかく、華は手伝えるかと思ってた」

 

「すみません。ああいう長ドスの扱いには慣れていなくて……」

 

 華が謝る。

 

 優花里が横でつぶやく。

 

「あんこうの吊し切りができる女子高生のほうが少ないと思うのですが……」

 

「ふつうだよ。愛する彼のためなら、カツオの一本釣りだってするし、海に潜って岩牡蠣だって捕ってくる。それが恋する乙女の心意気だよ」

 

 周囲にいる全員が胸の中で確信する。

 

 誇張ではない。

 さおりんは心からそう信じている。

 そして、そのための努力もゆめゆめ怠りないにちがいない――

 

「それで、その彼はどこにいらっしゃるんです?」

 

 華の辛辣な質問を含めて、みんなは苦笑するしかない。

 

「それにしても、動物病院にウサギと猫を連れていっていただけとはな」

 

 河嶋桃が嘆息しながら蒸しかえす。

 

「その程度のことで、昼じゅう校内を騒がせおって。なんという体たらくだ」

 

「まあまあ、桃ちゃん。いいじゃない。丸く収まったんだから」

 

 小山柚子がなだめる。

 

 隣では、角谷杏が無言でお椀の汁をすすっている。

 

 だが、おさまりがつかないのは桃ちゃんだけではない。

 片眼鏡の広報のひと言が呼び水になって、彼女たちがつぎつぎと口を開く。

 

 まずは、カモさんチームの河西忍。

 

「水くさいです、キャプテン。わたしたちを頼ってくれないなんて」

 

「ごめん。緊急事態だったから」

 

 磯部典子がおがむように片手をあげる。

 

 つづいて、同じくカモさんチームの佐々木あけび。

 

「そうです! わたしたち、キャプテンのためだったら、たとえ火の中水の中。何だったら、スカートの中でも!」

 

「いつもスパッツだけど?」と、典子。

 

 そして、ウサギさんチームの澤梓。

 

「紗希もだよ。困ったことがあったら教えてって、いつも言ってるのに」

 

「……」

 

 なぜかジャージ姿の紗希は、天井のシミをぼんやり見上げるだけ。

 

 典子が説明する。

 

「自動車部のガレージの近くにいたら、声が聞こえて。様子がおかしかったから、病気の人が中にいるって勘違いしちゃったんだよね」

 

「そもそも、それがおかしい」

 

 桃ちゃんが口をはさむ。

 

「時間はいつだ。四時間目の最中だろう? なぜ授業中にガレージのそばにいた」

 

 典子が背筋をまっすぐにして答える。

 

「ガレージの裏のような日の当たらない場所に赴くことで、はじめて見えてくる人生の機微のようなものがあるかもしれないと思ったからです!」

 

「追試から逃げたな」

 

 桃ちゃんが眼鏡を冷たく光らせる。

 

 典子は聞こえないふり。

 

「ガレージのシャッターは閉まっていて、鍵がかかっていましたが、声は中から聞こえました。それで、誰かが中に閉じ込められているって考えたんです」

 

「ほら」ホシノが仲間たちをふり返る。

 

「ほらって?」と、ナカジマ。

 

「やっぱりどこかに隙間があるんだよ」

 

「いや、それはどうかなー」

 

 恒例の議論に興じる自動車部の面々を尻目に、桃ちゃんが尋ねる。

 

「それで窓を破ったのか」

 

「いきなりそんなことはしません。中をのぞけないかと思っていたところに、一年の丸山さんが来たんです」

 

「丸山紗希か」

 

 桃ちゃんが横を見る。

 

 紗希はあさっての方角に顔を向けている。

 やましいそぶり、ではない。

 窓の外を舞うちょうちょを目で追っているだけである。

 

「丸山さんは、けがをしたウサギを一匹抱いていました」と、典子。

 

 うさぎチーム一同は驚かない。

 すでに知っているからだ。

 

 紗希がⅣ号から降りたあとも、ずっと大切そうに抱き続けていたウサギ。

 その片方の後ろ足には、ピンク色の包帯が幾重にも巻きつけられていた。

 そして、ウサギで隠れた紗希の制服の脇腹近くには、赤い血がシミになってぽつぽつと残っていた。

 量産型風紀委員の報告はまちがっていなかったのだ。

 

 制服はただいま洗濯中。

 紗希がジャージを着ているのはそういう理由である。

 

「小屋の外に脱走したウサギを見つけて、上から穴をふさいで閉じ込めようとしたときに、誤ってけがをさせちゃったんだって」

 

 典子が本人にかわって弁明する。

 

「……」

 

 紗希はあいかわらず無言のまま、床に視線を向けている。

 どことなくしょんぼりしているように見えなくもない。

 

 典子が続ける。

 

「丸山さんは、相談できる人を探しに格納庫へ行くみたいでした。だから、誰かがガレージに閉じ込められているから、自動車部の人がいたら連れてきてって頼みました」

 

「おまえはその場に残ったんだな?」と、桃ちゃん。

 

「はい。ガレージのまわりを一周してみましたが、窓は高い場所にしかなく、何度呼びかけても、中の誰かはうめくだけで返事をしません。これは大ごとだと思っているところに、丸山さんが戻ってきたんです」

 

「誰かといっしょだったのか?」

 

「いいえ。ひとりだったので、格納庫には誰もいなかったことがわかりました」

 

 答えたあとで、典子は思い出したようにつけ加える。

 

「そういえばそのとき、丸山さんはももがーさんの眼帯をもっていました。落とし物か忘れ物だったんだと思います」

 

「やっぱり格納庫に忘れてたモモ」ももがーがつぶやく。

 

「ウサギのけがを見せてもらいましたが、放っておいていい感じではありませんでした。連れていくなら動物病院だろうと思いましたが、学園艦にそういう病院があるかどうかすらわかりません。どうしたらいいかと考えているときに、丸山さんが、自動車部のガレージに電話があると教えてくれたんです」

 

「紗希がそう言ったんですか?」

 

 梓が目を丸くする。

 

「いや、言ったというか」典子が頭をかく。「丸山さんが、こう、あたかも、ガレージの中に電話があるよと伝えようとしているような、そういうそぶりをしていたというか」

 

 桃ちゃんがあきれる。

 

「なんだ。貴様のひとり合点じゃないか」

 

「でも、電話は実際にありました」と、典子。

 

 ふん、と桃ちゃんが鼻を鳴らす。

 

「そこで、丸山さんに肩を貸してもらって、とりあえず上の窓からガレージの中をのぞいてみることにしたんです」

 

「プラウダの隊長みたいに肩車したのか?」

 

「いえ、そうじゃなく、しゃがんだ丸山さんの肩にわたしが両足を乗せて、そのまま丸山さんに立ちあがってもらうという……」

 

「ええっ、紗希が?!」

 

 ウサギさんチームがおどろく。

 

「大丈夫だったの、紗希?」

 

「肩痛めてない?!」

 

「平気平気。無口だけど根性あるよ、この子」

 

 典子が紗希の背中をたたく。

 

「どうかな丸山さん、この際、その根性を生かして、わたしたちといっしょにバレー部復活を目指してみない?」

 

 紗希は無反応。

 もしかしたら、背中をたたかれたことにすら気づいていないのかもしれない。

 

「それからどうした」

 

 桃ちゃんがうながす。

 

「窓の高さは、わたしが丸山さんの肩に乗った状態で背伸びをして、ようやくのぞき込めるくらいでした。中はうす暗かったけど、電話があるのは見えました。声の主は見えず、ガラスをたたいてみましたが、反応はありませんでした。窓は外からでは開かないようだったので、一刻を争う緊急事態だし、ガラスを割るしかないと話が決まったんです」

 

「待て待て」

 

 桃ちゃんが制する。

 

「話が決まったというのは誰と誰の話だ。丸山と話をしたのか?」

 

 典子が桃ちゃんを無視して続ける。

 

「……ともかく、話が決まりまして」

 

「ひとりで決めたな」

 

「話が決まりまして」バレー部主将はあくまで主張する。「肩に乗った状態では不安定なので、下から石を投げて割ろうとしましたが、飛んできたボールをアタックするのとは、ちょっと勝手が違うんです。どうしようかと思っているところに、ももがーさんの眼帯が……」

 

「眼帯がどうしたモモ?!」

 

 突然名前を出されて、ももがーが驚く。

 

「えーと、こっちの手の親指と人差し指にゴムをはめた状態で、こう、眼帯の前に石を置きますね。もういっぽうの手で引っぱって、おもいきり引きしぼった状態で手を離すと……」

 

「眼帯をパチンコにしたピヨ?!」と、ぴよたん。

 

「それであんなに飛びがよかったんですね」

 

 投石の軌道の謎が解けて、華がひとり感心する。

 

「まあ、一回でうまくいったわけじゃなくて、何回かトライしてようやく成功したんですが」

 

「何回モ?!」

 

 ももがーが顔につけた眼帯を手で押さえながら狼狽する。

 

「ど、道理で…… 後ろから見てて、ゴムがのびてる気がしたんだよね……」

 

 ねこにゃーが背後でつぶやく。

 

「ともかく、ガラスを割ることはできたので、また丸山さんの肩に乗せてもらって、ガレージの内部に侵入しました」

 

 典子が続ける。

 

「反対側に戦車が置いてあったので、降りるのは苦労しませんでした。声は中に入ってからも聞こえましたが、やっぱり見つかりません。相手が人のつもりで探していたから、当然といえば当然なんですが、声のするあたりを見ても誰もいないんです。声の正体に気がついたのは、戦車から降りたあとです」

 

「猫だったんだな」桃ちゃんが補足する。

 

「はい。あのシャム猫が戦車の下で鳴いていました」典子がうなずく。「ひどく苦しんでいたので、いっしょに連れていこうとしたんですが、抱き上げようとするとひどくいやがります。それで、外にいる丸山さんに、猫を持ち運ぶのによさそうな入れ物をもってきてくれって頼みました。その間に、わたしが電話をかけておくからって」

 

「それでエルヴィンの帽子か」

 

 カエサルと左衛門佐があきれる。

 

「松本さんに頼んで貸してもらったと思ってたんだけど、違ったんだね」

 

 典子が頭をかく。

 

 当のエルヴィン本人は、いまだ無帽のまま。

 おりょうの背後に隠れるようにしながら、おずおずと聞き耳を立てている。

 母猫と生まれたばかりの仔猫がまだ帽子のなかでまどろんでいるおかげで、制帽を回収できないのである。

 


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