午後いっぱいこの件で苦労した者たちにとって、典子の肯定は少々あっさりすぎた。
当事者意識に欠けていると思われても仕方がない。
歴女三人が殺気立つ。
「なにぃ!」
「きさま! エルヴィンにとってあの帽子は、いわば武士の刀にも等しい大切なもの。それをかどわかしておいて無事ですむと思うな! 真田流拷問術の餌食になりたいか!」
「ローマ流拷問術という手もあるぞ!」
ツチヤが先輩の手をふりほどいて、典子に詰めよる。
「じゃあクーポンは!? ガレージからクーポンをもっていったのも磯辺さんなの?」
「クーポン?」
典子が首をかしげる。
「ガレージには入ったけど、クーポンをもっていった覚えはないなあ」
「うそだあぁぁぁ!!」
ツチヤが絶叫する。
「先輩たちとがんばって集めたクーポンだぞ! うそついたら許さないんだからぁ!」
「まあまあ、ツチヤ」
ナカジマが、後輩の言葉に苦笑しながら、典子に尋ねる。
「クーポンっていっても、チラシの端についているやつじゃなくて、感熱紙に印刷された、細長いレシートみたいな感じのやつなんだけど」
「ああ!」
典子がなにかに気づいた表情になる。
「もしかして、これのことですか?」
頭を沈めて、戦車の中をごそごそとかき回したのち、ひょいっと取り出したのは、なにかが走り書きされた、細長い紙切れ。
「それーーーーっ!!」
ツチヤが典子の手から白い紙片をひったくる。
まじまじ確認して、満面の笑顔に。
両手で典子の手をぎゅっと握り――
攻撃でもするのかと思いきや、うれしそうに上下に振りまわす。
「ありがとう! 戻してくれて本当にありがとう!!」
「いえ……?? こっちこそごめんなさい」
典子が当惑しながら謝罪する。
はいちょっとどいてと言わんばかりに、そど子がツチヤを押しのける。
「じゃあ、磯辺さん。窓を割って自動車部のガレージに侵入したことは認めるのね」
「はい。すみません」
「ドリンクバーのクーポンと松本さんの帽子を奪って、Ⅳ号戦車を乗り逃げしたのも……」
そど子が話している途中で、そっちこそちょっとどいてと言いたげに、カエサル、おりょう、左衛門佐とエルヴィンの歴女四人組が、そど子を横にスライドさせる。
「話はあとにしてもらおう!」
「まずエルヴィンの帽子を返してもらう!」
「あー」典子が言いづらそうな表情になる。「やっぱり、返さなきゃダメかな」
「どういう意味ぜよ?!」
「ダメに決まってるだろう!」
「貸してあげたらー?」
すこし離れたところで、杏が干しいもをもっさもっさ食べながら言う。
「会長、どっちの味方ぜよ!」
「あの帽子をかぶっていないと、エルヴィンは死んでしまうんだぞ!」
そんな設定ありましたっけ……
と、エルヴィン本人が背後で口をぽかんと開けているのを知ってか知らずか。
歴女三人はますます気炎を上げる。
「まさか、なくしたのではあるまいな!」
「いや、もってはいるんだけど」
典子の態度はいつまでも煮えきらない。
「ええい! 四の五の言っていると、この人斬り包丁が黙っておらぬぞ!」
「陸奥守吉行の錆になりたいか!」
左衛門佐とおりょうが腰に手を当てる。
ポーズをとっているだけで、ふたりとも佩刀などしていないのだが、そこらへんは大目に見てあげるのが武士の情けというものである。
「返さないとは言ってないよ。ただ、慎重に扱ってほしいんだ」
典子がそう言いながら、ふたたびⅣ号に潜る。
しばらく中でごそごそしたのちに戻ってきたとき――
典子の手には、エルヴィン愛用の大きな緑の制帽が握られていた。
帽子は上下逆さま。
典子は帽子のつばを片手で握り、重そうにたわんだ帽子の天井(いまは床だけど)に、もう片方の手を当てている。
磯辺典子といえば、メイド喫茶でアルバイトしても、コップを強めに置いてテーブルの上に水たまりをこしらえそうな、イキのいい人材。
それが今は、ニトログリセリンでも運んでいるみたいにおっかなびっくりである。
「言われるまでもない!」
カエサルが帽子を受け取ろうと手を伸ばす。
だが、手が触れる寸前――
クリーム色のなにかが、帽子からのっそりと顔を出す。
カエサルを見つめ、うにゃあ、と気だるげに鳴く。
「猫!」
意表を突かれたカエサルが、一歩後退。
「え、猫!?」
スズキが、それを聞いただけで、くしゃみが出そうな顔つきになる。
たしかに。
よく見れば、丸めても収まりきらない立派な体躯が、帽子からはみ出している。
毛色は柔らかなモカクリーム。
耳とマズル、手足としっぽの先が、焼きすぎたパンのような黒色。
恰幅がよい。
顔つきは穏和そう。
格納庫の近くに出没し、たまに戦車の上で昼寝をしているシャム猫である。
「あー。謎の猫だー」と、桂利奈。
「なんだ。謎とは」と、桃ちゃん。
「だって、誰も飼い主を知らないんですよ~」と、優季。
「でも、野良にしては痩せてないし、毛並みもいいし」と、あや。
「西住隊長が抱いてもいやがらなかったですよね」と、あゆみ。
「きっと学園の根幹に関わる重要な存在なんだ、なんて、みんなで話していたこともあったんですけど」と、梓。
「知らんなあ」桃ちゃんが首をかしげる。
「ええい、猫がどうした。それより帽子だ!」
カエサルが乱暴に帽子をつかもうとする。
「あ! ゆっくり!!」
典子があわてる。
切迫した声に、腕を伸ばしたカエサルをふくめて、一同が動きを止める。
――と。
まるで一瞬できた音の谷間の底を流れるように、声が聞こえる。
みぃみぃ、みぃみぃ。
消え入りそうな、かすかな鳴き声。
声の主を探して、うさぎチームの一年生が帽子をのぞき込む。
シャム猫は、帽子の縁に沿うように身体を丸めている。
お腹にぽつぽつと見えるピンクの突起に取りつこうと、もぞもぞ手足を動かしているのは、目もまだ開けきらない仔猫たち。
桂利奈とあやのふたりが、無邪気に歓声を上げる。
「うわぁ!」
「赤ちゃんだ~」
梓が無言でばたばたと両腕をふり、唇に人差し指を押し当てる。
それを見て、ふたりがあわてて口を押さえる。
仔猫は全部で三匹。
大きさはハムスターほど。
鼻先と手足の先が、妙に赤い。
不ぞろいな体毛が透けて逆立っている様子は、猫というよりまるで毛虫のよう。
「ええ?」
「なんと、これは」
「なにがどうなっているんだ」
遅れて帽子をのぞいたそど子と歴女組、そして桃ちゃんが、当惑して顔を見合わせる。
「説明してあげたらー。ちゃんとわけがあったんだって」
杏が干しいもを食べながら、典子にうながす。
「わかりました」
典子は、いさぎよくうなずく。
そのようにして、磯部典子は話しはじめたのだった。