日も落ちて、外はすっかり夜の帳が下りた時間帯。
ようやく最後のお客さんが買い物を終え、店には私とミアハ様だけとなった。
「はぁ~…ようやくお客さんいなくなった…」
「うむ、お疲れ様、今日は随分と繁盛したものだ」
ミアハ様が嬉しそうに言ってくる。
ありがたいことに、今日は朝からずっと客足が途絶えない日だった。
売り上げがいいのはとても嬉しいが、おかげで私とミアハ様はずっと接客と調合に追われ、碌に休むこともできないのだった。
「営業時間…とっくに過ぎてる…」
壁にかけた時計を確認すると、本来の営業時間から1時間以上過ぎていた、最後のお客さんが延々と悩んでいた為だ。
まぁいっぱい買ってくれたから良しとするけれど。
「そうだな、これから片付けをして、食事の用意をするのも大変だろう、今日は売り上げもよかったことだし、久しぶりに外へ食べに行くか?」
「外食…」
ミアハ様の提案に考え込む私。
借金を負ってから、節約生活をしていた為、外食なんて贅沢は一切してこなかった。
だけど、先月分の借金の支払いは終わったばかり、しかも今日の売上を大雑把に計算しただけでも、かなりの利益が出ている。
今日くらいは贅沢をしても許されるはず。
しかもミアハ様と二人っきりの食事である。
これはもうデートと呼んでもいいに違いない。
雰囲気のあるレストランで素敵なディナーを食べた後は、しっぽりと…
「そうですね…行きましょう」
一瞬の脳内会議で、本日の外食案は全会一致で可決。
続いて、雰囲気のいいレストランを脳内検索し始める。
「うむ、ではさっそく行くぞ」
「あ、ちょ…まだお店が決まって…」
「何を言っている、いつもの場所でいいではないか」
「ちょっと…まっ…」
結局、私は抵抗することもできず、ミアハ様に手を引かれて、以前はよく行っていた酒場へ行くことになるのだった。
なし崩しとはいえ、ミアハ様と手を繋いで歩けたのは、ちょっと幸せだったのは内緒だ。
そんなわけで、冒険者通りにある、豊穣の女主人へとやってきたのだ。
「いらっしゃいませ~、あ~ミアハ様とナァーザさん、お久しぶりです」
「久しぶり…2か月ぶりくらいかな?」
「久しぶりだな、シルよ、少し見ない間にまた美しくなったのではないか?」
「やだ、ミアハ様ったら相変わらずですねー、そんなことを言ってると、ナァーザさんに怒られますよ?」
「……」
「何を言っている、思うが儘、真実を言っているだけだ、ナァーザが怒る理由などないではないか」
「あははは…嬉しいですが、ナァーザさんの視線が怖いので、そろそろ席に案内しますね」
若干頬を引き攣らせたシルに案内され、二人用のテーブルにつく。
ミアハ様の、口説いているとしか思えないセリフが、実際にはそんな意図が一切ないというのが本当に性質が悪い。
分かってはいるのだが、知らないうちにシルとミアハ様を睨んでしまっていたらしい。
「どうしたナァーザよ、そのような表情をしていては、美しい顔が台無しだぞ?」
「……」
本当に、この天然ジゴロ神には困ったものである。
言われて喜んでいる私も大概ではあるが。
「あんた達、久しぶりだね」
やってきた食事に舌鼓を打っていると、料理の手が空いたのか、このお店の女将である、ミアさんがやってきた。
その恰幅のいい体を揺らしてやってこられると、なかなかに威圧感が凄い。
なんでも噂では元第1級冒険者だとか…納得である。
「久しぶりだなミアよ」
「お久しぶりです、ミアさん」
挨拶を返す私達をみて、若干眉をしかめるミアさん。
今、私の
「なんだかファミリアの団員がほとんどいなくなっちまったとか噂を聞いたけど、何があったんだい?」
この女将、聞きにくいことを平然と聞いてのける、そこに痺れる、憧れる!
「うむ…私の独断で、少々大きな買い物をして借金を負ってしまってな、それで団員が出て行ってしまったのだ」
まるで大したことではないという風に答えるミアハ様。
おそらく、私が気に病まないようにという配慮なのだろう。
「ふぅん、大きな買い物ね…」
私の右腕を見て呟くミアさん。
長袖に手袋をしてるから、見た目だけじゃわからないはずなんだけど…やっぱり気づいてる?
「それで、あんた達二人で、その借金を返済していけるのかい?」
「一応、まだ1回だけだけど…月々の支払はちゃんとできてる…大丈夫」
「そうかい…もしよければ、私から一つクエストの依頼をしようかと思ったんだが」
ミアさんからの意外すぎる申し出に、半眼だった眼を見開く。
料理に使う食材の調達でも依頼されるのだろうか。
「クエストというと…食材の確保ですか?」
私の質問に、首を振るミアさん。
「近いけど違う、私が頼みたいのは、新しい香辛料の開発さ」
「それにしても、新しい香辛料とは、受けてもよかったのか?」
「大丈夫…香辛料もポーションも作業の方向性は同じ…成せば成る」
ぐっと拳を握って力説する。
実際、この話は割とおいしい話である。
ミアさんはお店で出す新作の料理を作るために、激辛の香辛料を手に入れたいそうだが、市販されているモノでは今一つパンチが足りないらしい。
ならば、新しいものの開発をどこかに依頼しようと考えていたところで、ちょうどよく私達が現れたのだそうだ。
新たな香辛料を開発すれば、豊穣の女主人が主な取引先として、定期的に一定量を買取してくれるとの契約も交わせた。
当然、残った分は他の飲食店に持ち込んでもいいわけで、青の薬舗の売上以外での安定的な収入を得られるのは、極めて大きいと判断したのだ。
「そうか、確かにポーションの新作を作るよりは、簡単であろう」
「うん、《調合》のアビリティがあれば、そんなに難しくないと思う…」
やったことはないけど、まぁ、きっと大丈夫だよ、うん…時には楽観的な考えも大事なのだ。
そう思っていた時期が、私にもありました。
「なんだい、これじゃそこらで売ってるやつの方がよっぽど辛いよ」
没
「エグ味が出てるね、これじゃ使い物にならないよ」
没
「もうちょっと香りを強くできないかい?」
没
「む、難しい…」
試作品を何度もミアさんのところへ持っていくが、没の嵐。
ポーションより簡単とか言ってすみませんでした。
都合7回目の試作品、今度こそいけると思う。
辛味は極上、試しにほんのちょっぴり舐めてみたら、あまりの辛さに悲鳴を上げて、口を押えながら床を転がりまわった挙句、悲鳴を聞きつけて飛んできたミアハ様に介抱されるという醜態を晒したほどだ。
香りも強い、匂いを嗅ぐだけで涙が出そうである。
私が
「………」
「………」
香辛料を試食するミアさんをジッーと見つめる。
今回こそ合格して下さいという、お祈りの意味もあるけど、それ以上に「なんでこの人、あれを舐めて平然としてるんだろう」という疑問の意味が強い。
私は本気で火を吐きそうになったのに…
あれかな、《対異常》のアビリティもってると辛さにも強くなるの?
毒みたいな料理食べても平気だったりするんだろうか。
まぁそんなギャグみたいな料理、作る人も食べる人もいないだろうけど。
「うん、文句なし、これを注文させてもらうよ」
「ほ、ほんとに?」
「あぁ、これが私の求めていたものさ、これがあればあの料理が作れる!」
「……」
どんな料理なのか、とても興味がある、食べたくはないけど。
「それじゃこの香辛料…どの程度を納品すればいいですか?」
「そうだね、まずは毎月3kgずつ頼むよ」
「3kg!?」
この激辛パウダーを1か月で3kg…いったい何に使うつもりなのか…
「まずはそんなもんだろう、人気次第じゃ追加発注させてもらうよ」
「追加…」
完全に理解の外である、料理の世界は奥が深い。
「あと、この香辛料はなんて名前にするんだい?いつまでも『この』とか『あの』って呼び方は面倒だよ」
「名前ですか…」
正直考えていなかった、でもまぁ、つけるならこれしかないかな、という名前がすぐに浮かぶ。
「火を噴くほど辛いので…『フレイムパウダー』というのはどうでしょう」
例のフレイムパウダーを使った料理、豊穣の女主人での隠れた人気メニューとなりつつあるそうだ、どういうことなの。
まぁ通が好んで食べているというよりは、無謀なチャレンジャーが挑戦して撃沈しているというのが多いそうだが。
その陰には、『あんな辛いのを食べきっちゃう男の人ってかっこいいですよね♪』というシルの
男って本当に馬鹿である(ミアハ様は除く)。
すぐに誰も頼まなくなるんじゃないかと思ってたけど、案外定期的に頼む人もいるらしい。
一度、フレイムパウダーを納品しに行った際に、食べていくかと聞かれたが、全力でお断りしておいた、命は惜しいのだ。
《フレイムパウダー》
素材
ヒートペッパー
カエン草の種
レッドオニオン
レッドホットチリペッパー
スパイシーハーブ
借金残額9900万ヴァリス
ナァーザさんが段々と、薬師ではなく便利屋になってきた