【子蜘蛛シリーズ2】Deadly dinner   作:餡子郎

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No.034/ハロー、モンスターズ

 一方、その頃。

 

「クーロちゃーん」

「何だ」

 

 既に呼び名を改めさせることを諦めたらしいクロロが、固い声で返事をする。そしてアケミはいくつかの薄い冊子──パンフレットを彼の前に示した。

「こっちなんだけどね、やっぱり子供部屋は二階に作った方が良くない?」

「何を言っている。どうせバタバタ走り回るに決まってるんだ、一階にしておけ」

「えーでも子供部屋っていったら二階でしょー?」

「どこから来る発想なんだ、それは」

 アケミが持っているのは、新築の住宅パンフレットだった。白い壁に青い屋根、内装を撮った写真類にはこまごまと付箋が貼られ、何やらメモがびっしりついている。

 

「おい、ちゃんと和室は作ったんだろうな?」

「まかせてノブくん。タタミと板敷き両方完備よ」

「わかってんじゃねーか」

 ビッと親指を立てたアケミに、ノブナガが満足げに頷く。

「まったく、お前の要望のせいでわざわざジャポンからタタミを取り寄せるはめになった」

「何だよ団長、マチだって賛成してたじゃねーか」

「そうよ、いいじゃないタタミ。あの匂い好きよ私。癒し空間よね」

「おい、何だってんだこれ」

 そう言ったのは、部屋に入ってきていたフィンクスだ。手には大量の、やはり住宅パンフを抱えている。クロロから「今から言う住宅展示場を回って片っ端からパンフを集めて来い」という意味不明の指令を果たしてきた彼は、部屋に散乱するこれまた大量のパンフと、パソコンからプリントアウトした様々な紙類、更には今クロロが広げている古書の山という光景に、訝しげに無い眉を顰めた。

「家でも建てるつもりかよ」

「そうよフィンちゃん」

「フィンちゃん呼ぶな!」

「えー、ヤンキーの呼び名っていったらちゃん付け系が基本じゃなーい?」

「何の基本だよ!!」

 具現化が可能になってから会話も出来るようになったとはいうものの、娘を遥かに上回るマイペースっぷりのアケミに、フィンクスは未だ慣れることが出来ていない。

 

「フィンちゃんも希望があれば言ってね。できるだけ意見は取り入れたいわ」

「無視か。人の話聞けやこの幽霊女テメー」

「アケミ、こいつはジャージ一枚あればいいジャージ隊だ。気にしなくていいぞ」

「何だジャージ隊って! 変なグループ作んな団長、ってか誰だ隊員!」

「生きているからラッキーよね」

「意味が分からねえ!」

 のらりくらりとしたクロロとアケミに、ビキビキと青筋を立てたフィンクスが怒鳴る。アケミが具現化できるようになってからというもの、この調子で、不本意にも彼の突っ込みスキルは上昇の一途を辿っていた。

「あ、でもフィンちゃん」

「ア゛ァ!?」

「アタシの“家”でまたあの缶詰爆発させるような真似したら、ほんと全力で祟るから。眉毛以外の毛も失いたくなかったら覚えといてちょうだいね」

「お前マジで悪霊だなオイ、ゴラ」

 精神的には既に祟られ放題な気分だ、とフィンクスは本気で思う。実体を持たないだけに殴り掛かることも出来ないのが最大のストレスだ。

「……アケミ」

「なーにクロちゃん」

「その場合だな、こう、逆に……、眉毛を、生やす……というのはどうだろうか?」

「はっ……!」

「アンタは本当に他人の嫌がることを考える力は天下一品だなコラ団長ォオ! ……テメーも「名案……!」みてーな顔してんじゃねえよ馬鹿幽霊!」

 かなりマジ顔でやりとりする二人に、フィンクスの血管はぶち切れる寸前である。

 

「ねーアケミー、LANも使えるように出来ないの? できれば無線と有線両方あるとベストなんだけど」

「あ、そうねー、ネット出来ないとシャルくんが仕事できないものね。う~ん、やってみるわ」

「よろしくー」

 凄まじい速さでタイピングを続けながら言ったシャルナークの要望にアケミは頷き、パンフの端に何やらメモをとった。

「でもシャルくんにはほんとお世話になっちゃってるわよね~、アタシもあの子も」

「ほんとだよ、マジで人使い荒いよね。団長が」

「フン」

 クロロが鼻を鳴らした。

「それで、また見つけたからフェイタンに盗ってきて貰おうと思ったんだけど、なんか連絡着かないんだよね。どこ行ったんだろ?」

 シロノの武器に関してはフェイお兄ちゃんの管轄なのにさ、とシャルナークが言うと、アケミがパソコンの画面を覗き込みながら言った。

「あー、拷問室作るの断ったら怒って出て行っちゃったのよね、フェイくん」

「なるほどね、だから機嫌悪かったんだ。しょーがないな」

 シズクあたりに頼んでみよっと、とシャルナークは携帯を操作する。

「さっ、あの子も頑張って修行してるんだから、アタシも頑張らないとね!」

 パン! とアケミは胸の前で手を打つと、また住宅パンフレットを漁り始める。時々クロロとああでもないこうでもないと言いあいながら、彼女は着実にプランを整えているようだった。

 

「……つーか、マジで家建てんのか……?」

 トイレはウォシュレットにすべきかどうかについて真剣に論争している幽霊と自分のリーダーを見て、フィンクスは人生二度目の「幻影旅団って何する集団だっけ」という心境に陥る。

「ねえシャルくん、床暖房って夏はどうなのかしらね?」

「床冷房になるのかな。調べてみるね」

 ──なんかもうどうでもいい。

 散乱する住宅パンフの山を見て、フィンクスは多大な疲労感とともに遠い目をした。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

 プルル、と部屋の電話が鳴る音で目覚めたシロノは、棺桶の蓋を蹴り飛ばして起き上がると、目を擦りつつ歩き、受話器を取った。

「ふわ、……あいー、幻え……じゃなかったシロノでーす」

《……お前、こんな時間に寝てんの?》

「ありゃ、キルア?」

 聞き覚えのある、呆れたような声に、シロノはまだ眠い目をぱちぱちさせた。ちなみに今は夕方4時、シロノにしては早起きな時間帯だ。

「電話してくんの珍しーね。どしたの」

《……話あんだけど。今からいいか?》

「話? 電話じゃダメなの?」

 シロノは首を傾げるが、できれば会って話したい、というキルアに、よく分からないながらも了承した。

「でもあたしも修行のノルマあるからさ、それやりながらでもいい?」

《やりながら、って……いいのか?》

「いいよ」

 欠伸を噛み殺しながら、シロノは言った。

「でも、おなかだけは空かせてきてね」

 

 

 

「……これは、ホンッットーに、修行なのか?」

「ホンッットーに、修行だよ」

 かなり疑わしげに確認してくるキルアに、いいかげんしつこいよ、とシロノもまた顔を顰めつつ返す。

「というかなんで自分らも呼ばれてるんスか……」

 ズシが気まずそうに言う。その隣には、笑ってはいるが微妙な汗を浮かべたゴン。彼らは修行のあとキルアに引っ張られてここに来たのだが、シロノとの待ち合わせだとは知らなかったようだ。

 

「でもオレたちにはいい息抜きになったじゃん、ゴハンも美味しかったし。シロノ、また腕上げてるね」

「確かに、むちゃくちゃ美味しかったっす……」

「そお? ありがとー」

 ゴンとズシ、二人の褒め言葉に、シロノはにっこり笑う。

 シロノの修行は、まずメンチの所で下ごしらえプラス約20人前のフルコースを仕上げた後料理人たちの賄いを作るところから始まり──キルアたちもご相伴に預かった──、そのあとテーブルに着いて作ったフルコースをメンチの厳しいマナーチェックのもと平らげ、それが終われば町の食器専門の通りに出てアンティーク系の製品をチェック、というものだった。四大行などの基礎練は部屋に帰ってからするのだと言い張っているが、どう見ても料理人修行と行儀作法手習いを行なっているようにしか見えない。

「じゃ、今度はあたしの息抜きね!」

「その前に今日のどこで息詰めてたのかまず教えてくれよ」

 

 ぶつくさ言うキルアを既に無視し、シロノはずんずん歩いていく。そしてシロノが向かったのは、天空闘技場に入っている巨大なシネマコンプレックスの入場口だった。昼間ならまだしも夜だけあってカップルまみれのその場所に、まずズシが怯む。

「……だからお二人で行けばいいじゃないっすか! 自分、無粋なマネはしたくないっす!」

「いちいちそういう勘違いしやがるから連れてきたんだろーが!」

「もー、何なの。別にどーでもいいじゃん。気にしすぎだよ、ねーゴン」

「うーん」

 言いあうズシとキルアに呆れた風なシロノが、ゴンに同意を求める。

「……シロノさんって結構気にしない人っすか?」

 遠慮がちにズシが呟くと、シロノは不思議そうな顔をした。

「誰かと二人っきりで出掛けるぐらいよくあることじゃん。なんでいちいち気にすんの? あたしパパともお兄ちゃんたちともよく二人でどっか行くし、シルバおじさんとパーティー同伴したこともあるし、ハンター試験の時だってイルミちゃんと手繋いで七時間ぐらい歩き回ってたよ」

「え」

 キルアが目を見開いた。動揺とショックが入り交じった顔である。

 

「……キルアさん」

「……何だよ」

「レベルが違いすぎるっす……」

「……うるせえ」

 ズシの台詞に、キルアはぼそりと覇気のない返事をした。

「で、どれ観るの?」

 電光掲示板にずらりと表示された上映中のタイトルを指して、ゴンが三人に聞いた。メガプレックス数個分のスクリーンを有する巨大シネコンだけあって、その数も半端ない。まず何が上映されているのかを把握するだけでも一苦労だ。

「あたしここにあるのは全部観たから、選んでいいよ」

「全部っすか!?」

 驚くズシに、うん、とシロノは頷いた。ヒソカと遊び回っていたとき、ここらの映画は片っ端から観尽くしてしまっていたのだ。

「つってもオレも結構観たやつばっかなんだけど」

「そうなの? オレ映画って全然観ないからどれが面白そうかもよく分かんないよ」

 こちらはインドア系シティーボーイとアウトドア系健康優良児である。じゃあキルアがオススメ選んでよ、というゴンに、キルアは上映ラインナップを見渡した。

 そしてキルアは、一枚のフライヤーに目を止めた。彼は顎に手を当て、考え込むようにじっとそれを眺めたあと、三人に言う。

 

「おい、これ観ようぜ」

 

 

 

 一体全体キルアは何を考えているのだろうか、とズシはげんなりと思った。

 

 

 ──A census taker once tried to test me.

 ──I ate his liver with some fava beans and a nice Chianti.

   (昔、国勢調査官が私を検証しようとした時、私は彼の肝臓を、ソラマメと一緒に食ってやった。

    キャンティのつまみにね)

 

 

 ガラス張りの牢に入った男が、優雅にも見えるような笑みで静かに言う。

 こういった映画があまり得意ではないズシは、目の前の巨大なスクリーンで展開されるストーリーにびくびくしながら、女の子と観るにはこれはちょっと向かない映画なんじゃないだろうか、とちらりと隣を伺った。

 座席の順は、左端にズシ、次にシロノ、キルア、右端にゴンだ。スリラー&ホラー映画として至高の名作と言われるこの映画は、元医者の食人鬼と女性捜査官のやりとりを描き、サスペンス的心理描写の巧みさも素晴らしいものであるのだが、グロテスクなシーンもやはり少なくない。しかし隣のシートに座っているシロノは、ズシとは比べ物にならないくらい平然と画面を見つめ、あろうことかぱりぱりとポップコーンを口に放り込んでいた。

(……こういうのヘーキなんスね、シロノさん……)

 ズシがちょっと泣きたくなったその時、彼はシロノを挟んで向こうにいるキルアがシロノを見ていることに気付き、慌てて目線を前に戻した。

 

「……シロノ」

「んー?」

 極限まで顰めた音量でのキルアの呼びかけに、相変わらずぱりぱりポップコーンを食べながら、シロノは小さく返事をした。

「お前、大丈夫なのかよ」

「なにが?」

「……俺が刺したとこだよ。……もしかして後遺症かなんか」

「えー? まだ気にしてたの? ないっつったじゃん」

 ポップコーンを咀嚼する軽い音とともに、シロノはキルアを見ないまま言った。あまりにあっけない返事に、キルアの眉間に皺が寄る。

「だってお前カストロ戦の時、具合悪そうだったじゃねーか」

「あー、あれ。あれはまた別」

 何でもないよ、とシロノはまたポップコーンをひとつ口に放り込み、飲み込むと、ふと言った。

「キルアは律儀だね。もういいよ、そんなこと気にしなくて」

 キルアの脳裏には、石床の上に横たわった小さい身体から驚くほど大量に流れ出していく真っ赤な血の光景や、指先に残る不自然に千切れた欠片、シロノの心臓の欠片が爪の先に引っかかっていたあの感触が未だ残っている。

 それを「そんなこと」と言い切るシロノに、キルアの表情がまた険しくなった。

 

「……お前は、オレが、……ヒソカとは違う、って言ったよな」

 シロノは返事をせず、じっとスクリーンに見入っている。キルアは、そんな横顔を見ながら、絞り出すような声で続けた。

「確かに、そうかもしれない。オレはヒソカの野郎が何考えてんだかわかんねー。……この間のカストロ戦で、そう思った」

 

 

 ──You don't want he inside your head.

 ──Just do your job but never forget what he is.

   (彼を理解したいなどと考えるな。ただ任務を行え。決して彼がなんであるか忘れるな)

 

 ──And what is that?

   (では、彼は何ですか)

 

 ──Oh, he's a monster, a pure psychopath.

   (おお、彼は怪物だ。正真正銘の、純粋なる異常者だ)

 

 

「……でも、お前は、わかるんだよな」

 キルアは、シロノのことを、ゴンのようだと思っていた。キルアがずっと抱いていた淀んだものを、まるで何でもない事のように、あっけらかんとした言葉と態度で崩していく。周りがたとえ闇であっても、おかまい無しにただ輝く星のように。

 そしてシロノが、キルアを見た。薄い灰色の目が光っているのを見て、キルアは思わずびくりと肩を震わせる。キルアと似た色のストレートの髪が、映画から反射した光で輝いていた。しかしその目はといえば、映画の光とは関係なく、ただ闇の中できらりと光っている。星のように輝く目、それはキルアの抱いていたシロノのイメージどおりのものであるはずなのに、キルアはありえない不気味なものを見ているような気がした。

 

「わかるよ」

 

 きゅう、とその光る目を細めて、シロノは笑った。

 伏せた睫毛の影の中でさえ尚光るその目を見た時、キルアは背筋に登ってくるものを感じながら、これが星などではないことを悟った。闇の中で輝く星は、太陽の光を反射して輝いている。その輝きには、理由があるのだ。納得できる、常識的な理由が。

 だがシロノの目は、闇の中でただ輝いている。それは、ありえない光。理解できない、異常な光だ。

「……なんで、わかる?」

「なんで……?」

 シロノはきょとんとした。どうして今日の天気は雨なのですか、という質問でもされたような顔だった。ただそこにあるだけの事実の意味を問われてもわからない、そんな風な。

 

 

 ──Of each particular thing, What is it in itself? What is its nature?

 ──What does he do, this man you seek?

   (特異なことごとに、尋ねてみるのだ。その中身は何なのか?)

   (その本質とは? 彼は何をするのか、君らが探しているこの男は、何をしている?)

 

 ──He kills woman.

   (女を殺してる)

 

 ──No! That's incidental.

 ──What is the first and principal thing he does,

 ──what need does he serve by killing?

   (違う! それは付随的なものにすぎない)

   (彼がやっていることの本質は何だ? 彼を殺しに駆り立てるものは?)

 

 ──Anger, social resentment, sexual frus...

   (怒りか、社会受容度、性的欲求不満……)

 

 ──No! He covets. That is his nature.

   (違う! 彼を駆り立てるのは、とても強い切望だ、それが本質だ)

 

 

「……オレは」

 キルアは、どこか悔しげな、苛ついたような、そして何か残念そうな複雑な表情で、奥歯を噛み締めた。

「オレはお前がわかんねーよ」

「だろうね」

 シロノはあっさりと言った。ごく当たり前だというように。しかもそのまま普通に映画を観始めたので、キルアは心底吃驚した。今の会話が、特別なことでも何でもないというのかと。

 キルアはじっとシロノを見つめ続けた。睨んでいるようにも見えるほどの強い視線だ。

 

「──オレと戦え、シロノ」

 

 しばらくの後、キルアはそう言った。そしてさすがにこれには驚いたのか、シロノがもう一度彼に振り向く。そのことに、キルアは少しだけホッとした。

「ゴンとヒソカの対戦のあとの時間枠、7月10日。その日にオレと戦えよ、シロノ」

 シロノは目を見開いたまま、数秒じっとしていた。目が、星のように光っている。

 そしてキルアは、その目を真正面からじっと見つめ、シロノの答えを待った。

 

 

 ──People will say we're in love.

   (人は、私たちが恋をしていると思うだろう)

 

 

 立体サラウンドから、壮麗なクラシックが流れた。変奏アリアは優雅でありながらどこか冷たく、子守歌なのか葬送曲なのか判別がつかない。

 そして、シロノはすぅー……、と一度ゆっくりと息を吸い込むと、笑みを浮かべて、言った。

 

「──いいよ」

 

 

 ──I'm having an old friend for dinner.

   (これから、古い友人“を”夕食に)

 

 

 うっとりと、心酔するような表情だった。

 

 

 

++++++++++++++++++++++++++++

 

 

 

 そして決戦前夜、7月9日。

 ウイングの宿にやって来たゴンとキルアは、一人ずつ修行の成果を彼に見せた。ゴンのグラスはテーブルからも落ちるほどに溢れ、キルアのグラスの水は蜂蜜のように甘くなっている。成果は上々、たいしたものだとウイングは呟き、そして言った。

 

「2人とも、今日で卒業です。そしてゴン君、裏ハンター試験合格! おめでとう!」

 

 え、とゴンが声を漏らす。

 実際にハンターとして活動していくために絶対に必要な“念”の技、しかし絶対に軽々しく一般にその存在を知らせてはならないそれを正しく会得できるか、その試験が今回の出会いであり修行であったのだ、とウイングは説明した。

 最初から自分たちに“念”は教えるつもりだったのか、とキルアは気が抜けたのと騙されて悔しいのとが混ざった複雑な気持ちで口を尖らせる。ウイングは更に、心源流拳法の師範がハンター協会会長のネテロであること、そして二人のことはあの老人から色々と聞いているということを話した。

「キルア君、ぜひもう一度試験を受けて下さい」

 君なら次は必ず受かります、と、ウイングは穏やかながらも強く勧める様子で言った。

「今の君には十分資格がありますよ。私が保証します」

「…………ま、気が向いたらね」

 資格、という言葉に、キルアは少し照れの浮かんだ表情で答えた。

 そして、頭の隅で思う。ハンターになるために生まれてきたようなゴン、その彼と同じものになる資格がお前にはある、と自分はいま太鼓判を押された。……ならば、あいつはどうなのだろうか、と。

「シロノは来年受けるのかなあ」

 心の中を読まれたような気がして、キルアはびくっとしながらも、そう言ったゴンを見た。

 

「……どうでしょうね。彼女は始めから念が使えますから、表の試験にさえ受かればいいということになりますが」

「あれだけ料理が上手いんだから、美食ハンターになればいいのに」

「自分もそう思うっす」

 ゴンとズシが言いあっているのを、キルアは口を挟むことなく眺めた。そしてふと視線をずらすと、ウイングが硬い表情でそれを見ているのに気付き、ぎくりとする。

 そして話題は他の合格者たちの現在の様子についてに流れ、ハンゾーとクラピカが既に念を習得したことなどを知ることが出来た。

 ──しかしウイングは、最後まで、シロノがハンターになることについて、一言も言及することはなかったのだった。

 

 

 

 ウイングとズシは、ゴンとキルアを表の通りまで送った。彼らの姿が見えなくなるまで手を振っていたズシに、ウイングは言う。

「ズシ、あなたはあと4週間同じ修行です」

「押忍……!」

 いつもの返事だが、重く自分に言い聞かせるような色が篭っている。それに気付いたウイングは、笑みを浮かべ、小さな弟子を見遣った。

「自信を持ちなさい。あなたの上達の早さは並じゃない、10万人に一人の才能です」

「押忍!」

「ただ、あの2人が1000万人に一人の才能を持っていたというだけです」

(なぐさめになってないっス…………)

 しかし、謙虚という希有な美徳を強く持つ少年は、押忍! としっかりした返事をした。そしてウイングも、いつか絶対に追いついてみせる、と表情を輝かせるズシに、改めて微笑んだ。彼が持つのは、負けん気の強さと少し離れる穏やかな気質。しかしあの2人と出会ったことで、より上を目指す意思が強まったのは間違いない。

 

「師範代」

「ん?」

「あの2人が1000万人に一人なら、シロノさんはどのくらいっすか?」

 なんといっても6歳っすもんね! と、ズシはやはり妬みのないきらきらした目で言った。

「2000万人とかっすか? もしかして1億?」

「……いえ」

 明るく言うズシに対し、ウイングは神妙な表情になると、夜の闇を遠く見遣った。

「……あの子は、……あれは、そういう次元ではありません」

「……師範代?」

 ズシが、不思議そうに首を傾げている。

 

 ハンター試験の合格者についてネテロから聞いているウイングは、まずゴンと出会い、それから接触をネテロに連絡した時にキルアの事を聞いた。ゴンもキルアも凄まじい才能の持ち主だが、希代の暗殺一家の息子だというキルアの出自に、自分はもしやとんでもない怪物に念を教えてしまったのか、裏ハンター試験の趣旨に反した行いをしてしまったかもしれない、と危惧もした。しかしキルアは正しく力を吸収し、ウイングはその心配が全くの杞憂であったことを確信した。

 だがしかし、本当の化け物は、別に居た。

 ウイングは、ゴンたちが200階に上がったとき、偶然シロノの存在を認識した。あの年齢で“絶”ギリギリで保たれた熟練の“纏”に驚きはしたものの、ギドとの戦いで怪我をしたゴンの所に行って名前を聞いた時、美食ハンターに気に入られている云々の話から、たまたま不得意な課題で落ちてしまったのだろうか、と平和な考えを持った。しかしその後聞いたあまりに早すぎる念経歴は、シロノがただ者ではないことを知らせるのに充分過ぎた。

 

 そしてネテロに連絡した際にもたらされた情報は驚くべきもので、彼は背筋に登って来る薄ら寒い気配を押さえることが出来なかった。

 邪な密猟者や略奪を目的とする犯罪者を捕らえることは、ハンターの基本活動。だが、シロノの試験申込書の保護者欄に書かれた名前は、ハンターたちのブラックリストの最上位にあるA級首盗賊団・幻影旅団の首領の名前だった。

 ウイングは、見極めようとした。

 蛙の子は蛙とは言うが、10歳以下で既に四大行はおろか“流”や“硬”の組み手が出来ていたというクロロ・ルシルフル、彼の率いる幻影旅団は、既に3ケタをゆうに越える人間を惨殺し、何百億Jという略奪を行なっている。

 化け物という名が相応しい男、その娘もまた化け物であるのか、否か。

 それは、怪物はいつから怪物なのか、そんな疑問の答えを見つけることとも等しいようにウイングには感じられた。人間である以上、産み落とした者が居て、育んだ者が居る。それでもなお、化け物は化け物でしかないのだろうか? 彼らは最初から、10万人に一人や1000万人に一人とも数えることのできない、世界から切り離されたところにある存在で、わかりあえない、理解できない存在なのだろうか?

 

「……ズシ。私はね」

 ウイングは、静かに言った。

 魔女や吸血鬼伝承のもとになった存在・アンデッド。不可思議なその存在はかつて化け物と見なされ徹底的に迫害を受け、多くのロマシャが焼き殺されたという。今ではその迫害が理不尽で根拠のないものであったとされ、ロマシャの血を引く人たちは、各地の自治区で保護されている。……だがウイングは、知ってしまった。アンデッドの少女が、本当に化け物であるのか。

 

「……あなたが決して彼女のようでないことを、幸せに思いますよ」

 

 

 

 

 

《──この結果、ヒソカ選手は10勝を達成しフロアマスターへの挑戦権を獲得しました! 健闘したゴン選手も次はがんばってもらいたいですね!》

「良かったね、ヒーちゃん」

 

 そして、7月10日。

 ゴンとの戦いを終え、上機嫌で廊下を歩いていたヒソカに、シロノはそう声をかけた。“絶”を極限まで行なっているせいで、ヒソカは声をかけられるまで、シロノがそこに居たことに気付かなかった。

「うん、今までにない収穫の予感だよ♥」

 打撲と汚れの目立つ顔をしたヒソカは、それでも笑顔である。未だ興奮気味でオーラが押さえきれていない所からするに、相当楽しかったようだ。それはもう、シロノが極限までの“絶”を行なって嗅覚をオフにしていないと、側にも寄れない位に。カストロとの試合のときとは雲泥の差である。

 

「次はキミの番だね♦」

「ん~、緊張するなあ」

 ぐり、と肩を回し、シロノは言った。本当に緊張しているらしく、表情がやや硬い。

「大丈夫♥ 今のキミならきっと上手くやれるさ♣」

「……ありがと」

 シロノは奇術師を見上げ、軽く笑顔を浮かべてみせた。

《では次の対戦です! キルア選手 VS シロノ選手!》

「じゃ、交代だ♦」

「ん」

 シロノは頷くと、向けられたヒソカの手の平にタッチして、彼の横を通り過ぎた。パン! といういい音が、打ちっぱなしのコンクリートの壁に反響する。

 そしてヒソカは小さな手の衝撃を受けた手をそのまま挙げ、振り向かないまま呟いた。

 

「──Have a good time, little lady♥」




 
作中の映画は、食人スリラーとして名高い『羊たちの沈黙』。台詞も実際のものですが、役名はsheとかheとかyouとかに変えてます。あと日本語訳は字幕を基本にしつつちょこっと意訳とかも混ぜて。
全文転載は違法ですが、多少の台詞の引用は法律違反にはあたらないと調べた上で使用しております。

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