【子蜘蛛シリーズ2】Deadly dinner   作:餡子郎

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No.024/お兄ちゃんといっしょ

 

 

 

 ワーワーと凄まじい歓声が響く中、しかめっ面でぶつぶつと本を読みながら、少女がリングに向かって歩いていく。

「シロノ選手。武器……ではないようですが、それは置いて頂けますか」

「あ、ごめんなさい」

 パンチマークがついた服を着た審判に注意され、シロノは素直に『世界名作全集』の第二巻をそっと置いてから、リングに登った。

「……ま、無駄だけど」

「は?」

 ぼそりと呟いたシロノに審判がきょとんとした顔をする。そしてその時実況席から、マイクのノイズが聞こえた。

 

《──2345番◯◯選手、棄権! 2856番シロノ選手、不戦勝!》

 

 そのアナウンスが響いた途端、観客席から凄まじいブーイングが沸き起こる。しかしシロノはけろりとした様子で本を拾い上げると、小走りにリングを降りた。

《どうしたことでしょう! シロノ選手の不戦勝はこれで四度目となりますが──》

「フェイ兄ー、ごはん食べに行こー」

 ざわめきの中、シロノは怠そうに観客席に座っていた保護者に声をかけた。

 

 

 

 腹拵えをして来い、というクロロの言葉はすなわち、シロノの身の丈に合うオーラを天空闘技場にて充分蓄えて来い、という提案だった。

 格闘のメッカと呼ばれる天空闘技場は、主に小遣い稼ぎのプロ・アマハンターたちが集結している。しかし逆を言えば、所詮金目宛て程度の人間しか集まって来ない場所でもあるので、例えば旅団の人間たちが参加すれば、さほど苦労もせずフロアマスターになることができるだろう。

 つまり、刺激の少ないものから徐々に慣らしていけ、ということで、クロロは天空闘技場行きを勧めたのだった。

 シロノは「二日酔いと感想文から逃れられる!」と諸手を上げて喜んだが、さあ行って来いとパクノダが用意してくれた荷物にしっかりと世界名作全集全二十巻が含まれ、おまけに「天空闘技場滞在中に全て読了すること」という課題を抜かりなく頂いてしまった。スキップせんばかりだったシロノの歩調が、一気にとぼとぼとしたものになったのは言うまでもない。

 

「楽に過ごせると思うないね……覚悟するよ」

「……はい」

 

 そして天空闘技場に来るにあたって、シロノのお目付役、兼滞在中のコーチとして同行することになったのがフェイタンだった。

 “かわいい子には旅をさせろ”どころか本気で殺す気で谷底に突き落とすような今までの教育風景からすると、保護者同伴というのはかなり過保護な対応だ。しかし実際につい最近本気で死にかけた上、オーラが少なく、またアンデッドとしての新しい能力が安定していないシロノをひとりで修行させるのは一応不安だ、ということからの提案でもあるのだが、単にフェイタンがハンター試験でのシロノの失態にかなり怒っていて、鍛え直す気満々だから、でもある。

 そして彼は、猫のように脱力して無駄かつささやかな抵抗を示すシロノの襟首を引っぱって、天空闘技場に同行してきた。

「200階クラスで試合中に相手からオーラ奪えるようになるまで、適当に勝ち負け調整するね。その間徹底的に鍛え直すよ」

 つまりは念抜きでの基礎の体術指南、格闘訓練から、ということだ。

 フェイタンは小柄な容貌もあって一目ではそうと見えないが、強化系のフィンクスと手合わせをして同等の結果を出せる、かなりの肉体派である。そしてその強さの秘訣は、類い稀なる格闘テクニックによるものだ。さらに、いつも手にしている仕込み傘の剣に始まり、あらゆる暗器類の扱いにも精通している。

 読書感想文に加え、フェイタンのシゴキという地獄の日々が始まることを確信したシロノは、刑務所に入れられる囚人のように重苦しい気持ちで、天に向かってそびえ建つ天空闘技場に向かう。

 

 背後に立つフェイタンに殺気マンマンの目つきで睨まれながら半泣きでエントリーシートを書くシロノに、窓口のお姉さんが心配そうな目を向けていた。

 

 

 

 シロノは、一回戦を楽にクリアした。

 念使いでもなければ一般基準での格闘家としても二流以下の連中が相手なのだから当たり前だが、『世界名作全集』をしかめっ面でぶつぶつ読みながら、目もあわさず片手間に対戦相手を吹っ飛ばす少女は、ショーとしてもかなり見物だとして人気を博した。──100階までは。

 順調に勝ち進んできたシロノだったが、100階を境に個室が与えられることもあり、ここを境に選手の雰囲気もガラリと変わってくるので、シロノも本片手にというわけにはいかなくなる。

 そしてここは天空闘技場、対戦は全て“勝負”ではなく“試合”なのだ。殴る蹴るをしているうちにポイント取得で試合終了となってしまい、勝ちはしても噛み付くことが出来ないまま終わってしまうことが数試合、どうにかして噛み付こうともたもたしているうちにポイントを取られて負けてしまうのが数試合。

 おまけに、こういう場所での、しかもこのレベルでの猛者となると、ビジュアル的に傾向が似通って来る所がある。無駄に男臭い、いやいっそ雄臭い彼らに噛み付くのにどうしても躊躇してしまうのは仕方ないだろう、とシロノは思うのだが、もたもたと100階から上がっては落ちるシロノの体たらくと反比例して、フェイタンのこめかみの青筋は順調に増えていった。

 

 ──そして現在、ここは選手の控え室。

 

「いい加減にするね」

 ぎろり、と切れ長の目を更に細めて睨んでくるフェイタンに、シロノは身を竦ませた。

 立っているフェイタンに対し、シロノは彼の目前に正座。

 シロノは確かに恐れ戦いているようではあるが、ばつが悪そうな彼女だけを観察すれば、それは一般家庭の少女が兄に雷を食らっている、その程度のものに見える。しかしそれはシロノの生来ののんきな性格に加え、幼児の頃から旅団の中で育ち、団員たちに何かと細々と怒られ慣れているからこその反応である。フェイタンが感情のままに控え室に充満させている殺気に、周囲の人間はそれどころではない。しかも殺気が凄まじすぎて、ほとんどの人間の足が竦み、控え室から出ることも出来なくなっていた。……いい迷惑である。

「だってフェイ兄」

「ワタシに口答えするとは良い度胸ね。剥ぐよ」

 剥ぐ場所を限定されないのが余計に怖い。フェイタンの殺気、もとい不機嫌オーラが更に増幅し、シロノはひぃと小さく声を上げて縮こまる。

 

「オーラがないと何もかも始まらないね。だからとりあえずささと手当たり次第食い漁れ言てるのに。何のためにここ来たかわかてるのか」

「だってあれ、あきらかに一週間はお風呂に入ってないし! オーラもまずそうで」

「選り好みできる立場か。いい加減にしないと死のうがどうなろうが、ワタシのオーラ無理矢理口から突込むよ」

 じろりと睨まれながら脅されて、シロノは、ブンブンと激しく首を振った。

「……ゴメン」

「何? 聞こえないね」

「ぎゃあ! あいだだだだだゴメンごめんなさいフェイ兄踏まないで」

 ガンッと頭を踏みつけられて床に強制的に頭突き、もとい土下座状態になったシロノは、後頭部にかかるフェイタンの靴裏の圧力に、額で“硬”をすることで耐えた。そして周囲は、控え室のド真ん中で少女の頭を絶対零度の目で踏みつける小柄な男、という年齢制限がいるような光景に絶句するのみである。

(なんちゅうドSな兄貴だよ)

(気の毒な……)

 歳が離れていれば尚更、兄というものは多少なりとも妹に甘いものなのではないか、と、天空闘技場にやって来ている猛者たちでさえ、踏みつけられているシロノに同情を抱いた。

 二人の顔立ちなどは似ていないが、シロノがフェイタンを兄と呼んでいること、そしてシロノがフェイタンの服についているドクロマークと同じワンポイントのついたチャイナ服を纏っていることから、周囲の者は彼らを兄妹、もしくは同門の兄妹弟子、あるいはそのまま師弟関係か何かなのだろうと認識していた。

 

「でもしょうがないでしょー! 試合なんだから、」

「は? オマエ馬鹿か」

「へあ?」

 強い踏みつけのせいで床で鼻が潰れているシロノは、妙な声で返事をする。するとフェイタンは、器用にもシロノの頭を踏みつけたまま、すっとしゃがみ込んだ。

 そして白い髪の間から覗く耳をわざわざ軟骨部分に爪を立てて引っぱられ、シロノは「あだだだ!」と再度悲鳴を上げる。

「自分が何だか忘れたか? ワタシたち盗賊。欲しいものは奪い取るね」

「……あ、そっか」

「本当にオマエは馬鹿ね。脳ミソだけ腐りぱなしでないか? 頭にもオーラ送れ」

 フェイタンはそう言うと、もう一度キリキリと爪を立てて耳を引っぱり、その耳元でぼそりと、しかし鼓膜に染み付くような声で呟いた。

「今度同じことしたら、耳から熱湯流し込むよ」

(怖ァ!)

 フェイタンの発言に、シロノよりも周囲の者たちの方が竦み上がる。想像したのか、呻き声を上げながら耳を抑えている者が数名いた。

 

「やめてよ! そんなことしたら耳ダメになるじゃん!」

「はははは、そうしたらオーラ食わせて回復させてやるね。半永久的に楽しめるよ」

「楽しいのはフェイ兄だけだよ! ぎゃあああ頭潰れる! つぶれるー!」

 何やらノッてきたのか、にやりと目を細めて笑いつつ全体重プラス念を込めて踏みつけを強くするフェイタンに、シロノはまたも悲鳴を上げるのであった。

 

 

 

 ──ここで、冒頭に戻る。

 

「そうだよねー、とりあえずは別に試合にこだわらなくたっていいんだよね」

 自分としたことが失念していた、と思い直してからというもの、シロノにとっての試合と観戦は、良さそうなオーラを持った選手を選別するカタログ、もしくは食事のメニューとなり果てた。

 つまり、ともかく早々にオーラを蓄える必要にかられたシロノがとった行動が、『闇討ちでオーラを頂く』ということだった。

 ポイントがどうのこうのと考える必要なく、部屋でリラックスしているターゲットの背後に“絶”を使って忍び寄るのは、驚くほど簡単だった。そしてシロノはほぼ片っ端から美味そうなオーラの持ち主を闇討ちし、一気にオーラを食い溜めていく。

 

 だがしかし、未だ、ただスタートラインに立っただけである。

 やっと修行が始められるとあって、フェイタンは性懲りもなく愚図って脱力で抵抗を試みるシロノを、一番広い鍛錬用の体育館まで引きずってきた。

 天空闘技場は各種施設が充実しており、体育館のような広いトレーニングルームももちろん設置してある。フェイタンはゆったりした造りの上着を脱いで軽装になると、“絶”状態を保つように指示した。

「基本的に全身“絶”の通常組み手。けど要所要所で“硬”の打撃混ぜていくから、攻防力も見極めてガードするよ」

「うえええええ!? もっと優しくしてよう」

「やる前に教えてやてる、充分優しいね」

 僅かでもオーラ配分を少なく見積もってしまったら重症、それ以前にオーラ込みの攻撃をガード出来なかったら死ぬかもしれない組み手のどこが優しいのだ、とシロノがむちゃくちゃ異議のある顔をしていると、フェイタンは珍しく、とても機嫌良さそうににこりと微笑んで、言った。

「死ぬ怪我でも死なないのがオマエのいいトコロよ」

 しかしサドっ気全開の彼の笑みは、ひたすら薄ら寒いだけだ。彼の目は確かに心から笑っているが、それは獲物を前にした捕食者のそれであり、吊り上がった唇の隙間からちらりと舌が覗いたのを、シロノは見た。

 

 そしてフェイタンによる修行は、この組み手だけではなかった。

 シロノは夜起きて昼間寝る生活が基本となっているが、フェイタンも似たようなもので、天空闘技場滞在中はさらにシロノに合わせた生活を送っている。これだけ聞けば熱心に訓練に協力してやっているいい兄貴分なのだが、フェイタンがやる気を出す、イコール危険度うなぎ登りという公式が既に常識であることを、シロノは知っている。

 そして案の定、シロノは大変にデンジャーで気の抜けないフェイタンとの二人暮らしを満喫するはめになった。

 格闘のメッカ天空闘技場に師匠と弟子で足を運ぶのはさほど珍しいことではないが、師匠が選手登録をしていない場合、その個室はもちろん用意されない。同伴者は選手としての弟子の部屋に共に寝泊まりするか、もしくは天空闘技場の外に宿を取るかのどちらかだ。そして同伴者のフェイタンは、前者だった。ただ混みやすい天空闘技場周辺の宿を取るのが面倒だったというのもあるかもしれないが、最大の理由はそれではない。

 

 まず寝る時、外出時は持参している棺桶で眠るのが常なシロノだが、フェイタンは、あえてベッドで寝るようにシロノに命令した。

 与えられている個室は嵌め殺しの窓に遮光カーテンがついていたため、ベッドで寝ても支障はない。そしてベッドはシングルが一つしかないので、二人ともが寝たい時はお互いが勝手にベッドに潜り込んでいる。二人とも小柄なのでサイズ的にはさほど問題はないのだが、シロノのほうは問題大有りだった。

 

 お兄ちゃんと一緒に寝るなんて恥ずかしい、などという可愛らしい理由など、決して1ミクロンもありはしない。──フェイタンが闇討ちをかけて来るのである。

 

 物理的に距離があれば闇討ちにもそれなりに対処が出来るが、同じベッド、零距離で闇討ちを受ける恐怖はかなりのものだ。最初の頃はフェイタンが一緒にベッドに入っている時は恐怖で一睡も出来なかったし、実際に二度ほどザックリ刺され、殺人事件後そのものの血塗れのベッドは、宿泊施設のリネン係を恐怖に陥れた。

 ちなみに、いくらか慣れてきた頃に逆襲してやろうとフェイタンの寝込みを襲い、しかしあっさり反撃を食らったのも一度や二度の話ではない。

 怪我をしてもオーラさえ充分であればたちまち回復するアンデッドの体質を見越して、フェイタンはほとんど容赦というものがなかった。刺す、殴り潰す、骨を折るなどは既にデフォルトというそれで、──フェイタンは異様に機嫌が良かった。

 

「もう治たか。いいことね、次々いくよ」

 

 薄ら寒い笑顔でそう言い、嬉々としてどこから出したものやら拷問具を取り出している。

 さすがのシロノも顔を引きつらせて、必死にならざるを得なかった。オーラが充分であれば刺されようが内臓が破裂するまで殴られようが死なないし、連日のこの暮らしぶりのおかげでアンデッドとしての肉体操作のレベルが上がり、「痛覚を鈍くする」ということまで行なえるようになってはいたが、オーラが充分でなければ普通に死ぬのだ。

 フェイタンは「死なないように準備しておくのが当たり前」というスタンスなので、オーラが充分でなければ手加減してもらえるだろう、という甘えは一切通用しなかった。

 一度「今オーラないから休ませろ」と言ってもみたのだが、にやりと笑って「甘えるな」のひとこととともにナイフを振りかざしてきた彼から本気で逃げて以来、シロノは常にオーラを充分に保つよう、選手たちから必死になってオーラを摂取し溜め込んでいる。

 

 こうしてシロノが100階~190階を意図的にウロウロしている間、首に噛まれたような傷を残して自室で気絶、もしくはシロノが加減を間違えたばかりに死んだ選手が相次いだため、天空闘技場は騒然となった。

 そして当初は騒がれるだけだったのだが、しかし、シロノがオーラを貯めこむに必死なあまりに次の対戦相手までうっかり闇討ちしてしまうことが数度あったため、「同行している兄貴の方が妹のために闇討ちを行なっている」という噂まで流れた。

 しかしシロノに対するフェイタンのDVどころかもはや立派に拷問、いや殺人未遂の域に入ったドSっぷりに加え、トレーニングルームで行なわれている彼らの組み手のレベルの高さ、そして何より190階までに留まるため適当に負ける様子から、フェイタンがシロノ可愛さに暗躍したり、シロノが弱いために卑怯な手を使って上に上がろうとしている、という説の信憑性は皆無だと見なされ、結局「シロノと当たる選手は呪われる」というようなあやふやな噂だけが残ったのだった。

 

 

 

 


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