〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第8話

「…………」

「えと……、まぁ、仕方ないよ」

 

 あれからバニラは、あれこれと手段を変えながらアルに空を飛ぶ方法を教えた。バニラの後ろにアルを乗せて一緒に飛んでみたり、魔力を感じ取れるようにと手を繋いで自分のそれを流し込んでみたりもした。

 そしてその特訓は、太陽が空を紅く染めながら地平線へとぶつかろうとするまで続けられた。

 しかしその甲斐も無く、アルは空を飛ぶどころか、地面からほんの僅か浮き上がることすらできなかった。

 その結果にバニラは歯を食いしばって俯き、アルは苦笑いを浮かべながら彼女を慰めていた。本来なら反応は逆なのではないかと思わなくもないが、仕方のないことだった。

 バニラにとっては、それだけ悔しいことなのだから。

 

「…………」

「ほ、ほら……、やっぱりわたしには無理なんだよ」

「……無理なんかじゃない」

「バニラ……」

「無理なんかじゃない。絶対に、努力すれば飛べるようになるんだよ……。だって……、そうじゃなきゃ……、そうじゃなきゃ……」

 

 とうとう、バニラの目から涙が1筋流れ落ちた。ぷるぷると体を震わせて、真っ赤になるまで拳を握りしめてている。

 バニラのそんな姿を見て、アルは腕を組むとしばらくの間何かを考え込むように目をつぶった。

 やがて目を開けると、

 

「じゃあさ、また教えてよ」

「――へ?」

 

 不抜けた声と共に、バニラが咄嗟に顔を上げた。泣くのを堪えていたためか、目が真っ赤に充血している。

 

「今は無理でも、いつかできるようになるかもしれないでしょ? だからそのときまで、バニラがわたしの先生になってよ」

「わ、私が……?」

「うん! それで、空を自由に飛べるようになったら、今度は魔術を教えてよ! そうだな、何か見た感じ格好良いから、火の魔術とかが良いかな?」

「い、良いの? 私が教えて……。だって私――」

「良いに決まってんじゃん!」

 

 バニラが何かを言いかけたが、それはアルの言葉に遮られた。というより、その言葉を聞いたバニラが思わず呑み込んでしまった。

 

「だってバニラ、ずっと真剣になってわたしに教えてくれたでしょ? 結局飛べなかったけど、バニラは最後まで諦めないでくれたもん。だから、バニラが良いの」

「――うん、分かった」

 

 バニラはポロポロと涙を零して、何回も力強く頷いた。今回の涙は、けっして先程のような悲しいものではなかった。

 そんな2人に、女性の声が届く。

 

「まったく、待ってろって言ったのに、なんでこんなところにいるのよ。あちこち捜し回っちゃったじゃないの」

 

 突然の声に、バニラは驚いたように辺りを見遣り、アルは待ちくたびれたように声のした方へと目をやった。

 2人に声を掛けたのは、クルスだった。

 アルから少し遅れて、バニラも彼女の存在に気づいた。その瞬間、彼女は顔を真っ赤にして、ゴシゴシと目元を袖で拭った。そんな彼女の反応に、クルスは思わず口元を綻ばせた。

 そのとき、アルが呆れたように溜息をついた。

 

「そんなこと言って、さっきからわたし達のことを遠くから見てたでしょ?」

「ふふ、さすがにばれてたかしら?」

「ばればれだよ。いくら遠くにいるからって、2人共全然隠れる気が無いんだもん。誰だって分かるよ」

「うーん、そうかしらね……。――ねぇ、あなたはどうだった?」

 

 クルスがバニラに話を振ると、バニラはビクンッ! と体を震わせて、

 

「え、えっと! わ、私は全然気づきませんでした!」

「だそうよ、アル?」

「バニラは一生懸命わたしに箒の乗り方を教えてたから気づかなかっただけだよ。普段の状態だったら、絶対気づいてるって」

「ア、アルちゃん、私、本当に気づかなかったから――」

「あら、あなた、アルに教えてくれてたの?」

 

 クルスはそう言って、バニラに柔らかな笑みを向けた。さっきまで見てたんだからわざわざ訊かなくても分かるでしょ、とアルは再び溜息をついた。

 しかし純粋な笑顔を向けられることに慣れてないバニラには、そんなことに気づく余裕など無い。顔を真っ赤にして「は、はい、そうです!」と答えるだけで精一杯だった。

 

「そう。それで、上手くいった?」

「い、いえ……。ごめんなさい……」

「……そう。ありがとね」

 

 クルスはバニラの頭に手を置き、優しく撫でた。突然のことに驚いたバニラは、体をがちがちに硬直させながらそれを受けた。

 バニラの初々しい反応に、クルスは再び笑みを綻ばせた。しかしすぐに口元を固く引き結ぶと、アルへと視線を向けて、

 

「ほらアル、行くわよ」

「はいはい」

「返事は1回」

「はーい」

「伸ばさない」

 

 そんな会話を交わしながら、クルスとアルは並んで校舎へと歩いていく。

 そんな二人の後ろ姿を見つめながら、

 

「……なんか、親子みたい」

 バニラはぽつりと呟いた。

 

 

 *         *         *

 

 

「それにしても、その学園長もよく許したよね。わたしみたいなどこの誰とも分からない人間を、自分の学院の生徒にするなんて」

「まぁ、事情を話したらあっさり許してくれたわよ。学院長は心の広い人だから。誰かさんとは違って」

「あー……、その“誰かさん”が誰なのか、何となく分かる気がする」

 

 そんな会話を交わしながら、2人は本棟から少し離れた場所に建てられた“教師寮”の玄関を潜った。学院の紋章が床にでかでかとあしらわれた大広間が出迎えた。床には大理石が使われており、アルの顔をうっすらと映すほどにピカピカに磨かれている。

 前へと顔を向けると、赤い絨毯を敷きつめた、大人3人が手を広げてもまだ余るほどに幅の広い階段が鎮座していた。その先を目で追いながら上へと顔を向けると、大広間は吹き抜けとなっており、遙か遠くの天井には煌びやかなシャンデリアが吊られているのがぼんやりと見える。

 

「ほえぇ……」

 

 あまりの豪華さに、アルは天井を見上げたままぽかんと口を開けていた。

 

「どうしたの? 早く来ないと置いてくわよ?」

 

 その言葉にはっと我に返ったアルは、階段を昇りかけていたクルスのもとへと駆けていった。クルスはくすりと笑みを零し、その足を進めた。

 階段を昇っていく途中、生徒と思われる少年や少女と何人か擦れ違った。皆がクルスに会釈をした後、彼女の後ろをついていくアルを怪訝そうな表情で盗み見ていた。

 3階まで上がったところで、2人は左に曲がって廊下を進んでいった。そしてしばらく進んで、ふいにクルスが立ち止まった。物珍しげにあちこちに目をやっていたアルだったが、それに気づいて停止したことで、クルスの背中に激突する事態は避けられた。

 2人の目の前には1つのドアがあり、そのドアには2つの札が掲げられていた。

 ドアの横に取りつけられた1つ目の札には、『クルス=マンチェスタ』と書かれていた。つまりそれは、ここが彼女の部屋であることを表している。

 しかしアルはそれよりも、その下に貼られてある別の札の方が気になっていた。

 そこには、『雷・戦闘』と書かれていた。

 

「“戦闘”? 何これ? “雷”ってのは、魔術の種類だっていうのは何となく分かるけど」

「ああ、それね。“戦闘”っていうのは、専攻のことなの」

「専攻?」

「この学院では3年生になるとき、自分の能力や進路に合わせて、何を専攻していくかを決めるの。“戦闘”もその中の1つで、軍や警察に入るための実戦的な戦闘訓練を勉強していくわ。そして私は、そんな彼らに雷系統の魔術を教えているってわけ」

「ふぅん。だからクルスは、あんなに強かったんだ」

「……私としては、あなたの強さの方が不思議だけどね。――さぁ、どうぞ」

 

 クルスはドアの取っ手に手を掛けて少し開けると、空いている手でアルを中へと促した。それに従って、アルが中へと入っていく。それは図らずも、お金持ちのお嬢様と執事のようだった。

 

「おおっ!」

 

 部屋の中を見て、アルは感嘆の声をあげた。

 1人用にしてはかなり広いその部屋には、2人は余裕で寝られる大きなベッド、机と椅子、本棚、洋服箪笥、直角に折れたソファー、そして夕日が差し込む大きな窓――

 それはアルがほとんど諦めかけていた、人間が生活するための空間だった。

 キラキラと目を輝かせるアルを、クルスは微笑みながら暖かい目で眺めていた。

 

「1人用の部屋だけど、2人で住む分には問題無いわよね。急だったからベッドは1つしか無いけど、そのうち持ってくるわ。私は別に一緒に寝るんでも構わないけど」

「…………」

 

 アルからの返事は無かった。

 クルスが訝しげにアルの顔を覗き込むと、彼女は先程までとは打って変わって、心ここにあらずといった表情でベッドを眺めていた。

 そんなアルの肩に、クルスは優しく手を置いた。

 

「この部屋が、これからのあなたの家よ。いきなりのことで遠慮する気持ちも分かるけど、そんなことは気にしないで――」

「わぁ、凄い! ふかふかのベッドだぁ!」

 

 アルはいきなりそう叫ぶと、クルスの手をはね除けるようにしてベッドへと駆けていった。そして、その勢いのままベッドへと跳び込んだ。

 ベッドはぼすんと彼女の体を受け止めるとずぶずぶと沈み込み、沈んだ分だけぼよんと跳ね返した。彼女の体は一瞬だけ宙に浮き、今度は沈むことなくベッドに受け止められた。

 彼女はそれを、キャッキャッと騒ぎながら楽しんでいた。

 

「……アルの場合は、ちょっと遠慮するくらいがちょうど良いかしらね」

 

 それを見て、クルスは呆れたように呟いた。しかしあまりにも楽しそうなアルに怒る気も失せ、ただ苦笑いを浮かべるだけだった。

 

「あ、そうだ」

 

 ふと、クルスは何かを思い出したかのようにそう言うと、本棚へと歩いていった。そしてその扉を開けると、中から本を次々と取り出し、胸に抱えて積み重ねていく。

 一方アルはクルスの行動に気づく様子も無く、相変わらずベッドの感触を全身で楽しんでいた。

 やがて積み重ねられた本の数が10冊以上にもなり、その高さがクルスの頭を完全に追い越した頃、彼女は本の塔となったそれをベッドへと持っていき、

 ぼすんっ。

 

「うわっ!」

 

 アルのすぐ傍に置いた。その重さでベッドは沈み込み、バランスを崩したアルがそちらへと転がった。その拍子に本の塔はバランスを失い、ばさばさと崩れて本の丘となった。

 アルは慌てて飛び起きると、ここに来てようやく本の丘に目をやった。

 

「……何これ?」

 

 途端、アルが顔をしかめた。

 

「何って、本だけど」

「それは分かってるよ。何の本なの?」

「2年生までに使う教科書と、それに関連した資料集と問題集。あとは、分からない語句を調べるための辞書」

「……で、これを今からどうするの?」

「あなたが本当にどんな魔術も使えないのか、これから1つ1つ調べていこうかと思って」

「……別に全部調べなくても良いんじゃないの? ほら、基礎的な魔術だけ調べるとかさ」

「駄目よ、どこに解決の糸口があるか分からないじゃないの」

 

 クルスはそう言って、満面の笑みを見せた。見る者を惚れ惚れさせるような素晴らしい笑顔だったが、アルにはそれが、拒否という選択肢を選ばせないよう威圧しているように見えて仕方がなかった。

 アルはしばらく視線をあちこちにうろうろさせていたが、やがてはっとしたようにクルスの方を向くと、

 

「あ、そうだ! まだ夕飯がまだだったよね! それを食べてからでも遅くはない――」

「ふふ、大丈夫よ。アルがそう言うと思って、私達の夕飯はここに持ってきてもらうように、すでに頼んでおいたわ」

 

 そう言って、クルスはさらに笑みを深くした。

 アルはとうとう、がっくりと肩を落として顔を俯かせた。


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