〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第73話

 特進クラスの試合が行われた午前中は、広場だけでなく本棟の屋上にも人が詰め掛けるほどの大盛況だった試合会場も、午後の普通クラスの番になると嘘だったかのように閑散としていた。よほどの物好きか、あるいは暇を持て余しているような生徒が数人ほどちらほら居るだけで、広場のどこからでも会場を隅々まで見渡すことができる。

 広場がそんな調子なので、広場よりも遠い屋上庭園にわざわざ足を運ぶ必要も無い。本来の役目である“生徒や教師にとっての憩いの場”を目的にやって来る者がいても良いだろうに、現在そこは色とりどりの花が風に揺られているだけで実に静かなものである。もちろん、“白の塔”の屋根によじ登る必要もまったく無い。

 とはいえ、庭園に人の姿が皆無というわけではない。

 

「…………」

 

 ただ単に、唯一その場にいた生徒・ヴィナの気配が、常人よりもかなり希薄なだけである。

 胸辺りの高さのある石積みの欄干に腕を乗せているヴィナは、試合会場である広場を無表情で見下ろしていた。先程の自分達のような大規模な魔術が使われることのほとんど無い普通クラスの試合なので、時折聞こえる炎や風の音も彼女に届くまでには大分小さくなっており、静かな庭園の雰囲気を壊すには至っていない。

 

「あれっ、ヴィナさんも来てたんだ」

 

 と、ヴィナの背後から声が聞こえ、彼女はちらりと後ろを振り返った。そしてその人物の顔を確認すると、ほんの少しだけ眉を寄せて目を細めた。

 そこにいたのは、ルークだった。

 

「どう? 試合はもう始まっちゃった?」

「……もうすぐ」

 

 返事は実に素っ気なかったが、ルークは気にしていない様子で彼女の隣に立ち、同じように欄干に体重を預けて広場を見下ろし始めた。ヴィナはそれを数秒ほど見つめていたが、やがてフッと目を逸らして再び広場を眺め始めた。

 そのタイミングで、ルークが口を開いた。

 

「ヴィナさんは、どっちが勝つと思う?」

「アル」

 

 即答だった。

 しかしルークもそれを予測していたのか、特に驚きの表情は見られなかった。

 

「ヴィナさん、バニラさんのことを指導してたんでしょ? その甲斐もあって、クラスメイトを1人倒したって聞いたんだけど」

「アレは向こうが勝手に油断しただけで、言ってみればただの自滅。アルは油断なんてしないから、アルが負けるなんて万に一つも有り得ない」

「へぇ、アルのことを凄く信頼してるんだね」

 

 ルークのその言葉に何か裏があるように感じたのか、ヴィナは今度こそ敵意を露わにした目つきで彼を睨みつけた。しかし彼はそれを怖がることなく、にこりと笑ってそれを受け流した。

 ヴィナは小さく溜息を吐いて彼から視線を逸らすと、再び広場へと視線を落とした。

 

「それに――」

 

 その視線の先には、不安と緊張で顔を強張らせながら広場に座るバニラの姿があった。

 

「あいつはもう、戦えない」

 

 

 *         *         *

 

 

「…………」

 

 クラスメイト達による試合が会場で繰り広げられている中、膝を抱え込んで地面に座りながらそれを眺めるバニラの顔は、いつ倒れてもおかしくないくらいに青ざめていた。表情も不自然に強張っており、よく見たら膝を抱える手も小刻みに震えている。しかもその症状は試験が始まったときから続いており、試験が進むにつれて症状が悪化していくという有様である。

 しかし周りのクラスメイトは、そんな彼女を気にする様子も無かった。いくら救護担当の教師がついているとはいえ、大怪我を負うかもしれない試合を控えて緊張するのはまったく不思議なことではなく、口では調子の良いことを言っているクラスメイト達も例外ではないからである。

 しかし今回のバニラの場合、彼らとは抱えている事情が少し違う。

 

「…………」

 

 バニラがちらりと隣に目を遣ると、同じように膝を抱えて地面に座るアルの姿があった。今までだったらこのような時間でも多少の雑談は交わしていたのだが、今日は行動こそ共にするもののほとんど会話は無く、今も彼女はクラスメイトの試合をほぼ無表情で眺めており、こちらに気配を向ける様子も無い。

 

 ――ひょっとしてアルちゃんも、緊張とか感じてたりするのかな……?

 

 ある意味願望にも似た想いを秘めながら、バニラは今までの彼女の試合を思い起こした。

 

 ――もしかしたらアルちゃんは、試合開始の合図と同時に向かってくるかも……。

 

 真っ先に思い浮かんだのは、第1試合。試合開始と同時にその脚力を活かして相手に特攻を仕掛け、見事に1発で仕留めたときの光景だ。相手を直接殴ったり蹴ったりするしかないアルにとって、遠距離攻撃を可能にする魔術を正面から相手取るのはかなり不利なので、そのような作戦に出るのは必然とも言える。第3試合は相手の作戦を逆手に取る目的で敢えてその場に踏み止まったが、それが無ければおそらく同じように特攻を仕掛けたことだろう。

 しかし第2試合のときは、相手がルールの裏をかく形でゴーレムを地面から出して攻撃を仕掛けたことで、アルの特攻を防ぐことができた。

 

 ――だとしたら、私も今の内に何か仕掛けておく、とか……?

 

 まるで悪魔が耳元で囁いたかのような思い付きに、バニラは会場の真ん中辺りに視線を遣った。会場をぐるりと囲む赤い線と同じもので書かれたのか、短い直線が芝生に覆われた地面にくっきりと刻まれている。そしてそれと同じ直線が、大股で20歩くらいの間隔を空けてもう1本刻まれている。

 そんな2本の直線のちょうど中間辺りで、期末試験を取り仕切る試験官の役目を負うザンガの姿を見つけた。彼は自分の目の前で忙しなく動く2人を難なく捉え、その一挙手一投足を見逃さんと元々鋭い目つきをさらに鋭くしている。

 

「…………」

 

 バニラは口を引き結んで、小さく首を横に振った。これだけの衆人環視(実際には取り囲むほど人はいないが)の中で、誰にもバレずに魔術を使うなんて芸当が自分にできるはずがない。というか単純に、こちらを見透かそうとするかのようなザンガの目が怖かった。

 と、そのとき、まさにそのザンガがふいに口を開いた。

 

「それでは次、バニラとアル」

「――――!」

 

 生徒全員に呼び掛けるような彼の声が聞こえたその瞬間、バニラは全身に雷が走ったかのように体をビクンッ! と震わせた。慌てて会場を見渡すと、いつの間に試合が終わったのか、先程まで戦っていたはずの生徒2人の姿がどこにも見当たらなかった。

 バニラはぎこちない動きでその場から立ち上がると、ゆっくりと会場の中心へ向かって歩き出した。広場に座る生徒の横を通り過ぎる度に視線が突き刺さるのを感じるが、バニラは意図的に自分の目指す先に視線を固定させたまま歩き続ける。

 しかし、ふと気になったバニラは、ちらりと隣に目を遣った。

 体1つ分くらい距離を空けて並んで歩くアルは、こちらに視線を向けることもなく正面を見据えたまま歩いていた。その横顔には普段と違った箇所は見受けられず、それこそ今までの試合に臨むときと同じく自然体に見える。

 そのことに何も思わないでもないが、だからこそバニラは自分も平常心でいようと思い至り、歩きながら何回も小さく深呼吸を繰り返した。それで緊張が和らいだかどうかは分からないが、少なくとも気を紛らわせる程度の効果はあった。

 

 赤い線を跨いだ辺りで2人は徐々に互いの間隔を広げ、それぞれのスタート地点へと向かっていく。そこに刻まれた赤色の短い直線を見つめながら、バニラは1歩1歩踏み締めるように歩みを進めていく。

 やがて2人がスタート地点に到着し、互いに向かい合わせになったのを見計らって、ザンガが口を開いた。

 

「改めてルールを確認する。勝利条件は相手を戦闘不能にするか、相手をエリアの外に出すか、あるいは相手が降参を申し出て審判である私がそれを認めたら、の3つだ。私が試合開始の合図を出すまでその場から動かず、呪文の詠唱もするな。合図の前に何かしているのを見つけ次第、即座に失格とするから注意しろ。もし試合中にそれ以上の続行が危険だと私が判断した場合、即座に試合を中止する。――何か質問はあるか?」

 

 ザンガの問い掛けに、アルもバニラも声に出さずに首を横に振って答えた。その間もバニラはアルをじっと見つめるが、その視線から逃げることなくまっすぐこちらを見つめ返す彼女から感情を読み取るのは難しい。

 

 ――だったら、いっそのこと……。

 

 バニラが決意を固め、アルから視線を外して自身の足元辺りに移した、まさにそのとき、

 

「それでは、試合始め!」

「――――!」

 

 ザンガのその呼び掛けと同時に、バニラは杖をポケットから取り出して呪文の詠唱を始めた。それと同時に適切な量の魔力を杖に注ぎ込み、視線を向けている地面にタンポポが咲き乱れる光景をイメージする。ヴィナに見つめられながら何百回と繰り返してきたその行為は、完全に彼女の体に染み付いたと言っても良いかもしれない。

 そして彼女の目論見通り、バニラの正面に半円状の壁を作るような形でタンポポの群生地が出来上がった。フワフワの綿毛が地面を覆い尽し、青々とした芝生が眩しい広場の中でそこだけが雪の積もったように真っ白となる。

 しかし、まだこれで終わりではない。

 バニラはすぐさま別の呪文を唱え、そのタンポポを例の液体状の火薬へと変化させた。芝生がぐっしょりと濡れ、太陽の光に反射してキラキラと輝いているのが分かる。

 

 ――アルちゃんはっ!

 

 そしてそこで初めて、バニラは顔を上げて正面にいるはずのアルへと視線を向けた。

 彼女は、スタート地点からほとんど変わらない場所で、腰を若干落として右足を一歩下げた姿勢でバニラをじっと見つめていた。その表情は真剣なものだったが、相変わらずそこから感情を読み取るのは難しい。

 それを確認したバニラは一回深呼吸をして気分を落ち着かせると、再び呪文を唱えて先程と同じ場所にタンポポを咲かせた。

 

 ――とりあえず、間に合った感じか……。

 

 アルがバニラへの特攻に失敗したから一旦スタート地点に戻ったのか、最初から動かずに様子を窺っていたのか、バニラにはそれすらも分からなかった。とにかく一瞬でも早く今の状況を作りたかったのと、どうせ彼女の特攻に間に合わなかった時点で自分の負けだからと開き直ったため、彼女にまったく意識を向けていなかったのである。

 とにかく、作戦の第一段階は成功した。

 もしアルがそのままタンポポを踏み越えてこちらに来るようだったら、地面を濡らす液体火薬を引火させる。

 そこを避けてジャンプで跳び越えてくるようだったら、地面のタンポポをアルに向けて飛ばし、そのうえで液体火薬に変える。

 背後や横に回り込もうとするようだったら、改めてそこにタンポポの群生地を形成する。

 今のバニラにとっては、これがアルに対しての精一杯の“布陣”だった。

 

 ――アルちゃんは、どうするつもりなんだろう……?

 

 杖を構えたままじっとアルを見つめるバニラに、いつでも走り出せる姿勢でじっとバニラを見つめるアル。

 このままどちらも動かずに、膠着状態が続く――

 

「何してんだよ! 後がつかえてんだから、さっさと終わらせろよ!」

「……ったく」

 

 かと思われたが、ギャラリーの1人から直前の試合までには無かった野次が飛び、バニラは思わず悪態を吐いてそちらへと一瞬視線を向けた。

 その瞬間、アルがこちらへと走り出した。

 

「――――!」

 

 心臓が大きく跳ねて息を呑むバニラだったが、すぐさま気を取り直して杖を彼女に向けた。

 それを見計らっていたかのように、アルが地面を強く蹴って空中へと飛び上がった。綺麗な放物線を描きながら、液体火薬に濡れた地面に咲くタンポポの頭上を跳び越えていく。

 

「まだっ!」

 

 しかしそれは、バニラが想定していた展開の1つだった。そのシミュレーション通りに彼女は杖を振り、魔術で微弱な風を起こしてタンポポの綿毛を舞い上がらせた。

 如何にアルといえども、何も無い空中で方向転換をすることは不可能だ。彼女は足元からこちらに迫ってくるタンポポの綿毛の群れに対し、ちらりと視線を向けるだけで特に抵抗する様子は見せず、彼女の姿は白いモザイクによって隠された。

 そしてそのタイミングで、バニラはその綿毛を液体火薬へと変えた。真っ白なモザイクが赤みがかった透明な液体となったことでアルの姿が露わとなり、それと同時にその液体が彼女の体へと降り掛かった。彼女がタンポポの群生地(だった場所)を越えて地面に降り立ったときには、その特徴的な長い緑色の髪から身に纏う制服に至る全てが、液体を吸いきれずに滴り落ちるほどに濡れそぼっていた。

 しかしアルはそれを気にする素振りも見せず、吸った液体分重くなった制服をものともしない速さでバニラに迫ってきた。

 なのでバニラは杖を向けて呪文を唱え――

 

 

 

 ボロボロに焼け焦げた制服。

 皮膚が剥がれ落ちて赤黒い中身が露出した体。

 ピクリとも動かずに、今にも止まってしまいそうな呼吸。

 

 

 

「――――!」

 

 その瞬間、バニラの脳裏に“あの光景”がフラッシュバックした。

 あと少しで杖の先端に炎が灯るところだったバニラは、アルを目の前にしてその動きを完全に止めた。

 

「…………」

 

 氷系統の魔術でも受けているかのように自分を抱き締めながら青白い顔でガタガタ震えるバニラの姿に、アルはあと数歩で彼女に腕が届く位置にまで近づいてきたところでその足を止めた。

 そしてしばらくそれを眺めていたアルは、バニラに向けて声を投げ掛けた。

 

「ねぇ、バニラ。本当は魔術を使うの、怖いんでしょ?」

「――――!」

 

 アルの言葉に、バニラの肩が跳ね、背筋に寒気が走った。

 バニラが顔を上げると、どこまでもまっすぐなアルの目が飛び込んでくる。

 

「やっぱり。自分の魔術で誰かを傷つけたことなんて、初めてのことだったんでしょ? 何年かに一度、そうやって魔術を使えなくなって退学していく生徒がいるって、クルスに聞いたことがあるんだ」

「…………」

 

 アルが話しているのを、バニラは否定の声をあげることも杖を持つ手に力を籠めることもできずに、ただ聞くことしかできなかった。遠くの方でギャラリーが「さっさと戦えよ!」と野次っている気もしたが、どうでもいいことだった。

 そんな中アルは、にっこりと笑顔を浮かべてこう言い放った。

 

 

 

「良いじゃん別に、学院を辞めちゃえば?」

 

 

 

「えっ――」

 

 アルの言葉が、バニラの心臓に深く突き刺さった。


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