〈暴食〉のアル   作:ゆうと00

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第41話

「ふぅ……、だいたいこんなものかな?」

 

 自室の机に向かって何やら作業をしていたバニラは、全身の疲れを解すように大きく伸びをした。

 机の上には数十枚の小さな紙と、1枚の大きな紙が散らばっていた。それらはすべて、びっしりと細かく文字が書かれていた。

 彼女が今までやっていたのは、昼間に使用人達から聞き出した情報の整理だった。数十人にもなる彼らからの証言は、その情報量は相当なものになる。

 バニラが彼らに訊いたのは主に、事件当日の彼らの仕事内容、怪しい人物を見掛けたかどうか、そして使用人の中で緑魔術を使える人物、そして自分は使えるかどうか、である。本人に魔術を使えるか尋ねたのは、他の人からの情報と照合するためである。もし下手に隠そうとする者がいた場合、そいつはかなり怪しいというわけだ。

 しかし実際は、その目論見は見事に外れてしまった。他の使用人から緑魔術を使えると言われた人達は、皆が正直にそう答えたのである。そして他の使用人から特に名前が挙がらなかった人の中で、緑魔術を使えると答えた人もいなかった。

 さらには使えると答えた者の中でも、合い鍵を作れるほどの技術を持つ者はいなかった。備品を修理する程度のことはできるのだが、非常に精密な技術を必要とする鍵作りは無理なようだ。もちろん、実力をごまかしてる可能性も捨てきれないが。

 

「むぅ……、結局これに関しては分からずじまいか……」

 

 そして怪しい人物については、まるで情報が無かった。ここまでいくと、姿を消す魔術を使ったか、内部の人間だったために誰も気に留めなかったかの2通りしかないだろう。ちなみに夕食前に落ち合ったルークの話によると、生徒の方も似たような結果だったらしい。

 バニラはうんうんと唸りながら、頭をがしがしと掻いた。せっかく風呂上がりで纏まっていた髪が、無造作にあちこち跳ねてしまう。

 

「それにしても、犯人はどうやって“証拠”を手に入れたんだろう? あの2人が手に入れられるとは思えないし。――というか、思いたくないし……」

 

 やはり共犯者がいるのだろうか、とバニラが考えていた、そのとき、

 こんこん。

 

「ん? こんな時間に誰だろ……?」

 

 普通ならば特に疑問を抱くこともなく、友人が尋ねてきたのだと思うのだろうが、生憎バニラにはそんな友人はいなかった。

 

「ひょっとして、ルークくんかな……?」

 

 もしかしたら、事件のことで何か分かったのかもしれない。バニラは逸る気持ちを抑えきれずに、若干駆け足でドアまで近づいていった。

 

「はーい、どちらさ……ま……」

 

 そして勢いよくドアを開けたバニラは、目の前の人物にその表情を曇らせた。

 

「あら、随分と不機嫌じゃない。私があんたの部屋にやって来ることが、そんなに不愉快なのかしら?」

 

 その人物とは、ダイアだった。口ではそんなことを言っているが、バニラの反応は想定内だったのか、にやにやと口元に笑みを浮かべていた。

 

「……別にそんなことはないよ。それで、何の用?」

「あらあら、せっかく私が来てやったんだから、中に入れてくれても良いじゃない」

「……何もおもてなしできないけど、それでも良かったらどうぞ」

「別に構わないわ。最初から期待してないもの」

 

 バニラが道を空けると、ダイアは一切遠慮する様子も無くずかずかと部屋へと入っていき、そのままベッドにぼすんと腰を下ろした。バニラは一瞬眉を寄せたが、すぐに勉強机の椅子を引っ張り出してそれに座った。

 

「……それで、何の用?」

 

 思わず口調が刺々しくなるバニラに、ダイアはフンと鼻で笑うと、

 

「何もそこまで警戒することはないんじゃない? 特にたいした用事でもないわよ。ただあんたと、世間話をしに来ただけ」

「世間話?」

「そう。――あんた今日、授業も出ないで何かこそこそやってるみたいね。しかもあろう事か、ルークくんまで巻き込んで」

 

 その言葉に、びくん! とバニラの肩が跳ねた。それが何よりの肯定だったからか、ダイアの目つきが途端に鋭くなる。

 バニラが何か言おうと口を開きかけたが、ダイアが再び喋りだしたことで遮られた。

 

「他の奴らが噂してたわよ。あんた、あの乞食の冤罪を晴らすとか言って、色んな人達に聞き込みをしているそうじゃない。やめなさいよ、そんなみっともない刑事の真似事みたいなことするのは。仕事の邪魔になってるのが分からないの?」

「……た、確かに迷惑かもしれないけど、私はただアルちゃんを助けたくてやってるだけで――」

「犯人なんて、あの乞食に決まってるじゃないの。証拠だって出てるんでしょ? 1人で勝手に現実逃避をするならまだしも、そんなことにルークくんを巻き込まないでほしいわ」

 

 呆れたように溜息を吐くダイアの決めつけに、バニラは思わずカッとなった。

 

「現実逃避なんかじゃないよ! 絶対にアルちゃんはやってないもん!」

「はいはい。まぁ、あんたにとってはせっかくできた唯一の友人だものね、手放したくない気持ちも分からなくはないわ。でもそんなことにルークくんを巻き込むのは、今すぐにでもやめなさい。ルークくんはああ見えてお人好しだから何も言わないんでしょうけど、内心迷惑に思ってるに違いないんだから」

「……別に、巻き込んだわけじゃないよ。ルークくんの方から、真犯人捜しに協力するって言ってくれたんだもん」

「――はぁ?」

 

 その瞬間、ダイアの目つきがより一層鋭くなった。しかしバニラは今度は怖じ気づくことなく、まっすぐ彼女を見据えたまま口を開く。

 

「ルークくんだって、アルちゃんが犯人じゃないって思ってるよ。だからルークくんは私を手伝ってくれてるの。私がむりやり手伝わせてるわけじゃないよ」

「……はんっ! 何を言うかと思えば、そんなわけないじゃないの! とうとう空想と現実の区別もつかなくなったのかしら!」

「本当だよ! 演習のときに自分からメダルを奪い取ったようなアルちゃんが、こんなあっさりと犯行がばれるような手口は使わない、って言ってたもん!」

「……そ、それこそありえないわ! あんた馬鹿じゃないの、そんな冗談を本気で信じてるなんて! あんたは知らないだろうけどね、ルークくんて意外と冗談が好きなのよ! まぁ、ルークくんは私達の学年でトップの成績だからね、あんたが勘違いするのも分かるわ!」

 

 ダイアはそう捲し立ててベッドから立ち上がると、ずんずんとバニラに詰め寄ってきた。彼女の様子にバニラも変に思ったのか、徐々に戸惑いの表情を浮かべ始める。

 

「ど、どうしたの……?」

「第一ルークくんが、そんな奴と関わろうとするわけがないのよ! ルークくんとあいつじゃ、住む世界が全然違うのよ!」

「す、住む世界……?」

 

 ダイアの迫力に圧倒され、バニラは無意識に椅子から立ち上がり、彼女から逃げるように後ずさっていった。しかし1人部屋の狭い空間では逃げ道など無く、すぐに壁に阻まれて動けなくなる。

 

「そうよ! ルークくんは貴族で、あいつはただの乞食よ! そんな奴がルークくんと関わること自体、そもそもあっちゃいけないことなのよ!」

「な、なんでそうなるの……? “学院の中では普段の身分は関係無い”っていうのが、この学院の決まりでしょ……?」

「はっ! 随分とおめでたい頭をしてるのね! さすが貴族様、下々のことなんか目にも入りませんってことかしら!」

 

 ダイアは唾を飛ばしながら、なおもバニラに躙り寄った。怒ったように顔を真っ赤に染めているが、その目には涙が浮かんでいるようにも見える。

 

「どうせあんたがルークくんと話せるのだって、あんたが貴族だからに決まってるわ! そうじゃなかったら、誰もあんたみたいな落ちこぼれを気に掛けたりしないんだから!」

「ダ、ダイア……?」

 

 自分の悪口を言われているにも拘わらず、バニラは怒りよりも困惑の方が大きかった。理論がめちゃくちゃなのもそうだが、こんなに余裕の無い彼女は初めて見るからである。

 

「私の方が成績も良いし、魔術の腕も段違いじゃない! それなのに、なんで私じゃなくてあんたなのよ! ふざけんじゃないわよ!」

「そ、そんなの……、別に私は――」

「うるさい!」

 

 バニラの言葉も聞かずに、というより聞きたくないと言わんばかりに、ダイアは胸ポケットから杖を取り出してバニラに向けた。

 すると杖の先端から、まるで彼女の今の感情を表すかのような暴風が巻き起こった。それはバニラの体を吹き飛ばし、思いっきり壁に叩きつけた。

 

「痛っ――!」

「はぁ……、はぁ……」

 

 苦痛に顔を歪めて床に這い蹲るバニラを、ダイアは大きく息を荒げて見下ろしていた。

 しばらくそのままだった彼女だが、ふいに「ふんっ」と顔ごと目を逸らすと、ドカドカと足音を鳴らして部屋を出ていった。

 

「……何なの、急に……」

 

 バニラは、ただ困惑するしかなかった。

 

 

 *         *         *

 

 

「まったく、本当に胸糞悪いわ……」

 

 ダイアは刺すような威圧感を振りまきながら、廊下を大股でずんずん歩いていた。その不穏な雰囲気に擦れ違う使用人が怖々と彼女を見ていたが、本人は周りを見る余裕が無いのかそれに気がついていなかった。

 

「だいたい、ルークくんもルークくんよ。なんであんな乞食なんかと……。しかもよりによって、バニラなんかと一緒に……。本当、ふざけんじゃないわよ……」

 

 まるで呪詛のようにぶつぶつと呟きながら、彼女の足は自然と玄関ホールに向かっていた。無意識に外の空気を吸いたいとでも思ったのだろうか。

 ふとダイアは足を止めると、気分を落ち着かせるようにゆっくり深呼吸をして、顔を真上へと向けた。吹き抜けの行き着く先にある天井で、豪華なシャンデリアが小さく揺れるのが見えた。

 

「……本当に、何なのよ」

 

 ダイアはそれだけ呟くと、大きく溜息をついて視線を下ろした。

 そのとき、階段の裏手で何かが動いているのが見えた。一瞬のことだったので気のせいとも思ったが、何と無しにダイアはそちらへと歩いていく。

 

「……シルバ先生?」

 

 シルバはどこからか持ってきた椅子に座り、分厚い扉をじっと睨みつけていた。彼は一瞬だけダイアに視線を向けるが、すぐに興味を無くしたように元に戻した。

 

「……何してるんですか、シルバ先生?」

「ここを見張っているんだ。万が一にも、奴が逃げ出したら困るからな」

「奴って……。まさか、その部屋にあいつが閉じ込められてるんですか?」

 

 2人の会話には固有名詞が無かったが、シルバが黙って頷いたところを見ると、どうやらそれで通じているようだった。

 

「……なんでこんな所に閉じ込めてるんですか? さっさと警察にでも連れて行ってもらえば良いのに」

「残念ながら、あいつが盗んだ代物の在処がまだ分かっていない。クルス先生が今、それを聞き出しているところだ」

「マンチェスタ先生が!」

 

 ダイアは驚きで目を丸くした。彼女も他の人々と同じように、クルスならば最後までアルの無実を訴えると思っていたからだ。

 

「マンチェスタ先生ですらそうするってことは、盗難事件はあいつが犯人でもう決まりってことですよね?」

「……まぁ、そうなるな」

「だったら早くその在処を聞き出して、さっさとあいつをここから追い出してください!」

 

 ずいっと詰め寄って叫ぶダイアを、シルバは片手を挙げて制した。

 

「まぁ待て、ダイア。何もそんなに焦ることはない。衛兵にしっかり見張らせているから、盗難品が外へ流れる心配も無い。クルス先生があいつの尋問を終えるまで、気長に待っていようではないか」

「何を悠長なことを言ってるんですか! そんなのはどうでも良いから、さっさとあいつを何とかしてください!」

 

 ダイアのどこか切羽詰まったような物言いに、シルバは初めて彼女に視線を向けた。

 

「……どうしたんだ? 普段のおまえは、もっと心に余裕を持った生徒だったはずだが?」

 

 シルバのその言葉に、ダイアは口を閉ざして顔を俯かせた。しばらく床に視線を泳がせていたが、やがてぽつぽつと語り始めた。

 

「……私の家は、貧乏な商家です。その日食べるものを何とかするのが精一杯で、碌に服も買ってもらえませんでした」

「…………」

 

 ダイアの話を、シルバは黙って聞いている。

 

「そんなとき、私の魔力値が普通の人よりも高いのが分かって、もしかしたら魔術師になれるかもしれないってなったとき、家族はみんな喜んでくれたんです。魔術師になればたくさん給料が貰えて、みんなが楽をできるようになるから」

「……成程な」

「この学院には平民のための奨学金制度があるって知って、だから私はここに入りました。周りはほとんど貴族ばかりで、平民出身だからってよく馬鹿にされますけど、将来のために我慢して頑張ってました」

「…………」

「……私がそれだけ辛い想いをしているのに、あいつはマンチェスタ先生にたまたま拾ってもらっただけで……、魔術も碌に使えないくせにこの学院の生徒になって……」

「正確には“正式”ではない。あくまで“生徒と同様”であるし、現時点ではそれですらない」

「でも、ほとんど決定してるんでしょ! 学科の成績は良いし、実技も魔術が使えないのに私達より良い結果を出してるし!」

「…………」

 

 腹の底から絞り出すように放たれた言葉に、シルバは何も返さなかった。

 しかしダイアはそれを気にする様子も無く、顔を俯かせて小刻みに肩を震わせていた。

 その表情には、笑みが浮かんでいた。

 

「でもそれも、これで終わりですよね……。盗難事件なんて起こしちゃ、さすがのあいつもここにはいられませんものね……」

「ダイア、おまえ――」

「シルバ先生、知ってますか?」

 

 シルバの言葉を遮って、ダイアが彼に問い掛けた。

 

「バニラとルークくんが授業をさぼって、何か色々と嗅ぎ回ってますよ? 『あいつの無実を証明するんだ』とか言って」

「……あの2人が? 成程、今日は授業に姿を見せなかったのは、そういうことだったのか……」

「ええ。先生としては、無断で授業を休む生徒を見過ごすわけにはいかないですよね? ――それじゃ、私はこれで失礼します」

 

 ダイアは深くお辞儀をすると、くるりと踵を返してその場を立ち去ろうとする。

 そんな彼女の背中に、シルバが問い掛ける。

 

「ダイア……。おまえが普段からバニラに冷たくあたるのは、たいした魔術の腕も無いくせに、貴族ってだけでこの学院に通えることが我慢できないからか?」

 

 ダイアは首だけを回して、シルバに視線を向けた。僅かに覗くその口元には、にやにやと嫌らしい笑みが浮かんでいる。

 

「わざわざ私に訊かなくても、先生なら分かるんじゃないですか? ――先生だって私と同じ、“平民出身”なんですから」

 

 ダイアはそう言い残すと、今度こそ姿を消した。

 誰もいなくなった玄関ホールにて、シルバはぽつりと呟いた。

 

「まったく……、随分と醜いな」

 

 そのときの彼の口元には、彼女と同じ類の笑みが浮かんでいた。


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