朝食と変わらず豪勢で大量の昼食を摂った後、アル達は次の授業を行うため、学院の敷地内にある広場へとやって来た。
担当教師はセリーヌ=ブラフォードという、少しふくよかな体つきをした中年の女性教師だった。緑魔術の植物系統を得意とする彼女は、誰にでも優しく接する心優しい性格から生徒達に人気がある。
そんな彼女が行う授業の内容は、彼女が作った木製の的を遠距離から魔術で狙う、いわゆる射撃訓練だった。
広場の中央に幾十もの的が横に並んで突き刺さり、大股で20歩くらいの距離を空けて、生徒達が同じように横に並んでいる。
そしてセリーヌの合図と共に、生徒達が一斉に杖を取り出し、的を目掛けて魔術を放ち始めた。
「それっ!」
生徒の1人である少年の杖の先端から、拳大の炎が飛び出した。炎は最初まっすぐに的へ向かっていたが、途中で風に煽られて軌道を逸らし、的の隅っこを微かに焦がすだけに終わった。
その隣の男子生徒は青魔術の水系統が得意らしく、杖の先端から水の雫が勢いよく飛び出した。速さが充分あるため風に煽られることもなく、水は的の中心から少しずれた所を易々と貫いた。
さらに隣の女子生徒は、一回大きく深呼吸をすると、杖を両手で握りしめて呪文を唱えた。すると杖の先端でパリパリと小さく火花が散り、即座にそこから小さな雷が飛び出した。しかし雷は的の僅か手前に着弾して、芝生を引火させてしまった。セリーヌが即座に魔術でそこに水を掛けたため、大事には至らなかった。
そしてさらに隣の男子生徒は、幼児くらいの大きさの岩ゴーレムを生成し、それに的を直接攻撃させた。一見ずるいようにも思えるが、遠距離でゴーレムを操るにはそれなりの技術がいるため、今回は許可されている。
他の生徒達も次々に魔術を発動させ、的を次々と破壊していった。そしてその度に、セリーヌが即座に魔術で的を元の姿に戻していった。
これのおかげで、生徒達は気兼ねなく何度も繰り返して練習できるのである。むしろこのために緑魔術の得意な彼女がついていると言っても良い。
そんな中、他の生徒よりも一際早いペースで的を破壊し続けている生徒がいた。
「――《ウィンディ・シザーズ》」
ダイアだった。風系統の魔術が得意な彼女は、風を読む力に長けていた。彼女が一度ひとたび魔術を放てば、それは風に乗って面白いくらいに的に向かっていき、そして的をばらばらに粉砕していった。
「さすがダイアさん、射撃の腕前はクラスで一番のようですね」
セリーヌの言葉に、ダイアは「ありがとうございます」と丁寧なお辞儀で返した。言葉と行動は謙虚だが、得意気な笑みは隠しきれていない。
ダイアは顔を上げると、ちらりと視線を横にやった。
一番端っこにいる少女の姿を見て、ダイアはふっと鼻で笑った。
* * *
その少女・バニラは、先程から杖を強く握りしめ、何度も呪文を唱えていた。普段使う“タンポポを咲かせる魔術”には攻撃力が無いため、他の攻撃魔術を使っている。
しかしいつまで経っても、魔術は成功しなかった。
赤魔術を唱えても焦げ臭い煙が立ち上るだけだし、青魔術を唱えても肌に微かに感じる程度の微風しか起こらないし、黄魔術を唱えても静電気程度の刺激しか起こらないし、他の緑魔術を唱えても砂がぱらぱらと零れ落ちるだけだった。
「はぁ――はぁ――」
そして魔術が失敗しようと、発動に使われた魔力は容赦無く消耗されていく。一向に成果が表れない現状に、バニラは肉体的なもの以上の疲れを感じていた。
「うーん……、呪文は完璧なんだけどねぇ。どうして失敗するんだろ?」
「……多分、魔力を上手く、操れて、いないんだと、思うよ」
息が上がって途切れ途切れになるバニラの言葉に、隣で彼女の様子を眺めていたアルが首をかしげた。
「魔力を操る? ちゃんと杖に魔力を流し込めば良いんじゃないの?」
「ううん。魔術はただ呪文を唱えて杖に魔力を流せば発動するものじゃないんだよ。それぞれの魔術に合った“魔力の配分”ってのがあって、それが上手く噛み合わないと今みたいに失敗するんだ」
「“魔力の配分”?」
「何だろう……、言葉で説明できない感覚的なものなんだよね……。普通だったら何度も練習していれば、何となく適当な配分が自然と分かっていくんだけど……、なんでか私はいつまで経っても覚えられないんだ」
「ふーん……、何だか魔術って色々と面倒臭いんだね」
バニラの説明に対し、アルは率直な感想を漏らし、
「さすがバニラさん。学科の成績がクラスで1位なだけあって、理論は完璧ですね」
2人の背後でその説明を聞いていたセリーヌは、ニコニコと微笑みを携えてそう声を掛けた。その笑顔には、バニラと接する者がよく浮かべる、相手をとことん見下すような嘲りは含まれていない。少なくとも、表面上は。
「どうにもバニラさんは、実技が上手くいかないようですね。その代わり呪文は完璧なので、発動まではあと1歩といったところでしょうか。頑張って練習すれば、いつか必ず成功しますよ」
「……ありがとう、ございます」
セリーヌの励ましに、バニラはほんの少しだけ表情を暗くして答えた。『努力すればいつか必ず報われる』といった類の言葉は、バニラが今まで散々聞かされてきたものだった。
しかしセリーヌはそれに気づかずに、隣にいるアルへと視線を向ける。
「ところで、アルさん、でしたっけ? あなたは先程から何をさぼっているのですか? お友達を心配するのは結構ですが、今は授業に集中してください」
「ああ、無理無理。だって、魔術使えないもん」
セリーヌの言葉に、アルはあっけらかんと答えた。年上への敬いなど一切感じないその口調に、セリーヌは一瞬顔をしかめるも、すぐに深呼吸をして気を取り直した。
「何を言ってるんですか? 魔術が苦手だからこそ、何度も練習して使えるようにならなければいけないんです。ほら、早く杖を持って練習を――」
「せんせーい! いくら練習しても、そいつは魔術を使えるようにはなりませんよー! だってそいつ、箒すらまともに乗れないんですもん!」
「そうそう! 落ちこぼれのバニラですら、箒には乗れるってのになぁ!」
「本当、なんでこんな奴がここにいるんだろうなぁ! こいつが生徒になれるんなら、平民の赤ん坊でもなれるんじゃねぇの?」
男子生徒の言葉に、周りの生徒達が一斉に笑い出した。普段のセリーヌならば即座に注意が入るのだが、今の彼女はそれどころではなかった。
セリーヌは驚きの表情を浮かべて、アルに顔を向けた。本人が反論もせずに平然とした表情でいるところを見ると、どうやら真実のようだった。
アルが魔術を使えないことは、一応クルスから伝えられてはいた。しかしそれはあくまでも、バニラのようにただ不得手なだけだと思っていた。まさかここまで深刻だったとは思いもしなかったのだろう。
セリーヌはしばらく腕を組んで考え込むと、
「……それならば、何ならできますか?」
「うーん……、あっ! 石を投げるくらいだったらできるよ?」
そしてアルから返ってきたのは、魔術を使う自分達からは考えもつかない、ひどく原始的なものだった。知性の欠片も無いその答えに、周りの生徒達から笑い声が零れる。
「……今日のところは、それで結構です。石は私が用意しましょう」
半ば自棄になったようにセリーヌはそう言うと、呪文を唱えてアルの足元に幾つもの石ころを出現させた。
アルはそれを手に取ると、感触を確かめるように何度も持ち替えた。その石はセリーヌの魔力を変化させて作られたものだが、彼女の確かな技術力によって、本物と区別がつかないほどにしっかりしている。
「うわ、本当にやる気かよ」
「まったく、これだから乞食は野蛮で困る」
生徒達がひそひそとそんなことを話しているのは、当然セリーヌの耳にも届いていた。しかし彼女はそれを止めることもせずに、真剣な表情でアルを見守っていた。
「それじゃ、行きまーす」
ひゅっ! がごんっ!
「――――へ?」
突然の出来事に、セリーヌは思わず変な声をあげてしまった。周りの生徒達も、口をぽかんと開けたまま固まっている。
アルが石を投げた瞬間、的の中心に石と同じ大きさの穴が空いた。文章にするとあまりにも馬鹿馬鹿しくて信じられないが、間違いなく目の前で起こったことだった。
「よし、もう一丁」
そんな周りの様子にも気づかず、アルは別の石を手に取ると、的に向かって投げた。
ひゅっ! がごんっ!
石は恐ろしい速さで宙を飛び、先程よりも少し右に逸れて当たった。木製の的を貫いてもその速度は衰えることなく、石はそのまま向こう側へと飛んでいった。
ひゅっ! がごんっ!
アルが
ひゅっ! がごんっ!
今度は1発目よりも上を貫いた。
ひゅっ! がごんっ!
今度は1発目よりも下を貫き、その瞬間、的を支えていた脚の部分が大きな音をたててへし折れた。的だったものはそのまま吹っ飛び、地面に衝突して粉々に砕け散った。
「うーん、やっぱり一撃で壊せる魔術に比べると、威力が弱いかなぁ……。――ねぇセリーヌ、どうすれば良いと思う?」
ふいにアルに尋ねられ、セリーヌはようやく我に返った。
「え、ええと……、魔術じゃないことについては、答えかねますね……」
「ちぇっ、何だ……」
「……すみません」
不満そうに口を尖らせるアルに、セリーヌは思わず頭を下げてしまった。しかし彼女が顔を上げた頃には、アルはすでに足元の石を拾い、今にも投げそうな姿勢を取っていた。
セリーヌが慌てて呪文を唱えると、根本からぽっきり折れた的だったものは、たちまち修復されて元の姿を取り戻した。
そしてその瞬間、的の中心に再び穴が空いた。
――確かに威力では魔術に劣りますが、速さでは圧倒的に彼女の方が上ですね……。
もしこれを自分に向けられたら、呪文を唱え終わる前に杖を叩き落とされてしまうかもしれない、とセリーヌは考えて身震いした。
ふと彼女は、生徒達がすっかり静かになったことに気づき、周りに視線を向けた。
「けっ! ただ石を投げただけじゃねぇか。見てろよ、あんなのより俺の魔術の方が凄いに決まってんだから」
「俺なんか、一発で的を壊せるんだぜ? あんな何回も当てなきゃ壊せないようじゃ、まだまだだな」
「その代わり、命中率が悪いけどなー」
「うっせぇ、これから良くなるんだよ! ――俺が本気を出せば、百発百中もすぐなんだからな」
彼らはそんな会話を交わしながら、自分の持ち場に戻って射撃練習を再開していた。的に向かって魔術を放ち続けるその表情は、先程よりもどこか真剣に見える。
――成程……。形はどうであれ、確かに彼女は生徒達にとって大きな影響を与えることは間違いありませんね……。
会議室でクルスが言っていたことを思い出し、セリーヌは思わず苦笑いを浮かべた。
* * *
「はぁ……、やっぱり凄いなぁ、アルちゃんは……」
すぐ隣で先程の光景を眺めていたバニラが、誰にも聞こえないほどに小さな声で呟いた。
そして彼女はアルから視線を逸らすと、自分の真正面にある的をじっと見つめた。
その的には、一切の傷が無かった。
「――――」
的に杖を向け、呪文を唱える。
意識を集中させ、慎重に魔力を杖に込める。
杖の先端から飛び出したのは、ほんの少しの砂粒だけだった。砂粒は風に乗って飛んでいき、どこかへと消え去ってしまった。
次に彼女は、アルの足元に積み上げられた石を1つ手に取ると、思いっきり振りかぶってそれを投げた。
普段から碌に運動をしてこなかった彼女の投げた石は、半分も届かずにぼすんと芝生に落下した。
「…………」
ぎりっ、と彼女の奥歯が鳴った。
* * *
太陽が沈み、もうすぐ夕食の時間となる頃。
クルスは食堂へと向かうべく、廊下を颯爽と歩いていた。同じ目的で廊下を歩く生徒も何人かおり、クルスは彼らに挨拶をされる度に、わざわざ立ち止まって挨拶を返していく。
その姿はまさに、生徒に慕われる理想の教師像そのものだ。もっとも、アルが初めてそれを見たときは、何を猫被っているんだ、と笑い転げたそうだが。
――まぁ、私も柄じゃないって自覚してるしね。
何の疑いも無く自分を慕ってくれる生徒の顔を眺めながら、クルスは内心嘲笑っていた。もちろん生徒に対してではなく、自分に対してである。
5人ほどそれを繰り返していると、食堂がすぐそこまで迫ってきた。
と、そのとき、
「マンチェスタ先生!」
背後から、一際大きな声が掛けられた。
クルスが振り返ると、そこにいたのはダイアだった。彼女はここまで走ってきたのか、肩を大きく上下させて息を荒げ、前髪が額に貼りつくほどに汗ばんでいる。
「ダイアさん、どうしたの?」
「……マンチェスタ先生に、訊きたいことがあります」
真剣な表情でそう切り出すダイアに、クルスの顔も自然と引き締まる。
「マンチェスタ先生は、どうして“彼女”をここに連れてきたんですか?」
「…………」
“彼女”というのが誰を指すのか、クルスはわざわざ尋ねなくても分かった。
「……ダイアさんは、今日1日の彼女を見て、何を感じたかしら?」
クルスの質問に、ダイアは顔をしかめて視線を逸らした。口を開きかけては俯く、というのを何回か繰り返して、ようやく彼女は答えた。
「……とても、目立ってました」
「目立ってた? どんな風に?」
「……シルバ先生の授業のときは、意地悪な問題をすらすら解いて……、射撃練習のときは石を投げて的を壊してました……」
「それで、それを見ていた他の生徒はどんな反応だった?」
「……別に、何もありませんでしたよ」
「アルに負けてたまるかって感じに、みんな真剣に練習するようになったんじゃない?」
「――――!」
ダイアの驚きの表情が、何よりも答えを雄弁に物語っていた。
「ダイアさん。最初にアルを見たとき、あなたはどう思った? 正直に言ってくれて構わないわ」
クルスの質問に、ダイアは先程よりも答えづらそうに口を噤んだ。視界にクルスが入らないように視線を床に向けると、やがてぽつぽつと話し始めた。
「……なんで彼女がこんな所にいるんだろう、って思いました。ここには将来魔術師になれるって認められた人しか入れないのに、彼女は碌に箒も乗れないじゃないですか……」
「……ダイアさん、前に私が話したことを憶えてる? 『この世界は魔術の腕ですべてが決まる。たとえ平民出身だろうと、魔術の腕次第では貴族の地位が与えられる』と」
「はい、憶えています」
「でもそれは、逆に言えば“魔術の腕が無ければ、その他の技術がどれだけ凄かろうと社会的地位が認められない”ということよ。それじゃあまりにも、価値観が狭すぎると思わない?」
「でも、それが普通じゃないですか。今の社会が成り立っているのは、魔術のおかげなんですよ?」
その言葉を口にしているときのダイアは、疑問など欠片も感じていないような表情だった。おそらくこの世界に住む大多数の人間に同じ質問をしても、同じような表情で同じような答えが返ってくるだろう。
「確かにその通りよ。でも、私は常々思ってきたの。『魔術だけを重視するばかりに、私達は何か大きなことを見落としているんじゃないか』って」
「……大きなこと?」
首をかしげるダイアに、クルスはフッと笑みを漏らして「それが何なのかは、実は私もよく分かってないんだけどね」と軽くおどけてみせた。
「彼女は確かに魔術を使えないわ。他の人達が呼吸をするようにできる、魔力を操ることすら満足にできない。――それでも彼女は、あの演習で誰よりも多くメダルを集めて、ルークくんとの共闘という形でだけどシルバ先生を退けてみせた」
「…………」
「それに彼女は、私達が使う魔術の新しい可能性も見せてくれた」
「可能性?」
「そう。――ダイアさんは、バニラさんの魔術のことは知ってるかしら?」
「……はい。あの、ただタンポポを咲かせるだけの魔術ですよね? それがどうかしたんですか?」
「これは内緒の話なんだけど、リーゼンド先生が得意な“自分の姿を消す魔術”を破ったのは、実はバニラさんのその魔術なのよ」
「――えぇっ! いったいどうやって!」
ダイアのその反応は、今までで一番大きなものだった。
「それは後で本人にでも訊けば良いとして、それに気づけたのはアルなの。彼女は自分が魔術を使えない分、私達では思いつかない柔軟な発想でそれを補っている」
「…………」
「彼女はいつか必ず、私達にとって大切な何かを見つけ出してくれるわ。そしてそれは結果的に、私達にとっても大きなプラスになる。だから私は学院長に、彼女をみんなと同じ環境に置かせてもらえるように頼んだの。――分かってくれたかしら?」
「…………、はい、分かりました」
言葉とは裏腹に、ダイアは明らかに納得していない表情をしていた。その表情のまま彼女はお辞儀をすると、そのまま食堂へと入っていった。
クルスはその後ろ姿を見送ると、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、すぐには受け入れられないわよね」
おそらく、彼女達は恐れているのだろう。
この世界は魔術によって支えられている。だからこそ、魔術の得意な貴族や魔術師などが、圧倒的な権力や名誉を持つことができるのだ。
そんな彼らにとって、アルのような存在は未知の脅威になりうる。魔術も無しに魔術師を打ちのめす彼女の姿が民衆の目に留まったら、何百年も掛けて築いてきた魔術の権威が崩れかねないのだから。
教師や生徒が彼女を毛嫌いするのは、おそらくそれが理由だろう。もちろん生徒達がそんな理論を理解しているとは思えないが、ひょっとしたらそれを本能で感じ取っているのかもしれない。
「何にせよ、少し注意した方が良いかもしれないわね……」
* * *
こうして、アルの体験入学初日は終わった。
そして次の日、早速事件が起こる。