「…………」
ざわざわと聞こえる生徒達の喧騒を背中に、ルークは1人学院へと歩みを進めていた。その顔には一切の感情が無く、何を考えているのか窺い知ることはできない。
彼が大きく溜息をついたそのとき、
「ル、ルークくん!」
辿々しくも大きな声が背後から掛けられた。ちらり、とそちらへ視線を向ける。
そこにいたのは、長い金髪を大きなリボンで後ろに縛っている少女だった。
「……えっと、ごめん、誰だっけ?」
「あ、ご、ごめんね! いきなり話し掛けちゃって! 私、ダイアっていうんだ! 前に一度だけ話したことがあるんだけど……」
「……そう」
「あ、あはは! そうだよね、憶えてるわけないか! あははは!」
ルークの冷たい返事にも、ダイアは明るい声と満面の笑みで答えた。その頬はほんのりと紅く染められている。
ダイアはひとしきり笑った後、ふいに顔を俯かせた。両手の人差し指を体の前でもじもじと動かしている。
「ル、ルークくん? あ、あのさ……」
「…………」
なかなか話を切り出さないダイアを、ルークはただ黙ってじっと見つめている。とはいえ真剣に耳を傾けているわけではなく、ただ機械的にそうしているだけなのだが、生憎ダイアはそのことには気づいていない。
やがてダイアは決心したように顔を上げると、
「え、えっと……、き、気にしないでね!」
「…………?」
一瞬何のことか分からずに首をかしげるルークだったが、すぐに演習の結果のことを言っているのだと気づいた。
「ほ、ほら! 何か落とすなんて、誰でもやることだしさ! 私なんて、しょっちゅう落とし物をしては、その度に新しいものを買わなきゃいけないからお金が掛かっちゃって!」
「…………」
「だ、だからさ! そ、そんなに気を落とさないでね! ほ、他の人はいろいろ言ってくるかもしれないけど、わ、私はちゃんと分かってるからさ! ルークくん、本当は凄い数のメダルを集めてたんでしょ?」
「…………」
「だって、ルークくんはこの学年で1番の成績だもんね! わ、私も一応最後まで生き残ったけど、結局5枚しか集まらなかったからさ! ははは、情けないよね!」
「…………」
ルークは一向に反応を返さないが、それでもダイアは彼を励まそうと懸命に言葉を並べる。ころころと表情を変えながら必死に言葉を選ぶその様子に、ルークは思わず笑みを浮かべた。
その微笑みが、彼女の頬をますます紅く染め上げる。
「ありがとね、ダイアさん」
「……そ、そんなことないよ! ルークくんのためだもん! これくらい、何てことないよ!」
「ダイアさんの言う通り、僕もそれなりにメダルを集めてたよ。そうだね……、大体40枚以上は集めてたかな……?」
「そ、そうなんだ……、やっぱりルークくんは凄いね!」
ダイアの素直な賞賛に、ルークは静かに首を横に振った。
「いいや、それでもこの演習はメダルを持って帰ることが重要なんだ。いくらメダルを集めてても、それができなきゃ本末転倒だよ」
「そ、それでも、それだけ集められたんだから凄いよ! 私だったら絶対にそんなに集められないもん! たとえ途中で落としちゃったとしても、やっぱりルークくんは凄いんだよ!」
拳を握りしめて力説するダイアに、ルークはまるで他人事のように苦笑を漏らす。
「メダルを落としたんじゃなくて、盗まれたんだとしても……?」
「――――へ?」
ルークの言葉に、今まで凛とした表情で話していたダイアがぽかんと口を開けた。
「あのときマンチェスタ先生は『メダルを落とした』って言ってたけど……、おそらく違う。僕はメダルを落としたんじゃなくて、“盗まれた”んだ」
「だ、誰がそんなことを! ルークくんからメダルを盗むなんて、できるはずが――」
「アルだよ」
「――――!」
ダイアの表情に、驚愕の色が浮かんだ。
「あ、あはははは……、も、もうルークくんたら、冗談きついなぁ! ルークくんがそんなこと言うタイプだとは思わなかったなぁ! あ、でも何かギャップがあって私は良いと思う――」
「いや、冗談じゃないよ。それ以外に考えられない」
笑みを浮かべていたダイアの口元が、不自然に引きつったままぴたりと止まった。
「だ、だって、アルって、あの乞食のことだよね……? ……ねぇ、嘘だよね? ルークくんが、魔術も碌に使えない乞食なんかにメダルを盗まれるわけないもんね? 全部冗談なんでしょ?」
「冗談じゃなく、全部本当のことだよ。何なら後でマンチェスタ先生に、彼女がメダルを何枚集めたのか訊いてみれば良い。多分、恐ろしい結果になってるはずだよ」
「そ、そんな……」
「まったく、彼女の本当の恐ろしさをちゃんと理解していたはずなのに、まさか最後の最後に仕掛けてくるとはね。さすがとしか言い様が無いよ」
「ルークくん……」
「いや、ひょっとしたら、僕は最初から彼女の罠に掛かってたのかもしれないな。本当、僕はとんだ間抜けだな。シルバ先生にあんなことを言っておいて、当の本人は彼女の掌の上で転がされていることにすら気づいていなかったんだから」
「…………」
「それにしても、悔しいな。うん、悔しいよ。こんなに悔しい思いをしたのは、学院に入ってからは初めてだよ。まったく、本当に彼女は面白いな。機会があったら、次こそは目に物見せてやりたいよ」
それはダイアに話し掛けているようで、しかしルークは彼女を見てはいなかった。どこか遠くを見据えながら、普段からは考えられないほどに流暢に話し続けるルークに、彼女は驚きを隠しきれなかった。
しかしそれ以上に、彼女が驚いたことがあった。
それを口にしたときのルークの表情が、その中身とは裏腹に、何も含むところのない柔らかな笑みだったのである。
そんなルークの姿に、ダイアの表情からみるみる笑顔が消えていった。それと反比例するように、目つきが鋭くなっていく。
しかしけっして、ルークを睨みつけているのではない。彼女の視線は自分の背後、多数の生徒達に紛れてきょろきょろと何かを探しているアルに向けられている。
「――乞食のくせに」
ぽつりと呟いた言葉は、最も近くにいたルークにさえ届くことなく消えた。
* * *
「バニラ!」
「――アルちゃん?」
自分を呼ぶ声に気づいたバニラが振り返ると、大きく手を振りながら満面の笑みでこちらへと駆けてくるアルの姿が目に入った。
バニラはそれを見て、ほっと表情を和らげた。
「良かった、アルちゃん! 無事だったんだね!」
「うん、わたしは大丈夫だよ。そっちは大丈夫だったの? 怪我してるようには見えないけど」
「あ、うん、それはさっきシン先生に治してもらったから……」
「へぇ、そっか。シルバが何かバニラを倒したとか言ってたからさ、心配してたんだよ!」
アルがそう言うと、バニラはきょとんと不思議そうな表情を浮かべた。
「へっ? シルバ先生が?」
「うん、そう聞いたけど。……違うの?」
「……うーん、それ多分勘違いじゃないかな? 一応演習のときにシルバ先生に会ったけど、私のことなんかすぐに無視してどっか行っちゃったから」
「……へぇ」
それを聞いて、アルはニタリと笑みを浮かべた。そんな彼女をバニラが首をかしげて眺めていたが、すぐに彼女が元の表情に戻ったので特に気にしないことにした。
「ところでアルちゃん……、今まで見かけなかったってことは、もしかして最後まで残ったの?」
「うん! ばっちり残ったよ!」
ぐっと親指を立てて力強く答えたアルに、バニラは眩しいものを見るように目を細めて笑みを浮かべた。
「へぇ、凄いね! さすがアルちゃん! それで、何枚メダルは集まったの?」
「えっと、クルスの話だと76枚だってさ」
「そっか、ななじゅ――76枚?」
思わず、バニラは訊き返した。
「な、76枚? え、だって、全部で100枚しかないんだよね? その内の76枚ってこと?」
「うん、そうだよ」
「え、な、なんで? なんでそんなに集まるの? だっておかしいじゃない。他のみんなだって集めてるのに」
「え? なんでって言われても――」
あまりにバニラがせがむので、アルは少々面倒臭がりながらも、一から説明することにした。
開始と同時に周りの生徒10人をまとめて倒したこと。門の近くにあったメダルを粗方集め終えると、今度は出会った生徒を片っ端から襲っていったこと。そして最後に、自分と同じくらい集めていたルークの袋をこっそり盗んだこと。ちなみにシルバとの戦闘に関しては、特にメダルとは関係が無かったので全部省いた。
バニラは最初の“生徒10人をまとめて倒す”の段階ですでに頭が混乱しており、最後まで話を聞き終えた頃には、頭から湯気でも出しそうなほどにふらついていた。
「そ、そっか……、さすが、アルちゃんだね……」
「そっかな? まあいいや。――それで、バニラは何枚集めたの?」
「え」
アルに尋ねたのだから当然返ってくるであろう質問なのだが、バニラは途端に体を強張らせてしまった。顔を俯かせ、アルから視線を逸らす。
「あれ、どうしたのバニラ? あ、ひょっとして、最後まで残れなかった?」
「そ、そんなことないよ……。一応、最後まで残ることは、できた、よ……」
「なんだ、良かったじゃん! で、何枚?」
「え、えっと……」
バニラは何度も口をぱくぱくさせて視線を泳がせていたが、やがて大きく溜息をつくと、そっと伺うようにアルを見上げた。
アルはにこにこと無邪気な笑みを浮かべてバニラの答えを待っていた。その表情には当然ながら、バニラを馬鹿にしてやろうといった感情は微塵も感じさせない。
「……ゼ、ゼロ、です……」
「ああ、それじゃルークと同じだね」
あっけらかんとそう言い放つアルに、バニラが慌てて首を横に振った。
「ち、違うよ、全然違う! 同じゼロでも、ルークくんとは全然違うんだよ!」
「最後まで生き残ってて、それで結果がゼロだったんでしょ? 同じじゃん」
「違うよ! ルークくんは凄く頑張ってメダルを集めて、でも最後にアルちゃんに盗られちゃったんでしょ! でも私は違うもん! 最初からメダルを集めようともしないで、ビクビクと隠れてただけで――」
「過程なんか関係無いよ。最後までメダルを守りきれなかったんなら、結局意味なんて無いんだし。それに何だかんだ言って、バニラだって最後まで生き残ったんでしょ? だったら良かったじゃん」
そう言って、アルは笑った。心の底から本気でそう思っていることは、彼女の性格と今の表情を見ればすぐに分かることだった。
しかし、
「――何よ」
「へ?」
俯くバニラの口から出た言葉は、励ましてくれた彼女への礼などではなかった。
「何よ! 何よ何よ何よ! アルちゃんは強いからそんなことが言えるんだよ! 私はアルちゃんみたいに強くないもん! タンポポを生やすことしかできない、まともに戦うこともできない“落ちこぼれ”だもん!」
胸の奥から吐き出すように、バニラはアルに言葉をぶつけた。あまりの剣幕に、アルは呆然と目を見開いて仰け反っている。
「どうせアルちゃんに、私の気持ちなんか分かるわけないんだ!」
最後にそう言い捨てて、バニラはその場を走り去っていった。周りの生徒達が迷惑そうにこちらを見ていたが、バニラもアルも、それに構う気にはなれなかった。
みるみる小さくなっていくバニラの背中を、アルはただじっと見つめるしかなかった。
* * *
もうすぐ太陽が地平線に隠れようかという頃。
場所は、学院の保健室。
4つ横に並ぶベッドの内、最も窓に近いそれにシンは寝転がっていた。白衣に皺が寄るのも気にせずに、窓から差し込む太陽の光を毛布にうとうとと微睡む。
あと少しで夢の世界に旅立とうかというそのとき、がちゃ、とドアの開く音がした。
しかしシンは一切起き上がろうとしない。もしも怪我や病気をした生徒だったら、すぐに起き上がって応対しなければならないはずだ。しかし彼は目を閉じたまま、うたた寝を決め込んでいる。
なぜなら彼には、今部屋に入ってきた人物に心当たりがあるからだ。挨拶も無しにいきなり保健室に入る人物など1人しかいない。ついでに言うならば、その人物が怪我や病気でここに来た試しが無い。
「起きなさい」
その人物はそう言うや否や、ベッドで眠るシンの眉間を何の迷いも無く指で弾いた。びくん! と体を跳ねさせて、シンが起き上がった。
「……クルス、少しはゆっくり寝かせてよ。緑魔術で100枚のメダルを作って、わざわざ演習場に1枚1枚吊したのは誰だと思ってるの?」
「それは昨日のことでしょ? 昨日の疲れは昨日の内に解消するものよ」
額を手で押さえるシンの恨み節を、クルスはむしろ清々しいまでに一蹴した。じっと睨みつける彼の視線などお構いなしに、クルスはそのまま彼の隣にどっかりと座り込んだ。
その右手には、1枚の書類が握られていた。
「結果が出たみたいだね。どうだった?」
「ばっちりよ」
クルスは一言そう答えると、その書類をシンに渡した。彼はそれを受け取ると、そこに書かれた文章を一字一句丁寧に読み込んでいく。
「……まぁ、あれだけの結果を残したんだから実力は確かだけど……。だとしても、まさか学院長が本当に許すとは思わなかったよ」
「とはいっても、本決定ではないらしいけどね」
「そうなの?」
「さすがに前代未聞のことだからね、いくら学院長の決定とはいっても、他の先生達からの反発は大きいでしょうね。だからしばらくの間は“保留”ってことになりそうだわ」
「成程、クルスにとっては不本意な結果ってところかな?」
「そんなことないわよ? だってこれは“偉大な第1歩”なんだから」
「……何だかクルス、楽しそうだね」
「そうかしら?」
惚けたように首をかしげるクルスの口元には、誰が見ても明らかに笑みが浮かんでいた。
彼女がそういった笑みを浮かべたときは、大抵碌なことにならない。それを経験で知っているシンは、一際大きな溜息をついてもう一度書類へと目を通した。
その書類には、学院長専用の判と共に、こんな文章が書かれていた。
『クルス=マンチェスタを保護者代理とし、アルをこの学院の生徒と同様に授業に参加させることを許可する』
第2章 終了