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項羽は川神山に殴り飛ばされてから1時間は経過した。既に九鬼従者部隊に川神山は完全に包囲されていた。
夕乃と絶奈によって大きなダメージを受けているため、未だに万全な状態ではない。四面楚歌な状態だが北の方が手薄なのでどうにか突破して自由になろうと画策する。
「自由か…オレは自由になったらどうするんだ」
覚醒したばかりの彼女ならすぐさま日本を落とすなんて言いながら天下への道のりを辿るだろう。だが今の彼女は覚醒したばかりの時の彼女ではない。
夕乃に物理的にも精神的にも大打撃を受けた状態であるため考えが変わっている。それと考える時間ができたからも大きい。
切っ掛けは百代に殴り飛ばされたのが業腹だが今は考える時間ができて助かっている。だけど今度にでも百代に会ったら仕返しはしようと思う負けず嫌いであった。
「喉が渇いたな」
『はい。水があります。どうぞ』
スイスイ号から冷えた水が入ったペットボトルか排出され、項羽はキャッチする。一気に水を喉に流し込んで渇きを潤す。
ずっと戦っていた肉体にはクールダウンできて良い。そして水を飲むことによってより冷静になっていく。
それでも少しだけしか冷静になれない。やはり頭の中に渦巻くのは夕乃や真九郎の言葉。
真九郎の響く言葉に夕乃の突き刺さる言葉。そして更に紫に手を出そうとした罪悪感が急にフツフツと滲み出てくる。
冷静に考えていたら精神がどんどん擦り減ってくる思いだ。何故自分は真九郎と夕乃の言葉を聞かなかったのか。何故、私は紫を攻撃しようと思ったのか。
考えれば考える程、自分を見失うくらい心が弱まるのが感じる。
「オレはどうしたらいいんだ…っ誰だ!?」
項羽の近くに誰かが近づいてきた。今の状態の項羽でなかったらここまでの接近は許さなかったかもしれない。
「お前は確か紅とか言った奴。前に表のオレを助けてくれた奴だな。その時は助かったぞ」
「項羽さん」
項羽の前に現れたのは真九郎だ。ダメージが残っているが歩けるまでには回復したのである。
「何しに来た。この状況を笑いに来たのか?」
「いえ、笑いに来たわけではありませんよ。心配だから来たんです」
「心配だから?」
「はい。四面楚歌ですし」
「四面楚歌って言うなー!!」
彼女にとって『四面楚歌』は聞きたくない単語のようだ。確かに彼女にとってマイナスの部分によって生まれた単語なのだ。
あまり聞きたくないのは当然なのかもしれない。誰だって自分のマイナスになる単語は聞きたくないもである。
真九郎だって聞きたくない言葉くらいあるものだ。
「…オレが心配で来てくれたのか?」
「はい。貴女のことが心配なんです。でなければここまで来ません」
項羽のことを思わなければ川神山まで来ない。
「なあ紅…オレはどうすれば良いんだろうか」
覇王らしからぬ弱弱しい言動をしてしまった。もはや、彼女はそれしか言えなかったのだ。
今の彼女はそれほどまでに迷っている。普段ならば誰かを頼る選択肢は無かった。でも今は誰かを頼りたい気分に陥っている。
清楚の頃の記憶には真九郎というイメージは強く残っている。その影響もあって真九郎にはついうっかり言葉が出てしまったのだ。
「どうすれば良いかなんてもう分かり切っていることです。帰りましょう」
「帰る?」
「はい。みんなところに帰りましょう」
みんなのところに帰る。それはとても良い提案だ。しかし今の項羽には乗り気では無い。そもそも帰るとしてもどんな顔をすれば良いんだか。
これだけ暴れているのだから。それに項羽は何も言えない。
「オレが帰っても…仲間はいない。オレは1人だ」
本当に何を言っているのか分からないが項羽はつい口を開くのだ。
「オレはここまでやった。もう止まらない。何もできない」
「俺がいます」
「え…」
「俺がいます。俺が貴女の味方であります」
「お前が味方?」
「はい」
「だがオレはお前を傷つけたんだぞ!! 何故そんなことを言えるんだ!?」
項羽は真九郎を攻撃をした。それなのに真九郎は項羽のことを味方だと言う。何故そんなことが言えるのか分からない。
何故、項羽のこと恨まない。何故怒らない。何故攻撃しないのか。分からないのだ。
「嘘を言うな紅!! オレはお前を攻撃したんだぞ。お前のことを傷つけたんだぞ。何故オレを攻撃しない。今のオレならお前は楽勝なはずだ!!」
せっかく冷静になったのにまた沸点が突破する。何故真九郎は項羽を責めないの。寧ろ責めてくれた方がまだ良かったし、そっちの方が気持ち的にまだマシだ。
「オレは!!」
「項羽さん」
真九郎が項羽の手を握る。
「紅…?」
真九郎の手が温かい。彼の手はここまで温かったのだろうか。悪宇商会とのクローン強奪戦の時に助けてくれた時も彼は温かったと清楚の記憶から覚えている。
だからだろうか落ち着くし、荒々しかった気持ちも波が退くように穏やかになっていく。
「項羽さん…俺は貴女の味方ですよ。これは本心です。何かあったとしても俺は味方であり続けます」
「く、紅」
攻撃されたからというのは関係無い。項羽は清楚であり、真九郎の友人なのだ。それに彼女は悪党ではないし、寧ろ善人に近い存在だ。
善人に近いと表現したのは項羽という存在が根っから善人と言えない部分もあるからだ。それでも真九郎は彼女は良い人だと思っている。
だって、ここまで暴れておいて死人は出さないし、重傷者を出していないのだから。真九郎だって自分の受けたダメージだって無視だ。
「項羽さんは優しいですよ」
「な、オレが優しいだと!? 何を馬鹿なこと言っているんだお前は!?」
確かに真九郎は的外れなことを言ったかもしれない。でも項羽に優しさがないわけではない。
「さあ、一緒に帰りましょう」
「…本当にオレの味方なのか?」
「はい」
真九郎が項羽を抱き寄せる。
「な、ななななななな何を!?」
いきなり抱き寄せられて顔を真っ赤にして混乱する項羽。今まで男性に抱き寄せられたことなんて無かったものだから対処が追いつかないのだ。
清楚の姿でも必ず顔を真っ赤にして混乱するだろう。そして固まる項羽。
「大丈夫です項羽さん。俺はついていますから」
これは去年に紫にしてもらった方法。真九郎がどうしようもなく馬鹿なことをしようとした時に紫が抱きしめてくれて慰めてくれた。その時は心の底から泣いた。
だから真九郎は人の温かみを知っている。今の項羽には人の温かみが必要だ。仲間が必要だ。
「ばばばばばば、馬鹿者!? 不敬だぞ!!」
「あ、ごめん」
スっと離す。でも何故か一瞬だけ名残惜しそうな顔をしたのは気のせいかもしれない。
「うぐぐ…」
「どうしました? 顔が真っ赤ですが」
「誰のせいだと!?」
真九郎は狙ってやったわけではない。本当に紫と同じように項羽のために行ったことである。
こういうことばかりやっているから一部の女性から好意を持たれるのだ。しかも狙っていないのだから朴念仁であり、天然の女たらしなのかもしれない。
「帰りましょう項羽さん」
「う、うむ」
もう一度差し出された手を握り返す項羽。
「…すまなかったな紅」
「はい。あとは夕乃さんや紫にも謝ってください。特に紫はとても心配してたから」
「…ああ、分かった」
「…やっと謝ってくれましたね項羽さん」
「な、お前は!?」
「夕乃さんもここまで?」
「はい。項羽さんとの話は終わってませんでしたから。でも大丈夫そうですね」
夕乃が項羽を追ってきたのは会話の続きをしにまで来た。でもその必要はなさそうだ。
「どうやらもう大丈夫そうですね」
「…崩月夕乃。すまなかったな」
「はい」
夕乃も謝罪を聞けたから満足した顔をする。なら後はもう帰るだけである。
「ところで…その手は?」
「手?」
その手をは真九郎と項羽が手を握っていることである。何てことの無い手を握って帰ろうとしただけだ。何も変な意味ではない。
「ふむ。帰るために手をつないだだけ…なら」
夕乃も真九郎の手を握る。これまた両手に華状態だ。見る者が見る者なら片手に覇王で片手に戦鬼である。
羨ましいのか羨ましくないのか分からないものだ。
「むう」
「どうしました項羽さん?」
「何でもない!!」
「早く帰りましょう。スイスイ号も一緒に」
これで項羽の捕獲戦は終了した。このあと項羽はまず紫に会って謝罪してから九鬼従者部隊に連行されていった。真九郎と夕乃は無理言って九鬼家まで最後までついていったのだ。
紫も項羽もどっちも安心した顔をしていた。やはり笑顔が一番である。
清楚が項羽に覚醒した日。川神市が巻き込まれた1日になったが何とか納まることができた。軽症者はいたが重症者は無し。
次の日からは清楚の正体が項羽であったということで話題になりそうだ。もし彼女が困っていたら助けよう。真九郎は彼女の味方なのだから。
「私はもっと話したいぞ」
「話せるよ紫。また明日も会おう」
「ああ!!」
147
川神山。真九郎たちが下山してからちょっと経過した後。
「はあ…やっと従者部隊も解散しましたか。山は暗くなる前に帰らないと危険なんですから」
黒いコートを着た眼鏡の女性。ルーシー・メイである。
彼女は人材探しのために川神に訪れていたのだ。そんな時に謎のクローンであった葉桜清楚が覚醒して項羽になって暴走したのを知って見に来たのだ。
もしかしたら良い人材として悪宇商会に勧誘できるかもしれないと思っての行動だ。それに前から目をつけていた川神百代も確認しておきたいのもある。
「星噛さんも川神にきているみたいですし、合流するのも良いかもしれませんね」
ペラペラと白紙のメモ帳を捲って確認する。
「それにしても項羽の強さはびっくりですね。これは是非とも勧誘したいものです。勧誘できれば即戦力ですよ」
パラリとメモ張をまた捲る。
「でも調整はしないといけませんね。なんせまだ心が不安定の部分もありますし。だけどそこが今つつける部分ではありますね」
小さく笑みを出すルーシー・メイ。
「それにしても崩月と星噛、項羽の戦いはなかなか白熱した戦いでした。裏十三家マニアとしては見逃せない戦いでしたよ」
録画でもすれば良かったかと訳の分からないこと思ってしまう。これから彼女は勧誘のためにいろいろと準備を始めないといけない。
狙いは項羽と百代で勧誘できれば最高だ。しかし難しいかもしれない。なんせ周りが面倒な相手ばかりだからだ。
本人たちに至ってはそこまで難しくない。彼女たちは確かに化け物並み強いが心はとても隙があり、弱そうだからだ。
「フフ。これからが楽しみですよ」
また川神に裏が忍びよる。
読んでくれてありがとうございました。
感想など待っています。
これにて項羽の捕獲戦は終了です!!
やっとですよ。次回からも清楚ルートですが変更があるかもしれません。
あの団体戦ではなくてオリジナルになるかもです。なので次回もゆっくりとお待ちください。