293
某高級ホテルビルのコンサートルーム。
ここにいるのは紅真九郎と源義経。そして最上幽斎と最上旭である。
それ以外に人はいない。オーディエンスはいないのだ。これから始まる舞台は彼ら4人だけのモノ。
「ここにいたんだな」
「幽斎さんに義仲さん…」
幽斎はいつも来ているスーツよりも高級なスーツを着ており、旭は純白のドレスを着ていた。いつの間に着替えたのやら。
まるでこれから起こる舞台に備えて着ているようにも見える。もっとも幽斎としては本当に、そうだからこそドレスアップしたようなものだ。
「やあ真九郎くんに義経。君たちなら来ると思ってたよ」
ニコリと笑顔の幽斎。その顔はいつも通りであり、こんな状況でも冷静である。
寧ろ、今の状況にある種興奮しているのもある。なんせ今の状況こそが幽斎が望んだ試練なのだから。
「よくここまで来たね。君たちがここにいるってことはせっかく雇った梁山泊の護衛たちは負けたのか。それは良い。良いよ」
「…あんたらの暁光計画とやらは聞いたよ」
「だから?」
「旭さんを救う」
「これは旭も望んでいることだ」
暁光計画に関しては旭も納得している。自分の運命も受け入れている。だから自分が貴重なサンプルとしてどうなっても構わないと思っているのだ。
でもその真実を知った義経は許せなかった。そんな非人道的なことは許せないのだ。同じクローンであり、同じ源氏の存在であり、ライバルであり、先輩である彼女にそんな末路は辿らせたくない。
「義仲さんも幽斎さんも間違ってる。そんなの間違ってるよ。そんな計画が世界のみんなを幸せにするなんてできない!!」
「義経…そんなことないよ。この計画は世界を幸せにする」
「っ…幽斎さん」
幽斎に何を言っても無駄だ。彼は真九郎が出会ってきたある種の人間なのだ。
そのある種の人間とはどんなに説得しようが、力で屈服させようが改心しない人間だ。絶対に自分の行いを曲げない人間である。
その人間は絶対に折れない心を持つ。だから話し合いは不可能で、必ず衝突していまうのだ。
例えば星噛絶奈がそうだろう。幽斎と似ても似つかないが、彼女も絶対に曲げないプライドがある。
「だから救うなんてことはしなくていいんだよ。だって旭は世界のために犠牲になってくれるんだから。でもそれはとても悲しいことだけどね」
「何でだ幽斎さん。義仲さんは幽斎さんの娘同然なんでしょう。おかしいよ!?」
「…そんなにおかしいかな?」
義経の言葉に疑問顔で返事をしてくる幽斎。そんな彼の反応に信じられないという顔をしてしまう。もう絶句だ。
彼は本当に人間の心を持っているのかと思ってしまう。だってこんなの普通の人の所業ではないのだから。
「義経さん彼に何を言っても無駄だよ。アレはああいう人間だ…」
幽斎に何を言っても無駄ならば今度は旭に声を掛ける義経。彼女ならば本当は分かってくれるはずだと願いを込めて。
「義仲さんはこれで本当にいいの!?」
「ええ。これは私の運命であり、存在意義の1つよ」
「こんなのが運命なはずないよ!?」
世界のために犠牲になるなんてある意味壮大かもしれない。でもそんなのは映画やファンタジーの中だけ。
クローンって言っても人間だ。彼女は、旭は人権のある人間なのだ。技術革新のために解剖される運命なんて認められるはずがない。
「私にはもうこの運命しかないのよ」
旭は義経に勝っても負けても世界の犠牲になることは運命だった。だから彼女はもうどうなろうが構わない。
もうこれから先、生きる意味を持っていないのだ。だからこれからのことは気にしていない。
「怖くないなんて言えば、それは嘘になるわ。でも私にはこれしかないのよ」
「なんで…」
「私は世界のためにこの身を差し出すわ」
「なら何でそんな顔してるんですか?」
「え?」
ここで真九郎が割り込んだ。よく見ると旭の顔は不安そうな顔をしているし、身体が震えていた。
理性ではこの運命を受け入れているつもりだが、無意識的に恐怖しているのだ。誰だって死ぬは怖いものだ。
「そんな、私は…」
「もう何も言わなくていいですよ旭さん。俺はやるべきことをします」
「真九郎くん…?」
「真九郎くん…私は間違っていたのだろうか?」
「間違っていませんよ義経さん。間違ってるのは幽斎さんだ」
揉め事処理屋としての仕事は義経から旭を救ってほしいということ。でも旭は救われることは望んでいない。
これは矛盾だ。でも依頼主は義経であるのだから仕事は必ず行う。
真九郎だってこんなことが世界のためになるなんて微塵にも思わない。
「幽斎さん。これから俺は旭さんを奪います」
誰かを助け出すってのは去年で紫の時以来かもしれない。その時は紫の意思も確認して助けた。
でも今回は違う。旭本人の意思では無くて、依頼主である義経の意思で助け出す。でもこれは助け出すのではない。
幽斎から奪うのだ。
「私から娘を奪うか…これもまた試練だね」
娘を奪う宣言を聞いても幽斎はニコリ顔だ。寧ろその言葉を待っていたという顔である。
そして徐々に喜々とした顔になっていく。
「私にも試練が訪れたということだね」
幽斎はこの状況を待っていたのだ。
彼は人々に試練を用意して突破していく姿を見るのが好きだ。そして自分も試練を突破するのも好きなのだ。
目の前にいるの紅真九郎という男は幽斎が認めるほどの多くの試練を突破した人間だ。彼ほど世界から与えられた苛烈な試練を突破した人間はいない。
だからこそ幽斎は真九郎とぶつかりたいと思っていた。彼とぶつかって勝てばより世界に貢献できると思っているのだ。
「真九郎くん。旭を奪いたいのなら私を倒していきなさい」
真九郎は旭を助け出すために奪う。幽斎は暁光計画達成のために旭を守る。
この構図こそ幽斎は待ちわびていた。まさにお互いにとって最大の試練だと思っているのだ。
だが真九郎はこんなの試練でも何でもないと思っている。ただのイカれた男の計画だ。
「どこからでもかかってきなさい。僕は旭を守ってみせるよ」
幽斎は上着を脱いでポケットからケースを出す。そのケースを開けると謎の液体の入った注射器がある。
その注射器を迷わずに腕に打つ。
「ふう…。まあドーピングだね。僕は武術家じゃないからこれくらいさせてもらうよ」
ゾワリと嫌な気をすぐに感じたのは義経だ。あのドーピングを打った瞬間に幽斎から気が滲み出たのだ。
その気は義経が今まで感じた気の中でも異質だ。なんというか幽斎自身を表すかのような気で特別で不気味で異質なのだ。
鉄心やヒュームのような鋭い気でもなく、百代や清楚のような大きな気でもない。言い表せないような気である。
「義経さんは下がっていてください」
真九郎が前に出る。そして瞬時に崩月の角を開放した。
「本気になってくれてありがとう真九郎くん」
お互いに拳を強く握る。
「崩月流甲一種第二級戦鬼 紅真九郎」
「暁光計画実行者。最上幽斎」
長いようで短い夜はもうすぐ明ける。
294
拳が蹴りが手刀が肘が膝が飛び交う。幽斎は武術家でない。
動きが全て素人だが真九郎の攻撃を躱せているのは彼が人を観察する目が育っているからだ。多くの達人の動きだって見てきたのだから回避能力は大和と同じように秀でている。
さらにそこに加えドーピングによる薬の強化。今の幽斎は達人の域に達しているのだ。
「薬のおかげとはいえ、ここまで君と戦えるとはね」
「あんたは…いや、何でもない」
「どうしたんだい。言ってみてくれたまえ」
「言ったところで何も変わらないさ」
幽斎に何か言葉を発しても聞かないのがもう分かっている。ならばもう倒して黙らすしかないのだ。
真九郎のやることは幽斎を倒して旭を奪うだけ。それだけなのだ。
「義仲さん。本当は死にたくないんでしょ。貴女は怖くないのは嘘と言った…誰だって死ぬのは怖いよ。義経も死ぬのは怖いさ。それなのに実験のために死ぬのはおかしいんだ!!」
「義経…私はこの運命を受け入れているの。もう変わらないわ」
真九郎と幽斎が戦っている横では義経と旭の言い合いは終わっていない。
はっきり言って旭は揺れている。だがそれでも自分の運命を受けて入れているのは間違いないのだ。
無駄と分かっていても義経は旭に声を掛け続けるしかないのだ。そうでなければ義経は彼女の運命を受け入れてしまうことになる。
彼女は真九郎が幽斎に勝つことを願うしかない。
「義仲さん…貴女は運命を受け入れるっていったよね」
「ええ」
「なら、暁光計画が崩れた運命を受け入れてよ!!」
「暁光計画が崩れる?」
「そうだよ。これから先は暁光計画が崩れるか否か…幽斎さんか真九郎くんどっちかが勝つかなんだ。なら真九郎くんが勝ったのなら暁光計画を諦めてくれ!!」
旭はこのまま暁光計画の運命を受け入れることしか考えていない。計画が失敗するなんて考えたことが無いのだ。
だが、よくよく考えてみよう。今まさに計画の邪魔をする彼らがいる。ならば確かに計画が崩れるか否かの未来がある。
暁光計画が達成されるか崩れるかの2択の未来。
旭は暁光計画が成功する未来しか見ていなかった。それはもう自分の人生が終わりだから、生き残る未来なんて考えたことも無いのである。
「計画が…崩れる」
拳と拳が撃ち合わさる。
「はは、義経が旭を説得しているよ。頑張っているね」
「彼女を死なせたくないから声を掛け続けているんだよ」
「で、こちらは大きな試練を超えるために戦っているんだよね」
「…そんなんじゃないさ」
蹴りが交差する。
「こんなのに試練なんて大げさなものはない。ただ学園の先輩を…友人を助けるために戦っているんだよ!!」
真九郎が吼えたと同時に拳が幽斎に打ち込まれた。
確実に拳が幽斎の顔面に打ち込まれたのに彼は笑顔のまま。まるで痛みを感じてい無いようだ。
実際に彼は痛みを感じていない。その理由だが彼は精神が肉体を凌駕しているからだ。彼の精神性は他の人より違うのである。
「流石だよ真九郎くん!!」
こんな自分にこれほど本気になっていてくれている。本気で自分の計画を止めようとしてくれる存在として真九郎が立ちはだかっていてくれているのだ。
そして幽斎は彼に負けないように戦う。しかも真九郎は幽斎がリスペクトする多くの試練を突破してきた人間だ。
この瞬間こそ幽斎が望んだモノだ。
「君の人生は理不尽なモノだった。それはまるで世界から与えられた試練のように…でも君は試練を突破した」
「…」
「去年の君なんてまさに試練だらけだった。だが君は傷つきながらも試練を突破したのが凄い!!」
「…」
「さあ、真九郎くん。もっと互いを高め合ってどちらかの試練を突破しようじゃないか!!」
幽斎が勝つか、真九郎が勝つか。それだけだ。
「君の力はそんなものじゃないだろう?」
九鳳院との出来事。他の裏十三家との出来事。西四門家との出来事。これら日本の表裏に君臨する全てが存在達と関わってきた真九郎はもっと凄いはずだと幽斎は期待する。
もっともっと高め合いたい。そして自分が試練を突破するのだと決めている。
「…俺は幽斎さんが思うほど凄い人間じゃないよ」
もう一度、真九郎の拳が幽斎の顔面に叩き込まれる。それでも幽斎は痛みを感じない。
お返しにと真九郎の顔面に幽斎も拳を叩きこんだ。口の中に血の味が広がる。
「いや、君は凄い人間だ。選ばれた人間だよ」
「選ばれた人間だというのなら…あんな人生は否定したいよ」
あんな人生。理不尽にも巻き込まれた国際空港爆破試験で家族が全員死んだ。選ばれた人間ならあんな不幸があってたまるものか。
「もうあんたの妄言に付き合うのもウンザリだ!!」
もう一度大きく吼える。こんな長い夜はそろそろ明けさせたい。
決着をさっさとつけたい。こんな幽斎の独り善がりは十分だ。
「決着をつけるつもりかな。なら僕も決着をつけよう!!」
幽斎はまだまだ真九郎と戦ってお互いを高め合いたいが幽斎にも時間がある。ドーピングの副作用だ。
達人並みの力を得る代わりに肉体への負荷がとても大きい。普通の人が使えば今頃激痛で気絶してもおかしくないほどなのだ。
幽斎が耐えられるのは精神が肉体を凌駕しているおかげ。でも精神が肉体を凌駕していても肉体が壊れればいうことを聞くはずもない。
筋繊維が断裂したり、骨が折れたら身体を操作できるはずがない。動けと念じても無理な話だ。
既に幽斎の肉体はドーピングの副作用でボロボロになり始めている。痛みは感じないが、もう限界も近いと理解できる。だから幽斎としても決着をつけるなら今だろう。
「心惜しいがこれで終わりにしよう真九郎くん!!」
最上幽斎の渾身の蹴りが真九郎を捉える。
身体を思いっきり捻りながらの回転蹴りだ。その威力は人体を破壊してもおかしくないほどだ。
幽斎の足に人間の血液がベッタリと飛び散る。真っ赤な真っ赤な血がその場を染めたのだ。
「真九郎くん!?」
幽斎が見たのは蹴り潰した真九郎ではなくて、自分の足が真九郎の肘から突出している崩月の角に貫かれている様子であった。
痛みを感じていない弊害であり、確実に自分が相手を倒したことが分からないのだ。
「流石だよ…やっぱりね」
「もう終わりにしましょう」
角を幽斎の足から引き抜きながら幽斎の間合いに入る。
拳を硬く握って人体の急所を確実に潰していく。痛みを感じないというのならばもう身体の言うことを聞かせないくらい壊すしかないのだ。
戦いでは容赦が無い方が有利になるのは当たり前。顔面はこめかみから額に顎を攻撃。胴体では肝臓部分や鳩尾。脚部には膝に腿、脛。
人体の急所のオンパレードだ。だが喰らったはずの幽斎は未だに笑顔だ。彼はどうしようもなく異常なのだろう。
「く、くはははは…」
「幽斎さん…旭さんはいただくよ」
腹部に渾身の蹴りを喰らわせて蹴り飛ばす。だが終わりではない。
すぐに重力無視の突貫で追いかけ、拳を幽斎の顔面に叩き込んだ。
「あんたの馬鹿げた計画は今終わったよ」
長いようで短い夜がやっと明けた瞬間であった。
295
もう身体が動かない。頭では動けと命令しても指1本も動かないのだ。
完全に敗北した事実が幽斎の肉体に突き刺さっているのを嫌に理解してしまった。
「ははは…負けてしまったか」
負けたくせに幽斎は悔しそうな顔をしていない。寧ろこの結果も予想していたようである。
幽斎が勝てば自分の試練が突破。真九郎が勝てばリスペクトする人物が試練を突破してくれたことになる。
どっちにしろ幽斎は幸福を心の底から満たされることになるのだ。
「君の勝ちだ真九郎くん。そして義経もね」
「…何で暁光計画なんて考えた?」
「そんなの世界のために決まってるじゃないか」
聞いた真九郎が馬鹿だったのかもしれない。だって彼はそういう人間だと気付いているのだから。
何を言っても無駄な人間。どう諭そうが絶対に改心しないだろう。
義経は何か言いたそうだが彼女自身も分かっているのだろう。幽斎に何を言っても無駄だと。
「でも君は新たな試練を突破したね。おめでとう」
「何がおめでとうだ!!」
それでも義経は吼えた。吼えたかったのだ。
この目の前で倒れている元凶にどうしても1つでも何か言いたかったのだ。
「最上さん…貴方は絶対に間違っている!!」
「間違っていないよ。世界のためにやっているのだから間違いなんてないのさ」
「間違ってるよ!!」
「ああ。あんた間違っていて、義経さんが正しい」
「真九郎くん………うん」
どっちが正しいかなんてわからない。だけど自分の行っていることに疑問に思ってはいけない。
義経のやったことは旭を救うこと。その事は紛れもなく正しい。
「幽斎さん…旭さんはもらいます。異存は聞きません」
「ああ。君にはその権利があるからね。旭は君のものだ…旭もそれでいいね」
「はい…お父様」
旭はもう決定権がない。彼女は死ぬ運命だったのに生き永らえてしまったのだから未来のことは考えていないのだ。
だからこれから先のことは誰かに決めてもらわないと彼女自身は生きられない。
幽斎は旭を見る。その顔は愛する娘を見る顔だ。
「………すまなかったね」
「…私はお父様に育てられて後悔はしていません」
誰かがこの会場に来るのを感じる。
「ヒュームと鉄心かな?」
その予想は正解だ。もうすぐ彼を捕縛してくる怖い怖い従者が来る。
「真九郎くん。旭を頼むね」
「………」
「最上幽斎!!」
ヒュームが扉を蹴飛ばして入場。目の前に広がった惨状を見てすぐさま理解。
「最上幽斎…」
「ははは、ヒュームかな」
「最上幽斎。お前を捕縛する」
「どうぞ。もう指一本も動かせないしね」
今回の事件の元凶である最上幽斎がようやく捕まったのであった。
「よくやったな真九郎」
「紅香さん…はい」
揉め事処理屋の依頼達成。
読んでくれてありがとうございました。
次回もゆっくりとお待ちください。
今回はタイトル通りで最上幽斎との決着でした。
バトルシーンを上手く書いたつもりです。何だかんだでここまでくるのも長かったなあ。
これでこの最終章も終了です。ということは次回、ついに最終回となります。
本当にここまでくるのに長かったです。