妹がいましたが、またさらに妹が増えました。   作:御堂 明久

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平素よりお世話になっております、御堂です!

今回は料理にスポットを当てたお話になります。
この数年で私も自炊する必要に駆られることとなり、レシピサイトやYouTubeをガン見しながら調理器具を握る日々でございます。
レシピに忠実であればとりあえず形にはなるのですが、その中で自分の好みに合わせた所々カスタマイズして上手いことハマるととても楽しいと感じますね。稀に地獄絵図になりますが。

ちなみに得意料理は目玉焼きです。かんたんなの。



第一回 楠家お料理教室 

 

 

「お料理を教えてください」

「⋯⋯なん、だと」

 

 

 とある日の休日。時刻は午後一時過ぎ。

 昼食を食べ終わり食器を片したと思えば、そのままフローリングの床に敷かれたホットカーペットに伏して懇願してきたポニーテールがチャーミングな我が妹、飛鳥を前に、俺こと楠祐介はマリアナ海溝もかくやというほどに深く、眉間に(しわ)を寄せた。

 

 

「突然なんてことを言うんだ飛鳥。ウチのキッチン設備がそんなに気に食わないのか?」

「キッチン設備が気に入らないから壊したい訳じゃないよ!? い、いい加減飛鳥もお料理出来るようになりたいの! 年頃の女の子として!」

 

 

 飛鳥の手料理。

 すっかりキッチン及び人体破壊兵器としての印象が定着した危険物第4類であるが、その名称の通り、あくまでも本質は彼女の腕によりをかけて作られる料理でしかない。

 信じ難いことだが。

 度し難いことだが……。

 

 

「いくつかのポイントに分けてアドバイスするくらいはできるけどな」

「教えて教えて! 飛鳥頑張るから!」

【POINT1】あきらめよう!

「お兄ちゃんなんか今日飛鳥に厳しくない!? ひどいよぅ!」

 

 

 体の末端から体温が急激に低下していくような錯覚を覚えつつもバッサリ切り捨てると、ガバッと飛鳥が体を起こして涙目になりながら訴えかけてくる。

 飛鳥に厳しいというか飛鳥の料理に厳しいというか。

 いつもだったらそりゃもうゲロ甘ですし、兄としてできる限り愛妹の要望に応えてあげたいという気持ちもマウンテンマウンテンなんですがね。

 

 

「⋯⋯一体なんの騒ぎですか? お兄ちゃん、お姉ちゃん、喧嘩はいけませんよ」

「詩音ちゃん……! 聞いてよ詩音ちゃん、お兄ちゃんが〜……!」

 

 

 飛鳥の天に轟くような悲憤を聞いたのか、二階で勉強をしていたはずの詩音が上から降りてきた。

 滅多に言い争いをしない俺と飛鳥が険しい表情で対面しているのを見て、幾分か戸惑った様子で肩口まで伸ばされた亜麻色の髪を揺らし、水晶のような瞳をキョロキョロさせていた詩音に飛鳥が泣きつく。

 そのまま今に至るまでの事情を説明するが───。

 

 

「お姉ちゃんが悪いですね。可及的速やかにお兄ちゃんに謝罪するのが良いかと思います」

「なんで!?」

 

 

 飛鳥の手料理の脅威を身をもって知る詩音がこのようなジャッジを下すのは至極当然のことと言えた。

 そう、当然。コーラを飲んだらゲップが出るということくらい当然。

 しかし、そんな明白な事実も飛鳥にとっては不満であるらしく、可愛らしく頬を膨らませながらなおも抗議してくる。

 

 

「りょーうーりーすーるーのー!」

 

 

 抗議じゃなくて駄々だコレ。

 しかしどのような形であれ、妹に長時間懇願されると当初の方針がブレブレになってしまうことに定評のある俺。

 先ほど年頃の女の子を自称していたとは思えないほどに幼児然とした姿を晒し続ける飛鳥を尻目に、隣に立つ詩音に目配せをすると、彼女の方も早速根負けし始めているようで、困ったように苦笑を返してきた。

 基本的に身内に甘い楠家においては、飛鳥のようにストレートに甘えられる人間の方が立ち位置的には有利なのかもしれない。

 

 

「……やるぅ?」

「やるしかなさそうですね……」

「や〜る〜の〜!」

 

 

 ───かくして、長らく開催を謳われておきながら、眼前にそびえ立つあまりに厚く高い壁を前に敬遠され続けてきた一大イベント。

 第一回、楠飛鳥のお料理特訓教室が今日この時より開催されることになったのである。

 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

注目(アテーンショーン)!」

 

 

 小さな蛍光灯の淡い光に照らされ、我らがマザー、楠千歳管理の下、飾り気はないものの調理器具や保存容器等は小綺麗にまとめられた我が家のキッチン。

 そんな場所で俺は愛用しているエプロン姿で仁王立ちをし、フライ返しを片手に持ちながら声を張り上げていた。

 この戦場(キッチン)に足を踏み入れた以上、俺と飛鳥との関係はもはや兄妹ではなく、教官と未熟に過ぎる部下のものとなる。

 ここからの指導に手心を加える気はない。というかそんなものを半端に加えれば、即座に劇物が生成されかねない。

 妹に厳しい言葉一つ投げかけるのにも胸が張り裂けそうになる俺にとっては、凄まじく難易度の高いオーダーだ。これがゲームなら即座にクソゲーのレッテルを貼って、レビューで最低評価と共にボロクソにこき下ろすレベル。開発者を出せ。

 などと内心で戯けることで何とか胸の痛みに耐えつつ、俺は熱弁を振るい始める。

 

 

「いいか飛鳥! 今日こそ本腰を入れてお前に料理を教えてやる! 教育などという言葉すら生温い。矯正だ! お前の触れるもの皆傷付ける悪魔の手腕を俺が矯正してやる!」

「はいっ! よろしくお願いします!」

「いい返事だ! いいか、これからその愛らしい唇を開く前と後に“お兄ちゃん大好き”と言え。分かったか、マイスウィートシスター!」

「お兄ちゃん大好き! わかりました、お兄ちゃん大好き!」

「お兄ちゃん、厳しさの裏から甘さと欲望がダダ漏れています」

 

 

 薄ピンク色のエプロンを身に着け、副教官兼助手として俺のすぐ傍に控えていた詩音にそう突っ込まれる。

 い、いや、あまり厳しくすると俺の精神の方が壊れるし、このくらいの負担に見合った役得があっても良いんじゃないかなって⋯⋯。

 それはそれとして。咳払いをした後に今回のイベントにおけるおおまかな目標を説明する。

 

 

「料理は自らで知識と経験を積むことが肝要だ。今回、俺たちも補助はするが、あくまで飛鳥をメインに据えて、とにかく自分の腕で一から料理を完成させることを目標にしよう。あ、料理って言ってもいつものとは違う、まともな料理のことな」

「い、今までの料理だってまともだったよぅ」

「俺の目を見て言ってみろ」

「⋯⋯⋯⋯⋯⋯マトモゥ」

 

 

 動揺からかイントネーションがおかしなことになっていた。なんだマトモゥって。

 とりあえず、今日は飛鳥+助手(サポート)二人の形式で夕食を作り、今日も今日とてお仕事に出ている我らが両親にサプライズで振る舞うことを目標として設定した。

 飛鳥は最終的に完成させるモノが謎の因果律の歪みによって未確認物質に変容するだけで、調理器具自体は扱える。プランそのものには問題はないだろうという見通しである。

 他に考えることがあるとすれば何の料理を作るかなのだが、これについては飛鳥からリクエストがあった。

 

 

「はいっ! はいはい! 飛鳥肉じゃが作りたい!」

「肉じゃがですか。⋯⋯あっ、そういえば」

「因縁の料理だな⋯⋯」

 

 

 思えば飛鳥の異次元クッキングの全容が初めて露呈したのは、彼女が小学生の頃に肉じゃがを作った時だった。風船のように膨張した後に爆裂したジャガイモの姿は未だに俺の脳裏に焼き付いている。

 飛鳥からすれば自分の秘められた力を自覚するキッカケとなった印象深い料理と言えるだろう。

 出来ればその忌まわしき力は永久に封印しておいて欲しかったんですけどね! 

 

 

「お母さんが前に近所のママさんからじゃがいもを沢山貰ってきたって言ってたから。それに、飛鳥もリベンジしないとだからね」

「良いんじゃないか。失敗は成功の元と言うし、一度調理経験がある料理の方が完成もさせやすいだろ」

「ですね。後は適当にお味噌汁と⋯⋯冷蔵庫にほうれん草がありましたし、それをおひたしにしましょうか」

「あ、飛鳥おひたし好きー」

「お前アレ、毎度鬼の様に食うもんな⋯⋯。一時期大皿にしようかとマジで検討したくらいだ」

「お野菜はいくら食べたって太らないし……」

 

 

 野菜だって度を越して摂取すれば太るときは太るやろがい。

 俺のジトリとした視線から逃れるように飛鳥が頬を赤らめながら身をよじる。一挙手一投足がもれなく可愛いんだけど何コレ? 人類史の奇跡? 

 冷蔵庫の中を覗いてみたところ、都合の良いことにじゃがいも以外にも、肉じゃがを作る材料はある程度余裕を持て揃っていることを確認した。

 よかった。冷蔵庫の中身も確認しないままノリでエプロン姿に着替えてキッチンに立ったしまったものだから、ここから買い出しに行く必要が出てきたら非常に締まらないことになっていた。

 

 気を取り直して、さっそく調理開始だ。

 

 

 

〇 飛鳥でもできる! 楠家のステキ肉じゃがレシピ ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

1. じゃがいもと人参の皮を剥き、乱切りにしておく。

 

2. 玉ねぎはくし形切り、豚肉は適当に一口サイズになるように切っておく。

 

3. 深めのフライパンに油を引いて豚肉を炒める。火が通った後に玉ねぎを投入し、そのあと他の野菜も入れる。

 

4. 野菜にも油が回ったタイミングで水、酒、顆粒だしを加える。煮立ったらアクを取り、砂糖、みりん、しょうゆを加えてフライパンのフタを閉じ、30分ほど煮込む。

 

5. じゃがいもとかがなんかいい感じになってるか確認して完成。感極まった飛鳥が俺に抱きついてくる。俺が幸せになる。

 

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「それじゃあ、私がじゃがいもの皮を剥いておきますね。お姉ちゃんはお兄ちゃんと一緒に人参と玉ねぎの皮を剥いて、豚肉と一緒に切ってもらえますか?」

 

 

 調理を開始してからすぐに詩音がじゃがいもを手に取り、テキパキと指示を出す。

 特に異論がある訳でもなし、相変わらずの詩音の手際の良さに感心しながら俺は飛鳥と一緒にまずは人参の皮剥きから始めようと、

 

 

「あ、人参と玉ねぎってミキサーでいっぺんに刻めるんじゃないかな? えーいっ」

 

 

 がったがたがた。

 きりばっ、がたきりばっ。

 ぶすん。

 

 奇怪な音を立てて我が家のミキサーが動作を停止した。

 

 

「お前何してんの!?」

 

「ご、ごごごごめんなさい! その、お兄ちゃんたちにあまり負担をかけちゃいけないと思って、ここは文明の利器に頼ろうかと!」

 

「文明の利器にも正しい使い方ってのがあるでしょうが! 頼った結果がこの鉄くずだよ!」

 

「おえんははい! おえんははい!」

 

 

 突如凶行に走った飛鳥の柔らかな餅肌を左右に引っ張り声を上げる。

 調理器具の扱い方くらいは心得ていたはずなのに、キッチンに立った瞬間に料理の腕どころか、常識の把握度合いが乱高下するのは一体どういう事なんだ! 

 キッチン周りに飛鳥の正気度を一気に下限まで引き下げる力場のようなものが発生しているとしか思えないんだが。

 

 

「流石はお姉ちゃん、一筋縄ではいかないようですね⋯⋯」

 

 

 詩音が戦慄した様子で頬に汗を伝わせていた。一筋縄でいかないにも程があると思います。

 だが、最愛の妹が今日こそはと意気込んでいるのだ、兄であり、今回は教官役でもある俺がこの程度で心を折られるわけにもいくまい。

 ここは兄の甲斐性を発揮させる事にして、俺は生暖かく見守りながら、惨状が晒されない程度に最低限のサポートをする事を再度心に決めた。

 

 

「うう、人参がボロボロになっちゃった⋯⋯。色や形はちょっと似てるし、このハバネロで何とか代用を⋯⋯」

 

「予備の人参があるからそっち使いましょうねぇ〜!」

 

 

 最低限のサポートで済むように努力してくれないとどうにもならねえんだからな! 

 

 

 

 

 ──さて、今日の献立だが、実のところそこまで複雑な手順を踏むようなものではない。

 

 米は前もって炊いてあるし、肉じゃがも味噌汁もほうれん草のおひたしも、実際作ってみると工程そのものは実に単純明快である。

 だから⋯⋯。

 

 

「伏せろ詩音ーッ!」

「頭を守って、詩音ちゃん!」

 

 バゴンッ

 

「ひぅっ!? ななな、なんですか今の爆音は!? 何が起こったんですか!?」

「じゃがいもが爆ぜた。いやぁ、当時もあんな感じで爆発してたんだよな」

「懐かしいねぇ」

「二人とも、思い出に逃避しようとしないでください!」

 

 

 だから、まさかここまで手こずるとは思っていなかった。

 肉じゃがも味噌汁も、調理開始から何度か完成間近まで迫ることはあるのだが、そこまで到達した途端に爆発したり突然何処かへ消失したりしてしまう。

 物理法則が目の前でねじ曲がるのは伊織(人型バグ)で慣れていたつもりだったが、俺と詩音があれほど目を光らせていたにも関わらずコレとは。

 また、ほうれん草のおひたしはシンプル極まりない調理工程だったために何とか形にはなったが、完成直後から何やらほうれん草がぷるぷると蠢動しているようにも見える。

 なあに、飛鳥の料理から新たな生命が誕生するくらいは許容範囲内さ! まだいけるまだいける、気張ってこー! 部活動か? 

 

 

「う、うう。ごめんね二人共。全然進まなくて……」

 

 

 食材が再度爆発する様子が見られないのを確認して、詩音に覆い被さるように伏せっていた俺が立ち上がると、隣で同じようにしゃがみ込んでいた飛鳥が申し訳なさそうな表情でそう言ってきた。

 少しヘコんでいるようだ。今の爆発で壁もヘコんだ。

 

 

「気にすんな。正直こうなるのは目に見えてたし、だからこそ、いつもよりスケジュールを前倒しして夕飯を作り始めたんだからな」

 

 

 現在の時刻は午後14時を少し過ぎたくらい。

 普段俺やお袋が夕飯を作り出すのが早くても午後の16時くらいであるので、それと比較すると非常に余裕があるスケジューリングと言える。

 

 

「ですです。それに、何度失敗したって、お姉ちゃんが諦めない限り私たちは見捨てたりしませんから」

「お兄ちゃん……詩音ちゃん……、ありがとう……!」

「感謝するのはまだ早い。未だに壁は高く分厚いままだからな」

「難航しているのは確かですね……」

「うん……。今なら二人が言ってた言葉の意味が分かるよ。台所って、戦場なんだね」

 

 

 それは比喩的な意味であって、普通は料理の最中にこんな集中爆撃を受けた後みたいな様相をキッチンが呈したりはしない。

 しかも爆撃してるのは他ならぬお前だし。

 

 

「打開策が欲しいところだが、俺たちじゃあ何がどうなって兵器錬成(あんなこと)になるのかがわからんからなあ」

「お姉ちゃんは何か聞いておきたいこととかありませんか? ここがわからなくて困っている~、とか」

「うーん……聞きたいこと……」

 

 

 俺が唸り、詩音が尋ねたところで飛鳥が腕を組んで神妙な表情で長考に入った。

 初っ端に見せたミキサークラッシュのようなエラーは鳴りを潜め、レシピ通り常識通りに調理を進めていても料理が消し飛ぶのは、何か俺や詩音には悟ることのできない範囲で問題があるのではないか。

 そうであれば、飛鳥の方から自身が抱えている疑問を解消することで、現状を打開できるのではないか……と俺が考えていたところ、飛鳥が閃いたように手のひらをポンと叩いた。

 

 

「あっ。じゃあ、二人が料理を始めたキッカケを教えて欲しいな!」

「妹に誇れる兄になるため」

「お父さんのためです」

「あっ即答……」

 

 

 考えるまでもない。

 飛鳥にとって誇れる、なんでもできるスーパーマン祐介となるために俺は料理の他にも勉強や運動など、様々な分野で腕を磨こうと努力してきたのだ。

 え? 努力の結果理系科目の成績は壊滅的な上、運動神経は妹に負けてるじゃないかって? いやまあ、誰しも苦手なことの一つや二つあるよね。

 

 

「お兄ちゃんたちと一緒の家に住む前は私とお父さんの二人暮らしでしたから。自分で料理ができると都合が良かったというのもありますし……、お仕事を頑張って帰ってくるお父さんのために、私に何かできることはないかと考えて料理の練習を始めたんです」

「詩音ちゃん……! いい子っ! (はしっ)」

 

 

 俺が誰ともなしに言い訳している間に、飛鳥が詩音の料理を始めたキッカケに感動してその細身を抱き締めていた。なんだか惨めな気分になってきました。

 

 

「で、この質問で何がわかんの?」

 

 

 俺が飛鳥にそう問うてみると、飛鳥は詩音からぱっと離れ、人差し指を立てて自分の中で整理するような口調で語り始めた。

 

 

「んー……。何事も上手くいかないときは原点に立ち返るべしってよく言うでしょ? だから、『飛鳥はなんで料理が上手くなりたいのか?』ってところを明確にすれば、やる気も湧いて集中力アップ! ミスの頻度ダウン! ってなるかなーって思って、参考までに」

「なるほど。技術ではなく、まずは精神面の土台から整えようというワケですか」

 

 

 確かに料理に限らず、心の有り様や目標の有無で出来が左右される物事は星の数ほどあるだろう。

 ただ漫然と向上心を持つよりも、絶対に100点を取る! という明確な目標があればテスト勉強にも身が入るだろうし、〇〇kg体重を減らせたら妹からキスしてもらえる! と言われれば1年間くらい霞を食うような生活も堪え忍べるというものだ。

 

 飛鳥はそういった、自分はこういった理由があるから料理の腕を磨きたいのだ! という動機をハッキリさせることで自身のモチベーションの向上を図っているのだろう。

 

 

「んで、明確になったのか?」

「うんっ。色々考えたんだけどねっ、やっぱり根本はお兄ちゃんや詩音ちゃん、お母さんや光男(みつお)さんに『美味しい!』って言ってもらいたいからなの!」

 

 

 だから、と飛鳥が一息吐き。

 

 

「飛鳥は諦めないし頑張るよ! 飛鳥の料理を食べて家族のみんなに笑顔になって欲しいもん!」

 

 

 晴れやかな表情でそう宣言した後、「もちろん、もう中学生なんだからいい加減料理くらいできるようになりたいって気持ちもあるけど……」と、はにかむ飛鳥だったが、正直俺にはその姿はあまり見えていなかった。

 

 

「あ、あ゛ずがァ……! よぐぞごごまで立派になっで……! お゛っ、お兄ちゃん、感無量でェ……!」

「お姉ぢゃん゛ッ、私は感激しまじだ! 最初にお姉ちゃんが料理の練習をしだいと言った時にそれを否定した私が恥ずかじい……! 私を殴ってください……!!」

「殴らないよ!? えっ何!? なんで二人とも泣いてるの!?」

 

 

 感激のあまり前が見えねェ。

 

 幼い頃から面倒を見てきた飛鳥がここまで成長し、なおかつ自分たちのためにこんなにも努力してくれているのだという事実に涙が止まらず、瞬く間に俺の顔面はびっちゃびちゃに濡らして潰したパンみたいな有様になる。

 フラフラと飛鳥に歩み寄りながら昭和のヤンキーみたいな要求をしている詩音も同様であり、とても他所(よそ)様には見せられないようなへちゃむくれ顔を晒していた。

 

 飛鳥のこんな決意を聞いてしまったら、今回の料理を失敗で終わらせることなどもはや許容できるはずもない。

 俺と詩音はひとしきり感涙に咽んだ後、互いに顔を見合わせてその意志を確かめるようにこくりと頷いた。

 キッチンが破損したら後で直せばいいし、家にある食材がなくなれば買い足せばいい。

 

 何としても時間内に美味しい料理を飛鳥の手で完成させられるよう、サポートを尽くすのだ。

 

 

「やるぞ飛鳥。再チャレンジだ」

「まだまだやれますよお姉ちゃん」

「う、うん。でもまだもう少し聞きたいことあるから……なんで二人揃って飛鳥の頭を撫でるの?」

「「慈しんでる」」

「はへぇ」

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

 飛鳥からの質問に答え終わった後は心機一転、心持ち新たに俺たちは夕飯の調理を再開した。

 

 

「じゃあ最初は肉じゃがのじゃがいもと人参の乱切りからだな。ミキサーは使うなよ。それにハバネロは人参の代用にはならない」

「ピーラーで可食部すべてを削ぎ落としちゃめっ、ですよ。あと包丁は両手持ちして上段に構えるものではありませんし、人参を一本丸ごとフライパンに放り込んではいけません」

「あはは、いくら飛鳥でもそんなミスしないってば」

「全部お前が一度犯そうとした、あるいは犯したミスだぞ」

「…………」

 

 

 おい、無言やめろ。

 

 ガッチリ口を噤んだまま、何度も繰り返したためかさすがに手馴れた様子でじゃがいもと人参の皮を剥いた後に、飛鳥は慎重な手つきでまな板の上で包丁を握り、食材を切り出した。

 

 

「お、お兄ちゃん。猫の手ってこんな感じであってる?」

「うむ、バッチリだ」

「よ、ようし。んしょ……んしょ……詩音ちゃんっ、乱切りってこんな感じでいい?」

「チョベリグですお姉ちゃん」

「えっなんて?」

 

 

 逐一俺たちに確認を取りながら作業を進める飛鳥の姿はまるで幼子のようであったが、それだけに絶対に失敗しないよう、本気で努めているのだということが伝わってくる。

 今のところ俺と詩音は調理器具を用意したり、最小限のアドバイスをするのみに留まっており、飛鳥が独力で遂行できる調理工程の範囲が着実に広まっていっているのを実感した。

 

 

「次は玉ねぎと豚肉ですね。お姉ちゃん、生肉を切った後のまな板はそのまま使ってはいけませんからね」

「うん。バイ菌があるもんね」

「その通りです。よくできましたね(なでなで)」

「えへへぇ」

「どっちがお姉ちゃんだっけ?」

「飛鳥だけど?」「お姉ちゃんですけど?」

 

 

 こと料理中に関してはとてもそうは見えないのだ。

 それはそれとして、飛鳥は玉ねぎと豚肉もぎこちないながらも確実な包丁捌きでカットを終え、順調に次の工程への進むこととなった。

 メモにとっておいた肉じゃがのレシピを読み、飛鳥は調理器具が入った引き出しから底が深めのフライパンを取り出す。

 

 

「えーと、豚肉を先に炒めるんだよね。なんで野菜と一緒に煮込んじゃだめなの?」

「豚肉を生のまま煮込むと肉汁が外に全部出ちまうから、表面を焼いて旨味を閉じ込めるんだよ。実際そんなに味が変わるのかはわからん」

「アバウトすぎじゃない?」

「本人の知識は割と適当でもレシピに忠実なら料理はできる。緊張感を持ちつつ気楽にいけ。オーケー?」

「なんか難しい~……」

 

 

 渋い顔をしながら豚肉に火を通していく飛鳥。

 パチパチ跳ねる油に飛鳥が怯えたり、跳ね飛んだ油が俺の頬に直撃して悶えたりしてる間に豚肉にうっすら焼き目がつき始めたので、野菜をフライパンの中へ投入した。

 この時に油を野菜の方にも回るようにして炒めることで、煮崩れ防止とコク出しの効果があるのだそうだ。

 俺がお袋から肉じゃがの作り方を教わった際に自慢げに語られた知識だが、本人も料理動画を観て学んだことなので理屈はわからないと言っていた。わからん……何もわからん……。

 

 そんなわからん尽くしの工程を進めた後、水と顆粒だし、酒を混ぜたものを注ぎ入れるのだが。

 

 

「お姉ちゃん、ちゃんと分量は計りましたか? 煮物は染み込ませる汁で9割方決まりますからね」

「ちゃんとレシピ通りにしたよ! でもなんかこれ、水とか少ないんじゃない? もう5リットルくらい追加した方が」

「大丈夫です! 途中で『この調味料入れすぎじゃない?』とか『もっと塩振っても良くない?』とか思うのは分かりますが、そこで踏みとどまらないと大抵悲惨なことになるのです!」

 

 

 味見をしながら微調整のために調味料を足すのはいいが、慣れないうちに味見もしないまま己の裁量に任せると基本えらいことになる。

 かといって、味や汁の量にも人それぞれ好みはあるだろうし、この辺のレシピと自分の感覚を臨機応変に擦り合わせられるかどうかというところに出るのが、いわゆる調理センスだと思う。

 

 しかしその辺りの感覚はまだ飛鳥には掴み切れていない部分だろう。今回は素直にレシピに従い分量通りに投入。5分ほど経ち煮立ったところで灰汁(アク)を取り除き、加えて砂糖、しょうゆ、みりんを注ぎ入れて落し蓋をした。

 ここからまた弱火で30分前後じっくりと煮込んでいく。

 

 

「あとは様子を見ながら待つだけですね」

「この間に味噌汁を作ろう。飛鳥、わかめ戻してくれ」

「がってん!」

 

 

 やたらと威勢よく返事をした飛鳥が、前もって用意しておいたパックの中から5人分の量の乾燥わかめを取り出し、水を溜めたボウルの中に放り込む。

 見る見る間に乾燥わかめは水分を吸収していき、当初よりも何倍もの大きさに瑞々しく膨らんでいった。

 

 

「爆裂寸前の飛鳥の料理みたいだな」

「そうですね」

「縁起でもないこと言わないでよ!?」

 

 

 

 

 

 その後、原因不明の発光をしているものの、決死の味見の結果問題ないと判断し味噌汁の調理も終了。残るはいよいよ肉じゃがの行く末を見守るのみとなった。

 数多の失敗と挫折を味わいながらも遂にここまで到達した。俺たち兄妹は祈るようにしてコトコトと小さく音を立て続けるフライパンを凝視している。

 祈るようにというか、実際飛鳥は祈っていた。両手を合わせ拝む飛鳥の後頭部に垂れるポニーテールもまた、悲願の成就を祈るかのように前後に揺れている。時々明らかに彼女の頭髪が意思を持っているように見えるのは気のせいなのだろうか。

 

 

「あ、そろそろでしょうか」

 

 

 詩音の呟きに呼応するように、落し蓋の隙間から蒸気が吹き出てきた。

 試しにフライパンの蓋を開けてみれば、大量の湯気とともに煮汁の良い香りが鼻腔(びくう)をくすぐる。

 色味の方も丁度良く見えるので、味の方はどうだと、もっとも煮汁の染み込みにくいじゃがいもを菜箸で割ってみるよう飛鳥に促した。

 

 

「固さはどうだ?」

「……やわっこい……!」

「これも味見をした方が良いですが……、その、気をつけてくださいね? 胃袋の内部から破裂なんてしたら洒落では済みませんから……」

「あふっ、おいひい、です!」

 

 

 詩音の警告もそこそこに、即座に割ったじゃがいもを口内に放り込んで、唇をハフハフさせながら上々の出来を報告する飛鳥。ここまでくるとさすがに豪胆だ。

 俺と詩音も飛鳥の勇姿に倣い、それぞれじゃがいもを頬張ってみる。

 

 

「うまい……!」「おいしいです……!」

 

 

 十分に染み込んだ煮汁のコクと、ジャガイモ自体の旨味が非常に良いバランスで釣り合っている。

 固すぎず煮崩れせず、ホロホロと溶けるように口内で砕ける食感もまた絶妙であり、総じて美味しくできていた。

 

 

「お兄ちゃん。これで……!?」

「完成だ! よく頑張ったな飛鳥!」

「いぃやったぁー!!」

 

 

 菜箸を置き、その場で飛び跳ねて歓喜する飛鳥。

 要所要所で俺や詩音がサポートしていたのは事実であるし、危なかっしい部分も多分にあったものの、レシピを確認して食材を用意し、俺たちに助言を乞いつつ調理器具を扱い、最後まで料理を完成させたのは紛れもない飛鳥である。

 ある時はオムライスを爆発させ、ある時はつくね団子を爆発させ、ある時は肉じゃがを爆発させていた飛鳥はもういない。

 確かに今、飛鳥は料理の世界において、ひとつ上のステップへと歩を進めたのである。

 

 

「…………(ダバダバダバ)」

 

 

 隣を見やると、詩音が満面の笑みで踊る飛鳥を眺めながら感極まったように静かに涙を流していた。姉の健闘を称える言葉を投げかけようとしても、それらがすべてクソデカ感情に押し流され喘ぎ声へと変換されてしまっているようだ。

 狭い空間の中、俺を挟んで高低差で風邪を引くレベルで感情が二分されていた。こんな時どんな顔すればいいの? 笑えばいいの? 

 

 俺が迷っていると、笑顔を浮かべながらも目の端にうっすらと涙を浮かべた飛鳥が、懐の中から何やら毒々しい色合いをした液体が入った小瓶を取り出しつつ一言。

 

 

「飛鳥本当に嬉しいよ! 最後の仕上げに、伊織さんからもらったこの『ナンデモオイシクナール』を加えるね……!」

「「やめろ!!!」」

 

 

 なんだかんだ効果ありそうだけど! 

 

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 

「ただいま~♪ あら? いい香りがするわね~?」

「これは……肉じゃがの香りでしょうか? 以前千歳さんが作ってくれたものと同じ香りがしますね」

 

 

 玄関の扉が開かれる音がしたかと思えば、我らが父母のそんな話し声が聞こえてきた。どうやら二人で揃って帰宅してきたらしい。

 その瞬間、先ほどまでソワソワと落ち着かない様子でソファに腰掛けていた飛鳥がバッと立ち上がり、疾風の如き素早さで玄関の方へ駆けて行く。

 同じソファに座って文庫本を読み耽ったり、スマートフォンを弄ったりと思い思いに時を過ごしていた俺と詩音は、そんな飛鳥の様子を見てクスリと微笑む。

今晩の食卓は、一際賑やかなものになりそうだ。

 

 玄関前の通路とリビングとを繋ぐ引き戸が開かれ、お袋と光男さんの二人が顔を覗かせた。

 

 

「おかえりなさいっ、二人とも! あのねあのね、今日の夜ご飯はね───!」

 

 

 

 

 

 





いかがでしたか?

飛鳥は一応中学三年生という設定なのですが、こうして書いてみるとあまりにピュアすぎて小学生くらいなんじゃないかと我ながら思います。数年越しに書くとこうして過去の設定に首を締められたりもするのです。
ちなみに作中の肉じゃがのレシピは私が普段作るものをそのまま流用しています。生姜を入れるレシピも結構メジャーなようですが、私は苦手なので絶対に入れません(断固)。
豚肉の生姜焼きなんかは好きなんですけどね。何が違うんでしょう。

それでは今回はこの辺で。ありがとうございました!

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