この小説は三年生に甲子園を狙うためには何が必要だったか、を形にしたものです。丹波さんは消えます。ファンの人は申し訳ねぇ。
それは、ここ最近で一番驚きのニュースであった。
「はぁ!?東さんが中坊ごときに三振食らったぁ!?くだらねーフカシしてんじゃねぇぞコラァ!」
いつも喧しい男が、更に喧しく叫びたてる。が、内心では俺も同意見だった。
怪物、東 清国。我が青道高校が誇る超強力打線の中核を為していた、今年のドラフト候補スラッガー。そんな男が中学生と1打席勝負とはいえ、三振を食らったというのだから、確かに驚きだ。もっと言えば、ここにいる面子はそんな怪物の実力を2年も間近で観てきただけに、その驚きはひとしおだろう。
「...同感だな」
珍しいことに、普段は寡黙な男すらこの話題は聞き流すことはできなかったようだ。
「哲」
「打ち損じに仕留めるなら話はわかる。が、東さんから3つのストライクを奪えるのは、高校のエース級でもほんの一握りしかいない。...気になるな」
ふむ。哲也の意見ももっともである。あの人、典型的なパワーヒッターに見えて、実はとても三振の少ないバッターなのだ。
「コラァ、
キャー、巻き込まれてしまった!
「...まぁ、俺も同じ意見だよ。俺が全力で投げてもあの人から三振とるのは難しいな...。せめて3打席欲しいね」
どうシュミレーションしても、1打席では運の要素でも絡まない限り無理だ。
多少のリップサービスを含めて話題を逸らそうとしたのだが。
「なにウチのエースが弱気なこと言ってンだ!中坊に敗けを認めてンじゃねぇ!」
「えぇ!?」
なにが正解なんですか!?
「まあまあ、純。気持ちはわかるけど落ち着きなよ」
俺があまりの理不尽さに固まっていると、ニコニコとしながら奴が止めに入ってくれる。
「だがなぁ、亮!」
「そいつが仮にウチに来るなら目一杯絞ってやればいいし。別の高校に行ったならお前が敵を討てばいいだろ?」
流石、器用!体格こそ恵まれていないが、センスとそれを上回る努力の男。小湊 亮介。相手ピッチャーの嫌がることといさかいの仲介をさせたら右に出るものはいないぜ。
さっきからずっと喚いていた男、伊佐敷 純もぶつぶつ言いながらやっと引き下がってくれた。
ほっ、と一息ついていると室内練習場の奥からグラサンの中年が出てきた。内心ではこんな悪口を使うが、とてもじゃないが本人の前では言えない。死ねる。奴は監督なのだ。
「整列!」
ババッ。
さっきまでのおふざけムードを一気に引き締め、心なしか顔つきも引き締まる。
「新チームとなって1ヶ月たった。秋期大会までもう時間もない。いいか!調子の良い選手はどんどん
この人のこれは発破でありながら決して冗談ではない。下手な話、実力が足りていなくても調子の波が来ているヤツを監督は使いたがる。
この精神論が廃れた時代。何を言ってんだと笑われることもある。しかし、野球には確かに、理屈では説明のつかない『勢い』と言うものがある。チーム力が下のものが上のものを喰うことだって珍しいことじゃない。
しかし、選手の方はたまったものじゃない。たまたま誰かの調子が良いというだけで、実力では下の者にレギュラーを譲らないといけないなどと、冗談じゃないのだ。
だから努力する。調子の波では越えられない、圧倒的な実力を身に付けるために。
そうして出来上がるのが、片岡監督の率いる青道高校野球部なのだ。
「愛川!」
「はい!」
心の内でなんちゃって解説をしていたので、急に呼ばれてドキッとしながらもなんとか顔には出さずに返事ができた。
「貴様...。最近投球練習を始めたそうだな」
「!?」
ば、バレてる!誰にも気づかれないように、夜中の室内練習場で宮内と5分くらいしかしていないのに!
「秋期大会に間に合わせたいという気持ちは十分にわかる。チームとしても貴様が戻ってこれるならそれが一番だろう」
だが、と監督は続ける。
「夏の敗戦と引き換えに貴様の将来を守った三年の心意気を忘れたか?」
「それは...」
会話でわかるように、俺は今故障している。それは決して重い故障ではなかった。肘関節の炎症。言葉にしてみればそれだけのもの。リハビリをしながら安静にしておけば、後遺症もなく2週間弱で復帰できると言うものだった。
ただ、どうしようもなくタイミングが悪かったのだ。
故障が発覚したのが二ヶ月前。もっと詳しく言うなら夏の都大会の最中。
怪物、東清国を擁する青道高校はここ10年では最高のチームと言われ、甲子園出場を大いに期待されていた。その期待は重いものではあったものの嬉しくないはずがなく、1年の秋からエースを任されてた俺も例外ではなかった。日々の練習量は増してゆき、体を苛め抜いての都大会の開幕。そして俺の肘は、異常を来していた。
シード枠であったがための数日の猶予の中で、監督もキャッチャーも気が付かなかった俺の異常を、何故か始めに気づいたマネージャーが強引に俺を病院につれて行き、診察。前述の通りの診断結果だった。
夏の大会の出場は当然反対されたが、そんなに諦めの良い性格はしていない。それほど酷い結果じゃないからと、医者とマネージャーに口止めをして登板。準々決勝まではコールドゲーム含めて全試合完封と誰にも怪我を疑わせない投球が出来たのだ。
そして、運命の準決勝。元々青道と並び、名門と名高い稲城実業を相手に五回まではパーフェクト。東さんの援護射撃のツーランで6回で2ー0と勝ちゲーム、のはずだった。
忘れたくとも忘れられない。7回の裏、先頭打者に四球を与えてしまった俺は、続くバッターのバント処理で一塁へあり得ない程の暴投。この時点で恐らくチームメイト全員が気づいた。俺の異常に。
正直な話、準々決勝の途中から明らかに痛みのレベルが変わっていた。初期の頃はズキズキとするだけだったものが、最早痛いのかどうかもわからない、まるで燃えるような熱さが生まれていた。
後から訊いた話だが、キャッチャーはとある違和感を感じていたらしい。丁度そのころからストレートのサインに首を振る頻度が多くなったそうなのだ。今思うと確かに、ストレートが走らないような感じがして、無意識に変化球でかわそうとしていた気がする。
俺の暴投で無死二、三塁となった時、捕手の御幸がタイムをとった。呼応して集まる内野陣。どいつもこいつも難しい顔してやがる。言わないけどね?先輩ばっかだし。
なんて気を紛らわすような事を考えても、右肘のせいで全く余裕が作れない。背中を伝う冷や汗が無性に冷たく感じた。
「いやいや、甲子園が頭にちらついて油断しました。申し訳ねーっす」
それでも、俺は背番号1を任されたエースだ。
「さあさあ、お戻りくださいバックの皆さん。一つ一つアウトをとっていきましょ...あがっ!?」
無理やり解散をかけようとした俺の腕を、ファーストの東さんがいきなり握ってきた。当然激痛が走る。
「.....いつからや」
「な、何がっすか?」
ドアホ、そう言って俺の頭をファーストミットで叩く東さん。
「よく見りゃ左に比べて右肘がえらい腫れとる。故障はまるわかりや!」
...本当だ。自分の事ながら今まで気づいていなかった。アンダーシャツに隠れた腕の太さが、尋常じゃない。
「...まあ...故障は認めます。でも、今俺がリタイアするわけにはいかねぇでしょ」
「じゃかあしゃい!怪我人の代わりなんぞいくらでもいる「いませんよ」...なんやと?」
「失礼ながら木場先輩、大和先輩じゃ今の状況で二点は確実にとられます。そしたら同点です。誰が打つんですか?あの
7回から稲城のマウンドに上がった1年生投手、成宮。元々シニアリーグでも有名な男だったが、アレは東さんと同じ種類、正真正銘の化け物だ。そこらの凡夫とは比べられない程の存在感、躍動感。正しく天才の一人だろう。アレを打てるとすれば...。
「ワシが一発ぶちかましたるわ!心配いらん!」
そう、今日のウチの打線でアレを打てるとすれば、同じ化け物である東さん、そして
かといって、確実に打てるという訳でもない。となればそのまま延長戦にもつれ込む。怪我人の俺と、その俺に数段劣る先輩投手二人の青道。対する稲城実業はまだまだ元気であろう成宮と、控えの投手が何人か。少なくとも、延長戦は分が悪すぎる。
「...御幸、お前はどう思う。正直に言ってくれ」
サードの哲也以外先輩である内野陣からの圧力で旗色の悪さを悟った俺は、唯一この場で年下の捕手に意見を求める。
「そうですね。正直に言わせて貰えば、控えの三年生お二人よりも、怪我をしているとは言え鷹南さんの方が未だに上です。ボール自体はキレてますし」
そう、投げている球自体は普段とそれほど変わらない速度と威力のはずなんだ。何せ、御幸は俺の怪我には気付かなかったのだから。
「でも、俺も鷹南さんの続投は反対です」
だが、俺は味方にすら裏切られた。
「おい!御幸!」
「すみません。でも俺はキャッチャーとして、明らかな故障を抱える投手に投げさせるわけにはいきません」
━━━━それでは、あの人の二の舞だ。
言外に込められたその言葉は、どんな言葉よりも俺の奥底に突き刺さった。俺や東さんと同じく天才と持て囃された、本来ここで一緒に戦っているべき男は、今は病院で必死に戦っている。
アイツの話を出されて二の句を継げなくなった俺を他所に、ベンチからは伝令が出て、交代を告げていた。
「...早く球場の外のタクシーに乗り込んで、病院にいけ。太田部長が待っていてくれている」
重い足取りでベンチまで下がった俺を、監督はそう言って迎える。叱責はなかった。それが、何よりも悔しかった。
ベンチにいる三年生や同級生の控えの選手たちが俺に、よくやった、と声をかけてくれる。
なにもしちゃいねぇ。
勝たなきゃ意味がねぇ。
この時、俺は既に青道の敗北を悟っていた。理由は天才故の感性、とでも言っておこうか。
俺はエースでありながら、最後まで勝利を信じ、気持ちだけでも一緒に戦うことが出来なかった。
「今は焦らず、じっくり怪我を治せ。秋大には外野手として出てもらうことも考えている。お前なら、バットでもチームに貢献出来るだろう」
「......。」
違うだろ、監督。俺たちに足りないものは、打力じゃない。東さんたちが抜けた穴は、結城 哲也を筆頭に二年生陣が必死に補おうとしている。哲なんかは特に、キャプテンに指名されてからは纏うオーラが違ってきている。少なくとも、攻撃力は決して前のチームに劣っちゃいない。
足りないのは...。
「ただいま」
纏まらない心のモヤモヤを抱えながら、家に戻る。時間は9時丁度。青心寮の寮生ではない俺は、バス通学だ。
俺の帰宅に対するアクションは相変わらず、無い。
この家は父、母、俺、妹の四人家族だが、父と母はどちらも弁護士であるため、よく事務所に寝泊まりすることが多い。よって普段は俺と妹しかいないのだが...。
「.....おかえり」
リビングにいた妹は、まだ制服のままであった。食卓を見れば二人分の食事が並んでいる。
「あれ、貴子。先にお風呂入っちゃえば良かったのに」
「鷹南が先に入りたいと思ってね。私は部活の後、ご飯の支度もしてたし」
部活というのは青道高校の野球部のマネージャー。同じ二年生で隣のクラスの藤原 貴子。彼女と俺が家族であることは、恐らく学校中の殆どが知らない。何せ、名字が違うし登下校も別々。バレる要素がない。
「鷹南って...。たまには『お兄ちゃん』とか呼んでくれよ」
「兄妹じゃないでしょ」
「戸籍上はな」
「血だって繋がってないじゃない」
「生物学上はな」
「.....もういい」
呆れたようにソファーから立ち上がり、食卓に座る貴子。俺もその向かいに座る。
家族ではあるが、よそから見たら只の他人の関係性の俺たち。俺の母と貴子の父の内縁関係で出来た歪な関係。
俺は今日も、妹との距離感が掴めない。