「あ〜、さっぱりした」
「やっぱり温泉はいいよなぁ」
豪勢な夕食を食べ終え、翼と一夏は温泉を使った。海を一望できる露天風呂をたった2人で使うなど贅沢以外の何物でもない。
そんな上機嫌で部屋に戻ってきたがそこに千冬の姿はなかった。
「ん?なんだ。お前たちだけか。女1人連れて来んとはつまらんやつらだ」
「いや、それは……なんでもないです」
後ろから突然現れ言い放った千冬に翼は言い返そうとしたが無駄とすぐに悟り中断させた。
そもそもここは織斑千冬も居る部屋なのだ。おいそれと女子をそういう目的で連れて込めるわけがない。
さらに言えば男はもう1人いる。そのもう1人にそれを見せつける、という酔狂な趣味を2人は持ち合わせていない。
「あ!千冬姉」
一夏が口を開いた瞬間、頭に鋭いチョップが入った。鈍い音が響くと同時一夏は痛みで頭を抱える。
「織斑先生と呼べ」
「ま、まあ、それはいいじゃん。このメンバーなんだし、久しぶりに、な?」
「ん?何をするんだ?」
「千冬姉にやったら翼にもしてやるよ」
一夏のどこか意味深な言葉に翼は首をかしげるしかなかった。
一夏があることを始めてから30分後。3人の部屋の前、その入り口のドアに張り付いている女子が3人いた。
「「「…………」」」
全員がほぼ同時に生唾を飲み込み、ドアに貼り付けている耳から入ってくる音に集中していた。
『あっ!お前、どこ触って、ッッ!?」
『翼、少し緊張してるだろ?』
『そ、そりゃそうだろ?こんなの、初めてなんだからぁああっ!!?』
『お前、無理し過ぎ。相当溜まってるぞ?』
『そりゃ、こんなことしてる暇なんて、なかっ、うっつうぅ!っなかったからな』
部屋の中で繰り広げられている詳しいことはわからない。しかし、男子2人の声だけはしっかりと聞こえていた。
「こ、こ、これは、一体、何ですの……?」
3人の女子のうちの1人、セシリアがひくひくと口元を震わせ引きつった笑みを浮かべながら残りの2人に尋ねる。
「「…………」」
だが、残りの2人、箒と鈴音はそれに答えず耳まで顔を赤らめそのドア奥から聞こえる声に集中していた。
2人の頭の中には翼が押し倒され一夏がそれに覆いかぶさっている姿が浮かんでいる。ちなみにどちらも裸だ。
『じゃあ、次は––––』
『一夏、少し待て』
『え?どうかしたんですか?』
2人の声が途切れたと思うと別の聞きなれた声が聞こえていた。
違和感を感じ疑問符を頭に浮かべているとドアが思っ切り殴られた。その打撃の衝撃により女子3人は声を漏らし悶絶。
「何をしているか、馬鹿者どもが」
開け放たれたドアの前に立っていたのは当然ながら織斑千冬。腕を組み悶絶して腰を抜かしていた3人を見下ろしている。
「は、はは……」
「こ、こんばんは、織斑先生……」
「さ、さようなら!織斑先生!」
脱兎のごとく逃げ出そうと駆け出す。が、鈴音と箒は首根っこを掴まれ、セシリアは浴衣の裾を踏まれて失敗に終わった。
「盗み聞きとは感心しないが、ちょうどいい。入れ」
「「「えっ?」」」
予想外の言葉に3人は耳を疑う。そんな3人に千冬は加えて言う。
「他の2人、ボーディヴィッヒとデュノアも呼べ」
「「は、はいっ!」」
首根っこを開放された鈴音と箒は駆け足で2人を呼びに走り去った。
同じように浴衣を開放されたセシリアはずれた胸元を正しながら部屋に入る。
「ん?セシリアか」
「よっと、どうしたんだ?こんな時間に」
一夏と翼に声を掛けられセシリアは首を傾げた。
翼の方は少し浴衣を正してはいるがどちらもしっかりと浴衣を着ている。明らかにそう言うことを今までシていたようには見えない。
「ありがとうな。一夏。マッサージ本当に気持ちよかったよ」
「ああ、別にいいけど。お前、疲れ溜まりすぎだぞ?」
「いや〜、わかってはいたんだがなぁ」
2人が交わす会話にようやくセシリアは合点が付いた。そして自分が今まで何を想像していたのかを思い出し顔を赤面させた。
「ふっ、マセガキが」
千冬がそう小さく呟いた言葉を聞き、セシリアはさらに恥ずかしそうに俯いた。
◇◇◇
「––––さて、全員好きなところに座れ」
箒、鈴音、シャルロット、ラウラの4人がおずおずと部屋に入りそれぞれが適当な場所に座った。
「一夏、翼。お前たちはもう一度風呂に入ってこい。この部屋を汗臭くされては困る」
「ん、そうする」
「了解。んじゃ、難しいかもしれないけどごゆっくり〜」
2人はタオルと着替えを持って部屋を出る。その直前、何かを思い出したかのように翼は振り向いた。
「あと、父さんも、変なことしないでくれよ」
そう言い放つと今度こそ翼は一夏とともに風呂へと向かった。
「……まさか、バレてたとはね」
ベランダから源治がゆっくりと入っていた。
女子5人はその現状をうまく噛み砕けていないらしく固まったままだ。
「おいおい。葬式か通夜か?いつもの騒ぎはどうした?」
「い、いえ、その……」
「お、織斑先生や岸原博士とこうして話すのは、ええっと……」
「は、初めてですし……」
口々に言う女子たちに千冬はため息をこぼすと備え付けの冷蔵庫を開き飲み物を取り出していく。
「ほれ。ラムネ、オレンジ、スポーツドリンク、コーヒー、紅茶だ。各人で適当に交換しろ」
そう言われたものの、各々に適当に渡された飲み物に不満はなかったため交換されることなくそれぞれの手の中へと治った。
「「「い、いただきます」」」
全員が言うと手にある飲み物を口にした。全員の喉が動くのを確認して千冬は小さく笑みを浮かべて念を押すように聞く。
「飲んだな?」
「え?はい」
「そ、そりゃ、飲みましたけど……」
疑問符を浮かべる5人より先に源治が何かに気がついたのか口を開いた。
「あ!?まさか!中に何か仕込ん、ッ危な!!」
千冬から投げれたそれを源治は反射的に掴んだ。
「失礼なことを言わないでもらいたい。ちょっとした口封じだ」
源治に投げられたそれと同じものが千冬の手にあった。
それは星のマークがついた有名な缶ビールだった。
「おお!ありがたいねぇ」
千冬と源治はほぼ同時にプシュッ!という音を響かせながらプルタブを開け、喉を鳴らしながら中身を減らす。
そんな2人に唖然としている中、千冬は上機嫌な様子で腰を下ろし笑みを浮かべる。
「本当なら、一夏に一品作らせるところだが……我慢するか」
「んん〜、翼のおつまみが恋しいねぇ」
それぞれがビールを飲んだ感想を口にする。
女子全員はまたしてもポカンとした表情を浮かべるだけだ。いつも見ている織斑千冬という人間と今目の前にいる織斑千冬の姿が重ならない。特にその衝撃はラウラが強く受けているようで先ほどから何度も瞬きを繰り返していた。
「おかしな顔をしてくれるな。私だって人間だ酒くらいは飲む」
「いや、でも……その」
「今は仕事中では……?」
そんな疑問の言葉に千冬はニヤリと笑みをこぼし全員の手元を見ながら言う。
「堅いことを言うな。口止め料なら確かに払ったぞ?」
そこまで示されてようやく渡された飲み物の本当の意味を悟り「あっ」と声を漏らした。
「さて、んじゃ肝心の話をしようか」
和やかな雰囲気から唐突に真剣なものへと変わり自然と5人の表情も引き締まる。
「君たちは、彼の過去を知っているのかい?」
4人が首をかしげる中その言葉の意味を理解できたシャルロットだけは目を見開いた。
それを源治は見逃すことなく「なるほど」とつぶやきビールを飲む。
「1人は知っているようだね」
どこか意外そうに呟くと源治は再び口を開く。
「君たちに彼の話をしよう。少し昔の話さ」
(それでもなお、君たちが彼に想いを寄せるのなら––––)
それから翼が過去に何をしてきたのかを源治は話始めた。今までの経験、少なくとも自分が知っている翼の過去を。
「––––と、これが私の知る全てだ」
それが終わると5人は言葉を失い半ば呆然としていた。
千冬はそれを聞きながらどこか物悲しげな表情を浮かべながら窓の外に映る海を眺めていた。
「……なぜ、それを私たちに?」
他の4人よりも少し早く現実に戻ってきたラウラは源治に問う。
源治の話はあまりにも現実離れしていた。それに酷く残酷な話だった。
本当の親に強い恐怖を覚え、自分を守ってくれていた姉妹をその父親ごと殺した。
それも小さな子どもがだ。全てを奪われたのではない。自分で自分の全てを捨ててしまった。
例え全て無意識化でやったとしてもそれは変わらない現実だ。
「君たちは翼が好きなんだろ?」
全員が何も答えない。視線も合わせない。しかしほぼ同時に頷いた。
「なら、彼の隣に立ちたいと思うのなら彼の過去は知らなければならない。彼の過去を知ってなお、それでも君たちは彼の隣に立てるかい?」
源治の問いにしばらくの沈黙が続いた。そんな時だった。
「……私は、それでも、翼の隣にいたい、です」
箒がしっかりとした眼差しを源治に向けながら口を開いた。
翼への想いは消えてはいない。彼が過去にやったことは消えはしないし許されはしない。償いもしなければならない。しかし、それでもと想う。
「そう、ね。誰かがあいつの近くにいないと、あいつ絶対に無茶するし」
鈴音が呆れたように息を吐いて口を開いた。
翼はいつも何かに責め立てられるように何かしている。勉強であれ、ISの設計や開発であれ、なんにせよ彼は何かから逃げるようにしていた。それを支えてやりたいと思った。
「翼さんは、それでも、素敵な方ですわ」
セシリアが優しく微笑みながら口を開いた。
彼の過去は今知った。それでも今の彼を嫌いにはなれなかった。過去は確かに問題だ。しかし、今まで接してきた彼は嘘ではない。少なくとも自分はそう信じている。
「翼は、うん。本当の僕を知っても何も言わなかった」
シャルロットはあの時の記憶を思い出しながら口を開いた。
彼はシャルロットの事を知っても攻め立てることなどしなかった。そうされてもおかしくはなかったのに、それでもしなかった。たったそれだけで肩の荷はだいぶ降ろされた。
「……あいつは、私を守ると言った。ならばあいつの隣を守るのは夫たる私の使命だ」
ラウラは今一度強い意志を持ち口を開いた。
あれだけの自分の過去を背負っておきながらそれでも彼は「守る」と言った。今ならわかる。それだけ彼の意志が強いことが。
「……そうか、そうか。あいつは本当に、いい子たちに出会えたわけだ」
源治が満足そうに頷きビールを煽ると改めて女子たちに言った。
「なら、私は君たちに対して何も言わない」
その言葉を聞き女子たちは表情を緩める。彼の義理とはいえ父親に認められた。これほど心強いものはない。
ほっと息をついたのもつかの間。源治は何か思い出すように呟いた。
「まぁ、でも、君たちには少々手強い少女がいる。その子をどう退くのか、私は期待してるよ」
彼女たちが意味深に呟かれたその言葉の意味を知るのはもう少し後のことだった。