プロローグ
閑静な住宅街。
そこでは車が通り過ぎる音、蝉の声に真夏だというのに元気に走り回る子どもの声が遠巻き響いていた。
そんな場所にある外見上は普通の一軒家。
パソコンのキーボードを小気味よく弾く音がクーラーが適度に効いている部屋に響いていた。
「ん~と、よし。こんなもんかな……」
パソコンの画面を見ながら呟いた少年、
肩が回される度に1つにまとめられた綺麗な黒の襟髪が尻尾のように揺れる。
半ば女性のような顔立ちの目元を抑えて翼は一息ついた。
そんな時、モニターに映る時計が目に入った。そうしてようやく彼は針が12時を過ぎていることに気がついた。
「あ~、もうこんな時間か」
翼が呟いたと同時、まるで見計らったかのように部屋のドアが数回ノックされて女性の声が投げかけられた。
「昼食が出来ましたのでお呼びに来ましたが……いかがでしょう」
「ああ、大丈夫、今一区切りついたところだから行くよ」
女性の声に応えながら立ち上がった翼は部屋の扉を開いた。
その先には予想していた通り、ゴシックなメイド服に身を包んだ女性が笑みを浮かべていた。
彼女の名前は
アルビノ特有の赤い目と白い肌、肩上で切りそろえられた銀髪が特徴的な女性だ。
彼女は岸原博士夫妻の助手をしている。
住み込みで助手をしており、研究を手伝うこともあるがそれと同時に家事を率先して行なっている。研究科気質の人物しかいない岸原家では重要な存在だ。
「いつもありがとう。咲夜さん」
「いえ、構いませんよ。これも私の仕事ですから」
そう答えた咲夜は一階のリビングに向かった。
それに続いて階段を降りた翼はリビングに入ってダイニングの椅子に腰を下ろした。
改めて緊張をほぐすように息を吐いてリラックスしたところで今日1日ずっと疑問に思っていながらも問えずにいたことを切り出す。
「ねぇ、咲夜さん。1つ聞きたいことがあるんだけど……」
台所での作業を終えてタオルで手を拭いていた咲夜はいつも浮かべる和かな笑顔を翼に向けながら首を傾げた。
「なんでしょう?」
「なんで今日メイド服着てるの?」
たしかに彼女はこの家ではメイドのような役割を持っている。
だが、いつもはもっと普通の服装をしていた。なのになぜか今日はメイド服である。
変に露出が多いコスプレじみた物でないところは良いが、そのせいで一般的なこの家では浮いて見えてしまっていた。
「え? へ、変でしょうか?
はっ!? まさか似合ってないとか……」
焦った様子でスカートを軽く摘み自分の体を見回し始めた咲夜へと翼は慌てて言う。
「い、いや。そうじゃなくて。その、似合ってるけどさ」
「ああ、良かった。ありがとうございます」
咲夜は嬉しそうに微笑みながら頭を軽く下げた。
答えは聞けていないが少し照れ臭さを感じた翼は話を逸らすことにした。
なにか丁度いい話題を探ろうとリビングとダイニングを見回している時、それに気が付いた。
「え、えっと、そ、そういえば父さんと母さんは?」
「ああ、お2人ならおそらく––––」
咲夜は全てを言い切らずに下を見る。
そして再び上げられたその顔は少し引きつっていた。
翼は咲夜のその動きと表情で2人がどこにいるのかを察した。
「地下室か……」
◇◇◇
階段の後ろにある梯子を降りて地下室に入った翼は目的の人物たちをすぐに見つけた。
1人は男性で身長が高く180cmぐらいあるだろう。髪は寝癖のようにはねている。
もう1人は身長は平均的、だが髪が長く腰のあたりまである女性だ。
「父さん、母さん。咲夜さんがご飯作ってくれたんだけど、そろそろ休憩にしないか?」
「あらもうそんな時間なの?」
おっとりとした柔和な顔立ちで微笑み答える女性は翼の母である
「む。もうそんな時間か、早いな」
顎に手を添えながら答えた男性は翼の父親である
翼は通常運転の両親に少しため息をつき、ここで何をしていたのか聞こうとしたがその答えはすでに両親の後ろに鎮座していた。
【IS】、正式名称【インフィニットストラトス】。
元は宇宙での使用を想定されていたマルチフォーム・スーツである。
しかし、様々な理由から結局宇宙進出は全く進まず、兵器と呼ばれるようになり各国の思惑から最終的にスポーツへと落ち着いた代物だ。
そのIS、それも白いISが翼の目の前にあった。
「ユニコーン……だっけ?」
「ああ、もう解体しようと思ってな。その準備をしていたんだ」
「え? 咲夜さんがなるんじゃなかったのか?
てっきりそうだとばかり思ってたんだけど」
「ええ、私たちも最初はそのつもり、だったんだけどね。
色々考えて咲夜ちゃんには別の機体を用意することにしたの」
「そうなんだ……」
少し勿体無い気持ちで翼は呟いた。
一見オーバーテクノロジーのようなISだが、それにも大きな欠点がある。
そのせいで翼は解体を待つユニコーンを見つめることしかできない。
「俺が動かせたらなって思うけど、男じゃ動かせないんだよな」
そう、ISは男には反応せず、女性でしか動かせないのだ。
理由は不明。開発した3人のうちの2人、つまり鳥也と楓にもそれはわからない。
翼はゆっくりと両親の間を抜けてユニコーンの眼前に立つ。
そのままじっと見つめて搭乗者がついぞ現れなかった機体の装甲へと手を伸ばした。
その時の彼にあったのは哀れみだった。
ISコア開発者によって制作された様々な最新技術を試験的に導入されたIS。区分的には現在様々な国、企業や機関で開発されている第3世代の一歩先、第3.5世代に区分されておきながらただの一度も動かされることがなかった機体。
ただの一度も何もなせず、ただ消えていくそれを哀れみ、労うために少し撫でる。
そのつもりだった──
「ッ!?」
ユニコーンに触れた瞬間、頭の中に濁流のように知識、情報が押し込まれた。
急激な変化でありながらも不思議と恐怖心を覚えられず、ただ翼はユニコーンから発せられた光に飲まれた。
その光が途切れ、地下室に静寂が戻って少し、最初に口火を開いたのは鳥也だった。
「な、ん……これは何の冗談だ?」
「う、ウソでしょ……」
楓と鳥也は目の前の本来ならばありえない現実を見て息を呑む。
自分たちが作った物だからこそ、尚更にその衝撃は強かった。
本来あり得ないはずだ。
ユニコーンが起動することも、息子である翼がそれに乗っていることも、その全てがありえないことであり同時に"あってはならない"ことだった。
◇◇◇
玄関から入ってくるや否やリビングに直行し、ソファに翼は倒れ込んだ。
「あー、帰ってきた~」
現在は3月の後半。とある事情によって彼にとっては約8ヶ月ぶりの自宅である。
スライムのように伸びている翼に咲夜が話しかける。
「大丈夫ですか? 翼さん」
「ああ、うん。どうにか……。お茶、貰える?」
「あっ、はい。すぐに準備しますね」
そう言い咲夜は台所へ行き、慣れた様子で冷たい紅茶を入れ、それをトレイに乗せてリビングに向かい翼に差し出した。
礼を言い紅茶を受け取って口をつけて翼は満足気に表情を綻ばせた。
「ふぅ~、やっぱり咲夜さんが入れる紅茶は美味しいね。落ち着くよ」
「ふふっ、ありがとうございます。
随分と疲れているようですが。何かあったんですか?
というよりこの今日まで一体何をしていたんですか?」
咲夜も大体の事情は彼の両親から聞いていたが詳しいことについては知らされず、あれよあれよという内に3人揃ってどこかに行ってしまった。
「うん、咲夜さんにはかなり急いでいてろくに説明できてなかったけど。ほら、俺ユニコーン動かしちゃってさ。その後は父さん達のラボに行ってずっと訓練、訓練また訓練で……」
翼の力ないその声に咲夜はピキッと笑顔を固めて聞き返す。
「えーっと、8ヶ月間ずっと、ですか?」
力なく小さく頷く。
それを聞きその光景を思い浮かべたのか咲夜の表情は完全に引きつっていた。
その表情を咳払いすることで打ち消して同情の声をかける。
「ま、まぁ、あの人達らしい、と言えばらしいですが……お疲れ様でした」
どこか遠い目で頷き再び紅茶を静かに飲む翼を見て「あっ」と何か合点がついように声をあげた。
「なるほど、あれはそういう意味でしたか……」
「ん? どうしたの」
翼の質問に咲夜は「少し待ってください」と言いリビングを出て行った。
数分後、咲夜がリビングに戻ってきて、持ってきたそれを翼に差し出しながら言う。
「IS学園の制服と体操服、パンフレットです」
「あー、そっか。なんかそんなこと言ってたな……」
咲夜が差し出したものを受け取った翼はパンフレットを軽くパラパラとめくる。
(まぁ、動かしちゃったからなぁ……)
翼は一通り読んだパンフレットを閉じると綺麗に折り畳まれた制服を手に取った。
IS学園。不安なことも多いが、IS開発者を志す翼にとっては良い経験になるはずの場所だ。
そこに通うこと自体は問題ない。納得もできる。
ただ脳裏にラボで聞いた話がチラついていた。
(ユニコーン……)
腕輪のような待機状態となっているそれを翼は見つめた。