砂上の楼閣   作:やすけん

4 / 4
第4話

 

 

 

夕日が山の向こうに沈んでいく。

 

海岸に目を移せば、押しては寄せる波が見えた。

 

夕焼けが美しい。潮風に吹かれ、磯の香りが鼻腔につく。ここでコーヒーを飲みながら煙草を吹かせば、最高だろうな。

 

神田は泥まみれの格好で、直立不動の姿勢を取りながら、そんな事を考えていた。

 

だが、今神田が置かれている状況はそんな生易しくなどない。コーヒーを淹れる時間も、煙草を吸う時間も与えられない。

 

ここは、戦場だ。

 

神田は本気でそう思っていた。

 

(なか)ば、右向け、右!」

 

教官の、真柄(まがら)三曹の号令に入隊したての新兵達が節度を持って方向を変える。

 

ここは武山駐屯地。第117教育大隊だ。

 

関東圏、つまりは東部方面隊の新入隊員が通る登龍門としてその名を轟かせている。

 

4月より始まる新隊員教育課程。当初の3ヶ月間の前期教育は、いわばふるい落としだ。理不尽な事を強いて、極度のストレスを与える。過ごしやすい環境など与えない。常に緊張状態を強いる。戦争という極限の状況に耐えるために、教官はこれでもかと生徒を追い込む。耐えられない者は、辞めるしかない。

 

「腕立て伏せ、用意ッ!」

 

「1、2」と数えながら新隊員は伏せ、脚を伸ばし腕立て伏せの姿勢を取る。

 

「立て。声が小せぇんだよッ」

 

真柄三曹は1人で新隊員50人分以上の声を張り上げる。整った2枚目の顔を怒気に歪ませ、眼光だけで人を殺そうとする。

 

「腕立て伏せ、用意ッ!」

 

「「「1、2」」」

 

真柄三曹も、同じく腕立て伏せの姿勢を取る。

 

「てめぇら。自衛隊舐めてんだろ」

 

「「「舐めてませんッ!」」」

 

新隊員が一斉に吠える。

 

「だったら何でてめぇら、時間ぐれぇ守れねぇんだッ! 保育園児だって、バスの時間に間に合わす事が出来るわッ」

 

「…………」

 

新隊員は黙るしかない。なぜなら、最初から真柄は達成不可能な時間を新隊員達に課していたからだ。100mを5秒で走れと言っているのと同じくらい荒唐無稽な時間提示だった。

 

「返事も出来ねぇか。てめぇら保育園児以下だな! 乳離れも出来てねぇクソガキが何しに来たんだ! ここは保育園じゃねぇぞ。ママが恋しかったら帰りやがれッ!」

 

現在時、1654(ひとろくごーよん)。つまり、午後4時54分だ。

 

「もう終礼の時間を4分も過ぎてんだよ。どーすんだ、区隊長はちゃんと時間通り来たのに、お前らが来ねぇから帰っちまったぞ。誰に課業終了の報告するんだ? こーなったら、消灯までこのままだな」

 

真柄三曹はホイッスルを口に咥え、音色を轟かす。

 

音に合わせ、全員が体を沈める。次の音で、体を起こす。

 

真柄三曹の鋭い目が、新隊員を端から端まで見て回る。

 

「お前らみてぇな根性も気合いも覚悟もねぇクソガキが、自衛官務まると思ってんのか! そんなケツの青いクソッタレ共を”1人前”の自衛官にするんだよ。お前らは、自衛官になる為に試験受けたんだよな? だったらこれぐらい耐えてもらわねぇと話にもならん。『僕は2年で辞める』? 『俺は消防士になる』? 知るか。知ったことか! 在官中はそんなガキの都合なんざ優先されねぇんだよ。戦争が起これば戦地へ赴く。自然災害が起これば自己の危険を顧みず被災者を救出しに行くんだよ! 自己の都合なんてな、言い訳にもならん。自衛官はな、最強じゃなきゃ勤まんねぇぞ! てめぇの体重も支えられねぇクズは、自衛官になれはしねぇ。自衛官は何を守ってるか知ってるかッ?」

 

国です人です日本です。

 

新隊員が思いおもいに口を開いた。

 

「俺たちは日本を守ってんだ! 自分の身は守れて当たり前。隣の仲間も守れて当たり前。この日本を守れて当たり前だ!」

 

「「「はい!」」」

 

「だったら甘い考えは捨てろ! お前たちはもう”一般人”じゃねぇんだ。国土を、国民を守る牙なんだ。これくらい耐えてみろ! 想像を絶する状況に耐えられる兵士は、想像を絶する訓練に耐えている。こんなのは序の口だ。飯前の手洗い。運動前のストレッチ。セックス前の爪切りだ!」

 

「「「はい!」」」

 

音に合わせ、全員が体を沈める。次の音で、体を起こす。

 

神田がカウントする事、30回。真柄三曹は新隊員を端から見回す。

 

終わるかと、少なくとも1度立ち上がり肩を回すかと思ったが、ホイッスルは鳴る。

 

「人を1人2人担いででも自衛官は走らなきゃならねぇ時は走るんだ! 1人で敵地に潜入して情報を集めろと言われなら集めるんだ! 不可能を可能にしろと言われても、そうするしかねぇんだ! 甘い考えは捨てろ! 楽が出来たのは昨日までだッ!」

 

伏せて、起きる。伏せて、起きる。伏せて–––。

 

更に何度目だろうか。もう体を上げる事が出来ずに、ずっと地に這っている奴がいる。下す事が出来ず、腕立て伏せの姿勢で固まった奴がいる。ホイッスルは、鳴り続ける。

 

伏せて、起きる。伏せて、起きる。

 

神田もしんどい。姿勢の維持には体幹が必要だが、その体幹が疲弊し、体を一直線に保つ事が出来なくなる。

 

対し真柄三曹は、波打つ事なく、体を見事な一直線に保ったまま腕立て伏せを継続させている。

 

神田は、同じ人間のはずなのに、何故これほど体力に差が出るのか疑問に思った。

 

「立て。肩回せ」

 

真柄三曹の底冷えする声に新隊員は言われるがまま、立ち上がり肩を回す。

 

誰しもがもう終わりかと思った。

 

「国旗に正対する。気を付け! 回れ、右!」

 

号令と同時に国旗降下のラッパが駐屯地に鳴り響く。これでカリキュラム上は訓練終了だ。

 

だがそれを額面通りに取ると精神的苦痛を受ける事になる。国旗降下、この間が正直貴重な”休み時間”だ。

 

「回れ、右! 腕立て伏せ、用意ッ」

 

新隊員の間に、絶望の空気が漂う。やはりかと言うように。分かっていても、辛い事が続くのは当たり前のように辛い。

 

新配置の反応などお構いなしにホイッスルは鳴り、鳴り続ける。

 

しかし、いつも真柄三曹は新隊員と同じメニューを自ら実践する。故に、誰も文句など言えないのだ。

 

今日も朝からずっと戦闘訓練で、新隊員が順繰りに訓練するのに対し、真柄三曹は休みなくずっと監督していた。

 

明らかに真柄三曹の方がタフだ。業務的にも肉体的にも。

 

神田も、下げたはいいが、とうとう体を起こす事が出来なくなった。

 

歯を食いしばり、上げようとするも、腕と胸がはち切れるような感覚がして、つい地面に体をつけてしまった。

 

「立て」

 

即座に真柄三曹が指示をだす。どうやら、最後まで腕立て伏せをやっていたのは神田1人だったようだ。

 

「飯の時間だ。今日はこれくらいにしといてやる。上がれ」

 

颯爽と姿を消す真柄三曹の背中を新隊員は畏怖(いふ)の念で見送った。

 

 

✴︎ ✴︎ ✴︎

 

 

その日の科目は1日戦闘訓練であった。

 

国旗掲揚後、新隊員は武器を搬出し、戦闘訓練場へ向かう。

 

しかし、出発前に真柄三曹は1人の新隊員を引きずり出した。

 

「おい。何でこいつ装具の脱落防止をやってねぇんだ? おいッ! 班員の奴らは何やってんだ!」

 

脱落防止とは、弾帯というベルトに装着した弾のうや携帯シャベル、水筒等が落ちないように二重に固定するという、自衛隊では基本的な戦闘訓練前の処置の事だ。

 

「言ったよなぁ。昨日の内にしっかり班内で点検して出て来いってよ。こんなんも出来ねぇでよく入隊しようと思ったな。頭が上がらねぇよ。俺は」

 

真柄三曹はまるで爬虫類のような目で新隊員を見回す。

 

「っていうかお前。何で水筒が真横に来てんだよ。弾のうが後ろにあって、弾倉交換出来るんか。敵はお前の弾倉交換を待ってなんかくれねぇんだよ! その横にあるか後ろにあるかの違いで、てめぇは死ぬかもしれねぇんだぞ。分かってんのか?」

 

「……はい」

 

「はい? 今お前、はいって言ったか」

 

「はい!」

 

「てめぇは分かってて弾のうを後ろに付けたのか。舐めてんじゃねぇぞクソガキが! 至近距離で接敵した場合、その弾倉交換をいかに早くこなせるかで命運が分かれるんだよ。お前が手を後ろに回すより先に、敵は脇の弾のうに手が届くだろうよ。お前が弾倉を取り出した頃には、敵は弾倉交換に取り掛かってるだろうよ。お前は弾のうを後ろに付けたがために、敵よりワンテンポ遅れる羽目になって撃たれるんだ」

 

「……」

 

「てめぇが弾倉交換を早く出来なくて、撃たれました。弾丸は胸骨を突き破り、肺を貫きました。てめぇはそれで1人で陣地まで下がれるのか?」

 

「出来ません!」

 

「分かっててやったんだよな。お前は」

 

「……………はい」

 

「その自殺願望者が負傷した。お前の周りの仲間は、どうするだろうな?」

 

「……」

 

「お前みたいなクソ野郎のために、危険を冒して助けに来るんだよッ! お前のそういう軽率な行動で、大勢を危険に晒す事になるんだよッ! それをてめぇは分かっててやったんだな?」

 

「……」

 

「分かっててやったんだろうがッ! 返事ぐらい出来るだろうが」

 

「はいッ! 分かっててやりましたッ」

 

「訓練で助かったな。実戦ならお前の同期の大半が、お前を助けるがために被弾して、全滅だッ」

 

–––腕立て伏せ、用意ッ!–––

 

「バカ。お前は見てるんだよ」

 

脱落防止をし忘れた新隊員が腕立て伏せの姿勢を取った途端、真柄三曹は一喝する。

 

「お前のせいで、同期がこんな目に合うんだ。自分の行動に、責任を持て。お前ら1人1人の行動次第で、勝ち負けが決まる。覚えておけ」

 

それから真柄三曹は、人数分の回数を実施するよう伝達。カウントは脱落防止をし忘れた新隊員だ。

 

真柄三曹も、同じように腕立て伏せをする。

 

自身は5個班ある内の1班長。つまりは先任班長(チーフ)となる。班員の失態は、引いては班長の失態だ。新隊員が脱落防止を出来ないのも、自らの指導不足として、同じように罰を受ける。

 

これに時間を食った。真柄三曹は訓練場まで走っていく事を命令する。

 

新隊員の大半が、既に腕や胸が張り、銃を保持するだけでしんどい状態だ。

 

その状態で、走る事を強要した。

 

銃を胸の前に上方45度の角度で構え、走る。ハイポートと呼ばれる新隊員殺しの苦行だ。新隊員の列の前に真柄三曹が立ちペースメーカーを務める。

 

走り出すと、真柄三曹は振り返りつつ新隊員に罵声を浴びせる。

 

–––声が小せえッ!–––

 

–––てめぇらそんなもんかッ!–––

 

銃の保持が甘く、銃口が真横を向こうものなら、”直接体に触れる方法”で指導する。

 

–––てめぇは敵を殺す前に仲間に銃を向けるのかッ!–––

 

新隊員を纏める取締という係がある。取締はハイポートをする際などは列外に出て、掛け声をかける。

 

しかし、ただでさえ辛いハイポートで大声を出し続ける取締はすぐにバテてしまう。そうすると、列について行けず、徐々に後退して行く。真柄三曹はそういった新隊員の武器を持ち、走り続けさせる。同じように武器を持って、新隊員全員分より大きな声を出して、取締の代わりに掛け声を掛ける男気のある奴を募る。

 

いさみでた新隊員にその場を任せ、真柄三曹はペースメーカーに復帰する。

 

そうして臨場感のある移動で戦訓場についた新隊員達は、それだけで体力を使い果たしたかのように手に膝を着き、息が荒い。

 

「まだ訓練始まってねぇよ。さっさと並べ」

 

それなのに、真柄三曹は汗ひとつかいていない。

 

新隊員は陸曹の異常なスタミナに驚かされっぱなしとなる。

 

戦闘訓練を担当する真柄三曹は、班ごとで回す訓練メニューを新隊員の誰よりも大声を出し続け、午前中ぶっ通しで指導をした。

 

昼食を挟み、午後も戦闘訓練。

 

ハイポートで移動し、訓練が始まれば匍匐前進(ほふくぜんしん)で地面を這う。体全体を使う匍匐前進は非常に辛く、速度を追求されるため新隊員は更に追い込まれる。

 

「おら! 踵は地面に着けんだよ。そうだ。それでもっと早く行け! 行けっつってんだろうがッ」

 

石を、土塊を匍匐前進中の新隊員の頭にぶつけながら、真柄三曹は声を張り上げ続ける。

 

「砲弾が落ちて飛んできた破片はこんなもんじゃねぇぞ! 少しでも長く生きたいと思うなら、当てにならねぇ神様に祈るんじゃなくて、もっと早く進むんだよッ。そして敵を殺せ!」

 

これほど恐ろしい人がいたのか。スパルタ過ぎる。しかし、これでも時代に合わせて優しくなっているというから、昔は本当に殺されると思いながら新隊員は教育を受けていたに違いない。

 

神田も新隊員の1人だ。自分の番が来て、真柄三曹が近くにいた時は生きた心地がしなかった。まさに戦場だった。

 

✴︎ ✴︎ ✴︎

 

課業が終わり、自由時間かと思えばそうではない。

 

時間的な束縛はないが、新隊員は翌日の訓練に向け準備することがある。

 

主なものはブーツ磨きと戦闘服のアイロン掛けだ。

 

しかし、与えられた備品–––洗濯機やアイロン–––は人数に比して圧倒的に少ない。

 

運が悪ければ他の者に取られ続け、使えない日もある。

 

そんな中で新隊員はブーツの皮を黒光りするほどに磨き、野菜が切れるほどにプレス線をつけなければならない。

 

裏表均等にアイロンを掛ければ、腕や膝部分には見事に1本線が出来上がる。これがプレス線だ。ブーツのつま先は、顔が映るくらいに磨かなければならない。

 

抜き打ちで行われる服装点検は、1つの指摘事項に付きペナルティが課せられる。

 

戦闘服に1つでも皺があれば1点。ブーツに汚れた箇所があれば1点。光っていなくても1点。立ち姿に気勢が溢れてなければ1点。目に光がなければ1点。

 

言いがかりにも等しい指摘を受け、1点につき10回腕立て伏せをやらされる。

 

要領の悪い者などは10点を超える指摘を受け、それだけで心身共に削られる事になる。

 

ただでさえ辛い訓練の前に腕立て伏せをする事は避けたい。新隊員は班長に言われるでもなく自主的にアイロン掛けやブーツ磨きを毎日行うのだ。

 

自衛官は常に端正な服装を心がけなければならない。

 

これは自衛隊法で決められた事項なので、嫌がらせでも何でもなく、こういった教育の仕方として成立している。

 

神田は戦闘訓練で泥だらけとなった戦闘服の泥を落とし、洗濯機に放り込む。その間にブーツを磨き、取り出した戦闘服にアイロンを掛ける。

 

翌日も訓練のため、生乾きで臭かろうが何だろうがしっかりとプレスを掛けた物で参加しなければならない。

 

まだ他の者もプレスを掛けなればならないので、出来るだけ早く正確にアイロンを掛け、神田は憂鬱な気持ちで(とこ)に伏せるのだった。

 

✴︎ ✴︎ ✴︎

 

そんな日々を3ヶ月送り、新隊員達は特技課程といわれる後期教育へとシフトする。自己完結型組織の自衛隊は戦闘職種から司法職員、医者等幅広い選択肢が用意されている。その職種の専門的知識や技能を培うのが後期教育となる。

 

神田は、その多彩な職種の中からバトル・オブ・クイーン(勝利の女神)の異名で呼ばれる普通科を選択した。

 

理由としては、真柄三曹が普通科だから、という1点のみ。

 

神田が初めて接する自衛官。真柄三曹は今まで見てきた誰よりも強く、カッコよくて、怖かった。

 

憧れたのだ。その強さに。他人にも自分にも厳しい真柄は一切の妥協を許さない。それは自身の仕事がミスの許されない職業で、自らが非常時の際は最後の砦となるからだ。プライドと責任感。それが真柄を支え、鍛え、畏怖されるほどの人間性と体力を練り上げたのだった。

 

神田は、その真柄に追いつきたかった。自分も真柄のような自衛官になりたいと思った。いつか共に、背中を預け合える戦友になりたかった。だからこそ、真柄が在籍している第一空挺団ではなく、第一普通科連隊を勤務地として希望し、赴任した。

 

”次会うときは1人前ですよ”

 

神田は武山から練馬へ移動する際、真柄にそう言った。

 

真柄はそこで初めて笑顔を見せた。

 

「そうか。頼もしいな神田。俺の(げき)に最後まで食いついて来たのはお前だけだった。神田。お前はガッツがあって見所がある。頭も良い。俺なんかすぐ追い越すだろうさ。練馬でも達者でやれよ」

 

「…………」

 

神田は、思わず泣いた。胸を掻き毟りたくなるほどの嬉しさに(せき)を切ったように涙が澎湃(ほうはい)と溢れ出る。

 

3ヶ月間、罵倒しかしなかった自分の班長真柄が、そんな目で見てくれていたなど夢にも思わなかったからだ。

 

このツンデレ!

 

神田は込み上げる思いを抑えられず、袖をぐしゃぐしゃにしてしまった。それを見て、真柄の目にも涙が浮かぶ。

 

「神田、辛い時こそ顔を上げろ。前を見ろ。自分の心の声を聞いて出来ることを全力でこなせ。だがな神田。これだけは覚えておけ。お前は1人じゃない。どうしようもなくなった時は横を見ろ。仲間が、同期がいる。それでもダメでも決して逃げるな。後ろを振り向け。俺が一緒に立ち向かってやる。3ヶ月、よく耐えたな。お疲れさん」

 

「ぁ…ありがとう……ございました!」

 

神田と真柄は固く握手を交わし、再会を誓った。

 

✳︎ ✳︎ ✳︎

 

そして今。

 

真柄は空前絶後のテロリストとなって、自衛隊を攻撃していた。いわば、日本の敵だ。

 

戦闘が行われた神田の居室で、2人は大の字に寝転がりながら天井を見つめていた。凄絶な格闘戦の直後とあって、2人とも汗が額に浮き出て肩で大きく息をしている。

 

「神田、やっぱお前スゲェよ。新隊員、それからレンジャー。奇遇にも俺がお前を教える機会がたくさんあった。誰よりも強靭で、俊敏で、無駄のないスマートなお前は、まさに宝だ」

 

「……」

 

神田は状況が状況だけに、恩師と昔話や軽口を叩く気にはなれなかった。かといって、真柄が自衛隊を攻撃するようになった理由も聞きたくなかった。そんなものあるはずがないと心の何処かで思っている。これは悪い夢で、現実では真柄はアメリカでタクティカルスクールの教官をしているはずだ。日本に居るはずがない。

 

だが真柄は、神田の思惑などに構わずとくとくと語りだす。

 

「俺と阿形はな、言うならば”内部告発”をしてるんだ」

 

内部告発? そんな簡単な言葉で、この惨状を片付けるのか。大勢の人を殺害したと言うのか。

 

「まぁ、俺と阿形は自衛隊辞めてっから、内部じゃないんだがな」

 

一体何を言っているんだ。神田は真柄の真意が読めず、ただただ黙って話に耳を傾ける。

 

「お前はよ、神田。自衛隊の現状をどう思うよ?」

 

「……」

 

神田はしばし悩んだ。質問の意図が分からなかったのだ。それはテロリストに敗北を続ける自衛隊についてなのか、自衛隊の練度についてなのか。

 

「お前は他国の侵略に、今の自衛隊で対処出来ると思うか?」

 

真柄はそう言い換えた。その質問に関しては、恐らく真柄と同意見だろう。

 

「無理だと……思ってます」

 

「だよな。到底こんなトーシロ集団じゃ、シエラレオネの少年兵にも勝てやしねぇな」

 

真柄は鼻で笑った。

 

「俺が殺した空挺団の奴らも、警察の奴らも、骨の髄まで平和という幻想に侵食され、闘争という現実から目を背けている。いや、殺し合いという概念が無い。こちらが本気で殺しに掛かれば、奴らは生まれたての子鹿のように足腰立たなくなり、ただの肉塊と化した」

 

真柄はそこで、おもむろにズボンのポケットに手を突っ込むと、タバコを取り出した。

 

事件現場に残置されていくというチェ・シガレットだ。

 

1本口に咥えると、穂先をライターの炎で撫でるように火を点けた。

 

禁煙の営内居室にタバコの煙が吐き出され、大気に溶け込んでいく。

 

神田はそれを見て、自分も煙のように消えてしまいたいと思った。

 

「この日本は本当に素晴らしいくらい平和だよ。呆れるくらいにな。だが、それはそれでいい。でもな、国を守る尖兵がそんな事では困る。愛国心も使命感も無い奴が銃を持っただけで一端(いっぱし)に戦えると錯覚されてもらっては困る。敵は日本を攻めてくるなら、本気で殺しに来るぞ。俺みたいにな。その時、自衛隊は今回みたいに目も当てられないクズっぷりを発揮するだろうさ」

 

神田はここで合点がいった。真柄が何を言わんとしているのか。それは神田自身もよく考えている一種のジレンマだった。

 

「つまり、真柄三曹。あなたは、自衛隊の練度を世間に知らせるためだけに今回のテロを……」

 

「そうとってもらっても構わん」

 

神田の中で、何か得体の知れない感情がふつふつと巻き起こる。その時ふと、視線を感じ横を見ると真柄と目が合った。不意に、彼の瞳に渦巻く感情の奔流に飲み込まれそうになる。一体、何を見て感じ取ればそんな目が出来るのか。真柄の瞳は渇ききっていた。だがその渇いた瞳の奥には、砂漠を照り付ける太陽のような光が宿っている。

 

「自衛隊はよ、実戦を知らない。防衛省のお偉方は自分の身の振り方を考えるので頭が一杯だ。現場も現場で、クソみてぇな装備しかねぇのに何も言わねぇ。日本の中枢を担うバッジ付きのジジイ共は他のバッジ付きを蹴落とすので手一杯。戦争を知らないトップは自衛隊の練度と他国の練度を比べられない。というか、そもそも自衛隊の事など知らない。任期を何事もなく過ごす事しか関心は無い。バラバラなんだよ。この国は何ひとつ纏まっちゃいない。国防を舐めてる。平和主義者はな、平和を謳歌する家畜の事じゃなくて、平和を勝ち取るために戦う者の事を言うんだ」

 

確かに、それは神田自身も思っている。国防は、国民全体で成すべき事だ。装備を卸す業者も、戦闘がいかなるものか理解し、使いやすい装備を作るべきなのだ。いかなる気象においても作戦展開する可能性がある陸上自衛隊に、『出来るだけ濡らさないで下さい』『強い衝撃を与えないで下さい』という一般家庭用の精密機械と遜色のない通信機など要らないのだ。だが実際は”通信の確保”という言葉が必要以上に重要視されるご時勢となっている。 支給される装備一式は、明治時代ならばハイテク、現代ならばガラクタと言える程に扱いづらい粗悪品ばかりだ。

 

「自衛隊を変える。そのためにはバッジ付きのジジイ共やスカしたインテリ共の頭に、この現状を植え付ける必要があった。これで否応なく、検討する羽目になるだろう。でだ、お前なら俺に協力してくれるかと思って尋ねてきたんだがな、今はそんな事を言える立場じゃなくなっちまった」

 

情けない事にな。真柄はそう言って紫煙を深く吸い込む。

 

「いえ、例え俺が負けていたとしても、あなたには協力しなかったでしょう。最後まで、自衛官として戦い続けたでしょうね。そうやって教えたのは真柄三曹、あなたですよ」

 

真柄は神田のこの言葉に、少し微笑んだように見えた。

 

「そう言うと思ってたさ。この頑固者め。そうか。お前のその意志を、直接聞きたかった……」

 

真柄はそれきり黙り、タバコを吹かす。何か含みのある言い方だったが、神田は自衛官として成すべきことが残っている。

 

「あなたを……警察に引き渡します」

 

「…………これでお前と俺は、(わだち)を分かつ事になるな。最後まで、自衛官として戦って見せろよ」

 

真柄はどこか悲しげな笑みを浮かべた。神田は携帯電話を取り出し110通報を実施する。

 

「真柄三曹。俺はあなたに憧れ、自衛官を続ける決意をした。でも、部隊に配置されたらあなた程に熱意を持った奴はいなかった。本当にうんざりしましたよ。こんなんじゃダメだ。俺たちはいつか訪れる『もしも』の時のために自ら過酷な道を選んだ。全員が覚悟と確固たる意志で任務を遂行しているのだと思っていた。でも、現実は違った。そんな状態を変えるために、どうしたらいいか考えて、行動した。俺はね真柄三曹。あなたの意志には賛同するが、やり方には賛同出来ない。自衛官云々じゃなく、神田悠紀として、関係の無い人々の命を奪ってまで自分のエゴを押し付ける事は出来ない」

 

「そうか……そうだろうさ」

 

真柄は最後の1口を味わい、吸い殻を捨てると大人しく神田に拘束された。

 

✴︎ ✴︎ ✴︎

 

真柄と阿形がパトカーで連行されていかれるのを、神田は救急車の中で見ていた。

 

これでテロは終わった。同時に、恩師を1人亡くした。

 

神田の胸中は荒れていた。日本を救った英雄とでもマスコミは自分を取り上げるだろうか? その話題が出るたび、自分はこの気持ちを思い出すのだろう。

 

そう思うとやるせ無い気持ちで一杯だった。

 

まさか、自分を育ててくれた人をその人だと知らずに倒し……

 

殺す事になるからだ。

 

死刑は免れないだろう。真柄三曹は世間から憎悪の対象として歴史に名を刻まれ死んだ後も語り継がれる事になる。その決定的要因を作ったのが自らの手なのだ。達成感でも、悲壮感でもない。ただ空虚な得体の知れない感情が襲う。

 

神田は脇腹が処置されるのを、光の失せた瞳で見つめていた。

 

✴︎ ✴︎ ✴︎

 

病院に搬送され、神田は精密検査を受けた。

 

医師は神田に外傷性気胸になっていると説明した。折れた肋骨が肺を損傷させ、空気が胸腔内にたまって、肺が虚脱した状態になっているという。

 

幸い、肺の損傷は軽度で、数週間安静にしていれば気胸は快復する見込みだ。

 

神田は入院を余儀なくされ、ベッドで大人しくしていた。窓の外は徐々に白み始め、新たな1日が始まろうとしている。

 

その時、扉をノックする音が聞こえ、2人組みのスーツを着た男が現れた。

 

警察手帳をさっと神田へ見せ、イスに腰を下ろす。

 

「神田悠紀さんですね? 警視庁捜査一課の矢野と」

 

「田中です」

 

どうやら2人は刑事のようだ。一瞬しか手帳を見せていなかったので、それが本物かどうか確認出来なかった。それにしても、こんな朝早くに訪問してくるとは勤勉なことだ。

 

刑事の2人は神田に当日の行動、それから事件の詳細を聞き出した。

 

神田は思い出したくもない事なのだが、出来るだけ細かく噛み砕いて説明した。

 

犯人の真柄一忠と阿形豪について。

 

警察に説明して、今度は自衛隊にも説明か。

 

神田は国の機関が1枚岩ではない事をここでも痛感させられた。

 

2つの組織が情報を共有さえしてくれれば、2度も3度も事件について語らなくて良いというのに。

 

一通り説明を受けた刑事は名刺を取り出し、神田へ渡した。

 

「何かあれば連絡を下さい。どんか些細な事でも良いので、思い出した事とかあれば教えて下さい」

 

神田は生返事を返し外を眺めた。

 

刑事は退出しようと席を立つが電話が来たようで「失礼」と言いその場で通話を始めた。

 

すると、

 

「何ッ! 容疑者が何者かに誘拐されただとッ! 本当かそれはッ」

 

矢野と名乗った年かさの刑事が携帯に怒鳴る。

 

それを聞き、神田は矢野に向き直った。

 

「それって、真柄三曹と阿形三曹の事ですかッ?」

 

矢野はまだ電話口に悲鳴にも似た指示を出している。若い田中が落ち着けと手で神田をなだめる。

 

通話を終えた矢野は神田へ告げた。

 

「そうです。詳しい事は分からないが、2人は何者かに誘拐された」

 

「どういう……事だ…………?」

 

「それは調べてみないとわからない。とりあえず、何かあれば連絡をお願いします」

 

言うや否や2人の刑事は病室を飛び出していった。

 

神田は病室に1人取り残される。

 

真柄三曹と阿形三曹を誘拐。警察から?

 

一体、何が起こっていると言うのか?

 

神田は居ても立ってもいられず、刑事の後を追うように病室を後にした。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。