【完結】島村卯月「もういいです、私、アイドル辞めます」 作:ラジラルク
「ぷ、プロデューサーさん! 遅れてすいませんっ!」
肩で息をしながら私は乾いた喉から必死に声を出した。
それと同時に頭を下げる。ほぼ九十度、気持ちは土下座。
プロデューサーとの約束の日の朝になってようやく決心がついた私。そこまでは良かったのだが、迷いが吹っ切れた途端に突如私を襲い始めた眠気に私は負けてしまった。
それから意識は飛び、次に気が付いた時には外は完全に日が昇っており枕元に置きっぱなしにしてたスマートフォンのロック画面には約束の時間を一時間も過ぎた時刻が映し出されていた。
一気に眠気が吹っ飛んだ私は慌ててプロデューサーに連絡をするとそこから慌てて支度をすまし、家をダッシュで飛び出す。鞄に入りきれなかった『S(mile)ING!』の歌詞が入った封筒を右手に、私は一度も立ち止まらずに約束の喫茶店へと走った。
何度も鏡の前で自分を見ては細かな部分まで気にしていた先週の自分とは真逆の私だ。
到着したのは予定より一時間半も過ぎた頃だった。先週とは違い、店内は多くのお客さんで賑わっている。それもそうだ、先週とは違って今はランチタイムに差し掛かろうとしているのだから。
「島村さん、おはようございます」
「え、あ、はい。おはようございます……」
汗で顔に張り付いた髪をゆっくりと直しながら顔を上げる。
先週同様、今日もスーツをキッチリと着たプロデューサーは苦笑いを浮かべていた。
「前にもこういうこと、ありましたよね」
「え?」
「島村さんと本田さん、渋谷さんの三人が入社した初日の事ですよ。なんだか懐かしくなって昔を思い出しながら島村さんが来るのを待っていました」
私たちニュージェネレーションズが初めて会社に来たとき――……。そうだ、未央ちゃんが広い会社の中を探検しようと言い出した時だ。
初めて会社に来て、テレビの中でしか見たことがない有名なアイドルたちが普通に歩いていて、何より想像以上に大きかった会社がお城のように見えて。
私たち三人は抑えきれない興奮を胸にお城の中を探検してはしゃぎ回った。その結果、プロデューサーとの待ち合わせの時間に遅れて怒られたのだ。
そのことを思い出し、私も思わず笑ってしまう。
そして何より、プロデューサーがそういう細かなことまで覚えていてくれたのが嬉しかった。私がカフェオレが好きだったということ、そして遅刻をして怒られたこと、あの頃の細かな日常の一部を四年半が経った今でも私だけでなくプロデューサーも覚えていてくれた――……、あんなに最悪な終わり方をしてしまったのにプロデューサーは私との思い出も忘れずに今も覚えていてくれている。
会う前は何度も不安や恐怖が私の心を埋め尽くしていただけに、プロデューサーの思い出の中にもちゃんと私が残っていたという事実が私は嬉しくて仕方がなかった。
「……島村さん、結論は出ましたか?」
姿勢を直すように椅子の上に座り直すとプロデューサーは私の眼を見てそう問いかけた。
私は真っすぐで真剣なプロデューサーの眼を見てゆっくりと頷く。もう迷いは完全に消えていた。
「この一週間で何度も何度も考えました。そして考える度に『やっぱり無理だろうな』と思っていました」
プロデューサーは何も言わなかった。何も言わなければ頷きもしない。ただ静かに私の言葉を待っている。
「でも昨日の夜――……、正確には今日の早朝なんですけどね、私が昔いた養成所や未央ちゃんや凛ちゃんとお話しした公園に行ったんです」
養成所に公園。あの場所にはうっすらとだが、それでも確かに残っていた。私がアイドルとして活動していた頃の魔法の足跡が。
「そして帰ってプロデューサーさんと初めて出会った時に受け取ったオーディションの合格通知証やシンデレラプロジェクトのみんなと撮った写真を見て思ったんです。今まではこの過去にしがみついて生きてきたけど、そうじゃなくてこの過去の思い出を過去の思い出で終わらせないであのキラキラしてた日々があったから今の私があるって、いつかそう言えるようになりたいって……」
だから……。そこまで言葉を紡いでいた私の口は止まってしまう。止まった原因は迷いなどではなく、静かに頬を伝う涙だった。
「勿論復帰したからと言ってアイドルとして成功できる保証がないってのは分かってるし、もしかしたら頑張った先に何もないのかもしれないけど……」
私は頬を濡らす涙を拭かなかった。
その代わりに膝の上に置いた拳をぎゅっと握り締める。
「それでも……、あの頃の日々を過去に逃げるためじゃなくて未来のなりたい私への糧にしたいから……。私、アイドルに復帰します! 復帰させてください! お願いします!!」
これが私の結論だった。
四年半の前の輝いていた私。あの時は本当に毎日がキラキラして楽しくて仕方がなかった。今のように心が荒んでいるわけでもなく、純粋に自分の夢に向かって努力をすることができた。
アイドルを辞めてからの私はそんな過去にしがみついて生きることしかできなかった。今自分が生きなければならない現実から逃げ、私が輝いていた頃の時間に現実逃避をし続けていたのだ。
そんな生活をこれから死ぬまで送りたくなかった。いつまでも過去に逃げ続けるのではなく、あの時間があったから今の私がある――……、そう胸を張って言えるような人生を歩みたいと思ったのだ。
それが例えどれだけ過酷な道だったとしても、例え頑張った先に何もなかったとしても、それでも私はもう一度だけ頑張りたかった。じゃないと、いつの日かあの大切な半年の時間でさえも嫌な思い出になってしまいそうな気がしたから――……。
「……本気、なのですね?」
確認するよう、プロデューサーはそう呟く。
私は再び下げた頭をゆっくりと縦に振った。強い決意と覚悟ができた眼差しでプロデューサーを見つめる。
「ありがとうございます。島村さんならそう言ってくれると思っていました」
「プロデューサーさん、改めてよろしくお願いします!」
プロデューサーは静かに笑みを浮かべる。そのプロデューサーにつられて私は涙濡れた頬を緩めて笑みを浮かべた。
アイドルを辞めてから四年半もの間、ずっと探し続けていたアイドルより夢中になれるもの。探し続ければ探し続けるほどなかなか見つからず、どんなに煙草を吸ったり夜遊びをしても振り切ることのできなかったあの輝いていた日常。
どんなに考えても探しても、あの頃以上に輝く時間を見つけれる気がしなかった。そしてどれだけの時間を過ごしてもあの日常に残した後悔と未練を忘れ去ることもできないのだと、私はようやく気が付いたのだ。
勿論今からあの頃に戻ることは不可能だ。それでも私は少しでもあの輝いていた頃に近付きたいと思う。
それが例えどれだけ大変な道だったとしても、後悔と未練を残して生きていくこれからの人生に比べたら――……。
これがアイドルを辞め、夢から現実から逃げ、心が荒んでしまった私が四年半越しに見つけた答えだった。
だが次の瞬間、何かを思い出したかのように我に返った表情をすると右手で頭をかいた。この仕草はプロデューサーの昔からの癖だった。だいたいあまり良くないことがあった時、困った時などにする仕草だ。
その仕草に私も思わず不安な気持ちを募らせてしまう。
「すいません、一つ説明をし忘れていましたが……」
明らかにプロデューサーの歯切れが悪い。その様子からやはりあまりいい話ではないのだと察する。
「……実は私はもう『プロデューサー』ではないんですよ」
「あ……」
そう言ってプロデューサーは再び右手を頭の後ろへと回す。
そうだった。私は肝心なことを忘れていた。みくちゃんから聞いたように、プロデューサーはもう346プロダクションを退社しているのだ。
すっかりアイドルに復帰するなら私のプロデューサーは武内プロデューサーになると勝手に思い込んでいた。だが武内プロデューサーがもうプロデューサーではない以上、私のプロデューサーは別の人になるのだ。
「安心してください。島村さんの新たなプロデューサーは既に手配してます。私の知り合いで信頼の置ける方ですので」
不安が募った表情を読み取ったのか、プロデューサーはそう言ってくれた。そしてすぐさまスマートフォンを取り出すと電話をかけ始める。まもなくして電話に出た相手に手短に私の話をしたかと思えば二、三分ほどで電話は終わってしまった。
「今からここに来るそうです。そうですね、おそらく十分もかからないかと」
「あ、はい……」
私の新たなプロデューサーがもう間もなくこの喫茶店に来るらしい。
すっかりまた武内プロデューサーがまた私の担当になってくれると思い込んでいた私は、今から新たなプロデューサーに会うと思うと思わず緊張してしまった。
次のプロデューサーはどんな人なのだろうか。武内プロデューサーが紹介してくれる人ならきっと良い人だろうけど……。
そういった類の不安が私の中をグルグルと渦巻き始め、一分一秒がとても長い時間に感じられる。私は無理矢理にでも気を紛らわせる為にプロデューサーに違う話をすることにした。
「プロデューサーさんは今、何のお仕事をされているのですか?」
「まだまだ新米ではありますが、今は作詞家のお仕事をさせていただいてます」
「作詞家ですか!?」
予想外の返答に思わず裏返った声が出てしまった。
「そんなに変でしょうか……」、だなんて言いながらプロデューサーはまた右手を頭の後ろへと回す。
そうか、だからS(mile)ING!の歌詞もプロデューサーが作ってくれたんだ。読めば読む度に良く出来た歌詞だと思っていた。明らかに素人が作れるものではないと。
「S(mile)ING!以外でプロデューサーさんが作詞した曲ってあるんですか?」
「先日公開された映画の主題歌も私が作らせていただきました。本田さんが主演だった映画です」
「もしかして『ミツボシ☆☆★』ですか!? すごい、あの曲私も大好きなんです!」
未央ちゃんが主演だった映画で未央ちゃん自身が歌った主題歌、『ミツボシ☆☆★』。オリコンチャートに入るほどのヒット曲だ。
初めて聞いた時、映画の内容より未央ちゃんにピッタリな曲だなぁ、だなんて思っていたがあれもプロデューサーが作った曲だったのか。そう思うと不思議と納得できてしまう。
「プロデューサー時代から作詞には興味があったので。実はシンデレラプロジェクトの皆さん、全員分のソロ曲を個人的に作ってはいたのですが……」
アイドル活動を辞めてしまったメンバーもいて結局全員に渡すことはできなかったんですけどね、そう言うとプロデューサーは寂しそうに苦笑いを浮かべた。
先週、プロデューサーからS(mile)ING!の歌詞を受け取ってから、何度も何度も歌詞を読み返していた。私の事をよく見ていてくれたんだな、だなんて思わず何度も感心してしまうような歌詞だった。
それはS(mile)ING!だけではなく、未央ちゃんの『ミツボシ☆☆★』を聞いた時にも同じ感情を抱いていた。きっとこの歌詞を作った人は未央ちゃんのことをよく知っている人なのだろうな、と。十四人ものシンデレラを独りで抱えて大変だったはずなのに、私たちの事をよく見ていてくれたんだなと今更になって実感する。
丁度その時、ランチタイムを迎え盛り上がりを見せる店内に小さな鈴の音が鳴り響いた。お客さんたちの楽しそうな声で掻き消されそうなほどに小さな音だったが私の耳はその音を聞き洩らさなかった。
店の入り口にはスーツを着た一人の女性が立っている。その女性はすぐに私とプロデューサーを見つけると、慌ただしく動き回る店員にぶつからないよう、ゆっくりと私たちの座るテーブルへとやって来た。
「卯月ちゃん、久しぶりね! ちょっと痩せたんじゃない?」
突然そう声を掛けられ私は固まってしまった。
プロデューサーの横の席に腰を下ろしたピンク色の髪を後ろで団子にして纏めているスーツを着た女性――……。
どうやら私の事を知っているようだが私には誰か分からなかった。
「えー、卯月ちゃん! 私の事、覚えてないの?」
「は、はい……。すみません……。」
咄嗟にそう答えてしまった。失礼だとは思うがどんなに記憶の中を探しても本当に誰だか分からない。
思わず女性の顔色を窺うようにして頭を下げる。目の前の女性はそんな私を見て苦笑いを浮かべると、「ま、久しぶりだから仕方ないよね。気にしないで」と言って私をフォローしてくれた。
プロデューサーは女性が隣に座るとわざとらしく咳ばらいをし、そのまま左手を女性に向けた。
「ご紹介します、本日から島村さんのプロデューサーになっていただく城ヶ崎プロデューサーです」
「城ヶ崎プロデューサー……。って、え、えぇぇぇ!?」
驚きのあまり私は思わず立ち上がってしまった。
そんな私を見て城ヶ崎プロデューサーはケラケラと笑っている。
「城ヶ崎さんて……、まさか城ヶ崎美嘉さん!?」
「やっと思い出してくれたんだー! そうだよ、よろしくね、卯月ちゃん!」
そう言ってウインクをする城ヶ崎プロデューサー。
私は未だに信じられずに固まったままだった。
城ヶ崎美嘉さん――……、私がシンデレラプロジェクトにいた頃に私たちの先輩として活動していた超有名アイドル。『カリスマギャル』と世間から騒がれていた城ヶ崎美嘉さんは当時の高校生なら男女問わず誰もが知っている超有名アイドルで毎日のように流れるテレビのCM、雑誌、看板広告など、彼女を見たことがない人はいない、と言っても過言ではないほど売れっ子だったのだ。
そんな有名売れっ子アイドルでありながら、私たちニュージェネレーションズをライブのバックダンサーとしてデビューさせてくれたり、アイドルになったばかりで右も左も分からなかった私たちにアドバイスをしてくれたりと当時から色々とサポートしてくれる優しい先輩でもあった。
アイドルを辞めてから確かに見かけなくなったと思ってはいたが、まさかプロデューサーになっていたとは。
そしてその城ヶ崎美嘉さんが私の新しいプロデューサー――……。
私は未だに現実を理解することができず、その場でフリーズしてしまっていた。