【完結】島村卯月「もういいです、私、アイドル辞めます」   作:ラジラルク

6 / 16
episode,6 魔法の欠片(後編)

 

 

 

 

 

 

「島村さん、お久しぶりですね」

 

 

 

プロデューサーはそう言うと私の向かい側にゆっくりと腰を下ろした。

久しぶりに見たプロデューサー私の記憶の中の姿より少しだけ痩せて見える。そして何よりほんの少しだけ歳を取った表情が四年半という月日が流れたことを証明していた。

 

 

 

 

「お、お久しぶりですプロデューサーさん!」

 

 

 

 

立ち上がってそうは言ってみたものの、私の声は緊張で思わず裏返ってしまいそうになる。

そんな私の様子を見てプロデューサーは何も言わず温かい眼で笑っていた。それは私の記憶の中にはない、プロデューサーの新たな表情だった。

 

何を話せば良いのだろう。

何度も頭の中でシミュレーションしてきたはずなのに、いざプロデューサーを目の前にするとそんなシミュレーションも何も意味を持たなくなってしまった。

話したい事、聞いてほしい事、そして謝りたい事――……。沢山あったはずなのに、私の口は重くなかなか開くことができない。

 

 

 

「ご注文、どうなさいますか?」

 

 

 

いつの間にかテーブル横へとやって来ていたマスターの声で我に返る。

目の前のプロデューサーはコーヒーを頼んでいた。そして私の方へと目を向ける。

 

 

 

「島村さんは……、カフェオレでよろしかったですか?」

 

 

 

私がカフェオレ好きだったこと、覚えてくれてたんだ。

それがなんだか嬉しくて、それまで緊張で引き攣っていた表情を私は崩して頷いた。マスターは了解しましたとだけ呟くとゆっくりと背中を向け私たちのテーブルを後にする。

 

 

 

 

「覚えてくれてたんですね、私がカフェオレ好きだったこと」

 

「えぇ。島村さんはいつもカフェオレを注文してましたから」

 

 

 

 

ちゃんと覚えてますよ、そう言ってプロデューサーはまた頬を緩めた。

あんなに強面でなかなか笑うことのなかったプロデューサーだったのに、四年半ぶりに再会したプロデューサーは自然に笑みを浮かべるようになっていた。

変わったなぁ、だなんて思わず心の中で呟いてしまう。こうしてプロデューサーが自然に笑えるようになったり、私が荒んでしまったり――……、人が変わるには四年半という時間は十分すぎる時間なのだ。その時間がどれだけ長かったものか、今更になって痛感させられる。

 

すぐにマスターがトレイに乗せてカフェオレとコーヒーを持ってきてくれた。私の前にカフェオレがそっと置かれる。

そのまま一礼してマスターは去ると、再びカウンターで老夫婦とのお喋りへと戻って行った。その姿を目で追いながら、私は深呼吸をする。

 

 

 

 

――ちゃんと話さなきゃ。そのために来たんだから。

 

 

 

 

そしてカウンターから目の前のプロデューサーへと視線を戻した。

プロデューサーは目の前に置かれたコーヒーにはまだ手を付けておらず、黙って私を見つめている。

 

 

 

「……プロデューサーさん、今日は聞いてほしい話があって連絡させてもらいました」

 

 

 

はい、そうプロデューサーは呟くとゆっくりと頷いた。

 

 

 

「あの日、アイドルを辞めてから私が何を考えてどういう風に生きてきたのか。もしかしたらプロデューサーさんは私の話を聞いて失望するかもしれないけど……。それでも聞いてほしいんです」

 

「分かりました。聞かせてください、島村さんが過ごした四年半を」

 

 

 

プロデューサーの優しい声を聞き、私は目を閉じてもう一度だけ深呼吸をした。

 

 

 

 

 

 

☆☆☆☆

 

 

 

 

 

 

私の四年半の全てを話した。

 

アイドルを辞めたあの日の前日、凛ちゃんと未央ちゃんの前で「笑うなんて誰でもできる」と言って自分には何も取り柄がない現実を認めてしまったこと、アイドルを辞めたあの日以来プロデューサーやシンデレラプロジェクトのメンバーたちが差し伸べてくれた手を握りたくても怖くて握る事ができなかったこと、アイドル活動をしていた過去への未練と後悔が癒えぬ日々を過ごす中で無理矢理にでも忘れるためにタバコや夜遊びに走ったこと、テレビや雑誌でどんどん遠い世界へと離れていくシンデレラプロジェクトのメンバーたちを見かける度に嫉妬をしては「頑張ったってどうせトップアイドルになんてなれないのに」だなんて言ってみんなを冷めた目で見ることで自分を必死に保とうとしていたこと、解散のニュースを知り自分の過去の選択が誤りではなかったのだと思い込むことで自分自身を正当化しようとしていたこと、そんな荒んでしまった自分が嫌で嫌でどうしようもないのにどうすればいいのか分からずっと苦しんでいたこと、そしてみくちゃんと再会したこと――……。

 

 

私は自分自身が過ごした四年半もの時間を喋り続けた。途中、何度も目頭が熱くなり頬を涙が伝った。自分でも何て言っているのか分からないし、ちゃんとプロデューサーには伝わらなかったかもしれないけど、私は自分自身がどのような心境でこの長い四年半を過ごしたのかありのままを伝えた。

プロデューサーは何も言わず、ずっと黙って私の話を聞き続けてくれた。その気遣いあってか、私はプロデューサーに伝えようと思っていた全てのことを話すことが出来た気がする。

 

 

話し終わっても溢れ出る涙は止まらなかった。何度も何度も止めようとしたが、その度に力を増して堰を切ったかのように涙が溢れてくる。

 

 

 

 

 

「島村さん、本当に申し訳ありませんでした」

 

 

 

 

ずっと何も言わずに話を聞いていたプロデューサーはゆっくりと立ち上がると私に深々と頭を下げた。

私は溢れる涙を必死に止めようと何度も両目を擦りながら、黙って首を横に振る。

 

プロデューサーは何も悪くないのに。寧ろ何度も助けてくれようとしたのに。その手を握ることのできなかったのは私なのに。

そう伝えたかったのに次から次へと溢れる涙が邪魔をして私を口を開くことができなかった。

 

 

 

 

「あの時、島村さんが苦しんでいることにもっと早く気が付いて、ちゃんと私が気持ちを伝えることができていたら……。本当に申し訳ありませんでした」

 

 

 

そう言うと再び頭を下げるプロデューサー。

私はただただ黙って首を横に振る事しかできなかった。

 

 

 

「……島村さん、本田さんがアイドルを辞めると言い出した時、私が島村さんの家へとお見舞いに行った時のことを覚えてますか」

 

 

 

私は泣きじゃくりながら、なんとか「はい」と言葉を絞り出した。

ニュージェネレーションズとして初のミニライブを行った時、未央ちゃんは理想と現実のギャップに耐え切れず逃げ出そうとした。それこそ四年半前の私のように。

その時のプロデューサーの対応に疑問を感じた凛ちゃんもプロデューサーに反発し、デビュー早々ニュージェネレーションズは解散の危機に陥った。そんな大事な時に限って風邪を引いて寝込んでしまった私。そのお見舞いにプロデューサーが来てくれた時だ。

 

 

 

「私は……。あの時、島村さんにこう伝えるつもりでした。『ニュージェネレーションズを解散します』と。ですがあの時の島村さんの笑顔を見て、『絶対に解散させてはいけない』、そう思ったんです。島村さんの笑顔がなかったらきっと解散させてしまっていました。今の渋谷さんや本田さんがあるのも、あの時の島村さんの笑顔があったからだと私は思っています」

 

 

 

そこまで言うと一度プロデューサーは言葉を区切る。

そしてゆっくりと、そして穏やかで優しい口調で話を続けてくれた。

 

 

 

「本田さんと向き合うことを恐れていた弱気な私に島村さんの笑顔は勇気を与えてくれました。私だけはありません、本田さんに渋谷さん、他にも沢山の人があなたの笑顔の救われています。何度も島村さんに救われたのに、それなのに……」

 

 

 

何度も助けてもらっていたのに、私は助けるどころか、あなたが苦しんでいる姿に気付くことができませんでした。

そう呟いたプロデューサーの腰の横に添えられた拳が震えている。

 

 

 

 

「それが心残りでした。もし何時か、何処かでまた島村さんと会える機会があればちゃんと謝らないといけない、この四年半もの間私はずっとそう思っていました」

 

 

 

私は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。私の目の前ではプロデューサーが私だけを真っすぐに見つめて立っている。

 

 

 

「四年半もの長い間、貴女に独りで辛い思いをさせ苦しめてしまっていたのは紛れもなく私の責任です。今更許してもらえるとは思っていません」

 

 

 

ですが……、そこまで呟くとプロデューサーは言葉を詰まらせた。

一瞬だけ目線を泳がせたプロデューサー。私たちの間に流れた僅かな沈黙。店内に流れるジャズのボリュームがやけに大きく聞こえてくる。

その沈黙はどのくらいの時間だったか、おそらくほんの数秒の時間であったが私たちにはとても長い時間に感じられた。

その無限のように感じられる長い時間を得て、プロデューサーの腰に添えられた震える拳が強く絞められたと同時にプロデューサーがようやくゆっくりとだが口を開いた。

 

 

 

「……島村さん、あなたは今楽しいですか?」

 

「え?」

 

 

 

予想外の言葉だった。

『楽しい』というのは今の私の日常を指しているのだろうか。

 

 

 

「あなたには今、アイドル以上に夢中になれる何かがありますか?」

 

 

 

プロデューサーの問いに私は思わず下を向いてしまった。

答えられなかった。逃げるようにして辞めたあの日から流れた四年半という長い時間を過ごしても私はアイドル以上に夢中になれる何かを見つけることができていなかったのだ。

煙草を始めたり夜遊びを頻繁にするようになったのも、結局のところはアイドル以上に夢中になれる何かが見つからなかったが故の行動だった。だがどんなに煙草を吸っても夜遊びをしても、現状は何も変わらなかった。所詮それはただの誤魔化しであって、要はアイドル活動をしていた過去の自分や耐え切れない現実から逃げているだけだったのだから。

 

 

 

 

「……いいえ」

 

 

 

 

そう答えた私の口は微かに震えていた。

悔しかった。あんなに夢中になれるものがあったのに、向き合う勇気を持てずに逃げ出した過去の自分が。

怖かった。もしこの先、死ぬまでアイドル以上に夢中になれる何かが見つからなかったらこのモヤモヤを抱えたまま生きていかなければならないという未来が。

 

四年半もの間、私を襲い続けた恐怖だった。

 

 

 

「そうですか……」

 

 

 

私は余程苦しそうな表情をしていたのだろうか、プロデューサーは私を心配そうに見つめながらそう言うと腰を下ろした。

座ったかと思えばプロデューサーは身体を曲げ机の下に置いた鞄を手に取ると自身の膝の上へと置く。そしてゆっくりとファスナーを開け右手で鞄の中を探り始めた。間もなくしてプロデューサーが鞄から取り出したのは少し大きめの薄い茶色の封筒。

それを私の前に静かに置く。封筒には何も書かれていない。

 

 

 

「もしまた島村さんに会えることができたらこれを渡そうと思っていました。よろしければ受け取って頂けないでしょうか」

 

 

 

差し出された封筒を手に取ってみる。チラッとプロデューサーの方を見るとプロデューサーは黙って頷いた。

「開けてください」という無言のメッセージ。私はゆっくりと封筒の中を開けてみる。

 

 

 

「S(mile)ING……?」

 

 

 

中に入っていたのは一枚の紙だった。

その紙の一番上には『S(mile)ING!』の文字が飾ってある。

 

 

 

「島村さんをイメージして私が作詞をした曲です」

 

「ぷ、プロデューサーさんが作ったんですか!?」

 

 

 

驚きのあまり声量が思わず上がってしまう。

だがそんな私とは対照的に「はい」、プロデューサーはそう静かに呟いた。

 

 

 

「もし島村さんが今でも夢中になれる何かが見つからず少しでもアイドル活動をしていた過去の自分へ未練や後悔などがあるのなら、もう一度だけあの頃に戻ってみませんか?」

 

「……復帰、ということですか」

 

 

 

プロデューサーは静かに首を縦に動かす。

私がアイドルに戻る――……。それはこの四年半で一度も考えたこともない選択肢だった。

 

 

 

「タイトルのS(mile)ING!ですが、島村さんにはどんなに辛い道のりでもその道を歩き続け、いつまでも笑顔で歌い続けてほしい。そういった気持ちから付けさせてもらいました」

 

 

 

プロデューサーはタイトルの由来をそう説明してくれた。

カッコ内の『mile』は日本語で『道のり』を意味し、それに『S』を足すと笑顔の意味を持つ『Smile』に、そしてカッコ内を除けば『Sing』で『歌う』という意味になる。

 

私はそのままタイトル下に書かれた歌詞に目を通した。

 

 

 

 

「先ほども言いましたが、この歌詞は島村さんをイメージして私が作らせてもらいました。ゆっくりでも良いんです、立ち止まることなく島村さんのペースで歩き続けて欲しい」

 

 

 

そして――……、そう言って言葉を区切ったプロデューサー。

私は思わず上から順々に歌詞を追っていた目線をプロデューサーへと戻す。

 

 

 

「渋谷さんと本田さんからニュージェネレーションズのクリスマスライブ前日に何があったのかを聞かせてもらいました」

 

 

 

ニュージェネレーションズのクリスマスライブ前日――……、養成所まで様子を見に来てくれた凛ちゃんと未央ちゃんと公園で話したあの日だ。

凛ちゃんは私の笑顔があったからアイドルを始めたのだと、未央ちゃんはもう一度友達になろうと言ってくれたことを思い出す。

それでも私は自分を信じることができなかった。隣で自分の色を持つ二人に対し、自分は何も色を持っていないのだと、そう思う劣等感に押し潰されてしまったのだ。

 

 

 

「あなたは自分には何もない、そう仰ったそうですね。ですがそれは悪いことではないと、私は思っています」

 

 

 

プロデューサーは真剣な眼差しでキッパリとそう言い切った。

 

 

 

「島村さんは今はまだ何もない真っ白な存在かも知れません。ですが真っ白という色は他の色を変えることのできる力を持っています。そして他のどの色よりカラフルになれる可能性を秘めています」

 

 

 

どんなに濃ゆい黒でも、白を混ぜると黒味が薄れるように――……。真っ白という色はどんな色でも変えることができる力を持っているんですよ。

プロデューサーがそう付け加える。

 

 

 

「白という色は島村さん、あなただけの『色』であり『個性』だと私は思っています」

 

 

 

私はずっと自分のことを何も個性のない人間だと思い込んでいた。

歌もダンスも特別上手いわけではなかったし一際目立つカリスマ性があるわけでもない、どちらかと言えば地味な方に属する『普通の女の子』だと。

 

でもプロデューサーはそんな無個性な私にも『色』があると教えてくれた。何もない真っ白なのも立派な『色』の一つであるということを。

 

 

 

「島村さん、貴女の笑顔に私も含め多くの人が救われてきました。確かに笑うだけならば島村さんが言っていた通り誰でも出来ます。ですが自分の笑顔で誰かを幸せにする、救うことができるというのは誰にでも出来るようなことではありません」

 

 

 

シンデレラプロジェクトに私が合格した選考理由を聞いた時もプロデューサーは『笑顔』だと教えてくれた。

でも後から凛ちゃんの選考理由も『笑顔』だったと知り、ただ適当に言っていただけだと思っていた。プロデューサーは私が無個性で目立たない存在だったからなんとなく『笑顔』が取り柄と言ったのだと。

だが今目の前で話してくれたプロデューサーからはそういったものが感じられなかった。

 

私は嬉しいような照れくさいような、そういった色んな感情が心の中を渦巻きなんて返せば良いのか分からなかった。

言葉が見つからず私は逃げるようにして再び歌詞を目線で上から順々になぞっていく。

 

 

 

「今すぐに答えてほしい、とは言いません。一週間の間この歌詞を何度も読んで何度も考え、アイドルに復帰するのかどうかじっくりと考えてみてください。そして一週間後の日曜日、ここで島村さんの答えを聞かせてください」

 

 

 

そう言って再びプロデューサーは深々と頭を下げた。

私はそんなプロデューサーを見て「分かりました」と答える。

 

アイドルに復帰するかどうか――……、確かに今すぐに答えられる問いではなかった。

あのキラキラした日常に戻れるなら復帰をしても良いかもしれない、そう思ってしまう反面、あの頃の純粋に夢に向かっていた気持ちを無くして荒んでしまった今の私にあの頃のと同じように頑張れるのかと問われたら答えれる自信もない。

アイドルはキラキラしたイメージがあるが想像以上に過酷で厳しい道なのだと、半年だけでも経験した私はその事実も十分に理解していた。

 

 

そんな私の気持ちも見透かして、プロデューサーは一週間の猶予をくれたのかもしれない。

 

 

 

 

「プロデューサーさん、本当に色々とありがとうございます。ゆっくりと考えさせてもらいます」

 

 

 

 

プロデューサーが私の為だけに作ってくれた『S(mile)ING!』の歌詞が書かれた紙を封筒に戻すと、私もそう言って深々と頭を下げた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。