【完結】島村卯月「もういいです、私、アイドル辞めます」 作:ラジラルク
「島村さん、選んで下さい。このままここに留まるのか、可能性を信じて進むのか……。島村さんが決めて下さい」
そう言って静かにプロデューサーは左手を差し出した。
逆の手に握り締めたライトが放つ僅かな光が薄暗い辺りを照らしている。その僅かな光によって見えるプロデューサーの表情はいつもと何も変わらない、私がいつも見ていた無表情で――……、それでもいつの日からか温かさが宿るようになった大人の表情だった。
私は今、選択を迫られている。
あと数十分後にまで迫ったニュージェネレーションズのクリスマスライブに参加するか否か――……、即ちアイドルを続けるのか。それともリタイヤするのか。
ほんの最近までアイドルを辞めることなんて考えたこともなかった。
物心付いた時からアイドルに憧れていて、アイドルになるのが夢だった。何度オーディションに落ちても、時には酷いことを言われても、私はこの夢を諦められなかった。
それほどまでに強い想いがあったはずなのに……、最近になって初めて迷いが生じ始めている。
舞踏会で成果が出なかったら部署が解散。そう告げられてからシンデレラプロジェクトに参加するみんなが必死に成果を上げようと努力をしていた。
ニュージェネレーションズとして共に活動していた未央ちゃんと凛ちゃんも、それぞれが新しい世界に足を踏み入れ活躍の場を少しずつ広げ始めている。
その傍ら、私はというと何も変わることができず、一人取り残されてしまっていた。
私も頑張っていたつもりだった。それでも現実として二人と私の間には距離が出来てしまっている。
そう思うと不安で自分が情けなくて、今まで普通にこなしてきた仕事も出来なくなり、笑うことも出来なくなってしまっていた。
もしかして私にはアイドルになるための才能なんてなかったのではないか。
一番考えたくなかった現実が、今になって私を苦しめ始めていたのだ。
「私は……、私には……」
私は怖かった。頑張っても私には何もない気がして、それを思い知らされることが。
「ぷ、プロデューサーさん……」
私だってキラキラ出来るって信じたいし、凛ちゃんと未央ちゃんと一緒に進みたいと思ってる。思ってるけど……。
「もういいです。私、アイドル辞めます」
私は逃げ出した。
自分が恐れている現実から、プロデューサーが与えてくれた最後のチャンスから。
そのまま私は踵を返しプロデューサーに背中を向けると全速力で階段を駆け上がった。何度も転びそうになりながらも、とにかく一瞬でも早くこの場から逃げ出したかった。何度も頬に冷たい感触が伝ったがそれすらも無視して、私は全力で走り続けた。
プロデューサーは追い掛けてこなかった。
☆☆☆☆
気が付いたら私は自分の部屋のベッドの上で天井を眺めていた。
全速力で走って会場から逃げ出し、電車に乗って家に帰ってきた。全速力で走ったせいか熱を帯びた身体から出た汗が制服を少しばかり重くしている。
あぁ、私は逃げ出してしまったのか。
自分の夢から、立ちはだかる壁から、私は逃げ出してしまった。
ライブはどうなったのだろうか。二人だけでもやったのだろうか。未央ちゃんと凛ちゃん、プロデューサーに多くの関係者スタッフに迷惑をかけてしまっただろうな、なんて思うと凄い罪悪感に苛まれる。
昨日も凛ちゃんと未央ちゃんが私に会いに来てくれた。二人とも待っていると言ってくれた。
その期待を私は裏切ったのだ。そう思うと申し訳ない気持ちと逃げ出してしまった自分への後悔で目頭が熱くなる。
「ごめんね、未央ちゃん……凛ちゃん……」
溢れ出てくる涙を止めることなく、私は布団の中で大泣きした。
高校生にもなって子供のように声を上げて泣いた。何分も何分も、次から次へと溢れてくる涙と共に声も枯れることはなかった。
どれくらい泣いただろうか。窓から見える外の世界が闇に染まりだした頃、ポケットに入れたままのスマートフォンが静かに揺れた。
ポケットからスマートフォンを取り出してみると画面にはLINEを受信したことを告げるポップが二件、表示されていた。表示されている送信者は渋谷凛と本田未央――……。
そして右手に握り締めたスマートフォンが再び揺れる。二人に遅れて届いたLINEの送信者はプロデューサーだった。
私は暫く画面を見つめていたが、そのまま三人のLINEを開くことなく画面を消した。そしてそのままスマートフォンの電源を切ると机の上に静かに置いた。
あぁ、終わったんだ。私の夢も、半年もの間続いた夢のような時間も。
それは半年前までは何にも個性がないただアイドルに憧れるだけの普通の女の子だった私にプロデューサーがかけてくれた魔法が解けた瞬間だった。