君の名を呼ぶ時の僕の気持ちを君は知らない   作:坂下郁

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 ベトナム編、終幕。旅の終わりに思いを新たにする拓真。

 ※今回の番外編は、ベトナムに一週間ほど滞在した坂下の体験を踏まえつつ、二人に旅をしてもらいました。設定的には若干本編の展開に沿っていない部分もありますが、番外編ゆえのパラレルストーリーとして、広い心で読んでいただければと思います。

 ※作中に登場する情報は2017年5月現在のものであり、現地に関する描写はあくまでも個人の感想に基づくものです。予めご了承ください。


二人の旅-後編

 いやー、マッサージ超気持ちよかった。身体がすっきりして疲れが飛んでいくようだ。とは言いながら、はるなさんが血相を変えて俺のブースに飛び込んできた時にはさすがにびっくりしたけどね。訳を聞いたら俺がスパの子と何やかんやしていると誤解したみたいで…。確かにあのセラピストの子、ちょっと舌足らずで喋る日本語は可愛かったけど、俺にははるなさんがいるし、そんな心配はいらないよ。

 

 このネタを突っ込み過ぎるとはるなさんが涙目になってしまうので、ほどほどにしておこう。

 

 

 スパを後にした俺とはるなさんはタクシーに乗り、日曜日に訪れたテイラーに向かっている。取り止めのない話を車内でしているうちに到着。車を降りて店内を覗くと…あ、最初に来た時と同じ日本語が分かる店員さんがいる。

 

 「すみませーん」

 言いながらドアを開け、近づいてきた店員さんに引換券を渡す。はるなさんは早速奥の試着室へ連れて行かれた。ぽつんと残された俺に別の店員さんが話しかけてくるが、ごめんね、ベトナム語は分からないんだ。日本人らしく曖昧な笑みを浮かべていると、店員さんはすたすたと歩き出す。そしてすぐそばにあるラタン製のスツールをぽんぽんと手で叩いている。あ、座って待ってろ、てことだったのね。

 

 「Cảm ơn(ありがとう)

 

 最低限度知っているベトナム語でお礼を言うが、いまいち通じてないみたい。というかね、発音難しすぎ。ベトナム語は世界でも最も習得が難しいと言われている言語らしく、その理由は発音。音節ごとに6つの声調があり、発音で意味が全く変わってしまうらしい。

 

 それにしても。

 

 俺とやりとりした店員さんも着ているアオザイ。いやー、何ていうの、個人的には史上最強の民族衣装の称号を受け取ってほしいくらい。エロカワの極致だね。18世紀から続いているという伝統の衣装、ボトムスはゆったりとしたパンツスタイルだけど、それは置いておいて。首や肩、腕、そして胸回りは身体にフィットしたデザイン、腰から下は地面に着くくらい長くなびくスカート、腰の上まで深々と切れ上がったスリット。そして何より、薄手の柔らかい生地は光の加減で透ける! 地元の高校生とかは上下とも白のアオザイを着ていて、これがもう…。透け防止にフロントだけ裏地のついたタイプやキャミを着ている子もいるけど、アオザイオンリーの子も多い。つまり、色々シースルーという状態。目のやり場に困るというのは、この事だと思う。

 

 だがしかし。

 

 シースルーよりも何より俺が心惹かれたのは、ローライズのパンツと上着の深いスリットが織りなす三角地帯からチラリと覗く脇腹! これこそが魅惑のメコンデルタッ!!

 

 思わず熱くなってしまった。俺のこの説明でアオザイの魅力と威力が伝わると良いのだが。

 

 

 

 はるなさんの試着が終わったようで、俺を呼ぶ声がする。おお、待ってましたっ! 光の速さで試着室の前に駆け付けると、はるなさん in アオザイが立っている。

 

 「た、拓真さん…お待たせしました。どうでしょうか…ちょっと恥ずかしい気もしますが…」

 

 だめだ、可愛い過ぎる。炎天下に晒したアイスのように、俺の顔はだらしなくふにゃふにゃしていると思う。もうね、上から下までガン見。しかも、この試着室を設計した人は分かってる人だと思う。試着室の前に立つはるなさんをいい感じに店内に差し込む光が照らし、シースルーが最大の効果を発揮する。いやー、半透けで体のラインやインナーが浮彫りになる。着てる方がエロ可愛いって、すごいよね。それにしても、はるなさんスタイルいいなあ。改めて感心しちゃったよ。

 

 「あの…拓真さん? …そ、その…何と言いますか…お顔が…い、いやらしいですっ!」

 

 俺の視線から逃れるように両手でお胸を庇いながら腰をひねるはるなさん。ああっ、そんな事をするとっ!! 黒いボトムスと白いアオザイのスリットから覗く脇腹がっ!! 我が生涯に一片の悔い無しっ! 今ならそう言える…気がする。

 

 

 

 テイラーの店員さん達が笑いを堪えながら俺とはなるなさんを店の外まで見送ってくれた。残念ながらはるなさんは元の洋服に着替えてしまった。俺の顔がえっち過ぎたのがいけないらしい。ひどく残念だが、これも身から出た錆だろう。

 

 「はるなさん、さっきは…その、あまりにも可愛かったんで上手く言えなかったけど、アオザイ、すっごく似合ってるよ」

 これもまた俺の素直な気持ち。さっきは頭より本能が先に反応しただけで。

 

 きゅっ。

 

 アオザイが入った紙袋を左手に持ち、空いた右手で俺の手に指を絡めるはるなさん。南国の太陽にも負けない、華やかな笑顔を浮かべながら、繋いだ手をぶんぶん振り始める。

 

 「はいっ、ありがとうございますっ! はるなもこのアオザイ、とっても気に入ってます。デザインも可愛らしいですし、何より、拓真さんが気に入ってくれたから」

 

 俺も笑顔を返す。本当にいい子だよなあ。俺なんかにはもったいないよ。

 

 

 

 ホテルに戻り少し休憩した後は、早めのディナーに行くことにした。帰りのフライトで機内食も出るだろうけど、これでベトナム飯も最後、そう思い軽く何か食べる事にした。

 

 「ごめんなさい、拓真さん。ちょっと忘れ物しちゃいました。23階のレストランですよね? 先に行っててくださいっ!」

 

 はるなさんはそう言い残し部屋に戻って行った。ぱたん、と閉まるドアを見送る俺。まあ、はるなさんがそう言うなら、と先にエレベータに乗りレストランへと向かう。

 

 案内された窓際の席からは暮れかかる夕陽がホーチミンの街並みとサイゴン川を照らすのが一望できる。ぼんやりとはるなさんを待っていた俺は、店内がざわめき出したのに気付き、入り口の方に顔を向ける。

 

 白いアオザイを着たはるなさんが、夕陽に照らされオレンジ色に染まりながら、こっちにゆっくりと歩いてくる。

 

 「今日でベトナムともお別れですし、拓真さんも『似合う』って言ってくれたので…」

 

 ただただ綺麗で本当に言葉が出なかった。はるなさんがテーブルについても、俺はぽかーんとした顔のまま見とれていた。せっかくのディナーだが、味なんか全然覚えていない。ただ、はるなさんの新たな魅力に完全にやられていた。

 

 

 

 午前0時、飛行機はタンソンニャット国際空港を離陸した。日本まで約6時間のフライト。さすがに一度体験したからか、来た時ほどはるなさんははしゃいだり慌てたりしなかった。ちょっと残念。でも、離陸の際にはやっぱり俺の手をぎゅっと握っていた。そのまま飛行機は上昇を続け、やがて巡航飛行に入る。その頃には、はるなさんは俺の右手に指を絡めながら、小さな寝息を立て眠りに落ちていた。はるなさんを起こさないよう注意しながら、俺はスマホを取り出す。もちろん機内モード。改めてドゥアン教授から来たメールを読み返してみる。

 

 

 『Mr.穴吹、君は実に優秀だが、Prof. 西松の影響を受け過ぎている。君が取り組んでいるトランスジェニック技術を利用した研究の、真の目的はどこにあるのだ? 申し訳ないが、午後のディスカッションはキャンセルさせてもらう。今の時点で君にこれ以上のヒントを与えるのは危険だからだ。君のアプローチは、いずれカルタヘナ・プロトコルに抵触する恐れがある。それとも人間の種としての尊厳を敢えて無視しているのだろうか? 若さゆえの勇気か才を恃んだ傲慢か、君は性急に過ぎるように見えてならない。Prof. 西松は鬼才だが孤独でもある、その意味を考えた事はあるかね? 若く将来のある研究者の君に、彼と同じ道を歩んでほしくない、心からそう思う』

 

 

 このメールを何度も読み返した。ドゥアン教授は俺の進もうとしている方向に警鐘を鳴らしている。確かに、強力な後ろ盾を得ない限り、いずれ俺の研究は規制を受け中止させられるかもしれない。西松教授が軍と協力関係を築いた理由には、それも含まれているだろう。そして俺もまたその道を進んでいるように見えるらしい。

 

 自分の愛する人の願いを叶えたい。俺にあるのはただそれだけだ。

 

 カルタヘナ・プロトコルを持ち出すなら、そもそも艦娘自体がLMOに関する重大な国際規制違反だ。深海棲艦との戦争という状況下だから許されている存在。それでも俺達は出会い、お互いを愛した。種が異なる前提に立てば、俺とはるなさんが望んでいる事は本来無い物ねだりだ。長さの違う寿命、自然交配が望めない、それらを受入れ、ただあるがままに生きてゆく。俺がもっと年老いていたなら、全てを諦めながら受け入れられたかも知れない。

 

 けど。

 

 俺もはるなさんも、同じ時を生き、死んでゆきたい。そしてお互いが想い合った証を残したい。そう願っている。自然の摂理に反する? だとすれば自然科学も医学もそうだろう。傲慢? 愛する人の思いに応える事がそう言われるなら、それでも構わない。俺の研究は、既存の生命倫理観が将来大きく変わらない限り、タブーとされる領域にいずれ踏み込むだろう。かつて西松教授がそうしたように。同時にそれは、俺が学術の世界で表舞台に立てなくなるリスクを意味する。生涯を賭けてでもはるなさんの願いを叶える、俺はそう言った。そのために多くの物を失うかもしれない。それでも俺が止まらない事を分かっていたから、西松教授は俺が困らないように多くを残そうとしてくれてるんだな…。

 

 

 「う…ん…。拓真さん…」

 甘い声ではるなさんが俺の名を呼ぶ。視線を送ってみるが、寝言みたいだ。どんな夢を見てるんだろう?

 「はるなは大丈夫です…」

 俺は空いてる方の手で頬をぽりぽりと掻く。照れくさい。夢の中でも心配かけてるのかな…。

 

 

 二人で支え合い、助け合いながら生きてゆく。

 

 

 現実はきっと俺が思うより残酷で、もしかしたら俺達は望む所に辿りつけないかもしれない。それでも、この繋いだ手の温もりは確かな物で、不安や惑い、恐れを吹き飛ばしてくれる。はるなさんがいるから、俺はどんな道でも前に進める。どれだけ言葉を重ねても、きっと俺の想いの全ては伝わらないだろう。だから俺は、自分の想いを込め彼女の名を呼ぶ。

 

 「はるなさん…」

 横に並んで座る俺達二人、相変わらず手は離してもらえない。はるなさんに体を寄せ、そっとおでこに口づけようとして―――。

 

 「はい、拓真さん…」

 

 固まった。え、起きてたの? 一気に顔が赤くなるのが分かる。いやもっと恥ずかしいあれこれは色々してるけど、それにしても恥ずかしすぎる。

 

 潤んだ瞳ではるなさんが俺を見上げる。

 「…場所、違いますよ」

 

 そしてそっと目を閉じて軽く唇を突きだす。艶っぽい色で、綺麗な形。照明が落ち薄暗い機内の深夜便。俺とはるなさんは頭から毛布をかぶり、お互いの唇を求め合い続ける。

 

 

 長いような短いようなベトナムへの旅は、本来の目的を果たすことはできなかったかも知れない。それでも構わない、俺達は手を取りあい、俺達のペースで歩き続けていくのだから。




番外編という割には結構なボリュームになったベトナム編ですが、今回で終幕です。またそのうち何か思いついたら書くかも知れませんが、その際にはお付き合い頂けますと嬉しいです。

※おまけの挿絵、公開終了します。やっぱハズいので。

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