君の名を呼ぶ時の僕の気持ちを君は知らない   作:坂下郁

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 一言で言うと、海外で甘い週末を過ごす二人、ただそれだけのお話です。


 ※今回の番外編は、ベトナムに一週間ほど滞在した坂下の体験を踏まえつつ、二人に旅をしてもらいました。設定的には若干本編の展開に沿っていない部分もありますが、番外編ゆえのパラレルストーリーとして、広い心で読んでいただければと思います。

 ※作中に登場する情報は2017年5月現在のものであり、現地に関する描写はあくまでも個人の感想に基づくものです。予めご了承ください。


二人の旅-中編(前)

 一夜明けた今日は日曜日。俺とはるなさんは、遅めの朝食を取るためホテルのレストランにやってきた。窓側に席を取り外の景色を眺める。大きな窓とポーチが特徴的なコロニアル風の建物と、錆びたトタン屋根の質素な住宅、そして俺達が宿泊しているホテルのような高層ビルが混在し、非常に混然とした雰囲気がする。ただホーチミン市の中心部ということもあり、あまり生活感はないかな。

 

 ふと視線に気付くと、テーブルに両肘をつき組んだ手の上に顎を載せたはるなさんがこちらを見ている。ん? と思い視線で問い返すと、昨夜の余韻を残すような、少し艶っぽい瞳のままはるなさんの唇だけが動く。

 

 

 (す・き)

 

 

 もうね、轟沈させられますよ。さあっと自分の頬が赤くなるのが分かる。アオザイ姿のウェイトレスが近づいてきたので、誤魔化すように取りあえず紅茶をオーダーする。ふと隣の席の白人の老夫婦、旦那さんの方から声を掛けられる。

 

 「Are you newlywed?(新婚さんかい?) You guys remind us our younger age(二人を見てると若い時を思い出すよ)

 

 クセのない綺麗な英語なのできちんと聞き取れた。てれてれしながらはるなさんに説明すると、はるなさんは赤くなった頬を両手で押さえながら、やっぱりてれてれしている。そんな俺達二人の様子を眺めていた老夫婦は、やれやれ、といったようで肩をすくめながら笑っている。

 

 バイキング形式の朝食は和洋中越、様々な種類の食べ物が並ぶ。せっかくの現地、本場のフォーを中心にベトナム料理を色々選ぶ。食事を取りながら、今日の予定について話し合う。やはり東南アジアの国、日が昇ると急速に暑くなる。5月初旬の午前10時で33度。これから出かけると炎天下の中動き回ることになる…うーん、どうしようか?

 

 「南国にいるんですから暑くて当然ですよね。せっかく来てるんですから、出かけましょうっ!」

 

 はるなさんが元気いっぱいに励ましてくれる。そうだね、間違いなくそうだ。よしっ!

 

 

 

 という訳で、俺とはるなさんは今、タンディン市場にいる。ホテルのコンシェルジュにタクシーを呼んでもらい、相変わらず自由気ままに走り回るバイク達に圧倒されながら20分ほど、目的の市場に到着した。ホーチミンと言えば、生鮮食料品や飲食店から土産物雑貨まで小さな店が軒を連ねるこういった市場がいくつもあり、中でも観光スポットのベンタイン市場が有名らしい。だが俺が選んだのは観光客の少ないローカル市場だ。タクシーを降りると一斉に注目が集まる。八割がたははるなさんにだが。なぜそんな市場を選んだのか? もちろん理由がある。

 

 「拓真さん、蛙が売ってますっ! …これ、食べるのでしょうか?」

 

 寺院のような作りの屋根に圧倒されたが、正面だけなのね、これ。なんとハリボテチックな…。市場の入口周辺は生鮮食品や飲食店のお店が広がり、はるなさんが言っているのは、浅く水を張った盥に入っている黒い鯉のような魚と紐で縛られた大きな蛙。もちろん、蛙を買いにここまで来たわけではない。はるなさんを連れ、どんどん市場の中へと入ってゆく。…あ、あったあった。山積みにされるドライフルーツやナッツ、スルメや魚の干物を売る店の間を抜け、たどり着いたのはカラフルな布の山。このタンディン市場は布地で有名な市場。そう、俺の目的は一つ。

 

 

 はるなさん in アオザイ。

 

 

 アオザイはチャイナドレスに起源をもつベトナムの伝統衣装で、ゆったりとしたパンツスタイルのボトムスとは対照的に、上半身は着る人の体にフィットするようデザインされ、地面に届きそうな長さのスカートは、腰のあたりまで深く大胆にスリットが入っている。ベトナム行きを決め現地情報を調べた際に、これは間違いなくはるなさんに似合う、そう確信し情報を集めていたのだ。

 

 多くの布地専門店が密集したこの一角、たくさんのベトナム女性が食い入るように布地の品定めをしている。比べるのは失礼だが、やっぱりはるなさんが一番可愛いなあ。

 

 多くのベトナム娘に混じり真剣に布地を選ぶはるなさん。店員がベトナム語で呼びかけているがガン無視ですね。その光景を見ている俺にも、店員がまとわりついてくる。平均的に見てベトナムの人、特に女性は小柄な人が多いようなので、身長180cmの俺と160cmちょいのはるなさんはとにかく目立つ。

 

 「拓真さん、これがいいです」

 満足げな表情のはるなさんが、折りたたまれた布地を両手にしっかりと抱えている。白? 随分シンプルだね…と思ったが、はるなさんの選んだ布地を見て俺は納得した。光沢のある白地に、同じ色の糸で複雑な刺繍が縫い込まれている。なるほど、これが俺とのセンスの差って奴か…。その白い布とボトムス用に黒い布、スマホのグーグ○翻訳を頼りに必死に交渉した結果、言い値の2/3程に値切ることに成功し満足した俺をさらに生温かく見守る店員のおばちゃん。値切ったつもりでもまだ上乗せされているのかな? まあいいや。はるなさんはすっかりあの布地を気に入ったようで、にこにこしながらずっと抱きしめている。きっと値引きゼロでも俺は買っただろうな。

 

 アオザイには試着がない。体のあちこちを採寸して体にフィットさせ作るのでオーダーメードが前提だ。通常は一週間ほどかかるらしいが時間のない観光客向けに特急料金で仕上げてくれる。物価も違うし大した出費じゃない、そう主張する俺に、榛名さんは「無駄遣いはダメです」と頑として譲らなかった。なので再びスマホ登場。ググって見ると、何と日本人常駐のテイラーが市場とホテルの間くらいにあることを発見! しつこく『ウチで作って行け』というおばちゃんを振り切り、市場を出てタクシーを捕まえる。ググった地図を見せると無言で頷くドライバー。ホントに通じてるのかな…と思ったら大きな通り沿いで市場から一本道だった。

 

 そしてやってきたテイラー。確かに日本人のスタッフがいて一安心。布地持込みのオーダーメードをお願いするとイヤな顔一つせず、早速はるなさんを店のやや奥にある、全面が鏡になった壁の前へと連れて行った。測る、測る、測る…なんと15か所以上の部位に巻き尺を当て、はるなさんの体にフィットするように採寸している。はるなさんもどことなく緊張した面持ちで、時折店員さんに姿勢を直されたりしながら、じっと測られている。値段を聞くと、市場で値引きの特急仕立て料金と言われた値段のさらに半分…なかなかやるのお、おばちゃんめ。

 

 この店で見つけたサンダルと合わせ、二日後に引取りに来ればOK。

 

 

 「お疲れ様、はるなさん。何か俺のわがままで引っ張りまわしてごめんね」

 はるなさんはびっくりしたような表情で、顔の前でぶんぶんと手を振る。

 「そ、そんな事ないですっ! あのアオザイっていう服、可愛いなーと思って見てたので…だから嬉しかったんですよ」

 

 この後俺達は市内を散策した。優雅なコロニアル建築のホーチミン人民委員会庁舎は残念ながら一般公開されていないけど、外観を見るだけでも十分に印象深い。建物正面から縦に長く伸びる公園、その起点には市名の由来ともなっているホー・チ・ミンさんのブロンズ像が設置され、観光客の撮影スポットになっている。もちろん俺達も写真を撮った。公園をそのまま下って行くと、両脇を通る道路を挟んだ細長いビルの間にマク○ドナルドがあるのに気が付いた。ちょうど昼時を挟んでタンディン市場にいたからまだ昼ご飯を食べてなかったし、慣れない土地でレストラン探しもあれなので入ってみた。

 

 けれどやっぱり日本とは違う。普通のハンバーガーに加えコムというメニュー。写真を見る限り、普通にご飯とフライドチキンやハンバーガーのパテがセットになった定食風の内容。はるなさんはチーズバーガーセット、俺は物珍しさにつられそのコムチキンを注文。チキンはまんまチキンフィレオで、ご飯は日本のお米と違いあっさりした味。美味しかったけど、俺には食べた感が少なかったかなあ。何となく満たされないまま食べ終わり、引き続き公園を下ってゆく。

 

 日曜の昼下がり、縦に長い公園を、手を繋いで歩く俺とはるなさん。公園の左右には大小さまざまの建物が並ぶけど、基本的に高い建物が少ない印象。ガラス張りのタワー系巨大ビルか、三階建てかせいぜい五階建てくらいで色取り取りの細長いビル。極端な感じだね。公園と道路を仕切るように並ぶ植え込みやベンチでは現地の人達が思い思いに過ごしている。しばらーく歩くと、ホーチミン市をうねるように流れるサイゴン川のフェリーポートに辿りついた。ゆったりと流れる大きな川、吹き抜ける川風、公園と同じようにゆったりと寛ぐ人達。でも、何と言うか…あんまりいいにおいじゃないね(苦笑)。

 

 俺とはるなさんは再び歩いて来た道を引き返し、そのままホテルまで戻った。

 

 

 

 一番暑い時間に街をうろつき汗ばんだ体の火照りを冷ますように、俺達はホテルの中にあるプールにやってきた。ツインタワーの間に挟まれる様に造られたこじんまりとしたプールは、俺達の他には二、三組の客がいるだけで、貸切に近い状態だった。

 

 

 「お待たせしました拓真さん…ど、どうでしょう?」

 

 パラソルで日陰になったラタン製のラウンジチェアで寛いでいた俺は、思わず目を奪われた。長い髪をアップにまとめたはるなさんは黒のビキニで登場した。えっと、ダズル調とでも言えばいいのかな、トップスは両胸の外側に、ボトムスは両脚の付け根にそれぞれ白のストライプが入ったデザイン。何も言えずにただ視線を外せずにいる俺に近づいてきたはるなさんは、俺の手を取り立ち上がらせようとする。あの、何というか男の事情的に今はちょっと…。はるなさんもそれに気づいたようで、さっと頬を赤らめる。けれどそのまま俺の手を引っ張り無理矢理立ち上がらせると、そのまま二人でプールに飛び込んだ。

 

 深さは1.2m程度、すぐに二人とも立ち上がる。俺は腹筋から上が、はるなさんは胸から上が水面に出る。大きいと水に浮くんだよね…。濡れた髪の毛をかき上げた俺の手に添えるように、はるなさんが両手で俺の髪を撫でるようにし、そのままその腕が俺の首に回され、はるなさんが体を寄せてくる。な、なんかかなり、というか大胆すぎない、はるなさん?

 

 「理由…必要ですか?」

 

 それ以上の言葉は必要なく、ただ俺達はお互いを抱きしめるのに忙しくなった。

 

 

 

 

 そんな甘い週末はあっという間に過ぎ、明日と明後日は西松教授の紹介で細胞工学の権威ドゥアン教授と会うことになる。




 前後編、と言いましたね? あれは嘘です。中編ができてしまいました…。

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