最終話 ビタースウィート
「はるなさん、そろそろ出かけようよ?」
車のキーを手に取り、はるなさんに声をかける。彼女は何事もてきぱきしているが、お出かけするとなると、女の子らしいというか、どうしても時間通りとはいかないみたいだ。
ぴんぽーん
ほら、こういう時に限って、誰か来るんだよなぁ。オートロックのこのマンションでは、部屋側から開錠しない限り建物の中に入ることはできない。セキュリティのモニターを見るとそこには―――。
「He-y 拓真ぁー、早く開けてくだサーイ。開けてくれないと全砲門Fireして自分で開けちゃいマース♪」
笑顔で物騒な事を言ってのける金剛さん、そして比叡さん霧島さんがエントランスにいる。はぁ…ため息をつきながら、セキュリティに暗証番号を入力する。
「どうしました、拓真さん?」
振り返ると、ナチュラルメイクのはるなさんが小首を傾げて立っている。うるつやな唇から目が離せなかったのは内緒だ。
「あ、ああ。その…お客さん。はるなさんもよく知ってる人たち」
今度はドアベルが鳴る。訪問者が玄関の前まで来たということだ。
「Congratulation、拓真ぁー、はるなぁーっ!!」
ドアを開けると金剛さんが飛び込み抱き付いてきた。彼女の後ろには何やら荷物を抱えた霧島さんと比叡さん、俺の後ろには何やらご機嫌斜めっぽい雰囲気のはるなさん。
「お、お姉様っ!! 拓真さんから離れてくださいっ!」
ぷうっと頬を膨らませながら、ぐいぐい俺を引っ張り金剛さんから引き離そうとするはるなさん。金剛さんは確信犯でやっているようで、ペロッと舌を出しながらすぐに俺から離れる。
「…突然どうしたんですか」
「拓真が帝都の
自分の専攻変更と教授の退任を受け、俺は帝都にある別の大学院に移ることにした。教授の推薦状の効果は絶大で、『あの西松博士の推薦状がある時点で十分です』とまで言われた。限りある時間を有効に使うには、帝都へ引っ越すのがいいのだが、今はまだそれができない。やはり教授と五月雨さんの事が気がかりで、この街を離れることに踏み切れない。
ふと見ればうっすら涙ぐみながら金剛さんとはるなさんが抱き合っている。その二人を霧島さんと比叡さんがそっと抱きしめている。姉妹、か…。俺は兄弟姉妹がいないけど、きっといいものなんだろうな。ところであと一人…誰?
◇
この部屋をはるなさんが気に入った理由の一つ、広いルーフバルコニー。そこに置かれたウッドテーブルと5脚の椅子、金剛さんが持参したティーセット。それぞれが席に付き、何でもない話で笑い合っている。
「遅くなりました」
「え、ええっ!!」
「きゃぁっ!!」
ベランダの手すりを乗り越えて、艤装を展開した
「はい、榛名は大丈夫ですっ! 艤装を展開すればこのくらいの高さは問題ありませんっ! そうそう、金剛お姉様、お探しのシフォンケーキ、無事買うことができました」
ベランダに降り立ち艤装を格納した榛名さんは、手に下げた白い箱をひょいっと持ち上げ、笑みをこぼす。
金剛さんは無言のまま笑顔で視線を送り、優雅に紅茶を飲んでいる。それをうっとりと眺める比叡さん、さっきから『本当に良かったです』と同じことを繰り返し、俺の肩をバンバン叩く霧島さん。そういえば、紅茶じゃなく、香り付けのブランデーばかり飲んでましたよね…。
思いがけず賑やかになった休日の午前中。隣り合って座り手をつなぐ俺とはるなさんは、他の4人に散々からかわれることになった。
「拓真―、はるなー、結婚式には必ず呼んでくだサーイ! 鎮守府で式を挙げてもいいですヨ?」
そう金剛さんは言い残し、皆と一緒に昼過ぎには鎮守府へと戻って行き、俺達も改めて出かける準備に取り掛かる。
◇
来週から新しい院に行く前に、教授に挨拶とお礼を言うため彼の元を訪れる。セキュリティーキーは持っているが、今は教授と五月雨さんが暮らしている以上、勝手に入る訳にはいかない。インターフォン越しに俺とはるなさんの到着を伝えると、珍しくしばらく待たされ、五月雨さん一人が玄関先に現れた。
「穴吹さんにはるなさん…ですよね? お久しぶりですー。はい、五月雨は元気ですっ!」
小さくガッツポーズをするように、くるっとその場でターンをして見せる五月雨さん。おお、記憶が順調に定着しているようだ。ところで教授は? 俺のその問いに、少し困ったような表情を見せる。
「あ、あの…
やっぱり体調が良くないのか…機会を改めた方がいいかな、俺とはるなさんは顔を見合わせる。来週また来よう、今日はドライブデートだと思えばいい。五月雨さんに別れの挨拶を告げ、車に戻ろうとすると呼び止められた。
「あのっ、これを穴吹さんにお渡しするようにと天周さんから…。読むのは家に帰ってからにしてほしい、とのことでした」
…なんだろう、改まって。何となく心がざわめくが、そのまま手紙を預かり帰途に着く。海岸沿いを走ること2時間、不意にはるなさんが小さな声を上げ、すぐに俺もそれに気が付いた。
ここは、俺とはるなさんが始めて出会った砂浜だ。
車を停め、俺とはるなさんは砂浜へ降りてゆく。いつの間にか外は夕暮れになろうとしている。潮風に長い髪を躍らせ、波打ち際を爪先立ちで軽くジャンプするように歩くはるなさんの背中を眺めながら、俺はその辺の岩に腰掛け、教授からの手紙を読み始める。家じゃないけど、まぁいいだろう。
手紙には、五月雨さんの記憶障害は快方に向かっていることから始まり、すでにはるなさんが正式な戸籍を有し書類上は何の不足もなくこっちの世界で生きて行けること、俺がこれから取り組もうとしている課題に10数年前から教授は先鞭をつけていること、それら研究の資料と大学から移設された設備が第二実験棟にあること、そして彼が権利を持つ多くの
手紙は最後にこう結ばれていた。
『穴吹、私は艦娘に生を与えた。後はお前に託す、はるなに望むものを与えてやれ。私はもう持たないが、五月雨の事は心配するな、鳳翔たちに頼んである。ただ、定期的な検査だけは頼む。
私の残す資産があれば研究費に困ることもないだろう、自分の道を進め。しかし一人になるな、必ず教授を目指せ。地位と肩書、それにより得られる名声と人脈はお前を助けてくれる。軍とも上手く付き合え。艦娘を傍に置く以上、無関係ではいられない。はるなのために、あらゆるものを利用してゆけ。
お前の研究は将来必ず実を結ぶ。これは私の願望ではない、事実だ。それだけ私はお前を高く評価している。そして、願わくばその成果を全ての艦娘と分かち合ってくれ』
パズルの全てのピースは今、俺の手の中に集まった。あとは俺がいかに組み上げてゆくか…手紙を読み終え、天を仰ぐ。今まで教授が一人で背負ってきたものを、今度は俺が背負ってゆく。
気付けばはるなさんが、すぐそばにたって俺を見守っている。深く考え込んでいたのか、全然気づかなかった。座っていた岩から立ち上がり、はるなさんの名を呼ぶ。静かに頷いた彼女の顔は夕陽でオレンジ色に照らされている。
「俺が教授のような不世出の研究者になれるか、正直に言って分からない。追いつけたとしても、どれだけ時間がかかるやら…はるなさんに約束したことだって、俺が死ぬまでに叶えられるかどうか…。けれど、はるなさんの、いや、俺たちの望む未来のために、俺は生涯を賭ける。…だから、ずっと俺と一緒にいてくれ」
はるなさんは、胸に手を当てながらそっと目を閉じる。再び目が開いたとき、今まで見た中で一番きれいで、はなやかな笑顔を見せながら、俺の胸に飛び込んできた。
「はるなの嬉しいことも楽しいことも、全部拓真さんがくれたんです。艦娘でも人間でも、何でも構いません、拓真さんを感じられる心と体さえあれば、それが『わたし』です。はるなは、拓真さんの名前を呼ぶたびに、心が温かくなって、どんなことでもできる、そう思えます。だから…私たちの未来は、絶対に大丈夫ですっ!」
この砂浜から全てが始まった。初めて出会った時は、俺が助けられた。二度目に出会った時は、俺がはるなさんを助けた。多くの人に見守られ、支えられたどり着いた三度目の今日から、俺達はお互いを助け合い、一緒に歩いてゆく。
(完)
『君の名を呼ぶ時の僕の気持ちを君は知らない』、これにて閉幕となります。これまでこの物語をご覧いただきました皆様、心よりお礼申し上げます。勝手なお願いですが、今後の活動の参考にさせていただきたく、完結したこの機にご感想など頂けますと、尚嬉しく思います。
改めましてありがとうございました。
活動報告もちょっと更新しましたので、お暇のある方は、そちらもご覧いただけますと幸いです。