君の名を呼ぶ時の僕の気持ちを君は知らない   作:坂下郁

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鳳翔と大将、伊達提督と榛名、そして教授と五月雨…。
それぞれに異なる想いの行方を目にした拓真とはるな。

前後編投稿の2本目。


第49話 消えない虹-後編

 「あなたは私のことを知ってるの? ごめんなさい、わたしの頭…壊れちゃってて、昔の事を思い出せないし、新しいことを覚えていられないの。それでもお願いっ、あなたのことを教えてっ」

 

 五月雨さんが教授のシャツの胸元を掴んで必死に呼びかける。不意に教授が五月雨さんの手を握る。見慣れた冷笑ではなく、優しい、ただひたすらに優しい微笑みを浮かべ、途切れ途切れに言葉を絞り出す。

 

 「…五月雨、お前は誰よりも優れていて、輝いていた初期艦だった。酷使されボロボロになったお前に、何とかその輝きを取り戻してほしくて、当時の私にできること全てを行った。あの頃、私は自分に芽生えた想いを何と呼べば良いか分からず、それを認めるのを怖がっていた。その代わりに、どれだけの想いを込めてお前の名前を呼んでいたか…」

 

 五月雨さんは混乱している。大きくイヤイヤをするように頭を振り、その度に長い青い髪が揺れ動く。見守るしかできない俺とはるなさん、俺の手を握るはるなさんの手に力がこもる。

 

 「分からない、分からないんですっ! 天周(たかのり)さん、何で私はあなたがコーヒーを飲むって知ってたんですか? クリスマスのケーキだって、バレンタインのチョコケーキだってひっくり返しちゃったし、って、あ、あれ!? 私、何言ってるの!?」

 

 どんどん五月雨さんが昔を思い出している。え、今、教授の下の名前を呼んだ!? これは…!!

 

 

 「………で、結局あなたは誰なんでしょう」

 

 

 困り果てたような顔をする五月雨さんに対し、なぜか嬉しそうな教授。いや、すみません、ホントに意味が分かりませんよ、その笑顔。

 

 「五月雨に記憶は残っている、それが十分に分かった。人間の脳は最も繊細で、同時に最も頑強な器官だ。それは艦娘も同様だ。五月雨は前頭葉や海馬から記憶を引き出すニューロネットワークが損傷しているのだ」

 

 冷静に五月雨さんの状態を観察していたのか…。俺ならこんな場面ではとても冷静ではいられなかっただろう。

 

 「一度壊れたネットワークは修復できない。だが、訓練次第で脳は補完的ネットワークを形成する事ができる。記憶を引き出す刺激とそれを定着させる反復、それを強化する適切な治療…時間はかかるだろうが」

 

 刺激…俺は五月雨さんにもう1通の手紙-伊達提督からの指令書を読んでくれるように頼む。戸惑いながら、震える指で封を切り取り出した中身を読み、意を決したように綺麗な敬礼の姿勢を取る。

 

 

 「はいっ! 白露型駆逐艦五月雨、現任務から解かれ、新たな任務につくことを拝命いたしますっ! 西松教授の命が尽きるまで、そばにいて護衛とお世話をすること、確かに承りました! 五月雨、頑張っちゃいますからっ!!」

 

 

 五月雨さんのその嬉しそうな表情は、新たな役割への喜びなのか思い出への憧憬なのか、俺には分からない。けれど、そんな彼女を見て思うこともある。

 

 -昨日の何かを変えることはできない。けれど、それでも今日から何かを始めることはできる。

 

 教授と五月雨さんをずっと見ていたはるなさんは、感極まったのかついに泣き出してしまった。慰めるように彼女を抱きしめているが、その方が都合いい、俺もはるなさんに泣いているところを見られずに済むから。

 

 

 

 「だが…あんまり頑張ってくれない方がいいかも知れないがな」

 

 わざと皮肉っぽい言い方をする教授を、ひどいですーと言いながらポカポカ叩いている五月雨さん。

 

 

-ドサッ

 

 大きなバッグを床に置いたような音がする。振り返ると教授が床に倒れ込み、五月雨さんが慌てて取りすがっている。え…軽い音とは裏腹にそんなに全力で叩いてたの? 俺とはるなさんも教授のもとへ駆け寄る。

 

 「む…そんなに慌てるな。少し無理をし過ぎたようだ…な…」

 

 病人を連れての片道8時間の強行軍-自分の判断の甘さを悔やむが、今は後悔するより教授を病院へ運ぶことが先だ。定期船の時間は…あぁっ、まだ先だっ。

 

 

 「本州の病院までお連れすればいいのですねっ」

 

 見れば五月雨さんが艤装を展開して立っている。へぇ、はるなさんのと比べると随分小さな装備なんだ。俺は伊達提督から言われていた連絡先に電話をし、指示を仰ぐ。緊急の時にかけなさい、そう言われていた番号だ。

 

 「五月雨さん、本州側の拠点港まで行けば伊達提督が救急車を手配してくれてるそうだっ!」

 俺の言葉など耳に入らぬように、五月雨さんは教授を抱きかかえるようにして走り出し…そして転んだ。

 

「あれぇっ!?な…なんでぇ!?」

「むっ! 流石にここでこうなるとは…」

 

 放り出された教授と涙目になり起き上がろうとする五月雨さん。そして、はるなさんが五月雨さんに手を貸して助け起こす。

 

 「五月雨さん、はるなは拓真さんのためなら、と思うとそれだけで力を感じます。だから、あなたも教授のために全力で頑張ってくださいっ!」

 

 優しく、力強いはるなさんの励ましの言葉。背中を押されるように五月雨さんは再び立ち上がり、教授の元へと進む。

 

 

 「お任せくださいっ、一生懸命頑張りますっ」

 

 両腕に教授を抱きかかえ、波止場から全速力で拠点港を目指す五月雨さん。二人を見守る俺とはるなさんの目には、海面を走り去る五月雨さんが立てる水しぶきに虹が眩しく、そして儚く映っている。

 

 -消えない虹だって、あってもいいよな

 

 心に浮かんだそんな言葉を飲みこみ、俺とはるなさんはそのまま帰りの定期船が来るのを波止場で待っていた。

 

 

 

 その後、教授は緊急搬送された先で応急処置を受け容態は取りあえず安定、五月雨さんが付き添っているとの連絡が伊達提督から入り、俺は胸を撫で下ろした。

 

 「-だってさ、はるなさん」

 

 ベッドの足元の窓際に立ち、夜景を眺めているはるなさんからの返事はない。俺はソファーに座り、彼女の背中をぼんやりと眺めている。今日は彼女のたっての希望で、この街に泊まることにした。今からまた8時間以上かけて車を走らせて帰るのはしんどいし、正直助かった。ただ…はるなさんにチェックインを任せたら、ダブルのお部屋しか空いていませんでした、って…マジか…。

 

 五月雨さんと出会い、彼女と教授を見送ってから、はるなさんの様子がおかしい。何か思いつめているような…実際、無言のままだ。

 

 

 「拓真さん…」

 

 初めてはるなさんが口を開き、俺の方を振り向く。泣き笑い、と表現するしかないような、不思議な表情のまま、彼女は言葉をつなぐ。

 

 「人間と艦娘って、本当に超える壁が大きいですね。鳳翔さんと大将、伊達提督と榛名さん、そして…教授と五月雨さん…。拓真さん…はるなは、それでもあなたと一緒にいたいです」

 

 俺はソファーから立ち上がるとはるなさんの元へと歩み寄り、彼女を安心させられる言葉をかけようとしたが、開きかけた俺の口は榛名さんの唇でふさがれ、そのままベッドに押し倒された。長い黒髪が俺の顔にかかる。見上げる彼女の顔は悲しそうで、それでも美しかった。

 

 

 「………言葉よりも…何があってもあなたを忘れないように…消えない思い出を、はるなにください…」




 本章もこのエピソードで一段落し、次回は物語に幕が下ります。よろしければ引き続きお付き合いいただけますと嬉しいです。

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