たどり着いた先で待っていたものは-。
前後編投稿の1本目。
この島は、かつて帝国海軍連合艦隊の停泊地であり、多くの
伊達提督の言葉が甦る-。
『五月雨には断片的な過去と今しかない。脳に負った損傷のせいで、最後の作戦以前のことは断片的に、それも脈絡なく思い出すだけ。短期記憶は、短ければ5分、長くても1日しか持たない。体で覚えたことは今でも忘れないようだが…』
俺達の住む街から、高速道路をぶっ飛ばして車で約8時間。拠点となる街から定期船に乗り換え、人口300人にも満たないこの島へとたどり着いた。一人でぶっ通し運転を続けた俺はへろへろだが、構ってられない。はるなさんが心配そうに俺を見つめてくる。俺ははるなさんの手をそっと握り、視線で大丈夫だと語りかける。
港、というよりは波止場程度の設備だったが、ともかくそこからゆっくり歩きながら20分ほど経っただろうか。塀に囲まれたレンガ造りの建物が見えてきた。近づけばあちこち傷んでいる様子が見てとれる。時が止まっているような雰囲気の中、一人の女の子が正門の前を掃除している。近づく俺達に気付くと、不審げな目で問いただす。
「ここは立ち入り禁止ですよ。何のご用件でしょう?」
これが五月雨さん、か…。青いロングヘアーにつぶらな青い瞳が印象的な女の子で、セーラー服を模した青い襟のついた白いノースリーブの制服を着用している。初期艦が作られたのは今から30年近く前って話だけど…すげぇな、どう見ても中学生くらいにしか見えないよ。それにしても、教授が想いを寄せた唯一の相手がこの子って…もしかしてロリk―――。
「レッテル貼りは不適切だ、とだけ言っておくぞ、穴吹」
ゆっくりと正門に向かいながら、振り返りもせず鋭い口調で俺に警告する教授。今、心を読むどころか思考を途中で止められたよな、俺…。
◇
五月雨さんは俺達が正門に近づく俺達、正確に俺達ではなく教授を不思議そうに見つめている。俺は自分の名を名乗り、伊達提督から預かった2通の封書を彼女に渡す。1つは彼女宛ての手紙、もう1つは指令書、そう伊達提督は言っていた。うち1通の手紙を読んだ五月雨さんは、錆びて動きの悪くなった門を開け、俺達を中に招き入れる。
「この本部棟のお掃除が私の任務なんです。でも私ドジだから…しょっちゅうガラスを割ったり床を水浸しにしたりして、なかなか捗らなくて…。でも、私頑張ってますから、きっと綺麗になりますっ」
道すがら、少ししょんぼりしたような表情で、それでも自分を励ますように五月雨さんが説明する。確かに、割れたガラスがそのままになった窓や、壁や床に空いた穴があちこちで目に付く。廃墟となったこの建物で彼女はもう何年も一人で暮らしてるという。俺たちが向かう目的の場所は五月雨さんの部屋のようだ。
「はい、そちらのソファーにおかけになってください。お飲み物を用意します、何がいいですか?」
俺とはるなさんは、案内された部屋を見渡して息を飲んだ。壁一面、色々書かれた白い紙で埋め尽くされている。お茶を淹れる手順、掃除の仕方、物の在り処、人の名前と似顔絵、その他諸々…彼女の生活に必要と思われる全てのことが書かれた紙が貼られている。五月雨さんは壁に貼られた紙を見ながら、何が冷蔵庫にあるかを教えてくる。俺はアイスコーヒー、はるなさんはオレンジジュースをお願いし、彼女は一生懸命それを手にしたメモ帳に書き込んでいる。
彼女がどんな思いでこれまで時を過ごしてきたのか、と思ったがその思いさえ長くて1日しか持たないのが彼女の状態のようだ。白い紙の山は、積み重ねられない毎日を必死につなぎ止めようとする彼女の悲鳴のように思えた。
「あぁ、やっぱりそれ気になっちゃいますよね。私、ほんとドジ…というか、何でもすぐ忘れちゃうんですよ。なので忘れてもいいように、全部の事を書いて壁に貼ってあるんです。どうすればいいかを忘れないように、ほら―――」
小首を傾げ自分で自分の頭をコツンと叩くようなポーズで舌を出した後、左腕を俺達に見せる。そこには白く綺麗な肌を汚すように『困ったら壁を見ること』と油性ペンのようなもので書かれていた。
「改めましてみなさん、
姿勢をただし、深々と俺達にお辞儀をする五月雨さん。その言葉に改めて衝撃を受ける。確かに俺とはるなさんは『初めまして』だ。だが、教授は違うだろ―――? 思わず教授を見ると、壁に凭れるように立ち、五月雨さんを観察するように冷めた視線を送り続けている。
「はいっ、お待たせしましたっ! …って、きゃあっ」
何もない所でこける、とは聞いていたが、まさか飲み物が入ったお盆を持っている時に本当にやるとは。
アイスコーヒーとオレンジジュースを浴びせられた俺は、あぁ本当にこういう事ってあるんだな、とぼんやり考えていた。ごめんなさい、と慌てながら五月雨さんがタオルを持ってくる。そして彼女は何事もなかったように、部屋に備え付けのキッチンへと行き、今度はホットコーヒーの準備を始めながら、俺を驚いたような目で見ている。
「ど、どうされたんですかっ!? まるでコーヒーとオレンジジュースでも被っちゃったみたいですよ?」
前もって聞いていなければ、彼女の言動がまったく理解できなかっただろう。これは何と言えばよいのか…。今度はゆっくりとした足取りで、マグカップを載せたお盆を持ち教授へと向かい歩いてゆく五月雨さんに俺は違和感を覚えた。
-彼女は、教授には何を飲むか
「はい、いつまでもドジっ娘なんて言わせませんからねっ! 今日のコーヒーは自信あるんだからっ!!」
「五月雨…いつもそう言うが、今回はどうだろうな?」
弾けるような笑顔でマグカップを差し出す五月雨さんと、薄く目を閉じ微笑んだ教授。これは、いつの日かに教授と五月雨さんの間で起きたことの再現か。記憶が…つながっている? 思わず俺とはるなさんは手を取り合い、期待に満ちた目で二人を見つめる。
自分の言葉にハッとした五月雨さんは、教授に向かい問いかける。
「私、何でこんなこと言ったのかな…? ねぇ、あなたはもしかして私のことを知っている人ですか? 私…何か物凄く大切な事を忘れちゃってるのかな…」
五月雨さんが動揺を隠せずに俺の方を振り向く。教授に集中してくれ、頼むから。