君の名を呼ぶ時の僕の気持ちを君は知らない   作:坂下郁

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初期艦と呼ばれる一人の艦娘をめぐり、再び動き出す物語。



第45話 ねがい

 その日、大学は騒然としていた。深夜の不審火で教授の研究棟と実験棟が全焼、それも跡形もなく灰になったのだから無理もない。まるで強力な燃焼促進剤でも使ったかのような焼けっぷりだ。あげくに、警察や消防を押しのけ、銃を持った軍人たちが周囲を警戒し、彼らが現場検証に当っている。その光景が、改めて教授が軍の関係者だったことを雄弁に語る。

 

 

 「にしても拓真ん、どーする訳? 指導教官は退任、関連設備や資料は灰、これじゃぁ研究の続けようがないんじゃないの? あんなに真面目に頑張ってたのに…」

 

 俺をそう呼ぶのは高末だけだ。その彼がコーヒーを啜りながら俺に訊ねてくる。そんなの俺も知りたいよ…。はるなさんのための研究に、教授のこれまでの知見や資料は必要不可欠なのに…。

 

 食堂に集まっている俺と友人達。例によってバカ話…とはいかず、話題は大学構内で起きた火災になる。この街にある俺の大学の学部は全体の一部で、水産や海洋関連のものだ。はるなさんのために、専攻を変えることは大学にも伝えてある。指導教官まで変える必要はなかったが、当の教授が退任してしまった。そうなると、帝都の本学にいる教授の誰かに師事を仰がなければならない。とは言っても、西松教授と比べると、どうしても…。

 

 「うーん…。そうなんだよなぁ…」

 頭の後ろで手を組み、クッションの効かない安物のソファに背中を預ける。そういや病院に残ってた地図、あれは何だろう…?

 

 「残念だったねー拓真、せっかく取り入ってきた教授が突然いなくなって。いやほんとマジどうすんのお前?」

 「あ゛? お前と話す気分じゃないから。取り敢えず消えてくれよ、マリアナ海溝の底まで」

 

 森園は、なぜか知らんが上から目線で俺に絡んでくる。面倒臭い自称意識高い系だが、致命的にその自覚が本人になく鬱陶しい。そういや西松教授の研究室に入れなかったのを随分根に持ってたな。

 

 お互い不愉快そうな視線を送り合う。俺はイライラがピークに近づき、険しい顔で立ち上がる。

 

 慌てて高末と沢田が森園をなだめすかし連れ去ってゆく。助かったよ。そうじゃなきゃ、マジで揉めてたかもしれん。

 

 

 

 「そんなことがあったんですね…。でも、ご友人の割には、その森園さんという方、拓真さんのことを分かってないですね。拓真さんはいつも真っ直ぐな人なのに」

 

 ソファーに座るはるなさん。俺ははるなさんの太ももを枕にするようにして、仰向けにソファーに寝転んで頭を撫でられている。彼女の強い希望でこうしてる訳だが、はるなさんの指が俺の髪や頭に触れるたびにイライラがすーっと溶けていくようだ。

 

 「こうすると男の人は癒されるって本で見ました」

 

 へぇ、そうなんだ。いわゆる女性誌的なのをはるなさんも読むのかな。

 

 

 部屋に帰ると、開口一番はるなさんに『何かあったのですか?』と尋ねられた。表情が微妙に違ったらしい。…参ったね、はるなさんには隠し事はできなさそうだ。いや、唯一机の引き出しの宝の山(エ○い本)だけだな、彼女に秘密にしてるのは。

 

 「…そ、それに、こうした方が彼氏から誘いやすいって…」

 

 赤い顔をしながらはるなさんが訥々と言う。ん? その展開、なんか覚えがあるぞ。落ち込んだ彼氏を彼女が膝枕で慰めてそのままソファでイチャラブ的、な………!!

 

 「えっと、はるなさん? 何の本を見たのかな?」

 「は、はい…拓真さんの引き出しに入っていたもので…。はるな、ちょっと…いえ、かなりびっくりしましたけど、が、頑張りますっ!!」

 

 はるなさんはさらに赤い顔をしながら、上体を倒してきて、俺の顔を太ももと胸でサンドイッチにしようとする。俺は下からの固くて柔らかい感触と上からの柔らかくて柔らかい感触に挟まれながらも、宝の山がすでに秘密ではないことにパニックになりワタワタもがいていた。引き出しの中の穴吹拓真と言う男の全て、それを見られたのか―――。

 

 

♪♪

 

 ケータイの着信音で、二人とも我に返り、慌ててお互いから離れる。俺は真っ赤な顔をしながらテーブルのケータイに手を伸ばす。はるなさんは赤くなった頬を両手で挟むように押さえている。

 

 「…はい、そうなんですね、良かったです。いえ、今からでも大丈夫です」

 

 どうしました、という目線ではるなさんがこっちを見ている。まだ少し上気した感じで…色っぽいんですけど…。

 

 「女将さんから電話。今から店に来れないかって。再オープンしたみたいだ」

 

 

 

 「久しぶりだな。今結構立て込んでてよ、向こうで時間を潰しててくれ」

 

 店名が宝生から鳳翔に変わってる。大将は呼んでおいて悪いな、と片手を顔の前に立て、奥の小上りに行くように言う。俺たちの目の前には数品の小鉢とお造りの盛り合わせが用意された。

 

 

閉店時間間際。暖簾はすでに片付けられている。

 「お待たせしました、拓真さん、はるなさん。突然お呼び立てしてごめんなさい」

 

 割烹着を外しながら、女将さんが小上りにやってきた。無論大将も一緒だ。

 

 「もう隠してる必要はありませんね。拓真さん、私も艦娘なのです」

 「はぁっ!?」

 

 思わず大きな声を出してしまった。知ってたの、という視線をはるなさんに送ると、彼女はこくりと頷いた。

 

 これまでの経緯に加え、教授が最後に二人に行ったことも説明を受けた。そして、ここからは女将、いや、鳳翔さんも断片的にしか知らないのですが、との前置きがついた話が始まる。

 

 「…五月雨という艦娘がいました。全ての艦娘のテストベッドとなった、初期艦と呼ばれる五人の艦娘の一人であり、教授が想いを寄せたただ一人の艦娘(女性)です。五月雨ちゃんは、色々なテストに用いられ壊れたまま前線に送られ、最後は行方不明、おそらくは轟沈…と言われています。教授は、自分が五月雨ちゃんを死地に追いやった、と今もご自身を責めていました」

 

 まさか教授が…あまりのことに声も出ない。はるなさんも驚きを隠せない表情をしている。自然と俺達は手を握り合っていた。

 

 「…だが、その五月雨が生きているという話もある。おそらく、教授が軍に協力を続けていた理由の一つがそれだ。これが真実でも嘘でも、軍には教授を縛り付けるこれ以上ない材料になる」

 

 大将が鳳翔さんの言葉を引き継ぐ。

 

 

 大将と鳳翔さんが居住まいを正して俺達に向き合い、二人して深々と頭を下げる。

 

 「…拓真さん、はるなさん、お願いです。私たちに力を貸してもらえませんか? 事の真偽を確かめたいのです。結果が何であれ、五月雨ちゃんについての真実を、教授にお知らせしたいのです。それが私に、私達夫妻にできる唯一のお礼だと思います」

 

 

 元提督の大将、元艦娘の鳳翔さん、現役(?)のはるなさん、そして教え子の俺…みな教授に助けられたんだな…。

 

 はるなさんが俺を見つめている。そして俺は、こういう時にする返事を一つしか知らない。

 

 「分かりました、俺にも関わらせてください」


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