君の名を呼ぶ時の僕の気持ちを君は知らない   作:坂下郁

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物語がゆっくりと動き始める。


第03話 砂浜、再び

 海へと沈んでゆく自分の体。薄れゆく意識の中で、誰かが自分に向かってきたのが見えたような気がする。長い黒髪の女の子が、必死に自分に手を差し伸ばしている――――。

 

 また、この夢だ。

 

 あれからもうずいぶんと経っているが、ほとんど毎日この夢で目を覚ます。実際のところ、誰にどうやって助けられたかなんて覚えていない。だからといって、それがはるなさんである訳がない。あの位置まで船もなく、どうやって来られるのか? まさか水の上を走ってきたとか? そんなのあり得ない。

 

 

 つまり、意外と俺って未練がましい奴だった、いうことか。

 

 

 こっちが一方的に一目ぼれしただけだが、どうしても砂浜で出会った日のはるなさんが忘れられない。だから、ショッピングモールでの件は、確かにショックだった。けど、当たり前だけど、はるなさんにもはるなさんの気持ちがある訳で……。それに、俺自身もあの日あの瞬間のはるなさんしか知らないくせに、一人で騒いでいる訳で……。

 

 起き抜けのベッドで悶々としているのは健康に良くない。なぁ相棒、そう思うだろ? というかお前はいつも無駄に元気だよな……一人暮らしが長いと、物に話しかけるクセがつく。代表的なのはテレビ番組に突っ込むってやつだ。その点、今日俺が話しかけたのは有機物であり、かつ自分の()()みたいな体の一部。よけいヤバイって……。

 

 あほなことをしてないで、さっさと準備して大学に行かなきゃ。今日は教授が研究室に来る日だ。とりあえず研究テーマの方向性は固まってるし、そんなに厳しくツッコまれるようなことはないだろう。もっとも固まっているのは方向性だけで、具体的に何かしているかと言われたら何も言えないのだが……。まぁいい、行こう。

 

 

 車を大学の駐車場に止める。関東圏とはいえ地方にある大学の特典だね、車通学は。駐車場から研究室のある棟まで徒歩一〇分、その間に友人たちとすれ違う。どうやら今日は教授の機嫌があまりよくないことが判明した。変に刺激しないようにしなければ。

 

 まっすぐ教授の部屋まで行く。ノックをして返事を待ってから入室する。西松教授は生化学の権威として国内外で著名な方で、他にも医学ほかいくつかの分野でも成果を挙げている、いわゆる天才。俺がこの大学を選んだ理由の一つでもある。深海棲艦との戦争が始まってからはもっぱら軍に協力しているらしく、学問の自主性が侵害される、研究結果の軍事利用だ、などと批判を受けている。こんなご時世でも、必ず一定数以上の暇人はいる。呑気に平和だ反戦だ深海棲艦と交渉だとか言ってるなら、ぜひ身内が殺されても同じことを主張してほしい。ただ、教授のようにあんまりにも軍にべったりなのもどうかとは思うが。

 

 研究テーマと方向性の確認、現在の研究の進み具合の報告、数点の質疑応答のすえ、あっさり俺は解放された。何やら教授は軍から依頼されたことがあり、忙しいらしい。俺は黙って一礼し、退出しようとすると、呼び止められた。

 

 

 「穴吹、海に出るのもいいが、自分がどこにいるのか常に注意深く確認することだ。次あんなことになったら、助からないと思うんだな」

 

 

 飛び上るほど驚いた。なぜ教授がそんなことを知っているのか? 色々知りたい事がある俺は教授に問い返したが、彼は自分のデスクに向かい俺を完全無視している。やがて用事は済んだとばかりに、振り返りもせず、左腕を後ろに伸ばしシッシと手を動かし俺を追い払う。非常に不満だが、手掛かりは身近なところにあったんだ、今後じっくり明らかにしていこう。それにこの教授の機嫌を損ねると、自分の将来的に危ない。今は我慢しよう。

 

 あっさり用事が済んでしまい、やることが無くなった。研究棟の入り口で、んーっと伸びをし、背筋を伸ばす。図書館に行って資料でも漁ろうかな、と考えていると、違う研究室の女子学生が入棟してゆくのとすれ違う。長い髪が揺れ、ふわりと香水の匂いがする。

 

 ー-はるなさんとは違う匂いだ。

 

 人間は比較でしか物事を判断できない生き物だという人がいる。確かにそうかも。今や俺の中で女子の基準ははるなさんになっているようだ。理由はない、ただ無性にはるなさんに会いたくなった。俺は車を走らせ、始まりの砂浜へと向かう。

 

 

 路肩に車を停め、少し歩いたところにある階段から砂浜へと降りる。波に洗われる砂。朝に比べて風が強くなり、沖合を見ると海がうねり始めたようだ。規則正しく打ち寄せる波は強く、海鳥の声を消すほどに波音は大きい。ここに来たからと言って、はるなさんに会える保証などどこにもない。

 

 

 ー-でも、この浜辺にはたまに来ています。

 

 

 彼女が言ったその一言だけを頼りにして、やってきただけだ。そしてその後に続いた言葉。

 

 

 ー-ご縁があれば、またお会いできると思います。

 

 

 縁、ねぇ……。三度目の正直とか、経験則による頻度の法則は信用していない。けれど、自分の視線の先にある光景を見ると、縁と言うのも案外バカにならないもんだな、と思いながら全力で駆けだした。

 

 

 強い波が打ち寄せ、引き波の中から砂浜に横たわるはるなさんが現れた。見間違えるわけがない、最初に出会った時と同じ服装だ。はるなさんはピクリとも動かない。

 

 

 俺の心臓がバクバクする。いったい、何が起きたというのか――。

 


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