君の名を呼ぶ時の僕の気持ちを君は知らない   作:坂下郁

36 / 56
サイドストーリー。

鳳翔の過去と現在が示す、人間と艦娘が結ばれた先にある一つの可能性。拓真とはるなを待つのは、同じ未来か、それともー。


Side Story - 病院にて
第35話 鳳翔の旅


 皆さんお久しぶりです、鳳翔です。店を畳んで街を出るつもりでした。ですが…そうできない事情ができてしまいまして…。ええ…私の旦那様が入院してしまったんです。もう60歳を超え、体調不調を訴えることも増えてきましたが、今回はとても深刻です…。

 

 「お風呂にしますか?ご飯にしますか?それとも…」

 「おいおい…入院中の旦那にそういう冗談を言うかね」

 ほろ苦く旦那様は笑い、私もつられて笑います。

 

 「ふふっ…でも、少し寂しいかもしれませんね。昔はあんなに激しく…」

 「腰が悲鳴をあげるから勘弁してくれ…薬が効いてきたみたいだ。少し眠るけど、いいか?」

 

 大げさな身振りでおどけていた旦那様が、ふと眠気を訴えます。私は深く頷き、手近にある本を読み始めながら、昔のことを思い出していました。

 

 

 

 私と旦那様が出会ったのは約25年前、当時は艦娘部隊の創成期でした。旦那様は大湊にあった実験部隊の提督で、私はそこに所属していました。ある日の訓練で、前線視察にやってきた提督の乗艦に流れ弾が命中、提督も重傷を負ってしまいました。大湊の医療施設では対応できず、提督は東京の海軍病院へと移送され、退院と同時に退役することになりました。

 

 明るい性格で、分け隔てなく私達艦娘に接してくれた提督ですから、皆落胆し残念がっていました。もちろん、私もその一人でしたが、その度合いは皆の比ではありませんでした。

 

 ある日、秘書艦だった私は、ふいに提督からこの戦争が終わったらどうしたいかを尋ねられました。

 

 「私の夢ですか? そうですねぇ…いつか(二人で)小さなお店でも開きたいですね…」

 

 提督は薄く笑いながら頷き、何かを考えているような風でつぶやきました。

 

 「そうか…いやしかし、俺は包丁なんてもったことがないしな…だが何事も努力が大切…ブツブツ」

 

 他愛もない話かも知れません。ですが私には心の支えとなり、絶対にこんな戦争で死ぬもんか、そう強く決心するのに十分でした。けれど、提督の入院と退役により、その夢は断ち切られたように思えました。

 

 

 そしてある冬の早朝、私は無断で大湊を後にし、一路東京の海軍病院を目指しました。

 

 

 病室に現れた私を見て、提督はひどく驚いていました。ですが、ベッドから起き上がり、私を抱きしめながら何度もありがとうと繰り返し言ってくださいました。

 

 提督は方々に連絡を取り、入院中の身の回りの世話をしてもらうために私を招いたこと、関係者への連絡が不行き届きだったことなどを必死に弁明され何とか事なきを得ました。ですが、当時は今と違い、ケッコンカッコカリや予備役除隊などの制度はなく、提督が退院した時点で大湊に帰らなければ、今度こそ私は脱走艦です。

 

 「鳳翔…俺はお前と離れたくない。お前は…どうだ?」

 

 本当に男の人は鈍感だと思います。わざわざ聞かないと分からないのでしょうか。ただ、私たちに許される選択肢は逃亡か心中、それしかありません。それでも、心は決まっていました。私は言葉の代わりに、提督の胸に飛び込みました。

 

 

 

 提督…いいえ、旦那様と私は、とある日本料理店に住み込みで修業をさせていただき、数年後、夢だった小さなお店を東京の下町に持つことができました。この頃でしたね、教授(当時は違う肩書でした)と知り合ったのは。彼の尽力で私は表向き解体処分の扱いになり、軍の追及から逃れることができました。

 

 順風満帆な日々が7年ほど続いたでしょうか。ですが、とある常連さんの一言がきっかけで、事態は変わりました。

 

 

 「大将はずいぶん老けてきたのに、女将さんは…老けないんじゃなくて、不自然なくらい()()()()()()()

 

 

 その場は誤魔化しましたが、同時に理解しました。年と共に肉体が老化して寿命を迎える旦那様に対し、兵器として人工的に作られた私の肉体には、その過程は人間の何倍もの時間で緩慢に訪れます。いずれ私には、今と変わらない姿のままで旦那様の最後を看取る日が来るでしょう…。

 

 

 人の噂がうるさくなり、しばらくして私たちは店を畳み、縁もゆかりもない土地へと引っ越し、そこでまた小さなお店を開きました。

 

 

 そしてまた月日が経ち、私の容姿が人の噂に上り始めた頃にお店を畳んで、今度は旦那様の生まれ故郷の、この街にやって来ました。旦那様も年を取り、口癖のように「最期は故郷で迎えたい」と言うことが増え、私も決断しました。

 

 

 この街でお店を開いて数年経ったころですよね、拓真さんがアルバイトで来てくれたのは。何となく提督の若いころを彷彿とさせる、今時の若者にしては無骨で芯が強く、同時に年相応に世間知らずな彼を、私たちはすっかり気に入り、働いてもらうことにしました。

 

 

 ある日、拓真さんが彼女を連れてお店にやって来ました。長い黒髪と白い肌が印象的な可愛らしいお嬢さんです…彼女が人間であるなら。一目で彼女が艦娘だと分かりました。金剛型三番艦の榛名さんですね。何がどうして学生さんと艦娘が一緒にいるのか分かりませんが、自分達と同じく、逃亡を繰り返す生活を、終わりを共に迎えられない時間を、送るつもりなのでしょうか…?

 

 

 

 物思いに沈む私を現実に引き戻すように、病院中が喧騒に包まれています。看護師さんを呼び止め事情を伺うと、深海棲艦の艦載機による空襲が始まり、市の中心部は破壊され猛火に包まれ、多くの怪我人が運び込まれているとのことでした。看護師さんは急ぎますので、と慌ただしく小走りで去ってゆきました。

 

 旦那様は薬が効いているのかまだ眠っています。私は一気に屋上まで駆け上がります。逃亡しているこの20数年の間、補給や整備ができない以上、艤装を展開するならただ一度だけ旦那様のために、そう心に決めていました。そして今がその時です。

 

 「実戦ですか・・・致し方ありませんね」

 

 偵察機を放ち敵の動きを探ると、中心部の爆撃を終えた敵の艦載機が市街に機銃掃射を行いながら接近してきます。別方向からは直接こちらを目がけ進んでくる部隊。その数計24機。私は矢筒から一本の矢を引き抜き、語りかけます

 

 「頼みましたよ、『虎徹』さん」

 

 搭乗員の妖精さんは、任せておけ、と言わんばかりに胸を叩きます。放った矢は岩本小隊長率いる零戦53型の一隊へと姿を変え、白い頭蓋骨のような敵機の群れを一機たりとも逃さずに迎撃しました。さすがです。

 

 一方、偵察機からの報告では、市街を守るようにして海上に陣取る一人の艦娘が、被弾しながらも必死に対空戦闘を行っているとのことです。

 

 「なっ…はるなさんっ!! 一体何を…?」

 

 刻々ともたらされる情報の中に、一組の母娘を連れこの病院に現れた拓真さんの姿がありました。私は全てを理解しました。拓真さんを逃がすために、はるなさんはこの方面への敵の侵攻を一人で食い止めようとしている。ですが拓真さんの表情を見ると、到底納得していないようです―――。

 

 帰還した偵察機に、通信筒を持たせ再び発進させ、拓真さん目がけそれを投下させます。彼は小型船をお持ちでしたね。間に合えばよいのですが…。

 

 さらなる情報が飛び込んできます。重巡2軽巡1駆逐3から成る敵の別動隊がはるなさんに迫り、すでに相対距離は50,000を切っています。

 

 「やるときは、やるのですっ!!」

 

 村田隊長率いる九七式艦攻隊と江草隊長率いる九九式艦爆隊を急ぎ発進させます。

 

 攻撃隊が到着した頃には、はるなさんは満身創痍でした。いくら巡洋艦と駆逐艦とはいえ、6隻から集中して砲雷撃を受ければただでは済みません。それでも半数を海の底へ返したのは流石ですが…それ以上動くことはできないようですね。

 

 でも大丈夫ですよ、はるなさん。鳳翔の航空隊がお守りしますから。それに、きっと拓真さんがあなたを迎えに行くはずですよ。

 

 

 

 さて、病室に戻るとしましょう。旦那様に残された時間は多くありません、せめて一緒にいるしか、私にはできないので…。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。