困難の中でも助け合う商店街の人々、
拓真もまた立ち上がる
はるなさんは、最後まで何度も何度も俺の方を振り返りながら、それでも出て行った。俺は彼女と視線を合わせることができず、うなだれたままリビングのソファに座っていた。そして時間だけが流れた。
「くそぉ――――っ!! 何ではるなさんなんだぁぁぁっ!!」
俺の感情は唐突に爆発し、自分のチェアを振り回し、所かまわず叩きつけ、その度に本棚や家具が破壊されてゆく。
不意に我に返り、椅子を手から離す。重々しい音をたて椅子が床に転がる。こぼれる涙をそのままにふらふらとはるなさんの部屋へと入る。きれいに整理された部屋には、彼女の香りが残る。特に意味があったわけじゃないが、ウォークインクローゼットへと足を向けた。
「気が付けばこんなにいっぱいになったんだ…」
それこそ体一つで俺との生活を始めたはるなさんのために、いろいろ買い揃えた服で溢れてる。ふと、クローゼットの内部に作りつけられた棚に置いてある、開きっぱなしになった本のようなものに目が留まった。
それははるなさんの日記帳だった。
躊躇ったが、覚悟を決めて読んでみることにした。
◇
-こんなに幸せな日々、はるなにはもったいないです。でも、一度知ってしまうと、失うのが怖くなっちゃいます-
俺はとにかく部屋にいたくなくて、当てもなく歩き出した。途中で、山ほどパンを抱えているベーカリーの母娘と会った。聞けば、商店街と街の中心部の中間ほどにある総合病院が避難所のようになっていて、被災者や怪我人が集まっているそうだ。どうやらその病院にも深海棲艦の空襲が及んだようだが、鎮守府の航空隊が守り切ったらしい。
母娘は少しでも困っている人たちのためになれば、とパンを届けようとしていたが、女の人と子供の手で運べる量に限りがある。俺はいったん車を取りに戻り、二人と有りったけのパンを載せて病院へと車を走らせた。
そこには良く知っている人たちがたくさんいた。肉屋さん、魚屋さん、八百屋さん、雑貨屋さん、商店街がほとんど総出で食料品や生活必需品を持参し、病院の敷地内に仮設テントを立てて無償で配布していた。
-ベーカリーの母娘さん、商店街のみなさん…多くの人がはるなに笑顔を送ってくれて、暖かく接してくれます。こういう人と人の繋がりがあるから、人間は優しくなれるんですね。その輪の中に居られるのは拓真さんのおかげです-
「おおっ、拓真君! はるなさんはどうしたんだ?」
魚屋のおやじに訊ねられたが、俺は曖昧に首を横に振った。説明できる訳がない。商店街のみんなは、ひどく心配そうな顔をしながら俺を口々に励ましてくれる。
「この混乱ではぐれちまったか…。もしかしたらこの病院にいるかもしれないから、とにかく気を落とすなよ!」
-はるなに今できることは、ほとんどありません。こんなに拓真さんに愛されていても、何もお返しができません。きっと拓真さんは『そんなこと気にするな』って笑うでしょうね。だからこそ、いつかはるなにしかできないことがあったら、絶対に全力で頑張りますっ! -
「…何でみなさんは、こんなに一生懸命なんですか? 何で…何で逃げないんですか?」
思わず訊いてしまった。商店街のみんなは、キョトンとした顔をして、俺を諭すように優しく語りかける。
「まぁ怖くない訳じゃぁないけどよ。でも、今できることがあるのにやらない方が後悔するからな」
肉屋のおやじさんが、禿げた頭をつるりと撫でながら笑う。
俺はいたたまれなくなってその場から逃げるように走りだした。不意に目の前に何かが落ちてきた。
「おわっ!!」
思わず声を出して奇妙な格好で避けてしまった。目の前をころころと転がる金属製の筒と頭上をゆく飛行機。手に取り、上下をずらすようにひねり蓋をあけると、一枚の紙切れが入っていた。
その紙には『はるな救助 東経--- 北緯---』と座標が記されていた。
「今できること、か…」
誰がとか何故とか、そういうのはどうでもいい。俺はそのまま港へと向った。
◇
「はぁ…はぁ…。も、もう後続はいませんねっ!?」
かなりの数の敵機を落とすことができましたっ! 今のはるなは小破以上中破未満というところでしょうか。この程度の対空戦闘で、膝に手をついて、肩で大きく息をするほど疲れるなんて…まるで体が動きません。対空射撃の精度も回避運動の俊敏さも、まるでダメダメです。何カ月もブランクがある以上、仕方ありませんね…。
敵は二手に分かれているようです。おそらく主力は鎮守府を攻撃している部隊、そしてはるなが相手取っているのは、市街地を襲い陽動を受け持つ小部隊のようです。
『そこにいるのは誰だっ!? まぁいい、よく聞け、そっちに重巡2軽巡1駆逐3から成る敵の別動隊が接近中だっ! もうすぐ
強制通信が入ってきました。提督…の声でしょうね。鎮守府を脱走するまでの僅かな期間しか接点がないので、顔が思い出せません。むぅ…今のはるなには結構荷が重い相手かもしれませんね…。でも、はるなは拓真さんを守るためにここにいるのですっ!! 大きく深呼吸をして、姿勢を正します。
「はるな!全力で参ります!」
すでに彼我の相対距離は50,000メートルを切り、敵は重巡を先頭に単縦陣で突入してきます。6対1での戦いです、できるだけ不利は減らさないとっ!
「あれっ!? やだ、こんな…」
何でしょう、26ノットを超えると足ががくがくして言うことを聞いてくれませんっ。これでは敵の機動に追従できません…。
唐突に、教授の言葉が脳裏によみがえりました。
『両脚の回復は現状維持が精いっぱいだ。ゆえに、艦娘として本来の機能を発揮できるか、と問われたら答えはNoだ』
あぁ…こういうことだったんですね…。思わず笑みがこぼれてしまいました。これでは敵の魚雷のいい的です。いいでしょう、これでもはるなは戦艦ですっ! これくらいのハンデなんかっ!!
◇
「ぜー…ぜー…」
困りました。何とか重巡1と軽巡1駆逐1を沈めることができましたが、やっと半分です。もう完全に足が止まってしまいました…。魚雷って痛いですね…。それに中小口径砲とはいえ、これだけ滅多撃ちにされると、生体部分のダメージが心配です。やだ…左の視界が赤くぼやけてる…。もう、立っているだけでやっとです。
―拓真さん、無事に逃げましたか? ごめんなさい、『ずっと一緒にいる』って言ってくれたのに、はるなの方から離れちゃいましたね。もし戻れたら、もう二度と離れません。でも…もう…。
その時、聞き覚えのある航空機の発動機の音が、鎮守府ではなく
その頃、長い髪をポニーテールにし薄紅色の和服の袖をタスキで縛り、紺色の袴を履いた女性が、病院の屋上で「やる時は、やるのですっ!」と凛々しい表情で海を見つめていたことなど、もちろんはるなに知る由もありませんでした。