艤装を展開したまま、比叡さんは屈伸をしたり背中を伸ばしたり、準備運動のようなことをしている。その表情は、今までとまるで違う。目に力が宿り、まさに気合の入った表情だ。そしてはるなさんに向かい声をかける。
「私、気合、入れて、行かなきゃ。榛名にはこれ預けておくから」
そう言いながら、はるなさんに向かってカチューシャを放ってよこしてきた。はるなさんは両手でキャッチし、カチューシャと比叡さんを交互に見ながら、戸惑いを隠せずにいる。比叡さんははるなさんには目もくれず、今度は俺に向かい話しかける。
「…拓真さんは早く逃げてください。間もなく空襲が始まります。鎮守府を、この街を標的とした深海棲艦の大編隊の接近を電探が捉えたそうです。提督からの緊急連絡で、すでに鎮守府は迎撃態勢に入りましたっ! 私や金剛お姉様たちも至急戻りますっ!」
はるなさんの顔色が変わり、受け取ったカチューシャを握りしめる。俺は何のことかよく分からずポカーンとした顔をしてしまった。
「く、空襲って、いったい?」
我ながら間の抜けた質問だと思う。日本を含めた世界中の国々は深海棲艦と戦争をしている。概念としては正しくその状況だ。だが、目の前にそれを感じさせるものがない中で、人はどこまで想像力を駆使してその危機を正しく理解できるだろうか。皮肉な事に、艦娘が命がけで戦えば戦うほど、彼女達に守られている人間は戦争をしている意識が希薄になってしまった。
「ああもうっ、そんなことを説明している暇はないんですっ! 見えませんか、南南東から接近中の大編隊がっ!!。一刻も早く安全な場所へ逃げてくださいっ!! …榛名、あそこのベーカリーのパン、本当においしいね。金剛お姉様にも味わってほして、私たくさん買っちゃったんだ…
はるなさんが比叡さんを補足するように、30kmまで接近中です、と教えてくれた。うん、いくら俺の視力が良くてもそんなに見えないから。
比叡さんはイライラした口調で俺に返し、一方ではるなさんには諭すように語りかける。その意味するところは俺にも伝わった。渡されたカチューシャと金剛さんのためのパンーはるなさんに艦娘として戻ってこい、比叡さんは言外に言っている。返事を待たずに、比叡さんは波打ち際へと走り、そのまま海面を猛烈な勢いで滑るように疾走し、すぐに姿が見えなくなった。
砂浜に取り残された俺とはるなさん。カチューシャを胸に抱くようにし、はるなさんはどうすればいいか分からないような複雑な表情を見せている。俺が彼女に声を掛けようとしたとき、ずずーんという感じで地響きのような振動が断続的に伝わって来たかと思うと、遠くで黒煙が立ち上っているのが見えた。
「あの方角は鎮守府ですね…。関東最大の鎮守府に正面から攻撃を仕掛けてくるなんて、今までこんなことはなかったのに…っ!! 8機編隊で3隊、さらにもう3隊が続いて… 拓真さん、来ますっ!! 走ってくださいっ!!」
はるなさんが叫ぶより早く、俺の手を取って走り出しマンションへと急いで向かう。砂浜には今日の買い物袋とパンの入った紙袋がそのまま残されている。引っ張られるように走りながら後ろを振り返ると、遠くの空に小さな黒い点がぽつぽつと増えだし、それはすぐに3組の傘型の形になった。白いタコヤキに赤く光る目と口をつけたような物体が空を翔けぬけ、まっすぐ市街地を目指して進んでいる。見ようによっては頭蓋骨が空を飛んでいるようだ。
俺とはるなさんは無事マンションにたどり着いた。全速力で走ったので俺はぜーぜーと肩で息をしている。はるなさんが麦茶をコップに入れてくれ、俺は一気にそれを飲みほしてひと心地ついた。急いでリビングへと移動しTVをつけると、どの局も臨時ニュース一色。映し出されているのは爆撃を受け崩壊し炎上した市役所やショッピングモール、とにかく駅前周辺は火の海になっている。
『臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。現在、深海棲艦の艦載機による大空襲を受けています。鎮守府とその所属部隊は深海棲艦の別部隊と交戦中との情報も入っています。市民の皆さんは慌てずに安全な場所へ避難してください。市の中心部は爆撃により多くの建物が炎上しており大変危険な状態ですので、近づかないでください。繰り返します―――』
繰り返し状況を説明されても、どこが安全かの情報はなかった。この街のある半島の北部へ逃げるためには炎上中の市の中心部を通らねばならず、南側は鎮守府の部隊が戦闘をしている。あとは山の中へと逃げるしかない。
「拓真さん…はるな…どうすれば…」
バルコニーを背にしたはるなさんが、俺を見つめている。…何を言ってほしいの、はるなさん? 彼女は両手で抱えるようにして胸の前にカチューシャを持っている。
国を、国民を守るために生まれてきた戦艦『榛名』の魂を持つ艦娘であり、そして今現実に自分たちの住む街が空襲にさらされ、自分の姉妹を含めたかつての仲間たちが戦っている。 分かるよ、分かるけど―――。
-艦娘じゃない『わたし』を見つけた、って言ってたじゃないか
はるなさんに戦う力があるのは分かる。けれど、自分の好きな子に、それができるからって危険な場所へ行って戦って来い、なんて言える訳がないだろう。そもそも、俺がはるなさんとこうやって一緒に暮らすきっかけになったのは彼女のケガだ。あの時、彼女がどういう状態だったのかを思い出すだけで、身が凍る思いだ。なら、どうすればいい―――?
「…はるなさん………逃げようっ! 少なくともここにいるのは危険だよ」
はるなさんの気持ちを誰よりも分かるのは自分だと思っている。だから自分で言いながら、俺の言葉は空疎で、彼女の心に響くものじゃないのが分かる。けど、俺は繰り返す。はるなさん、君はもう艦娘じゃなくてただの民間人なんだよ? 逃げても誰も笑わないし責めないよ?
「…拓真さんは本当に優しいのですね、はるなにそこまで気を使ってくれて…。はい、きっと拓真さんのいう通りだと思います。ですが、もしそうしたら、はるなは自分で自分を責めてしまいます。はるなは…拓真さんを守るためなら、何も怖くありません。知ってましたか? はるな、拓真さんの名前を呼ぶだけで、心が暖かくなって、勇気が湧いてくるんですよ?」
寂しそうに笑いながら、はるなさんは俺に近づいてくる。
-やめろよ
俺のすぐ目の前まで来て、ついっと背伸びしながら俺にキスをする
-やめろって
目の端に涙を浮かべながら、にっこりと笑い、ゆっくりとカチューシャを頭につけようとする。
「止めろって!!」
「拓真さん、はるなを愛してくれてありがとう。あなたを守るために、自分が今できることをするために、もう一度戦いますっ」
活動報告を更新しますので、もしよろしければそちらもご覧ください。