「えーっと……。俺、夢でも見てる?」
波止場に立つ俺は、沈んだはずのボートが新品になって停泊しているのをぽかーんと口を開けて見ている。
確かに俺の目の前で沈んだ船だ。
意を決して乗り込んでみる。登録番号や各種免許の番号も一緒、調度品なども全て新品になっている。こうなると、何か得体の知れないものと激突して船が沈み、自分が溺れかけたという記憶の方が夢だったのかもしれない、そんな風に思いたくなる。
だが、それは違う。父親のノートだけがどこにもないからだ。
釣りが趣味で、かつ生真面目な性格だった父親は、これまでに釣った魚の種類、大きさ、ポイント、水深、餌、仕掛けなど、事細かに手書きで記録していた。そのノートだけがない。船を用意した『誰か』は、ハードウェアは新調できても、水に濡れ文字の滲んだノートを再現はできなかったのだろう。
違和感は船だけではない、砂浜で目が覚めてはるなさんと出会った日、自分の部屋に帰り気が付いた。その日は、船が沈んでから三日目だった。俺は砂浜でまる二日間ものびていて、その間誰にも気づかれなかったというのか――?
得体の知れない違和感をぬぐえず、とりあえず気分転換でもしよう、そう決めて車(俺の愛車は中古のジープラングラー)に乗り込む。走ること約二〇分、駐車場に車を止め、駅前にある大きなショッピングモールへと向かう。
別に目的があったわけではない、とりあえずまず服でも見ようかな、とフロアを移動する。
ー-て、天使って……は、榛名がですか?
砂浜での出会いを思い出す。彼女の存在がどんどん自分の中で大きくなってきているのが分かる-潮風になびく髪を抑える仕草、俺のちょっとした褒め言葉で照れた表情、心配そうに俺を覗き込んでいた綺麗な瞳、声も可愛かったなぁ……。あとは、今でも特に鮮明に覚えている……サラシ的な何かでは隠し切れない大きなお胸とか、長くてスラッとした脚、揺れるミニスカートからちらりと見えた白い聖域とか……。要するに全部だ全部! あぁ、悪いか、一目ぼれだよっ!!
ーーご縁があれば、またお会いできると思います。
砂浜での別れ際、はるなさんはそう言った。うん、そうですね。確かにありましたよ、ご縁が!!
俺の視線の先には、この前とは全く違うファッションだが、はるなさんがいた。見間違いじゃない、自慢じゃないが俺の視力は裸眼で二.〇以上、その気になれば透視だってできる(嘘です)。というかあんな可愛い子を見間違うほど、俺の煩悩センサーはぼんくらではない。
しかし……どうなのよ、これは……。
薄いピンクのティアードフリルワンピースを着ているはるなさん、動くたびに、フリルがゆらゆら揺れて、女子力高すぎ、すっげぇ可愛い……。ひざ上のミニワンピに、素足にサンダル……ひざ綺麗だなぁ。今日はカチューシャじゃなくてヘアバンド付けてるんですね、髪の色も少しアッシュ気味にしたのかな? あどけない様なクールな様な表情に見える。ほえー……。
結論:はるなさん、いつも可愛いし綺麗
可愛いしか言えない俺を許せ、俺には女の子を褒めるボキャブラリーが限られてるんだ! このまま見とれていても意味がない。深呼吸を二、三度して、気合を入れてはるなさんへと近づく。
「ぁ↑のぉ↓、はるなさん?」
やべえ、いきなり声が上ずった。不自然な抑揚の声で突然名前を呼ばれ、はるなさんは一瞬ビクッとして、こちらを振り向く。
「……………………」
「……………………」
俺とはるなさんの間に沈黙が流れる。
あれ?
何か反応冷たくないっすか? 元気だったんですね、とか、お久しぶりです、とか、フレンドリーな感じの対応を期待していた俺は、完全に肩透かしを喰った。さすがに『会いたかった、拓真さん!!』と熱い抱擁を交わすとかそういうのまでは考えていない。俺は非モテ系だが妄想系ではない。
だが、はるなさんは無表情のまま、不審げにこちらを見ている。
「あの、拓真です、穴吹拓真。こないだ砂浜で助けてもらった……」
ここまで言っても、はるなさんは表情を変えない。外人に突然話しかけられたような困った顔になっている。
はるなさんは曖昧な笑みを浮かべて軽く頭を下げると、小走りでどこかへ向かって行った。あー……終わった……。
突然、後ろから肩を組まれる。
「いやぁー、ナンパ失敗しちゃったねぇ。なに? あの子、かなりレベル高いけど、拓真にはハードル高くね?」
ニヤニヤ笑いながら冷やかしてくるのが、友人の一人、
「うるせぇよ……っていうか、いつから見てた?」
「んー……『ぁ↑のぉ↓』って上ずった声で話しかけたあたり、かな?」
ほとんど全部じゃねーか。
挙句に俺の玉砕シーンを余すことなく、大げさに誇張して再現しやがる。……軽く殺意が湧いてきたぞ、森園。
「じゃぁ、今日は拓真のおごりで残念会と行こうか? いきさつを詳しく教えろよ?」
確かに残念だよ。あの日砂浜で出会ったはるなさんと今日のはるなさんが、同一人物とは思えないくらい、違っていた。結構インパクトのある出会いだったと思ってたんだけど、もしかして俺だけだった? まぁ、最初から俺の独り相撲だったということで、気持ちを切り替えるか。
「なんで俺がおごるんだよ? むしろお前が俺を慰めるべきだろ?」
くだらないことを言い合いながら、結局朝まで二人で飲み明かした。