君の名を呼ぶ時の僕の気持ちを君は知らない   作:坂下郁

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本編再開。

不用意なTV出演が招いた余波が
はるなのもとに現実となり現れる。
拓真も、同じことを教授に叱責される。


運命の輪
第28話 この阿呆が


 「おや若奥さんっ! どうだい、今日は魚にしたら。いいのが入っているよっ!」

 

 商店街で買い物をしていると、魚屋さんから声がかかりました。わ、若奥さん…お肉屋さんの影響で、商店街の皆さんにそう呼ばれちゃいます。そういうセールストーク、はるなに通用すると思ってるんでしょうか、まったく。

 

 

 「まいどありー」

 

 ………通用しちゃいましたね、我ながら単純というか…でもいいのですっ。今日はイタリアンに挑戦してみたいと思います。最近の愛読書はお料理の本です。拓真さんは何を食べても『美味しい』と言ってくれるので、はるなも嬉しいというか♪ せっかく今日はいい鯛が手に入ったので、新しいレシピを試してみましょう。

 

 他の用事も済ませ、左側に海を眺めながらマンションまで歩いて帰ります。海を見ていると…ついつい色々思い出してしまいます…。拓真さんのプレジャーボートで、二人きりで過ごした時間…結局、その、最後の一線と言うか…そこまでは…。あぁ、我ながら恥ずかしいです。

 

 ぺしぺしと顔を叩いて、何とか冷静さを取り戻すようにします。マンションの入り口まで来ると、一人の女性が立っています。オートロックのこのマンションは、部外者は訪問先を呼び出して開錠してもらわないと中に入れません。その方ははるなに気づくと、にこっと微笑んで近寄ってきました。

 

 「こんにちは。あらぁ、TVで見るより実物の方がはるかに可愛らしいわね」

 

 …誰でしょう? TVということは、最近はるなのことを知ったということですね? はるなが知っている鎮守府以外(こっちの世界)の人は限られています。この人には全く面識がありません。思わず顔が険しくなってしまいます…まさか憲兵隊の人でしょうか? 少し後ずさるようにして身構えます。

 

 「どちら様…でしょうか?」

 

 

 「あらあら、そんなに怖い顔をしなくてもいいでしょう? でも、確かに申し遅れましたね、穴吹拓真の母です。いつも()()がお世話になっています。息子からはお付き合いしている女性がいる、とは聞いていましたが、TVでお見かけするとは思っていなくて、アポなしでつい訪ねちゃったのよ」

 

 

 そう言いながら、目の前の女性は綺麗な姿勢ではるなにお辞儀をします。

 

 

 ………えっ、拓真さんのお母様? えぇぇーーーっ!?

 

 

 び、びっくりしました。こんな遭遇戦は、はるな、まったく想定外です。お母様は、ほら、とケータイにあるメールを見せてくれました。確かに拓真さんのアドレスから発信されたものです。と、とにかく、失礼のないようにしなければっ!!

 

 

 「アッ、イエ、ハ、ハジメマシテ…」

 

 むぅ…緊張のあまり片言になりました。これでははるな、深海棲艦みたいです。改めてお母様を見てみますと…目元は確かに拓真さんに似てますね。お母様ははるなの提げている買い物袋にちらっと視線を送り、ちょっと嫌な顔をしています。なんでしょう、不安が募っていきます。

 

 「こんなところで立ち話もなんです。お部屋まで案内していただけますか? 一緒に暮らしてるんですよね?」

 

 確かに、TVの取材で聞かれてもいないのに、そう言った気がします。つくづくあの時のはるなは相当浮かれていたようです。お母様は、有無を言わせぬ笑顔です。慌てて正面ゲートのセキュリティ画面に6ケタの暗証番号を入力すると、ピッという軽い電子音がして、自動ドアが開きます。

 

 

 密室のエレベーターで、無言というのは短い時間でも重圧になります。部屋に着くまで、私たちは一言も口を聞かず、はるなの緊張感はどんどん高まってきました。5階に着き廊下を進むとお部屋です。鍵を開け、お母様をお通しします。

 

 

 拓真さんのお部屋と兼用のリビングに取りあえずご案内して、はるなはお茶の用意を、と言ってダイニングキッチンへと移動します。この隙に、拓真さんに大至急メールをしますが、慌てたので電報のようになってしまいました。

 

 

 

 「さて穴吹、一つ君の意見を聞きたい」

 

 今日は朝から教授の課した罰ゲームとしか思えないような大量の試料分析を、それでも順調にこなしていた。やっとひと段落したと思ったときに、教授が唐突にそう言いだしたのだ。俺は手を止め、教授の方を見る。

 

 「…潜在的危険を認知しながら、自らそれに曝露する人間の心理状態について、君はどう考える?」

 

 教授は椅子に深く腰掛けながら脚を組み、両手を膝に置いている。その目線は冷ややかだが、どちらかというと笑えないお笑い番組を見た時のような、何とも言えない表情をしている。かなり嫌な予感がする。と、とにかく、何か言わないと…。

 

 「あれですか、『押すなよ、絶対に押すなよ』的な感じ……とか、そ、そういうんじゃないデスヨネ…」

 

 「………君は本当に理系の学生か? それとも私が『ヤバイよヤバイよ、拓真ちゃん』と言うとでも?」

 呆れたような顔で教授が言う。しかも無駄に似てる。

 

 

 一転、珍しく不愉快さを露骨に含んだ言い方で俺を一刀両断する。

 

 

 「この阿呆が。君が友人と距離を取ってまで街外れのマンションに引っ越したのを聞いた時は、少しは考えていると感心したのだが、なぜ榛名と一緒にTV番組に出るような真似をした? あれを見る限りは榛名に押し切られたようだが…。よもや忘れてはいないだろうが、榛名は脱走艦だぞ、あんな行動を自分から取ってどうする? …まぁ、今さら手遅れだが。おかけでこの私まで、君と榛名がどのようにパンを食するかなどという、どうでもいい情報を知る羽目になった」

 

 俺はがくっと項垂れた。ただでさえ学内では冷やかされまくっていて、挙句に教授にまで…。てか教授あの番組見てるんだ…。教授は表情を引き締め、叱責するように俺に言い募る

 

 「軍関係の人間の目に留まったらどうする気だ? とにかく、本気で榛名と一緒にいたいと思っているなら、ひっそりと生きて行け。この国の情報管理は無駄も多いが、それでも侮れるものではない。彼女が今手にしているのは、あくまでも仮の身分に過ぎない。本気で調べられればすぐに襤褸が出る。正式な戸籍等も何とかするつもりだが、そう簡単ではない」

 

 理由は分からないが、教授が俺とはるなさんのことを本気で考えてくれているのはよく分かる。本当に頭が上がらない。そして、教授の指摘通り、俺は、浮かれていたんだろう。

 

-♪♪

 

 ケータイにショートメールが届いた。はるなさんだ。ちらっと見る。

 

 『はは!』

 

 うん、何か分からないけど楽しそうだね。でもこっちはそれどころじゃないんだ。教授がとんでもない提案をしているんだよ。

 

 

 「穴吹、今後の事について3人で協議するぞ。榛名は君の部屋にいるのか? よろしい、私が出向いてやろう」

 


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