君の名を呼ぶ時の僕の気持ちを君は知らない   作:坂下郁

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少しずつ変わり始める2人の周囲。
商店街での小さな出来事をきっかけに
はじめて言い争いになる拓真と榛名。


第23話 二人とも落ち着きなよ

 約1ヵ月経ち、西松教授の尽力で、はるなさんは実験棟の非常勤アシスタント、しかも教授の姪、ということに落ち着いた。勤務の実態も収入もない架空のものだ。それでも身分証明書が手に入ったことは、すごく大きな変化だ。ちなみに教授の命名で、はるなさんの名前も決まった。由来を尋ねると―――。

 

 「所詮書類上でしか用いないものだから何でもよかったのだが…金剛型3番艦は川崎造船所で建造されたからな。あとは、君が榛名を呼ぶ時のニュアンスを取り入れてみた」

 

 この教授、研究畑とは思えないセンスを見せるんだよな。いや、本物の天才ってのは、ジャンルを問わないのか…。いずれにしても、俺の胸のつかえはかなり軽減された。それははるなさんも同じだろう。

 

 

 

 休日の今日は、商店街であれこれ買い物をした。帰り道、買い物袋を後ろ手に持ち、弾むような足取りで前を行くはるなさんが振り返り微笑む。左手にはガードレール越しに海が広がり、日の光をキラキラと反射し光っている。この辺りは岩場が多く、磯には降りられない。唯一、商店街とマンションのちょうど間くらいに新しくできたベーカリーの近くに小さな砂浜が広がる。

 

 「そういえば、今日は『宝生』に行く日だったよね。…なんだろうね、急に呼び出しがあったけど」

 「そうですね…おうちに帰って食料品を冷蔵庫にしまったら出かけましょうっ」

 

 折々連絡は取っていたが、ここの所宝生には全く顔を出していなかった。そこに突然、今日の昼ごろ店に来てほしい、との連絡があった。

 

 

 

 『宝生』の開け放たれた扉の向こうでは荷造りが進み、こじんまりとしていたが清潔感ある店内には段ボール箱が積み上がっている。

 

 呼び出された俺とはるなさんは、あまりにも突然、お店を閉めるということを知らされた。

 

 理由を聞いても、店長は潮時が来たと言い、あとは『お前にもそのうち分かるかもな』と詳しいことを教えてくれない。女将さんは、困ったような悲しそうな顔をするだけで、やはり同じだ。はるなさんも、あまりの突然のことに困惑の色を隠せずにいる。

 

 「お前たちだけは、最後に顔を見て別れの挨拶がしたかったんだ。元気でな、二人とも」

 

 あまりにもあっけない別れに、呆然とすることしかできない。

 

 

 「…何か知ってる?」「…何かご存知ですか?」

 

 二人同時に同じことを尋ねあうが答えはない。すっきりしない気持ちを抱えたまま、俺とはるなさんは家路に着いた。

 

 

 

 帰りのバスは、1つ手前の停留所、商店街前で降りた。何となく、歩きたくなったからだ。このもやもやを抱えて真っ直ぐ家まで帰りたくない。はるなさんも同じ気持ちだったのか、俺の提案にすぐ賛成してくれた。

 

 二人並んで歩道を歩く。はるなさんの歩幅に合わせた少しゆっくり目のペース。時折指や手が触れあい、その度にお互い、引くのか握るのか迷いを残したような曖昧な手の動きをする。…この頃は確信に近いものがあるが、俺達はきっとお互いのことが本当に好きなんだと思う。でも…いまだにはっきりできていない。

 

 新しくできたベーカリーに差し掛かる。開店間もないながら、いつも大勢のお客さんで混み合っているお店だ。基本和食派の俺たち二人は、興味はあるものの何となく今まで足が向かなかった。はるなさんに視線を送ると、彼女も微笑みながらうなずき、寄り道が決まった。

 

 -カランカラーン

 

 木製のドアについたベルの音に歓迎されながら、店内に入る。店内を眺め、俺はクロワッサン、はるなさんはノアレザン、あとは二人分の飲み物を選んだ。どうやらパン職人さんは一人、レジ係も兼ねてるようで、とにかく忙しそうだ。

 

 外に出て、ちょっと行儀悪いが歩きながら食べる。

 

 「「!!!」」

 

 びっくりした。パンに対する俺の認識が変わったと言ってもいい。これは人気になるのが分かる。はるなさんも嬉しそうにパンを頬張っている。店の裏手には砂浜が広がっており、そこでは一人の女の子が行ったり来たりしながら遊んでいる。はるなさんから視線が送られ、俺も微笑みながらうなずき、砂浜へと降りてゆく。

 

 「こんにちは、一人で遊んでいるの? 波打ち際に近づきすぎると危ないよ?」

 「遊んでないよ、ぬいぐるみを探してるの。探してくれる?」

 

 はるなさんが女の子に声をかけると、遊びではなく探し物、という返事が返ってきた。嘴の長いペンギンのぬいぐるみだという。はるなさんが俺を見るが、俺は首を横に振る。

 

 なぜなら、俺、というか商店街の人の多くはこの子を知っている。

 

 この子は、そこのベーカリーの子だ。話では、母親一人で営むベーカリーが予想以上に繁盛してしまい、子供の面倒をみる時間がなく、寂しさのあまり子供がいつも小さな嘘をついて周囲の気を引こうとしてるとか何とか。俺の場合は、母親に買い物を頼まれたがお店の場所が分からないと言われ、その店に連れて行くと「あれじゃなかった」となり、商店街の中をぐるぐる回らされたことがある。

 

 「だから拓真くん、あんまり目くじら立てちゃだめだよ」

 人の良い八百屋のおカミさんはそう言ってたが、その嘘にひっかかろうとしてるのがはるなさんである以上、甘い顔はできないな。

 

 「はるなさん、行こう」

 「ぬいぐるみ……え、拓真さん? ……あの、ぬいぐ……拓真さん?」

 やや強引にはるなさんを連れ出し、そのまま俺達は部屋へと戻った。砂浜にはぽつんと一人女の子がこっちを見続けている。

 

 

 

 部屋に帰ってからはるなさんは一言も口を聞かない。うーん…この沈黙が重い。明らかに不満そうな表情を浮かべている。そしてついに口を開いた。

 

 「拓真さん…冷たいと思います。どうしてぬいぐるみを探すの、手伝ってあげなかったんですか?」

 

 ほらきた。

 

 俺は一連の経緯を説明するが、納得してもらえない。

 

 「その時はそうだったかも知れませんが…でも今は、本当に困っているかも知れないですっ」

 「そんなに気になるなら、行ってきたら?」

 

 ムッとした表情ではるなさんは立ち上がると、俺に思いっきりベーッと舌を出してそのまま出かけて行った。あれはあれで可愛い表情だったな…とか思っていると、はるなさんがケータイを忘れていることに気付いた。

 

 宝生の一件で生じた行き場のない苛立ちが、お互い思わぬ形で表に出ちゃったな。こんなことで喧嘩する理由なんてどこにもないのに…。

 

 

 「…まぁ、すぐ帰ってくるだろう…。はるなさんも気づくよ」

 

 

 

 そのままうたた寝をしてしまい、気づくと夕陽が窓から差し込む時間になっていた。はるなさんはまだ帰ってきていない。

 


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