少しずつ変化が訪れる。
2Dkの楽園の外に広がる、現実と言う世界と
榛名と拓真は二人で向き合ってゆく。
第17話 二人の距離
あの日以来、俺とはるなさんの距離感が縮まったような気がする。あくまで俺目線だけど、なんかこう、はるなさんが肩の荷を下ろしたというか、安心してるというか…。お弁当をもって学校に行くのが俺の新しい日常になった。当然、森園をはじめとする友人達からは、昼下がりの食堂で質問を浴びることになった。
-拓真、女できたのっ!?
-なんか超家庭的というか…毎日弁当? 重くね、その女?
-写真ないの、写真?
騒がしい男子学生たちに冷ややかな視線が投げられるが、俺達は気にしない。取りあえずはるなさんを重い女扱いした森園には手加減抜きのアイアンクローをかまして悶絶させつつ、写真を見せるのは逡巡した。
一緒に暮らしてるけど、いまだに好きとも言えてないし、彼女の気持ちもいまだによく分からないし…。その迷いの隙を突かれ、もう一人の友人、
取りあえず高末にもアイアンクローをかまし成敗し、ケータイを拾ってくれた人のもとへ向かう。
げ………。
「………公共の場で騒がしいのは感心しないな」
西松教授だ。クールな視線で俺達をジロリと見回す。
「穴吹に森園に高末に…そこで隠れているふりをしてるのが沢田か。仕方のない連中だ、人に迷惑をかけるな」
抑揚のない声で、それこそくだらない物をみるような目つきで言われ、一気に熱が冷める俺達。
「…教授、その…ケータイを…」
「うん? …穴吹のか、これは」
ホームボタンに指が触れたのだろう、ロック画面に俺とはるなさんのツーショット写真が表示される。ロック画面もホーム画面も、ツーショットだ……ごめん、なんか俺が悪かったような気がする。
一瞬、無表情以外の表情がないと思っていた西松教授の目が見開かれ、何事もないようにケータイを俺に返し、そのまま立ち去って行った。
◇
♪今日のごはんは榛名カレー アツアツカレーに
サクサクの 揚げたてとんかつ乗っけましょ
決め手の愛情かくし味♪
(↑ヨド○シカメ○のCM曲のリズムで)
榛名です。今は買い物からの帰り道です。
すっかり商店街の方々とも顔見知りになりました。八百屋さん、お肉屋さん、魚屋さん、雑貨店…こじんまりとしていますが、日常生活に困ることはありません。拓真さんに言わせると、夜が早くて急に何か欲しいときには困るそうですが…。確かに、榛名と拓真さんが暮らすマンションの周りには、ほとんどお店がありません。徒歩10分くらいのところにある、この昔ながらの小さな商店街、そことマンションの中間あたりに新しくできたパン屋さん、そのくらいです。
「今日は豚ロース、いいのが入ってるよ、若奥さんっ」
お肉屋さんのご主人はいつも気さくで、榛名によく話しかけてくれます。でも誰にでも若奥さんと言うのは、セールストークでしょう。前は深く考えずに聞き流していましたが、自分の気持ちに気づいてしまった今は…テレテレ。はい、若奥様でいいので、お相手しましょうっ!
「それじゃあ2枚くださいっ! 今日は特製カツカレーです!!」
「まいどありー」
なので、今日の晩御飯がカツカレーなのはお肉屋さんのせいです。でも…今日は変です。頭がぼんやりします。
ふう。そんなに重くないはずの荷物ですが、いつもより重く感じます。変な汗も止まりません。晩御飯の支度をはじめるまで、少しお休みします。大丈夫、少し疲れだけです。最近は暑いですし…。
◇
「ただいまー…はるなさんは買い物かな」
玄関を開けると、カーテンも閉めず照明も付いてない。はるなさん、いないみたいだな。ショートメールに返事もなかったし…。
「おかえりなさい、拓真さん。…ごめんなさい、榛名、ちょっと長いお昼寝をしちゃって…」
はるなさんの部屋の方から声が聞こえる。そういうことか、そんな時もあるよね…と思ったが、何か声の感じが違う。
「はるなさん、入るよ」
ベッドで横になっているはるなさんが、ゆっくりと起き上がる。上体だけを起こそうとするから、背中から腰のラインが強調されてるんですが…。顔にかかっていた髪をけだるそうにかき上げて背中の方へ回す仕草が……ゴクリ。すげぇ色っぽい…。熱に浮かされたような表情、潤んだ目でこちらを見ている。でも、よく見るとひどく辛そうに肩で息をしている。
「ごめんね、はるなさん」
枕元に腰掛け、右手をおでこに手を当てる。彼女の熱い吐息がかかる距離で、一瞬ゾクッとしたが、すぐにその理由が分かった。
熱がある。それもかなり高い。
無理に起きて晩御飯の準備をしようとするはるなさんを宥めるのに一苦労したが、とにかくゆっくり休んでもらうことで何とか納得してもらった。おそらくは風邪かな? 食欲がない、という彼女に、すりおろしたリンゴを用意する。空きっ腹に薬もよくないし。…というか、人間の薬って効くのか?
体を起こし壁に凭れながらベッドに横座りしているはるなさんに、はい、とガラス製の入れ物に入ったすりおろしリンゴとスプーンを差し出そうとして、ふと余計な事がひらめいた。
「自分で食べられる? 『あ~ん』ってしようか?」
と結構自分的にはきわどいことを言ってみる。嫌われていない自信はあるが、好かれている自信まではない。その微妙なところで、こういうスキンシップは行き過ぎた感じもする。言って後悔した。
はるなさんは明らかに熱っぽい表情でぼんやりしたまま何も答えず、ただ頭を1回だけ上下にゆっくり動かし、目を閉じて口を小さく開ける。
え? えぇっ!?
いつもより血の気がないけれども熱で朱がさした頬。きれいな形の唇が半開きになっている。はるなさん、まつ毛長いんだ…。俺は目をそらせないまま、スプーン大盛りのすりおろしリンゴを彼女の口元に運ぶ。
「……もう少し、口を開けてくれるかな…」
はるなさんがさっきより大きめに口を開く。綺麗な白い歯と赤い舌が見える。ゆっくりと、こぼさないように、彼女の唇の間にスプーンを差し入れ、角度をつけてリンゴを流しいれる。
「おいしいです、拓真さん…」
といいながら、スプーン3、4杯ではるなさんはお腹いっぱい、と言いそのまま眠りについてしまった。
翌日もその翌日も、その後数日にわたり、はるなさんの熱は上下を繰り返した。