ありふれた行動をきっかけに、二人の距離が縮まる。
自分の気持ちをどうにかして伝えたい拓真と
自分の気持ちに(やっと)気付いた榛名
ひどく思いつめた顔で、はるなさんは繰り返しそう言った。
まったく意味の分からない俺は混乱してしまった。はるなさんが謝るべきことなど何一つない。仕方ないので、彼女からの言葉を待つ。
「今日は平日です、学校はどうするんですか? せっかく親御さんが拓真さんの将来のためを思って大学院にまで行かせてくれているのを、無駄にするんですか? 学生さんの本分は勉強ですよね? お願いですから、そうしてください。そうしてくれないと榛名は…」
真剣な表情で、はるなさんが俺に詰め寄る。ぐうの音も出ない正論だ。返す言葉が何もない。実際、俺の研究はすでにスケジュールの遅れを見せている。いろいろあったのは事実だが、全部言い訳で、俺の自己管理の問題だ。なのに、それをこんなに真剣に気にかけてくれる…。まして親(といっても存命は母親だけだが)と勉強を関連付けて考えたことはなかった。
ふいに表情を歪め、はるなさんが空になったお弁当箱を手に取りながら、話を止める。小高い丘の上にあるこの公園は、いつも風が吹き抜け、はるなさんの髪が海に向かいなびいている。俺は『そうしてくれないと』の続きを待つ。
「…榛名は、拓真さんに甘え続けてしまいます。……一番悪いのは榛名です。気が付くといつも拓真さんのことを考えていて、今日だってこんなことを急にして迷惑をかけて…。最近…おかしいんです。『行ってきます』と言われると寂しくて、『ただいま』と聞くと、もうどこにも行ってほしくない、そう思ってしまいます。全部、榛名のわがままですよね…」
行ってきますと行ってらっしゃい。
ただいまとおかえりなさい。
言う側と言われる側に、ここまで思いの開きがあったとは、全然気づかなかった。浮かれていた俺は、はるなさんの気持ちの動きなんて考えもしていなかった。俺は唇を噛み、間抜けな自分を責めたくなる。そして俺の様子を、はるなさんは誤解したんだろう、さびしそうな顔をする。
「分かってるんです、拓真さんはとても優しいから、行くあてのない榛名を気の毒に思って匿ってくれているだけ。榛名は、拓真さんの生活の邪魔をしちゃいけない…でも、榛名は、もう一人ではダメになっちゃったみたいです。自分でも自分の気持ちがよく分からないんです。艦娘だったときにはこんなことなかったのに…もっとしっかりしなきゃ…」
そこまで言って、はるなさんは黙り込んでしまった。分かったのは、根本的な所で彼女はひどく誤解をしているということ。俺が優しいかどうかは、俺が決めることじゃない。それは他の誰かが決めればいい。けれど、行く当てがないからと他人を自分の家にホイホイ匿うほど善人ではない。
-好きだから一緒にいるに決まってるだろっ!!
けれど、俺もやっぱりその気持ちをはっきりと言葉にできない。行くあてのないはるなさんの弱みや寂しさに付け込んでるような気がして。それにもし、言葉に出して拒絶されたら、どうなる―――? けれど、どうにかしてはるなさんが一人じゃない、俺がそばにいる、そう伝えたい。案外ちょっとした事のような気がするのだが…。
時間だけが流れ、二人を照らす影が長くなった。オレンジ色に変わり始めた太陽が夕方の訪れを知らせる。昼の日差しとは異なり、若干柔らかくなった陽光に照らされるはるなさんを見て、ふと閃いた。なんで今まで気付かなかったのか。もともとそういうのに興味が無かったからだけど。
俺は彼女の名を呼び立ち上がる。目のふちを赤くしたはるなさんがこっちを見上げる。そして俺は彼女に手を伸ばす。少しだけためらったが、はるなさんは俺の手を取り、連れられるまま歩き出す。
海を背にし、はるなさんの肩くらいまである柵に寄りかかる。そして彼女の肩を抱き、自分の方に引き寄せる。驚きながらも俺にされるがままの彼女。空いた方の手を精一杯伸ばし、ケータイのインカメラで2人の写真を撮った。
「はるなさん、これを見て」
もちろん写真だ。海をバックにした美少女とゴツい男。
「俺は気の毒とか優しさだけで誰かと一緒にいられるような人間じゃない。俺が、自分の意志ではるなさんといたいから一緒にいるんだ。それはこれからも変わらない。勉強も大事だよ、もちろん。でもそれとは別にはるなさんとの時間も大事なんだ。今しかできないことは今しないと。そのたびに、『今』の積み重ねで、こうやって写真を撮ろうよ」
うん、我ながらよく噛まずにこんなクサいことを言えたもんだ。でも大事な事は言葉にしないと。けれど、もう一度言えと言われたら無理だ。
はるなさんはキョトンとした顔で俺を見上げる。そして、俺の胸にぽすんと頭を預ける。
「…ひどいです、拓真さん。泣いた後の顔を写真に撮るなんて…。次はもっとちゃんとしたときにお願いします」
帰りの車の中で、はるなさんはあまりしゃべらなかった。けれど、初めて見る安心した表情を浮かべていた。
そして夜も更ける頃―――。
「それでは拓真さん、おやすみなさい」
「おやすみなさい、はるなさん」
薄いピンク色のパジャマに着替えたはるなさんが、深々とお辞儀をする。俺は自分の部屋のソファベッドで、はるなさんは自分の部屋で、別々。薄い引き戸だけが唯一二人を隔てる境界線だ。
俺はベッドの上で悶々とする。
よく考えたら…よく考えなくても、俺、告ったも同然じゃね? しかも一気に手をつないだり肩を抱いたりしちゃった訳で。はるなさん、嫌がるそぶりはなかったよな…。これはOKってことか!? だが、彼女の方から好きとか言われた訳じゃないし…。これは、腹を決めて告りに行くべきか…?
◇
榛名、さっきからベッドの上を転がっています。
男の人とあんな風にくっつくなんて…。でも、嫌な気持ちは全然しませんでした。むしろもっとしてほしかったというか…。榛名、気づいてしまいました。拓真さんのことを好きなんだと思います。拓真さんも、艦娘でも人間でもない榛名なのに、一緒にいたいって…。もし、もしですよ、榛名が思いを伝えたら、受け入れてもらえるのでしょうか? これは…拓真さんに聞くべきでしょうか?
引き戸の前に立つ。きっとはるなさん、もう寝てるだろうな…。
引き戸の前に立ちます。きっと拓真さん、もう寝てるでしょうね…。
はぁ…寝よ。
はぁ…寝ましょう。
榛名が自分の気持ちに気づいたところで、
『榛名の日々』編、終了です。
次からは似ていて異なる展開へと進みます。
よろしければ引き続き物語におつきあいください。