少しずつ榛名の気持ちにも変化が出てきたようです。
前半は拓真の、後半は榛名の視点で物語が進みます。
繰り返される日々に訪れた変化。はるなさんに「いってらっしゃい」と見送られ、「お帰りなさい」と出迎えられる嬉しさ、それが俺の日常になった。
学生の俺が大学に行かない選択肢はなく、離れている時間がどうしてもできるので、引っ越してからはるなさんにも林檎的なスマホを持ってもらった。基本的な操作方法を教え、役に立ちそうなアプリを入れる。
「これでいつでも拓真さんと連絡が取れるんですね。榛名、安心できます」
俺の番号だけが登録された携帯を握り締める彼女の言う『安心』の言葉は、本心そのものだろう。ぼっちとか、そういう軽い話じゃない。はるなさんは
そんなはるなさんが結構なメール魔なのはぜんぜん想像してなかった。そういう俺も、今日は実験の予定だったが、スマホばかり気にして一向にはかどらない。ダメ院生だ。はるなさんからのショートメールに『いつもありがとう』と返事をしながら、ふと以前のやりとりを見てみる。最初のころは誰しも入力と推測変換に振り回されるもんだ。特にローマ字入力で教えたからなぁ…。
(ハルナ)今どこですか?
(俺)学校なう
(ハルナ)襲うんですか今日は?
(俺)はるなさんを?
(ハルナ)ちがいます (>_<)
『遅いんですか今日は』って言いたかったようだ。他のも見てみる。
(ハルナ)terebimitemasu
(俺)あぁテレビね。何見てるの?
(ハルナ)麻痺竃か
(俺)なにそれ?
(ハルナ)あ、食べられた
医療と料理のコラボ番組? 食べるんじゃなくて!? と思ったら、後で分かったのは『マ○カ☆まどか』を夢中になって見てたということだった。
今では意味不明な変換はなくなり、「ルーフバルコニーから見える海 (写真付)」「乾き立てのタオル、ふかふかです」「晩ごはんは榛名カレー、お代りあります」みたいな他愛もない、けれども嬉しくなるショートメールがばしばしやってくる。そしてスマホをにやにやしながら眺める厳つい男の姿は、傍から見ると気持ち悪いだろう。
だがそれがいい。
ちなみに俺の尊敬する男は、前田慶次だ。
◇
お洗濯が終わりました。
榛名は、この広いバルコニーが大好きです。海に近い、5階のお部屋からは遮る物がなく海が見渡せ、太陽の光がさんさんと差し込みます。干した洗濯物やシーツが風に揺れ、光と影が踊ります。
光を反射してきらきらと輝く海面。水平線の向こうに、今日も誰かが出撃を―――。
止めましょう、もう榛名は艦娘じゃなくなったのだから…。拓真さんと一緒に住み始めてから、榛名のしていることは-お掃除とお洗濯とお料理、拓真さんと一緒にテレビを見たりお話をしたり、時々一緒に必要なものを買い物に行ったり…まるで、拓真さんの…お、奥さんみたいですっ。
頬が熱いのは、ベランダで洗濯物を干して陽の光に照らされたせいです、はいっ、間違いなくそうです。自分の部屋に戻り、ベッドにころんと転がります。枕元には拓真さんがくれた
-お洗濯終わりました
送信、っと。ごめんなさい、拓真さん。学生の拓真さんが学校に行くのは当たり前なのに、「行ってきます」と言われると寂しくて、「ただいま」と聞くと、もうどこにも行ってほしくない、そう思ってしまいます。なんでしょう、この気持ちは…? 榛名の中で、拓真さんがあふれているような気がします。甘えすぎてますよね…。もっとしっかりしなきゃ。
けれども、着信音が鳴った瞬間にベッドから跳ね起きてケータイに手を伸ばす自分に、我ながら苦笑いです。
-いつもありがとう
拓真さんは、いつも榛名に気を使ってくれます。ちょっとした思いやりが嬉しくて、スマートフォンを抱きしめてしまいました。ふと時計を見ると、10時45分です。
「…3週間…何もありませんでした。きっと、大丈夫ですっ!」
自分に向けられた監視の目はない、そう言い聞かせるように小さくガッツポーズ。エプロンをつけてキッチンへと向かいます。
♪卵と鶏肉とブロッコリー、ミニトマト~。
さてさて何を作ろうかな♪
「できましたっ! 拓真さん喜んでくれるでしょうか」
卵焼きと鶏の照り焼き、塩ゆでしたブロッコリーとミニトマト。ご飯にはふりかけ。そうです、ちょっと簡単な気もしますが、お弁当です。お弁当箱に詰める前に少し冷まして、その間に写真をぱちり。
-お昼ごはん、できました(写真付)
拓真さんにメールして、お弁当箱をバンダナで包みトートバッグにいれます。11時10分。さぁ、急いで着替えなきゃ。えーと…これにしようかしら。ウォークインクローゼットの中であれこれ選び、デニムのタイトミニにTシャツ、上にはライダース風のジャケットを着ることにしました。玄関でショートブーツを履いて外に出て、戸締り確認。
マンションから歩いて3分くらいのところにバス停はあります。バス停に着くのと同時に駅まで行くバスが来ました。終点の駅でバスを乗り換えて、拓真さんの通う大学まで行きます。ちょうどお昼ごろに着くかな? バスの中から拓真さんにメールします。
-榛名、出前の途中です♪
-え? え?
すぐに返事が来ましたが、あとは大学に着いてからのお楽しみ。拓真さんをびっくりさせましょうっ! なんでこんなににやにやしちゃうんでしょう? 自分も理由がよく分かりません。バスの中で一人でにやにやしてる榛名は、きっと周りから見ると変な女の子に見えてるでしょうね…。
『大学前~、大学前~。どなた様もお忘れ物のないようにお願いいたします』
バスを降りて、ゆるやかな上り坂を歩くと、塀に囲まれた大きな建物が見えてきました。これが拓真さんの通う大学なんですね。正門の近くでケータイを取り出して、拓真さんに電話しようとすると、急に画面が暗くなり電源が落ちてしまいました。………充電、切れちゃいました………。
正門の前には警備兵…ですか。なかなか警備が厳重ですね、構内には自由に出入りはできないのでしょうか…?
塀に寄りかかり、そのままずるすると腰を下ろして座り込んじゃいました。うつむいた顔をあげると、ゴン、と塀に頭がぶつかります。ケータイ、使いすぎて充電が切れそうなのに気が付かないなんて…榛名、不覚です。どうしよう…。
「拓真さん…」
ぼんやり見上げた空はとても青く、そして少しだけにじんで見えました。