機動戦士ガンダムSEED 焔を刻む銀のロザリオ   作:ファルクラム

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PHASE-03「私だけのヒーロー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ファントムペインを総べる者ともなれば、住んでいる場所も相当に豪華である。

 

 周囲は半径約100キロに渡って広大な森林に囲まれたその豪邸は、周囲からは完全に隔離された環境にある。辿りつく為には、遭難覚悟で森の中へと踏み込むか、あるいはいくつもの関門が設置された本道を進むしかない。

 

 まるで、そこに住む人物の秘密主義を象徴しているかのようなその豪邸に、その男は住んでいた。

 

 カーディナルと言う呼び名で周囲に定着している仮面の男は、世界から隔離したかのようなこの豪邸に住み、世俗から切り離されたような生活をしている。

 

 そのカーディナル邸に今、珍しく多くの者達が集まっていた。

 

「やあ、みんな。よく来てくれたね」

 

 集まった面々を見回し、カーディナルは仮面の奥から上機嫌に声を掛けた。

 

 事情を知っている人が、今この場に集まっている人間の顔ぶれを見れば、あるいは仰天して腰を抜かすかもしれない。

 

 ウォルフ・ローガン

 

 レニ・ス・アクシア

 

 フリード・ランスター

 

 ロベルト・グラン

 

 ジークラス・フェスト

 

 メリッサ・ストライド

 

 イスカ・レア・セイラン

 

 ルーミア・イリン

 

 ブリジット・ハーマン

 

 シノブ・リーカ

 

 世界中の誰よりもカーディナルが信頼を置くファントムペインのメンバー達、いずれの国にあっても劣らぬ猛者達である。

 

 自らの配下にあるファントムペインの諸将達を、カーディナルは頼もしげに見回す。

 

 欧州戦役が一段落ついたこの日、カーディナルは地球軍勝利に大きく貢献した彼等を自宅に呼び寄せ、労う事にしたのだ。

 

 ここにいる面々は皆、スカンジナビア攻略戦の頃から後退で戦場に身を置き続け、戦線を支援し続けていた。欧州における地球軍の勝利は全て、ここにいる者達の功績に拠る所が大きかった。

 

 そして、もう1人。

 

 カーディナルはその人物に目を向けた。

 

「君も、ご苦労だったね」

 

 カーディナルの声掛けに対して、しかしその人物は一切の言葉を返さず、ただその場に佇んでいる。

 

 全身、黒いコートに身を包み、顔もバイザーの無いフルフェイスヘルメットに身を包んだ人物。体付きから辛うじて男と言う事が分かるだけの、ある意味、カーディナル以上に謎の男。

 

 あのジブラルタル攻略戦にも参加し、共和連合軍に多大な損害を与えて壊滅に追いやったダークナイトだった。

 

 そんなダークナイトを見て、幾人かの人間が面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 

 この中では最も新参者であるにもかかわらず、盟主であるカーディナルに対してすら不遜な態度を取るダークナイトの存在を、大半の者が面白く思っていないのだ。ジークラスやルーミアなどは、露骨に舌打ちまでして見せている。

 

 しかし、そんな彼等の態度に構わず、カーディナルはダークナイトに歩み寄ると、その肩を軽く叩く。

 

「次も期待しているよ。ぜひ、君の力を存分に振るってくれたまえ」

 

 そう言うとカーディナルは、テーブルの端に備えた自分の席に座った。

 

「して、盟主」

 

 それを待っていたように、ウォルフが居住まいを正して声を掛けた。

 

「欧州はこれにて、地球軍が抑えるに至りました。また、スカンジナビアのみならず、ザフトやオーブ軍にも多大な損害を与えて撃退するに至りました、しかし・・・・・・」

「これで終わりって訳じゃあ、無いんだろ?」

 

 ウォルフの言葉を引き継ぐように、ジークラスが身を乗り出すように言い募る。

 

 欧州を平定した事で、戦乱は一応の収束を見せつつある。各国の出方によっては、このまま手打ちと言う流れもあると言う見方もあった。

 

 しかし、この場に集った誰もが、平和に馴染む事など謹んで辞退したい連中ばかりである。早くも次の戦場を求めて飛び出して行きたい程だった。

 

「勿論だとも」

 

 そんな彼等の言葉をくみ取ったように、カーディナルは力強く頷きを返す。

 

 ここで戦いを終える心算は無い。それは他ならならぬ、カーディナル自身も彼等と思いを共有する事である。

 

 ここで戦いを終えられてしまっては困る。ここで戦いが終わってしまっては、自分達が目指す、新しい世界の構築もそこで終わってしまうからだ。

 

「しかし、欧州での戦いは終わりだ。かの地に残されている残党程度なら、現地の残留部隊だけでも対処は可能だろう。そこで・・・・・・・・・・・・」

 

 カーディナルは言いながら、自身の背後へと目を向ける。

 

 そこには、壁一面に巨大な世界地図が掛けられ、人々の目を引いているのが分かる。

 

 皆の視線が集中する中、

 

 カーディナルは仮面の奥から、地図の一点を見詰めて言った。

 

「オーブが、次の目標となる」

 

 その言葉を聞いた時の一同の反応は様々だった。

 

 納得したように頷く者、歓喜の笑みを浮かべる者、交戦的に目を吊り上げる者、そして何の反応も示さない者。

 

 カーディナルの判断は、一同の予想からも大きく外れる物ではなかった。

 

「閣下」

 

 その中の1人、イスカがカーディナルを見ながら言った。

 

「何かな?」

「次のオーブ攻めですが、指揮は是非とも、このわたくしにお命じください」

 

 そう言うとイスカは、自信たっぷりに胸を逸らして見せる。

 

 彼女は言わば、スカンジナビア攻略戦における戦功第1位である。何しろ数年にわたってカガリ・ユラ・アスハの秘書としてオーブ国内に潜り込み、そして正に絶好のタイミングでスカンジナビア王国の精神的支柱だったユーリア王女を殺害したのだから。

 

 故に、今の彼女はまさに「飛ぶ鳥を落とす勢い」とも言える。

 

 その点を踏まえた上で、カーディナルは向き直ってイスカに尋ねた。

 

「それは、君自身のオーブに対する私怨故かね?」

「それも無いとは申しませんが、わたくしの全ては、閣下への忠誠の上に成り立っております。その事を忘れた事はございません」

 

 そう言って、イスカは恭しくカーディナルに対して頭を下げて見せる。

 

 その様子を見ながら、カーディナルは仮面の奥で「フム」と頷く。

 

 このイスカ・レア・セイランと言う女は、確かに我の強い女であり、その我の強さ故にここまでのし上がって来れたと言う面が大きい。

 

 勿論、ただ自身の主張を喚き散らすだけの能無しではない。そもそも、そんな人間なら、今この場にいる事すら許されなかっただろう。無能者はカーディナルの「臣下」にいらない。

 

 あらゆる事を計算し尽くした上で、尚且つ、己自身の欲望を最大限に利用できる。イスカ・レア・セイランとは、そのような女である。それは先ほどの言動において、自らの欲望を隠そうとしなかった事からも明らかである。

 

 恐らく、今カーディナルに言った事は、偽りではないだろう。オーブに対する憎悪と、カーディナルに対する忠誠心が言わせた発言である。

 

「良いだろう、許可しよう」

 

 頷くカーディナル。

 

 恐らく今度のオーブ戦が、自分達にとっての最大の転機になる筈。そう考えれば、イスカの能力は充分に役立つはずだった。

 

「補佐には、そうだな。部隊を率いる関係からウォルフには行ってもらう必要があるとして、その他にレニ、ルーミア、ブリジット、シノブ、そして・・・・・・」

 

 カーディナルは末席にいる男に目をやってから言った。

 

「ダークナイト、君も行ってくれ」

 

 カーディナルの言葉に対して、ダークナイトは相変わらず反応を示そうとしない。ただ身じろぎせずに席に座っているだけだった。

 

「宜しいのですか、レニをお借りしても?」

 

 イスカは訝るようにしてカーディナルに尋ねる。

 

 レニは今までカーディナルの腹心として、常に彼の護衛を司っていた。そのカーディナルがレニを自分の元から離すような決断をした事が意外だったのだ。

 

「欧州で敗れたとは言えオーブの戦力は侮れない。こちらが使える戦力も限られている以上、万全を期すべきだろう」

 

 この時、カーディナルの脳裏には、同時に進めている作戦の事が思い浮かべられていた。今回の戦い、主目的はむしろそちらであると言っても良い。それ故に、そちらの作戦はカーディナル自らが指揮を取る事になっている。

 

 オーブ攻めは、いわばその為の囮の役割も兼ねているのだ。だからこそ、充分な戦力を整え、せいぜい派手に暴れる必要がある。レニをオーブに行かせるのも、そう言う理由だった。

 

「では諸君、今日は出撃の前祝いだ。大いに楽しんでくれたまえ」

 

 カーディナルがそう告げると同時に、一同は目の前の料理や酒に手を伸ばすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日にちが経つにつれて、オーブ共和国を覆う暗雲は、その密度を高めようとしているかに思える。

 

 今はまだ雨が降るには至っていないが、それも恐らくは時間の問題。間も無く嵐が来るであろう事は、誰の目にも明らかだった。

 

 故にこそ、責任ある人間は嵐が来るのに備え、数々の手を打たねばならなかった。

 

 カガリは今、移動中の車の中で、2人の男と向かい合っていた。

 

 1人はアスラン・ザラ。カガリの婚約者にして、この程ようやく、オーブへの帰順が成り、同時に准将の階級と共にオーブ軍の軍籍も得ている。

 

 そしてもう1人は、カガリにとって古馴染みとも言うべき、ユウキ・ミナカミ少将である。

 

「やはり、地球軍の侵攻は避けられないか?」

「ああ。既にパナマには相当数の艦隊と機動兵器、それに必要な物資が集められていると言う話だ」

 

 カガリの質問に答える、アスランの顔も暗い。

 

 スカンジナビアにおける惨めな敗北と、それに伴う西ユーラシア大虐殺を防げなかったことが、彼等の中に暗い影を落としているのだった。

 

 次はオーブである。それは、地球軍がパナマに大兵力を集結させている事からも明らかである。

 

 もし今度の戦いでオーブ軍が敗れるような事があれば、西ユーラシアで起こった虐殺の嵐が、時間と場所を変え、今度はオーブで再現される事になる。

 

「予想される参加兵力は、艦艇250隻、機動兵器は1800機前後と言ったところかな」

「ほぼ、ラグナロク作戦時の参加兵力に匹敵しているな」

 

 ユウキからの報告を聞き、カガリは唸るように呟く。

 

 ユニウス戦役中期にデュランダル主導で行われたラグナロク作戦、所謂ヘブンズベース攻略戦に参加した対ロゴス同盟軍は、艦艇300隻、機動兵器2000機であったと言われている。しかし、これはあくまでザフトや地球連合軍の反ロゴス派等が結集した兵力であった。

 

 つまり、地球連合軍は、既に単独で当時に匹敵するだけの兵力を揃えられるまでに至っていると言う訳だ。

 

「それに対して、オーブ軍は宇宙軍の戦力を合わせても、せいぜい艦艇150隻、機動兵器700機と言ったところ。因みに、これは主力軍だけじゃなく、予備隊まで含めた数字だ」

「万が一の場合はザフト軍の方でも援軍を送ってくれる手はずに放っているけど、それでもせいぜい、1000機と言ったところだろうね」

 

 1000機の機動兵器と言えば、小国のオーブとしては破格の大兵力である事は間違いないが、それでも迫り来る地球軍の大軍に比べると、やはり心もとない数字である。そこに加えて敵が、例のジェノサイド部隊やファントムペインを投入してくるであろう事を考えると、質的戦力の不利も否めなかった。

 

「とにかく、特機の数が少ない。こっちはシンのエルウィングとキラのシロガネの他に、フラガ中将のアカツキ、そして開発が難航していたORB-02がようやくロールアウトしたばかりだからな」

 

 たったそれだけの戦力で、国を守るのは心もとない。

 

「そして、こいつの存在もある」

 

 そう言うとカガリは、自分の端末を操作して何かの画面を呼び出した。

 

 そこには、見た事も無い構造物のイメージ図のような物が描かれている。

 

 全体のイメージとしては「エイ」だろうか? のっぺりと平べったく、左右に翼のように広がった外見など、まさしくエイそのものだ。

 

 しかし、その外見が異様なまでに巨大である事が分かる。

 

 比較図として、その横に描かれているのは、ザフト軍の量産型戦艦であるナスカ級だが、そのナスカ級戦艦が、まるで筏に見える程の比率である。

 

「カガリ、これは?」

「中立国からの情報と、諜報部員が仕入れてきた情報を総合的に判断して割り出した物だが・・・・・・・・・・・・」

 

 尋ねるアスランに対し、カガリは苦い物を噛み潰すようにして言った。

 

「私は、半年前にスカンジナビアを壊滅に追いやったのは、恐らくこいつだと思っている」

 

 カガリの話を聞き、アスランとユウキは思わず目を見張る。

 

 スカンジナビアを、僅か一瞬で壊滅に追いやった悪魔の兵器。

 

 その正体に関しては、この半年間ベールに包まれていたのだが、ここに来て、ようやく片鱗を掴んだ形である。

 

「コードネーム『オラクル』。こいつが実際には、どんな力を持っているのかは今のところ不明だが、スカンジナビアの現状を考えれば、決して油断はできないだろう」

 

 カガリの言うとおりだった。

 

 スカンジナビア王国は現在、国土の大半が核によって汚染され、放射能の坩堝とかしているらしい。仮に共和連合がスカンジナビア奪還の為に兵を動かしたとしても、人が住めるまでに回復するには、かなりの時日が掛かるものと思われた。

 

 つまり、現状で分かっているオラクルの内容とは、本来ならNジャマーの影響で使用できないはずの核攻撃を、恐らくはNジャマーキャンセラーのような技術を使って使用可能にしたものと思われる。

 

 しかし、疑問はまだ残る。オラクルの攻撃方法が核攻撃なのは良いとしても、その為のプラットホームは何なのか、と言う事だ。

 

 仮に核攻撃を行うにしても、爆弾なりミサイルなりを正確に目標地点まで運ぶシステムが必要になる。加えて、オラクルの本体はこれほどまでに巨体であるにもかかわらず、スカンジナビア攻撃の当日、その姿を誰も見ていないと言うのも気になる所である。

 

 どうやら、敵の切り札について、まだまだベールに包まれている事が多いようだった。

 

「スカンジナビアと言えば、例の王子様は?」

「ああ、あれか」

 

 ユウキの質問に対し、カガリはため息交じりに応える。

 

 スカンジナビアが陥落した際、カガリは生き残りの王族であるフィリップ・シンセミアを連れてオーブに亡命させていた。これは、いざスカンジナビアを奪還する際に、死んだユーリアやアルフレート王に代わり、フィリップに旗印としての役割を担ってもらおうと考えた為だ。

 

 確かにフィリップは、スカンジナビア滅亡の直接的な原因を作った張本人であるが、それはこの際、横に置くべきであろう。ようするに、王族が生き残って、祖国を奪還するために立ち上がる、と言うシナリオが重要なのだ。

 

 しかし、

 

「相変わらずだよ。まったく、あの男は・・・・・・」

 

 カガリは吐き捨てるように言った。

 

 オーブに来てからと言うもの、フィリップは毎日を無気力に過ごしていた。自分のせいでスカンジナビアが滅亡し、父や妹を死に追いやってしまった事がよほどショックだったのだろう。まるで全ての生気を使い果たしたように、殆ど体を動かす事無く日々を過ごしていた。

 

「深刻と言えば、彼女もじゃないか? ほら、ユーリア王女のメイドだった」

 

 アスランの指摘に、カガリはまたもため息を吐く。

 

 ユーリア付きのメイドだったミーシャ・キルキスも、今はオーブにいる。しかし、彼女の方はある意味、フィリップよりも深刻だった。何しろ、日々の食事すら喉を通らず、精神変調と栄養失調を起こして、今はオロファトの病院に収容されているのだ。

 

 無理も無い。あれだけ慕っていたユーリアを目の前で殺されたのだ。気が狂ってしまうのも仕方のない事だった。

 

「とは言え、いずれスカンジナビアを奪還する為に動くとしてもだ、今はまずこの難関を突破しなくてはならない。そこでだ、」

 

 そう言ってから、カガリはユウキに向き直った。

 

「ユウキ、お前、艦隊勤務に復帰してくれないか?」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 カガリの言葉に、ユウキは思わず黙り込んだ。

 

 今でこそ、後方補給部隊の管理官をしているユウキだが、元々は宇宙艦隊に所属する人間である。それも、宇宙軍創設の功労者である故ジュウロウ・トウゴウ名誉元帥の直弟子にして、ユニウス戦役時には精鋭第1戦隊を率いて、メサイア要塞攻撃を成功させた名将でもある。

 

 そもそも、ユウキが後方勤務をしているのは、彼自身が何か失敗を犯したからではなく、妻であるライアの介護をする為なのだ。つまり、復帰を妨げる理由は何も無い。

 

「現状、宇宙艦隊を率いて戦えるのは、お前以外にはいない。お前が抱えている事情は知っている心算だが、ここはどうか、承諾してくれないか?」

 

 カガリの言葉を聞いて、ユウキが思い浮かべたのはライアの事だった。

 

 正直、自分の力を欲してくれるカガリの言葉は、ユウキにとっても嬉しく思うし、自分なら宇宙艦隊を率いて戦える自信もあった。

 

 だが、自分が艦隊勤務に戻ったら、ライアを1人にしてしまう事になる。それが、何よりユウキには辛い事だった。

 

「・・・・・・・・・・・・暫く、考えさせてくれないかな?」

 

 ユウキは結局、そう言って判断を先延ばしにするしかなかった。

 

 自分達に残された時間が、あまりにも少ないと知りながらも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キラはその日、外出許可を貰って基地の外へと出ていた。

 

 長い廊下を一緒に歩くのは、彼よりもはるかに小柄な少女である。

 

 リィスだ。今日は、彼女を伴っての外出である。

 

 2人が今いる場所は、オーブ本島に病院である。ここに今、彼女は居た。

 

 何度か来た事がある為、誰かに聞かなくても病室がある場所は判っている。

 

 扉を開けて中へと入ると、その音に気が付いたのだろう、上半身を起こしてベッドに座っている人物が振り返って笑顔を向けてきた。

 

「あ・・・・・・キラ・・・リィスも、来てくれたのですね」

 

 エスト・リーランドは、そう言って嬉しそうに微笑みを向けてくる。

 

 彼女は既に妊娠8か月が過ぎ、お腹もだいぶ大きくなってきている。そこで彼女自身の体の事情もあり為、設備が整っている病院の方へと入院していたのだ。

 

「調子はどう? 顔色は良さそうだけど?」

「はい。最近は、とても気分が良いです」

 

 検査では母子ともに健康であり、経過は非常に順調であると言われている。

 

 しかし、それでも何があるか判らないのが出産である。ましてかエストの体の事を考えると、尚の事慎重になる必要があった。

 

 ふと、キラはベッドの脇にある本棚に目をやった。

 

 元々、本を読むのは嫌いじゃないエストだが、最近読む本の内容に関してキラは、若干の閉口をせざるを得なかった。

 

 本棚に並んでいるタイトルは「読解!! 夫婦円満の秘訣について!!」やら、「彼氏を唸らせるプロのテクニック」だの、「夫の浮気を無くす1800の方法」など、怪しげなタイトルの本がズラリと並んでいる。

 

 キラとしては特に、最後の奴に突っ込みを入れたい。そもそも、そんなに手段は必要ないだろう。慎ましく18くらいにしとけ、と言いたかった。

 

 と、ベッドの傍らに立ったリィスが、何やら興味ありげにエストの方をじっと見ているのが分かる。

 

 その視線が意味する事を察したのだろう。エストは微笑みながらリィスに尋ねた。

 

「触ってみますか?」

 

 リィスの目は、大きくなったエストのお腹に注がれているのが分かる。

 

 リィスがエストと出会った時は、まだ体型にほとんど変化は無かった。その事を知っているリィスとしては、今のエストの状態が非常に気になるのだろう。

 

 オズオズと頷き、手を伸ばすリィス。

 

 そのリィスの手を取り、エストは自分のお腹に当てさせた。

 

 すると、リィスは少しびっくりしたように目を見開く。

 

 その様子が可笑しかったのだろう。エストは愛おしそうに眺めながら言った。

 

「ここに今、赤ちゃんがいるんですよ」

「あか、ちゃん?」

 

 リィスは不思議そうに呟くと、エストのお腹を優しく撫でていく」

 

 まるでそうする事で、新しい命の息吹を感じようとしているかのようだった。

 

 スッと、キラは目を細める。

 

 戦線離脱してから、エストは以前の淡々とした言動が鳴りを潜めているように見える。世間一般で言うところの、これが「丸くなる」と言う事なのだろう。

 

 昔の、どこか浮世離れしたような危うい雰囲気は相変わらず健在だが、それでもエストなりに「母親」になる為の準備を進めているかのように思えた。

 

 それともう一つ、リィスの事も有った。

 

 リィスはエストが戦場で命を助け、そしてオーブに連れ帰って来たのだが、こうして揃ってみていると、まるで本当の母娘のようにも見えてくるから不思議である。

 

 エストはリィスの事をとても大切に思っているし、もしかしたらリィスの方でも、エストの事を本当の母親のように慕っているのかもしれない。

 

 キラにはそう思えるのだった。

 

 

 

 

 

 病室に夕日が落ち始めるころ、キラはベッドの縁に腰掛けてエストと向かい合っていた。

 

 色々と話して疲れたのだろう。リィスはベッドに拠り掛かるようにして眠りこけている。

 

 そんな少女の髪を、エストは愛おしそうに撫でている。

 

「戦局は、どうなっていますか?」

 

 不意に尋ねたエストに対し、キラは一瞬言葉を詰まらせた。

 

 ジブラルタル陥落、西ユーラシア撤退のニュースは、既にオーブ本国にも伝わっている。今さら、それを隠しても意味は無かった。

 

「正直、苦しい、かな・・・・・・・・・・・・」

 

 そう言って、キラは苦笑する。

 

 敵は間も無く、このオーブにもやって来るだろう。そして、現状のオーブ軍の戦力では、地球軍に対抗する事が難しいのは明白だった。

 

 恐らく、まともにやっても勝てないだろう。

 

 だが、希望はあった。

 

「ラクスが、何かやってくれているらしい。その切り札の内容によっては、もしかしたらって思ってる」

 

 正直、藁にも縋るような希望である。だが、藁でもなんでも、縋らない事にはただ沈んでいくだけである。

 

 と、そこでキラは、半眼になってエストを睨み、釘を刺す口調で言った。

 

「言っておくけど、だからって君が戦線復帰する話は無いからね」

 

 その言葉に意表を突かれたのだろう。エストは少しムッとしたような顔でキラを睨み返した。

 

「何故ですか?」

「『何故ですか?』じゃないでしょ。ちょっとは自分の体の事を考えて」

 

 いくら人手不足とは言え、妊婦を戦場に出す程、キラも阿呆ではなかった。

 

「むう・・・・・・・・・・・・」

「怒っても駄目」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「拗ねても駄目」

 

 何だか、こうして反応を見ているだけでも楽しいのだが、それはそれとして、キラは断固とした態度を崩す気は無かった。

 

「とにかく、駄目って言ったら絶対に駄目」

 

 そう言ってから、キラはフッと微笑みながら言った。

 

「そんなに心配しなくても、終わったらちゃんと帰って来るから」

 

 キラとしては、エストを安心させる目的で行った心算だった。

 

 だがその言葉を聞いた瞬間、エストはジト目になってキラを睨んで来た。

 

「素晴らしいお言葉です。6年前に約束を破って帰って来なかった人のセリフとは思えません」

「いや、破ってないでしょ。ちゃんと帰って来たでしょ」

 

 ここでヤキン・ドゥーエ戦役での事を持ち出されるとは思っていなかったキラは、焦って弁明に走る。

 

 流石、「ミスターMIA」の異名は伊達では無い、と言ったところだろう。

 

 だが、その弁明が更なる墓穴を掘る事になった。

 

「そうでしたね。人を2年も待たせた挙句、帰って来たら来たで、しょーもない偽名を使ってごまかそうとしていましたが」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 ぐうの音も出ないキラ。

 

 まずい事になった。これは当分の間、と言うより、下手をしたら一生ネチネチと言われそうだった。

 

 まったく、何でこんな性格に育ってしまったのか、昔はもうちょっと素直だったと思ったのだが・・・・・・・・・・・・

 

 と、そこまで考えて、キラは内心でガックリと項垂れた。

 

 エストの情操教育に問題があったとしたら、それは純度100パーセント、混じりっ気無しでキラの責任だった。

 

 ふと、キラは気を取り直すと、エストを優しく抱き寄せる。

 

「でも、今度は本当だよ。僕は、絶対に君の所へ帰ってくる。約束するよ」

 

 対して、エストも甘えるようにして、キラにもたれ掛かる。

 

「でも、世間ではそう言うのを『死亡フラグ』と呼ぶのを聞きましたが?」

「・・・・・・それは誰に聞いたの? またムウさん?」

「いえ、マリューさんです。何でも、実体験が元になっているとか」

 

 その返事に、キラは苦笑を隠せなかった。

 

 まったく、あの夫婦は、人の彼女に変な事を教えないでもらいたかった。

 

 とは言え、エストの不安は払しょくしてやらなくてはならないだろう。

 

「君は一体、僕をどう思っている訳?」

「え?」

 

 訝るエストに、キラは不敵に言い放った。

 

「君の彼氏は世界最強の男だよ。その程度で死ぬはず無いでしょ」

「・・・・・・・・・・・・はい」

 

 そうだ、キラはいつだって、どんな辛い戦いだって勝利し、そして帰ってきてくれた。

 

 エストにとって、キラは間違いなくヒーローだった。

 

「・・・・・・・・・・・あ」

 

 短く声を上げるエスト。次いで、はにかんだ様に笑顔を向ける。

 

「動き、ました・・・・・・」

「え、どれどれ?」

 

 そっと、エストのお腹に手を当てるキラ。

 

 そんな暖かな時間が、ゆるやかに流れて行った。

 

 

 

 

 

PHASE-03「私だけのヒーロー」      終わり

 


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