機動戦士ガンダムSEED 焔を刻む銀のロザリオ   作:ファルクラム

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PHASE-02「絶望から立ち上がる英雄の如く」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カガリ・ユラ・アスハは1人、椅子に座ったまま沈思していた。

 

 既に彼女の許にも、ジブラルタル陥落の報告は届いている。

 

 また、多くの犠牲者を出してしまった。

 

 キラやシン達が無事だと言う報告は受けているが、それでも、今回の敗戦における痛手はあまりにも大きい。

 

 パワーバランスは大きく崩れ事になる。

 

 欧州を平定した地球連合軍は、部隊を再編した後、矛先を別に向けて来るだろう。

 

 次の狙いは、恐らくオーブだ。

 

 宇宙空間に言わば隔離されているプラントと違い、オーブは地球上にある為、地球連合にとっては言わば「地続き」に等しい。故に彼等はまず、攻め易いオーブを滅ぼして後顧の憂いを断った後で、体勢を整えてからプラント攻略に取り掛かるだろう。

 

 急ぐ必要があった。何としても地球連合軍の侵攻が始まる前に、オーブも体勢を整える必要がある。

 

 その為に今、カガリはこの場所に来ていた。僅かでも、自分達の勝機を高める為に。

 

 カガリが今いる場所、それは刑務所である。

 

 と、言っても勘違いしないでもらいたいのは、カガリが別に何か悪い事をして収監された、訳ではない。

 

 ここには、ある人物に面会する為に訪れたのだ。

 

 程無く、監視役の刑務官に付き添われ、その人物が面会室に入ってきた。

 

 強化ガラス越しにカガリの対面に座ると、その人物は穏やかな笑みを向けてきた。

 

「やあ、カガリ。久しぶりだね」

 

 そう言ってカガリに笑いかける人物は、今やオーブにとっては最大級の戦犯と言っても良い人物である。

 

 ユウナ・ロマ・セイラン。

 

 かつては形だけとは言えカガリの婚約者だった人物であり、ユニウス戦役時には反乱を起こしたセイラン派のナンバー2だった人物でもある。

 

 オーブ内乱が政府軍の勝利で終わった後、生き残ったユウナは国家反逆罪で収監され、禁固5年、懲役25年の実刑判決を受け、現在も服役中の身である。

 

 禁固中、しかもユウナは国家反逆罪を侵した重罪人である。本来であるならば、カガリと言えど簡単に接見できる立場ではない。

 

 しかし、今回は事情が事情である。

 

 カガリはどうしてもユウナに確認をしなくてはならない事があった為、関係各所に根回しを行い、その上で非合法を承知で手を尽くし、時間を限定すると言う条件付きでユウナと接見する事に成功したのだった。

 

「元気か? て私が言うのも変な話か・・・・・・」

 

 言ってから、カガリは少しだけ苦い顔をする。

 

 ユウナを今の境遇に追いやったのは、他ならぬカガリ自身である。

 

 本来であるならユウナは、内戦終結後に処刑される立場にあったのだが、それを敢えて懲役刑にしたのはカガリである。これは何も、ユウナの命を助けたかったからではなく、彼を敢えて生かす事でセイランの神格化を避け、更にその悪逆を後世まで語り継がせる事を目的としたからだ。

 

 勿論カガリとしては、自分が間違った事をしたとは思ってもいないが、それでもこの場でユウナに恨み言をぶつけられても仕方がないと思っている。そうなったらなったで腹を括り、甘んじて受け入れる心算だった。

 

 そんな風に覚悟を決めたカガリに対して、意に反してユウナはあくまでも静かな口調で答えた。

 

「まあね。お陰様で、ここでは色々と静かに考えさせてもらっているよ」

 

 その答えを聞きながら、カガリは少し、意外な面持ちになっていた。

 

 ユウナの雰囲気が、以前と大分変っている。

 

 以前のユウナは優秀ではあったものの、如何にも良家の子息と言う肩書を鼻に掛けた感じであった。性格は軟弱且つ軽薄で、その言動は何から何までカガリの神経を逆なでした物である。

 

 しかし、いま目の前にいるユウナは、以前の軽薄さなど微塵も感じさせる事無く、あくまでも穏やかな雰囲気をしている。一見するとまるで、悟りを目指して修行する僧侶であるかのようだ。

 

「それで、僕に何か聞きたい事があって来たんだろ?」

「・・・・・・・・・・・・ああ」

 

 尋ねるユウナに対し、カガリは固い表情で頷きを返す。

 

 今回の接見は強引にセッティングした物である為、こうして会える時間も限られている。無駄に話している余裕は無かった。

 

「聞きたい事は一つ、イスカ・レア・セイランについてだ」

 

 その名前を聞いた瞬間、ユウナの目元がピクリと動いたのを見逃さなかった。

 

 イスカ・レア・セイラン。

 

 ユーリア王女暗殺の実行犯であり、長くスパイとしてオーブに潜り込み、カガリの秘書をしていた人物でもある。

 

 イスカによるユーリア暗殺事件以後、カガリは外務大臣辞任の意向を示した。イスカの正体を見抜けなかった以上、カガリもまた、間接的とは言えユーリア暗殺を幇助してしまった事になるからだ。

 

 しかし、現大統領は、カガリの辞任を受理しなかった。

 

 この厳しい難局の中にあって、カガリと言うカリスマと実力を備えた政治家を失う事は、オーブにとって自殺行為である事は、誰の目にも明らかだったからだ。

 

 故に今尚、カガリは現職の外務大臣としてこの場に来ていた。

 

「マカベにも聞いたが、彼は何も知らないと言っていた」

「だろうね。マカベは何も知らない。彼女の事を知っているのは、セイラン家でも父上や母上、僕を含めたごく僅かだったから」

 

 さもありなんと、ユウナは頷いて見せる。

 

 マカベと言うのはホウジ・マカベ元オーブ軍一佐の事で、先の内戦中はユウナの腹心であった人物である。戦後は野に下り、軍官僚だった経験を活かして流通会社を立ち上げている。その業績は目覚ましく、軍関係の受注も一部請け負っているらしい。

 

「イスカは元々、セイランの人間じゃない。ただ、父上の死んだ友人だった人間から引き取って養女にした子だった」

 

 幼い頃から学校の成績が優秀だったイスカは、成長するにつれて徐々に頭角を現し始め、やがて10代にしてウナトの仕事を手伝うようになった。

 

 そのまま行けば、ゆくゆくはセイランの政治を助け、大いに活躍するであろうと期待をされていた。

 

「けど、そうはならなかった。なぜだ?」

「あまりにも危険すぎたんだよ、彼女の存在は。僕や父上でも抑えきれないほどにね」

 

 ユウナは苦い物を噛み潰すようにして言った。

 

 やがてヤキン・ドゥーエ戦役が始まるに至り、オーブもその去就について定めなくてはならない時が迫ってきた。

 

 そんな中でセイランは独自に地球連合幹部やロゴスとのパイプを作り、オーブが世界で生き残る術を模索していた。

 

 しかし、そんな中で1人、イスカだけは異彩を放っていた。

 

「彼女は言ったよ。『まどろっこしい事なんてしてないで、オーブを大西洋連邦に売れば良い』ってね。あの時は、流石の僕達も唖然としたね」

 

 イスカの考えはこうだった。

 

 まずはセイランが今持っているロゴスとのパイプを利用して、オーブの権益を彼等に売り払う。そうなれば、カガリの父でもあるウズミ・ナラ・アスハを首班とした当時の政権は失脚する事になる。その上で、政治の空白地帯と化したオーブにセイランが総督と言う形で赴任して統治すれば良い。そうなると、オーブは地球連合の一国になると同時に、セイランは自動的にオーブの支配者となれる、と言う訳である。

 

「けど、僕も父上も、その考えには賛同しなかった。地球連合に取り入るところまでは許容できるが、それで国や国民を売ってまで、自分達の地位を確立しようとは思わなかった」

 

 だからウナトは、イスカを国外に追放した。イスカがあくまでも、自分の考えに固執し、あまつさえウナト達にも知らせないで計画を実行しようとしたためだった。

 

 話を聞いて、カガリはぞっとする。

 

 当時、もしそのような策を実行されていたら、オーブはどうなっていたか判らない。最悪、地球軍の侵攻以前に国が無くなっていたかもしれなかった。

 

 イスカ・レア・セイラン。

 

 どうやら、カガリが想像している以上に難敵であるようだった。

 

 その時だった。

 

「時間です」

 

 監視役の刑務官が、腕時計を見ながら伝えてきた。どうやら、接見できるのもここまでであるらしい。

 

 だが、短い時間だったが収穫はあった。おかげでイスカ・レア・セイランと言う人物の人となりが、だいぶ判ってきた気がする。

 

「カガリ」

 

 立ち上がろうとするカガリを、ユウナは最後に呼び止めた。

 

 その静かな瞳は真っ直ぐに、かつての婚約者を見詰めている。

 

「僕はあの時やった事が間違っていたとは、今でも思っていない。あの時は、あれが最善だったと今でも思っている」

「ユウナ・・・・・・・・・・・・」

「一つ、誤算があったとすれば、僕達はあまりにもカガリ・ユラ・アスハを軽視し過ぎた事だろう。僕達は君の事を、夢だけを見て現実を見ようとしない理想家に過ぎないと考えていた。だが違った。君は確かに理想家だったかもしれないが、同時に現実を踏み越えて行けるだけの力も備えていたんだ。その事を見抜けなかった事が、僕達の敗因だ」

 

 言いながら、ユウナは遠い目をする。

 

 もしも、

 

 もしもあの時、自分達がカガリを排そうとは考えず、あくまでも彼女を盛り立てて行く道を選んでいたら、もしかしたら未来はもっと別の物になっていたかもしれない。そう、思わないでもなかった。

 

「カガリ、君はもうここに来てはいけない。僕は所詮、過去の人間だ。未来を進む君が、僕のような人間を頼ってはいけない」

「・・・・・・・・・・・・判った」

 

 ユウナの言葉に、カガリは静かな返事を返す。

 

 最後に、もう一度だけ、2人は真っ直ぐにお互い向かい合った。

 

「じゃあな、ユウナ・ロマ・セイラン」

「ああ、さようなら。カガリ・ユラ・アスハ」

 

 ユウナは刑務官に付き添われて接見室を出て行く。

 

 その背中を、立ち尽くしたまま見送るカガリ。

 

 それが、カガリとユウナ、かつては政権を争った婚約者同士にとっての今生の別れとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 命からがら戦場を離脱してきた機体が、よろけるようにしてデッキに滑り込んでくる。中にはデッキに入った瞬間力尽き、定位置に辿りつく前に床へ突っ込む機体もある。

 

 彼等は皆、地球軍の大軍に蹂躙されて地獄と化したジブラルタルから、命からがら落ち延びてきた者達である。

 

 戦艦信濃は現在、ジブラルタルから遠ざかるルートを航行している。このまま欧州を離れ、オーブ本国への帰還を目指すのだ。

 

 信濃の周囲には他のオーブ艦も展開し、同様に収容作業を行っているのが見える。

 

 しかし、苦しい戦いを生き残り、本国に帰れると言う達成感は無い。

 

 あるのは、ただ只管に残った疲労感と敗北感だけだった。

 

 スカンジナビア王国の陥落。全てはあの時から、運命が狂ってしまった。

 

 西ユーラシア解放軍の壊滅、欧州戦線の崩壊、そしてジブラルタル陥落。

 

 多くの犠牲を出しながら、ついに得るべき何物も存在しなかった訳である。

 

 陥落したジブラルタルには、西ユーラシア中から落ち延びてきた難民達が、まだ数万単位で残っていた。そんな彼等を見殺しにして逃げなくてはならない事も、彼等の心に暗い影を落としていた。

 

 キラもまた、その1人である。

 

 損傷したシロガネをメンテナンスベッドに固定すると、疲れた体を引っ張り上げるようにしてコックピットの外に出た。

 

「・・・・・・また、助けられなかったか」

 

 疲労感の滲む声で呟く。

 

 この半年間、キラにとっては苦悩と徒労の連続であったと言って良い。

 

 押し寄せる地球連合軍の大軍を相手に出撃をしては、敗北して多くの仲間と民間人を失い戻ってくると言う事を繰り返したのだ。

 

 キャットウォークを歩くと、視線の先にシンが佇んでいるのが見えた。

 

 向こうも似たような顔をしている。普段は明朗快活なシンも、今は完全に持ち味が鳴りを潜め消沈しているのが遠目にも分かった。

 

 戦って戦って、その果てに待っていたのが今回の敗北である。流石のシンも心穏やかではいられないだろう。

 

「お疲れ様」

「キラさんも」

 

 互いにそう声を掛けると、肩を並べて歩き出す。

 

 正直、今回はキラも危なかった。

 

 あの、最後に戦った黒いジャスティス級機動兵器。あの常軌を逸したような戦闘力は、完全にキラを凌駕していたと言って良いだろう。

 

 キラが世界最高クラスのパイロットである事は今さら語るまでも無いし、シロガネもまたオーブが技術の粋を結集して建造した最新鋭機であり、こちらも世界最高クラスの戦闘能力を誇っている。

 

 そのキラとシロガネの組み合わせでも、手も足も出なかったのである。あの時シンが援護に来てくれなかったら本当に危ないところだった。

 

 だが、そのシンであっても、果たしてあれを相手にどこまで戦えるか自信が無かった。

 

「いったい、あいつは何者なんですかね? キラさんをあそこまで追い込むなんて・・・・・・」

「判らない。けど、もしかしたら地球軍の中で、何かやっているのかもしれない」

 

 そう言ったキラの脳裏には、エストの事が思い浮かべられていた。

 

 今はキラの子供を妊娠し、オーブ本国で療養しているエストだが、かつては地球連合軍が対コーディネイター用に開発した強化兵士、エクステンデットのプロトタイプである。その戦闘力は実際にコーディネイターをも凌駕し、キラも彼等と対峙して、何度か危うい目に在った事もある。

 

 しかし現在、先のユニウス戦役時にエクステンデット開発の非人道性が暴露された事によって、地球軍内部でもエクステンデット開発がタブー視され、開発は半ば凍結に追い込まれていると聞く。

 

 勿論、地球軍が新規にエクステンデットを開発し、これを戦線投入してきた可能性はあるが、確証を得るには至っていなかった。

 

 そこまで考えた時、キラはふと足を止めて前方を見た。

 

 キラとシンの視線の先には、メンテナンスベッドに固定されたシシオウを見上げる形で、1人の女性が佇んでいるのが見えた。

 

 長い髪を後ろで縛った、少し活発そうな印象のある女性だが、キラは彼女がジブラルタル基地でコーヒーをごちそうしてくれた女性である事にすぐに気が付いた。

 

「あのッ」

 

 声を掛けて駆け寄ると、女性もキラの存在に気付いて振り返ってきた。

 

「あ、あなたは、あの時の隊長さん!!」

「良かった。無事だったんだね」

 

 キラは笑顔を浮かべて女性を見る。

 

 正直、ジブラルタル基地が、あれだけの惨状に見舞われたのだ。てっきり、彼女達も戦火に巻きこまれてしまったとばかり思っていたのだ。

 

「お陰様で、ボクも夫も、こうして何とか無事でした!!」

 

 そう言うと、勢いよく頭を下げる。どうやら印象通り、かなり活発な性格をしているらしい。

 

 そんな女性の可愛らしい仕草に、キラも苦笑して応じる。

 

「本当に良かった。君達だけでも無事で」

 

 殆どの民間人を救えなかったキラ達にとって、こうしてほんの一握りの人達の命を救えたことだけでも、大きな救いだった。

 

 その時だった。

 

「お前・・・・・・何で・・・・・・・・・・・・」

 

 キラの後ろに立っているシンが、何か信じられない物を見るかのように、言葉を絞り出した。

 

「シン、どうかした?」

 

 振り返ってシンを見るキラ。

 

 しかしシンは、訝るような視線のキラにも構わず、女性の方に視線を向けている。

 

 対して、

 

「え? ・・・・・・シンって・・・・・・嘘・・・・・・」

 

 女性の方も、驚いた視線でシンを見つめ返していた。

 

「お前・・・・・・まさか、アリスか?」

「し、シン・・・・・・・・・・・・」

 

 驚愕を顔に張り付けたまま、呆然と視線を交わす2人。

 

 それは実に、4年振りとなる再会だった。

 

 

 

 

 

 一方その頃、4年ぶりの再会を果たしている者達が、ここにもいた。

 

 士官用の食堂に通されたラキヤは、渡されたドリンクを飲んで一息つくと、苦笑に近い顔をしたまま、正面に座る人物を見た。

 

「まさか、お前さんが生きていたとはな」

 

 その人物、ムウもまた、笑顔でかつての部下に語りかける。

 

 ムウとラキヤ。

 

 かつて地球連合軍第81独立機動群ファントムペインにおいて、隊長と副隊長の立場にあった2人は、シンとアリス同様、4年越しの再会を果たしていた。

 

「それは僕のセリフですよ。まさか、クレタでMIAになった大佐が生きていたなんて。それもオーブ軍にいるなんて、普通考えませんって」

「中将な、今は」

 

 笑いながら、ムウはラキヤの認識に訂正を加える。

 

 かつて記憶を操作され、「ネオ・ロアノーク」としてファントムペインを率いていたムウは、常に怪しげな仮面を被って素顔を隠していた。その為、ラキヤにとってはこれが、初めて見るムウ(ネオ)の素顔である。

 

「俺も色々あってな。まあ、昔の自分を取り戻せたっていうか、そんな感じだよ」

 

 クレタでシンの操るイリュージョンに撃墜されたムウはアークエンジェルに収容され、その後、紆余曲折を経て現在はオーブ軍を率いる立場にまでなっている。その行程を一言で言い表す事は、流石にできなかった。

 

「そう言う、お前さんはどうなんだ? 今までは?」

「・・・・・・・・・・・・僕も、色々ありましたから」

 

 言ってから、ラキヤは辛そうに目を伏せ、組んでいる自分の手を見詰めるようにする。

 

「すみません、隊長」

 

 その口から出たのは、謝罪の言葉だった。

 

 訝るムウに、ラキヤは懺悔をするようにして語った。

 

「僕は結局、誰も助ける事ができなかった・・・・・・スティングも、アウルも、ステラも、クラーク提督も、イアン艦長も・・・・・・・・・・・・」

 

 ラキヤが口にした者達は全て、ムウにとっても忘れる事ができない者達である。

 

 ムウが撃墜されて離脱した後、地球軍は急速に凋落の道を歩んで行った。

 

 多くの者達の命が無為に失われ、そしてその中にはムウの仲間達も大勢含まれていたのだ。

 

 ラキヤはテーブルの上に置いておいた自分のカバンに手を入れると、その中から陶器製の小さな容器を取り出し、そしてムウの目の前に置いた。

 

 訝るムウ。

 

 対してラキヤは、静かな声で告げた。

 

「ステラです」

「ッ!?」

 

 その言葉にムウは、思わず息を呑んだ。

 

 ステラ。

 

 かつて、ムウを本当の父親のように慕っていた、エクステンデットの少女。

 

 誰よりも純真無垢で、海が好きで、そしてムウ達の為なら何の疑いも抱く事無く戦火に身投じた少女が、今、変わり果てた姿でムウの前に帰って来た。

 

 ラキヤはステラの遺骨を回収した後、一度は自宅兼喫茶店の裏手に埋葬したのだが、今回の地球軍の侵攻に遭い、どうしてもおいて行く事ができず、こうして連れて来たのだった。

 

『ネオ!! ネオ!! ステラ、会いに来た!!』

 

 ムウは、かつてと変わらないステラの声を聞いたような気がして、ゆっくりと手を伸ばす。

 

「・・・・・・・・・・・・ステラ」

 

 小さく呟くと、ムウは骨壺の容器を押し抱く。

 

「ステラはデストロイに乗せられて、あのベルリン戦に投入されました。そして・・・・・・」

 

 そこまで言って、ラキヤも言葉を詰まらせる。

 

 あの時の事はラキヤも、忘れたくても忘れられるものではない。

 

 何とか、ステラを救おうとしたラキヤとアリス。しかし極限まで酷使された結果、既に心身ともに限界を迎えていたステラは、ついに暴走するまま無軌道に破壊を繰り広げようとした。

 

 最後は、アリスが駆るデスティニーに貫かれ、ラキヤの腕の中で眠るように息を引き取ったステラ。

 

 ラキヤにとっても、そしてアリスにとっても辛い思い出の一つである。

 

 ラキヤは時々、夜寝ている時に何かの物音を聞いて起きる時がある。

 

 そしてそう言う時はいつも、隣で寝ているアリスが、眠りながら啜り泣いているのだ。

 

『ステラ・・・・・・ごめんね、ステラ・・・・・・』

 

 魘されるように寝言でそう呟くアリスを見るたび、ラキヤはいたたまれない気持ちになるのだった。

 

「お前達が悪い訳じゃないさ・・・・・・・・・・・・」

 

 暫くして、ムウは顔を上げて言った。

 

「悪いのは、俺だ。俺がもっとしっかりしていたら、お前にも、あいつらにも辛い思いをさせずに済んだってのにな」

 

 ラキヤの辛さは、ムウも共有するところであろう。あるいはクレタ沖の戦いで自分が撃墜されなかったら、その後のステラ達に起こった悲劇は回避できたのかもしれなかったのだから。

 

 大切な者を全て失った事で今がある2人。

 

 ムウとラキヤは、まさにそんな感じだった。

 

「なあ、ラキヤ」

 

 ムウは改まった口調で声を掛けると、ラキヤを正面から見据えて言った。

 

「お前さんにも色々あったのは判った。そして、今の生活があるのも判っている。だが、それを承知の上で言うんだが・・・・・・」

 

 ムウは一瞬言い淀んだ後、意を決したように本題を言った。

 

「力を貸してくれないか?」

 

 現状、共和連合軍は苦しい立場にある。

 

 スカンジナビア王国の滅亡と欧州戦線の崩壊、そしてそれに伴う多くの将兵の戦死は、目を覆いたくなるほど深刻である。現状、戦力の立て直しは急務である。

 

 そこに来て、ラキヤとの再会はムウにとっては、正に天の配剤と言って良かった。

 

 ラキヤはファントムペインにいた頃はムウの片腕として辣腕を振るい、副隊長として的確な補佐を行っている。更に、ムウがいなくなった後は自身が旧ロアノーク隊を率いて、メサイア攻防戦までを戦い抜いていた。

 

 勿論、モビルスーツパイロットとしても超一級である。ラキヤは正真正銘のナチュラルでありながら、並みのコーディネイターを遥かに凌駕する戦闘力を誇っている。ムウでなくても、喉から手が出る程欲しい逸材である。

 

「まだ、腕は錆びついてないんだろ?」

「それは、まあ・・・・・・・・・・・・」

 

 ムウの問いかけに、ラキヤは不承不承と言った感じに返事を返す。

 

 長年体に染み付いた戦いの技と言うのは、そう簡単に衰えたりはしないらしい。それは先ほどの戦闘で、ラキヤ自身が実感していた。

 

 何しろ、性能が良いとはいえ量産機に過ぎないシシオウで、あの絶大な火力を誇るジェノサイド相手に、戦闘を優勢に進めていたのだから。

 

 加えて言えばラキヤ自身、現在の地球軍には何の未練も持っていない。

 

 かつては地球軍にいたとは言え、ラキヤは元々プラントの出身である。地球に対して特別な思い入れがある訳でもない。かつてロアノーク隊にいた頃は、それなりに居心地の良さを感じていたが、それはネオ(ムウ)やスティング、アウル、ステラがいてくれたおかげであり、彼等がいない地球軍には何の用も無かった。

 

「お前が来てくれれば千人力だ。頼む」

 

 そう言って頭を下げるムウ。

 

 対してラキヤは、思案するようにしてから言った。

 

「・・・・・・・・・・・・さっき、戦う前に思ったんです。アリスとこのまま、一緒に死ねるなら、それはそれで良いかもしれないって」

 

 あのまま瓦礫と砲火に包まれ、この身が焼き尽くされたとしても、アリスと一緒に死ねるのだったら、ラキヤは何も怖くは無かった。

 

「でも、同時に思ったんです。ここでまた、大切な人を失うのは嫌だって」

 

 ラキヤは顔を上げる。

 

 その双眸には最早、迷いの色は一切見られなかった。

 

「僕の命と、僕の力、全て隊長にお預けします」

 

 力強く、そう言い放った。

 

 

 

 

 

 駐機したエルウィングを見上げる形で、シンとアリスは並んで佇んでいた。

 

 シン・アスカと、アリス・シュナイゼル。

 

 かつて共に友情を交わしながらも、互いの立場故に剣を交えざるを得なかった2人が、今幾多の時を経て、再びめぐり合っていた。

 

 戦いを終え、メンテナンスベッドに身を預けるエルウィングは、PS装甲を切られ、今は鉄灰色に戻っている。

 

 だが、その流麗さと凶悪さが同居したシルエットを、アリスが見間違える筈が無かった。

 

「デスティニー、だよね。これ・・・・・・・・・・・・」

 

 かつての愛機の名を、アリスは呟く。

 

 エルウィングは、デスティニー級機動兵器の設計図を基に建造されている。その為、シルエットに関してはほぼ同一と言っても良かった。

 

「正確には、そのコピーだけどな。今は、俺が乗ってる」

 

 そう言うと、シンは少し顔を伏せるようにしてアリスを見ながら言った。

 

「ごめん」

「え、何が?」

 

 キョトンとして振り返るアリス。

 

 そんなアリスの右袖を見ながら、シンは言った。

 

「その腕、あの時のだろ?」

 

 あの時と言うのは、メサイア攻防戦における最終段階、シンとアリスが交戦した最後の戦いの事を言っている。

 

 あの時シンのフェイトと、アリスのデスティニー(ただし、操縦していたのはラキヤ)は激しくぶつかり合い、そして最後はシンが勝利した。

 

 アリスの乗ったデスティニーが全ての戦闘力を奪われて大気圏に落下していく光景を、シンは今でも鮮明に覚えている。

 

 アリスの右腕を失った理由は、それ以外には考えられなかった。

 

「別に、シンのせいって訳じゃないよ」

 

 そう言って、アリスは朗らかに笑って見せる。

 

 どのみち、勝っても負けても、自分の右腕は無くなっていたであろうとアリスは思っている。あの時既に戦闘の衝撃を受け過ぎて、傷口は深く抉られていたのだ。切断は遅いか早いかの差でしかなかった。

 

「ボクはこんな体になっちゃったから、もう戦う事はできないけど、だからこそ手に入った物もたくさんあるしね」

「けど、それも今回の戦いで・・・・・・」

 

 言いかけたシンの言葉を、アリスは笑顔で遮る。

 

「生きていれば、何度でもやり直せる。これはラキヤ、あ、ボクの旦那様の言葉なんだけどね。ようは、諦めなければ、いくらでもやり直しが効くと思うんだよね。人間って、思っているよりもずっと強い生き物だから」

 

 そう言うアリスの笑顔を、シンは眩しい物を見るように目を細めて見つめる。

 

 今回の戦いで自分達は、あまりにも多くの物を失い過ぎた。そして、それらは最早、決してもとの形へ戻る事はできない。

 

 だが、たとえ戻る事はできなくても、また別の形で取り戻す事はできるのではないだろうか?

 

 シンがそんな事を漠然と考えた時、コーヒーカップを持ったリリア・クラウディスがキャットウォークの向こうから歩いて来るのが見えた。

 

「おかえり、シン。はい、コーヒー」

「お、サンキュー」

 

 礼を言って、シンはリリアからコーヒーを受け取る。

 

 続いてリリアは、アリスにもカップを差し出した。

 

「はい、どうぞ」

「え、良いの?」

「もちろん。喫茶店やっている人には、少し物足りないかもしれなけどね」

 

 笑顔のリリアからカップを受け取り、アリスは一口すする。

 

「・・・・・・美味しい」

「良かった」

 

 その様子を見ながら、シンは考えてみる。

 

 諦めなければ、必ずやり直す事ができる。

 

 確かに、アリスの言うとおりだと思う。ならば自分達も、今回の敗戦に挫ける事無く、戦い続ける姿勢が必要なのかもしれなかった。

 

 人間、生きていれば躓き、そして転ぶ事は多々あるだろう。

 

 でも、転んでも良いのだ。

 

 転んだら、勇気を出してまた立ち上がれば良い。

 

 『英雄』の条件とは、ただ、それだけの事なのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

PHASE-02「絶望から立ち上がる英雄の如く」      終わり

 


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