機動戦士ガンダムSEED 焔を刻む銀のロザリオ 作:ファルクラム
1
エストは後方支援用にスカンジナビア軍が接収した民間空港上空まで来ると、自身の所属コードを送りシロガネを滑走路に着陸させた。
同時に、連れて来たザクも滑走路上に下ろすと、動力を停止させた。
シロガネの方は特に損傷らしい損傷を受けていない。昨今のビーム兵器全盛主義が幸いした為、攻撃は全てヤタノカガミ装甲によって弾かれ、用を成さなかった。
翻ってザクの方に目を向けると、こちらはひどい物である。
両腕と右足を欠損、更に背部のブレイズウィザードも半壊状態である。しかしコックピット周辺のブロックは無傷に近い。恐らく敵の攻撃を多数被弾しながらも、巧みな回避行動で致命傷は避け続けたのだろう。あれなら、中のパイロットは無事である可能性が高い。
エストは急いでコックピットから降りると、うつ伏せになるようにして滑走路に擱座しているザクに駆け寄った。
慣れた動作でコックピットハッチまでよじ登ると、外部強制解放レバーを引いてハッチを開放した。
開いたハッチから中を覗き込むエスト。
「・・・・・・・・・・・・あ」
そこで驚き、声を上げた。
パネルが消失して暗転したコックピット。その真ん中にあるシートに座っていたのは、あの港で見た、傭兵の少女だったのだ。集まった傭兵の中では、ずば抜けて年少であった為、記憶に残っていたのだ。
少女は、ハッチが解放された事で差し込んで来た光を瞼に浴び、ゆっくりと目を見開く。
「・・・・・・・・・・・・?」
「大丈夫ですか? 私の事が分かりますか?」
尋ねるエストに対して、少女は眩しさに目を細めながら、それでもはっきりと頷きを返した。
その様子を見て、エストはホッと息をつく。意思表示がハッキリしている所を見ると、どうやら意識にも問題は無いらしい。
とりあえず、壊れた機体の中にいつまでもいるわけにはいかないので、少女を支えるようにして外に出ると地面に降り立った。
周囲は喧騒に包まれている。今こうしている間にも、地球連合軍は迫ってきているのだ。
エストは自分の中で焦燥が浮かぶ。こうしている間にも、焦りにジリジリと身を焦がされていくような感覚を止める事ができなかった。
クライアスの敗北、そして近衛騎士団の壊滅。これらの事実が、スカンジナビアの命運が正に尽きようとしている事を如実に表していた。
エストはかつて、何度も負け戦を経験し、その度に敗走する軍勢を見てきた。だからこそ判る。既に地球連合軍の進撃は、阻止不可能な段階まで来ているのは間違いないと言う事に。
そうなる前にユーリアを説得して、この国を脱出してもらう必要がある。
国は滅びても、また再建すればいい。しかし、その為には「人」を生き残らせる必要がある。
逆を言えば、人さえ生き残る事ができれば、国は必ず再建する事ができるはずだった。かつてのオーブがそうだったように。
カガリが今、このスカンジナビアにいる事は、あるいは幸いだったかもしれない。カガリに頼んでユーリアをオーブに亡命できるよう取り計らってもらうのだ。そしてオーブで戦力を整えつつ、時期を持ってスカンジナビア奪還に動けばいい。
自分の中でプランを組み上げてからエストは改めて、傍らの少女へと向き直った。
先に港で見かけた時も思った事だが、本当に幼い少女である。まだ、10歳になったかならないかではないだろうか? 背も、小柄な部類に入るエストよりも、更に頭一つ分くらい低い。それで、あれだけの戦闘技術を持っているのだから、大したものである。
エストは改めて少女に向き直ると、静かな口調で口を開いた。
「私の名前はエスト・リーランドと言います。あなたのお名前は、何と言いますか?」
士気なり名前を聞かれた事で戸惑ったのだろうか、少女は少し目を丸くした後、上目遣いになりながら、オズオズと言った感じに口を開いた。
「・・・・・・リィス・・・・・・リィス・フェルテス」
囁くような小さな声で発せられた言葉は、抑揚を欠いており、ひどく聞き取り辛い印象があった。
何となく、自分も昔こんな感じだったのだろうか、とエストは想像してみる。
子供の頃の自分もこんな調子だったとしたら、キラ達は自分の相手をするのに相当苦労したのではなかろうか? そう思うと、場違いなのを承知の上で、少しだけ可笑しな気分がこみ上げてくる。
とは言え、今は思い出に浸っている時ではない。状況はこうしている間にも、絶望の奈落へと転がり続けているのだから。
「では、リィス。私はこれから軍司令部の方に行かなくてはなりません。あなたはどうしますか?」
彼女は傭兵である。本来ならこんな、ほぼ負けが確定した戦いに付き合う必要は無く、速やかに戦線離脱して国外に脱出を図るべきところである。もっとも、状況が状況であるだけに、脱出も簡単に行くとは思えないが。
しかし、このまま首都に留まっていても、待っているのは確実な死だけである。
戦闘が市街地に及べば戦闘に巻き込まれる可能性はあるし、仮に戦闘に巻き込まれなかったとしても、敵軍の捕虜になった傭兵は、大抵の場合その場で処刑されてしまう。報酬次第で簡単に敵味方を取り換えるのが傭兵である。それ故に正規軍人の恨みを買っている場合が多い。裁判無しで傭兵を処刑した例もあるくらいである。
そうなる前に、リィスもこのオスロを脱出するべきだった。
と、
「・・・・・・・・・・・・」
何を思ったのかリィスは、パイロットスーツに包まれたエストの手を無言のままギュッと掴み、そして放そうとしなかった。
訝るエスト。
エストには、リィスがそのように行動する意味を理解できなかった。
なぜ、目の前の少女は、自分の手を掴んで離そうとしないのか、エストは割と真剣に考えてみる。
こんな時、キラだったら上手く相手の心を読んで、汲み取る事ってあげる事ができるかもしれないのだが、生憎エストは、子供の頃から人の心理を読み取ると言う事が苦手である。その為、目の前の少女が何を言いたいのか、イマイチ良く判っていないのだ。
しかし、事実として状況は切羽詰まっている。このままグズグズしている暇はエストには無かった。
「判りました。では、一緒に行きましょう」
そう言うとエストは、掴んだままのリィスの手を引いて駆け出す。
とにかく事は一刻を争う。何としても戦火がこちらまで及ぶ前に、ユーリアを説得して、彼女をオーブに亡命させなくてはならない。そうしなければ、本当にスカンジナビアは終わってしまう事になる。
エストは逸る気持ちに背中を押されるように、軍本部への道を走った。
傭兵部隊全滅、近衛騎士団壊滅。
自国の防衛線が無残に砕け散る様に直面し、司令部の一同は誰もが言葉を失い、軍司令部は半ば通夜のような陰鬱とした静けさに包まれていた。
中でも一同に衝撃をもたらしたのが、ライトニングフリーダムのシグナルロストである。
信号の消失。それが現す意味は、すなわち一つしかない。
クライアス・アーヴィング。あのスカンジナビア最強の騎士でさえ、地球軍の猛攻の前に敗れ去ったと言う事だ。
「殿下、無念ではありますが・・・・・・・・・・・・」
幕僚の1人が無念さを滲ませて、ユーリアに声を掛ける。
そのユーリアもまた、戦況を映したモニター画面を呆然とした瞳で眺めている。
首都を守る最後の盾であった近衛騎士団が壊滅し、頼みの綱であったクライアスですらMIA、事実上の戦死と認定された状況は、最悪の絶望感を呼び起こすには充分すぎる要素であった。
「・・・・・・増援部隊は、どれくらいで到着しますか?」
「如何ながら、最も早い部隊でも、まだ半日以上の距離にいます」
ユーリアの質問に対し、幕僚は額に汗を流しながら答える。
ストックホルムやベルゲンからの増援部隊は、オスロを救うべく、今も躍起になってこちらへ向かってきているが、それももはや間に合いそうもない。地球軍は遅くとも、数時間の内にはオスロを攻撃圏内に捉えられる位置にいるのだ。
「民間人の、避難状況は?」
「まだ、終わってはおりません。もう、暫く掛かる見通しであると」
「判りました」と静かに返事をして、ユーリアは静かに目を閉じる。
既に状況は絶望的を通り越して、破滅的と言っても良い。スカンジナビアの滅亡。それ自体を食い止める事は、どう足掻いても不可能である。
だがそれでも尚、彼女はスカンジナビアを率いる王族として、果たすべき最後の義務が残されていた。
やがてユーリアは、静かに目を開けると眦を上げて一同を見回した。
「・・・・・・・・・・・・残存する全部隊を、首都海岸線に集結させてください。そこを最終防衛ラインとして、地球軍に決戦を挑みます」
このユーリアの発言には、居並ぶ誰もが目を剥いた。
残存する戦力と言っても、最早首都近郊には碌な戦力は残っていない。せいぜい、辛うじて逃げ帰ってきた騎士団の他は、沿岸防衛用の自走砲や、非可動式の対空砲陣地が点在しているのみである。あとは歩兵が携行ロケットランチャーを使ってゲリラ戦を仕掛ける以外に手は無い。たったこれだけの戦力で、近衛騎士団主力を打ち破った地球軍の大部隊を押しとどめる事など不可能である。
だがユーリアは、可憐な双眸に固い決意を滲ませて言った。
「パイロット各位に通達してください。たとえ重傷を負っていようとも、操縦桿を握れる限りは、後送はありえません」
ユーリアは、地獄のような戦いを切り抜け、傷を負いながらも命からがら生き延びてきた騎士団員達を、再び死地に立たせようと言っているのだ。
それは最早、戦力とは言えない。最悪、「動く案山子」程度の役割しか期待できないだろう。
それでも、ユーリアは自分の考えを翻すつもりは無かった。
今、オスロ近郊からは、戦火から逃れようとしている多くの民間人がいる。彼等が逃げるまでの時間を何としても稼ぎ出さなくてはならない。たとえ、スカンジナビア軍の全戦力をすり潰したとしても。
「ユーリア王女」
そんなユーリアに、傍らで見守っていたカガリが声を掛けた。
「あなたも、脱出の用意をなさってください。まずはオーブにお出で頂けるのであれば、橋渡し役は私が勤めさせていただきます」
国を失う悔しさや悲しさは、カガリにも痛いほど判る。彼女もかつてヤキン・ドゥーエ戦役に折りに、今のユーリアと同じように地球軍の猛攻を受け、国を捨てて逃げざるを得なかったのだから。
しかしだからこそ、ユーリアはここで死ぬべきではないと思っていた。彼女さえ諦めなければ、たとえここで一度スカンジナビアが滅びたとしても、いずれ必ず復興する事はできるはずであった。
「ありがとうございます、アスハ大臣」
そんなカガリに対して、ユーリアは微笑を浮かべて頭を下げる。
カガリからの申し出は、ユーリアとしてもありがたい物だった。彼女自身、こんな事で負ける心算は無い。たとえ今、一時敗北を見たとしても、自分は必ずこの国に戻ってくる。戻ってきて、国を再興して見せる。
その決意が、王女の瞳には映っている。
「しかし、それは国民の全てが、オスロから退避した後の話です。その責任を果たさずして、わたくし1人が逃げ出すわけにはいきません」
そう言うと、ユーリアは立ち上がって、居並ぶ幕僚一同を見回す。
「皆さん、どうか、わたくしに力をお貸しください。今この時、戦火に怯え逃げ惑う国民を、1人でも多く助ける為に戦ってください」
ユーリアはそう言って、頭を下げる。
「国」とは「国名」や「国土」を差して言うのではない。そこに住む「人」。その1人1人が「国」なのだ。その「人」を守らずして、「国」を守る事などで器用筈も無い。
居並ぶ一同もまた、眦を上げる。
この絶望的な状況の中にあって、ユーリアは尚も希望を捨てずに戦い続けている。
たとえ今、一時国を奪われようとも、最後まで諦める心算は無い。若い王女の瞳は、そう語っているのだ。
絶望に陥りかけた司令部の中に、光が差し込み始めた気がした。
まだ戦える。自分達にもまだできる事がある。その想いが、折れ掛けたスカンジナビア軍の心を、再び持ち上げる。
笑顔を向けるユーリアに対し、軍本部に居並ぶ全幕僚が力強い笑顔を返す。
たとえ今、自分達がこの場で全滅しようとも、この愛すべき王女と、国民達を守る為に最後まで諦めずに戦い続けよう。その想いが、彼等の心に強く刻み込まれた。
次の瞬間、
1発の銃声が、無情に鳴り響いた。
2
エストがリィスの手を引いて司令部の中に駆け込んだのは、正にその時だった。
轟音のような銃声。
それが鳴り響いた後、不吉なまでの静寂が司令部の中に立ち込めているのが分かる。
「・・・・・・・・・・・・何が?」
リィスの手を握り締めながら、エストは突然の状況を理解できずに立ち尽くす。
カガリも、そしてその他の幕僚達も、呆然としたまま凝視している。
全ての視線が集中する中、
ユーリアは、まるで糸が切れた人形のように力が抜け、床へと倒れ込んだ。
「ユーリア様!!」
壁際に控えていたミーシャが、悲痛な叫びを発する。
床に投げ出されたユーリア。
その体からは、彼女の命と共に、深紅の鮮血が流れ出て、床に広がっていく。
演劇の一場面の光景であるかのように、まるで現実味のないその光景は、しかし間違いなく彼等の目の前で起きているリアルだった。
倒れ伏し、身動きすらできなくなったユーリア。
それを見下ろして、
「あらごめんなさい、狙いが逸れちゃったわね。本当は苦しませないように頭を撃ち抜くつもりだったんだけど、失敗しちゃった。だって仕方ないわよね、こんな野蛮な武器の扱いには、私、慣れていない物だから」
嘲笑を含んだ声が投げつけられた。
まるで、ちょっと料理の手順を間違えた、と言う感じの軽い言葉には、最悪と言っても過言でない程の悪意の響きが込められているのが分かる。
その声に、呆然としていたカガリが、怒りの双眸を上げる。
「これは・・・・・・どういうつもりだ?」
眼差しを向ける先に立つ人物。
その人物に対し、若き獅子は咆哮を上げる。
「答えろ、イスカ!?」
それに対して、イスカ・レアは顔面に笑みを張り付けたまま平然としている。
カガリのショックも、計り知れなかった。
イスカ・レア。
彼女はカガリにとって、もっとも優秀で信頼のおける秘書であった。
性格はやや大人しめで、いつも無茶な行動をするカガリに控えめに抗議ししつつも、付き従ってくれていた。
そのイスカが、まさかユーリア王女を撃つなど、想像する事すらできなかった。
声を荒げるカガリに対して、イスカは油断なく銃を構えたまま肩を竦めて見せる。
「どうもこうもありませんよ、カガリ様。この王女様は目障りだったんで、ここで退場してもらおうと思っただけですわ」
そんな事も判らないのか、と言う言葉を言外に含んだ侮蔑を投げるイスカ。
今まで忠実な秘書だと思っていた女性の豹変ぶりに、流石のカガリも驚愕を隠せずに立ち尽くしている。
それはエストや、他の幕僚達も同じである。今まで抱いていたイスカのイメージとは、まるで別人のような豹変ぶりに、誰もが色を失っているような感じである。
「そう言えば、まだ言っていませんでしたね」
そんな一同の反応に満足を覚えたのか、イスカは口元に酷薄な笑みを浮かべて告げた。
「私の本名は、イスカ・・・・・レア・・・・・・・・・・・・セイランと申します」
その言葉に一同、特にカガリとエストが受けた衝撃は計り知れなかった。
「馬鹿な・・・・・・セイランだと!?」
セイラン。それはオーブに暮らす者にとっては忌むべき物であると言って良い。
かつてユニウス戦役の折、宰相家としてオーブの国政一切を司り、一時はカガリの権勢をも凌駕していた存在。それがウナト・エマ・セイランとユウナ・ロマ・セイランのセイラン親子である。
飛ぶ鳥を落とす勢いだったセイラン親子は、ゆくゆくはアスハ家に代わってオーブの全てを牛耳るとまで言われていた。
しかしユニウス戦役の開戦が、彼ら親子の運命を完膚無きまでに狂わせた。
混乱に乗じ、地球連合に取り入る事を画策したセイラン親子は、カガリをも排除してまで自分達の政策を推し進めようとした。その事がやがて、オーブ内戦にまで発展する事になる。
地球軍の威を借りて自分達の権勢を強化しようとしたセイラン親子だったが、その地球軍自体がザフト軍に対して劣勢に陥り、更にセイラン軍もカガリ率いる政府軍によって壊滅するに至り、ウナトは戦死、ユウナは生き残ったものの、国家反逆罪に問われ収監されている。
だがまさか、彼等2人以外にセイラン家の生き残りがいたとは思わなかった。
「・・・・・・お前は、セイラン家の生き残りなのか?」
「ええ、そうですよ」
驚愕を堪えるようなカガリの質問に対し、イスカは銃口を真っ直ぐに向けたまま、まるで気負った調子も無く答える。
「まあ、もっとも、馬鹿兄貴とクソ親父は、都合良くテメェ等が始末してくれたみたいだがな」
口調まで変わったイスカの様子に、カガリはただ、呆然とした眼差しを向ける事しかできないでいる。
今までの大人しい秘書としての顔は全て演技。こちらの方が本性と言う訳である。
エストはそっと、リィスの手を放すと、イスカから死角になる位置に移動を開始する。とにかく、拳銃をカガリに突き付けている女さえ取り押さえる事ができれば、状況は打開できるはず。そう思ったのだ。
しかし、
「動くんじゃねえよ、クズがァ!! この外務大臣様の頭が腐ったスイカみてぇにぶちまけても良いのかよッ アァ!?」
まるで、エストの行動を見透かしたかのような大音声に、思わず動きを止める。
その様子を確認しながら、イスカはクックックと、可笑しそうに笑い声を立てた。
「そうそう、それで良いんだよ。お利口ちゃん」
そう言うと、空いた手で指を鳴らす。
すると、それを合図したかのように、手にライフルを持った兵士達が司令部内に雪崩込んで来た。
スカンジナビア軍の軍服を着ている兵士達は、しかし入って来るなり、居並ぶ幕僚やオペレーター達に対し、一斉に銃口を向ける。
自軍の兵士から銃口を突きつけられていると言う状況に、皆、戸惑いを隠せないでいる幕僚やオペレーター達。
どうやらイスカは、スカンジナビア兵士に潜ませる形で、自分の部下も潜入させていたらしい。
ここに来て、完全に認めざるを得なかった。
自分達が目の前の女に、今の今まで騙されていたと言う事に。
イスカ・レア・セイラン。
またの呼び名を、地球連合軍第81独立機動群ファントムペイン大佐。コードネーム『S』。
彼女はまさに、この一瞬の為にカガリに取り入り、今日まで忠実な秘書の役割を演じて来たのだ。
「・・・・・・・・・・・・なぜだ?」
多数の銃口を向けられながらも、カガリはそれを真っ向から見据え、怯む事無くイスカに尋ねる。
「なぜ、こんな事をする? ウナトやユウナの復讐か?」
セイラン家が没落するのに、直接的な原因を作ったのは他ならぬカガリである。カガリはウナトの方針に異を唱え、政府軍を組織してセイラン勢力に対抗した結果、セイラン家の没落に繋がったのだ。
イスカがそれに対する復讐をしていると考えれば、全てに辻褄が合うのだが。
しかし、
「はあッ? 馬鹿じゃねえの? 寝ぼけてんじゃねえよ、このクサレガキがッ 何でこの私が、あんな阿呆共の復讐をしなくちゃいけないんだよ。かったりぃ」
さもどうでも良いと言わんばかりに、イスカはカガリの言葉を言下に否定する。
「お前等に消えてもらうのは、たんにお前等が、あのお方の目指す未来に邪魔だからだよ。それ以上でも以下でもないな」
イスカの言う「あのお方」。それがカーディナルであると言う事は、カガリやエストにも容易に想像できた。この状況で、他に思い当たる人物はいない。
空恐ろしく感じる。
まるですべての事象が、あの仮面を被った謎の男の掌で踊らされているような、そんな言いようの無い不快感に満たされていた。
「閣下から、この姫様は用済みだから始末しとけって言われてさ。まあ、ぶっちゃけ、私自身こいつの事はウザいって思ってたから、ストレス解消にはちょうど良かったよ」
そう言うと、イスカはユーリアの体を靴底で無造作に踏みつける。
同時に、ユーリアがかすかな呻き声を発するのが聞こえてきた。どうやら、イスカの放った弾丸が急所を捉えきれず、まだ息があるらしい。
そんなユーリアを、イスカは汚物を見るような目で睨みつける。
「ケッ まだ生きてやがるよ。ほんと、目障りな野郎だなァ」
そう言うと、改めて銃を構え直す。今度こそ、トドメを刺すつもりなのだ。
「あばよ、クソ王女。テメェの面、二度と見ないで済むと思うと胸が晴れるよ。あの世でせいぜい囀ってな。まあ、私にはどうでも良い事だけどよ」
そう吐き捨てて、引き金に指を掛けるイスカ。
対して、エストは周囲を素早く見回し、逆転の一手を探りにかかる。
兵士の1人からライフルを奪い、それで反撃に転じる。兵士達の目が自分に集中すれば、カガリやスカンジナビア兵達も、その隙に動く事ができるだろう。あとは、流れ的に反撃できれば勝機はある筈だ。
そこまで思考した時だった。
エストに先んじる形で、小柄な人影が飛び出した。
「やめてェェェェェェ!!」
ミーシャである。
敬愛する王女が、無残にも殺されようとしている光景を目の当たりにして、ついに危険を顧みず、飛び出してしまったのだ。
しかし、それがいかに危険な行為であるかは、言うまでもない。ここで注意を引いてしまったら、無数の銃口が一斉に彼女に向かう事になる。
しかし今のミーシャには、倒れているユーリア以外の事は、一切眼中に入っていなかった。
それに対して、イスカは当然のように、銃口をミーシャへと向け直す。
その口元が、酷薄に歪むのを、その場にいた全員が見た。目障りな存在を自ら葬る事に対して、暗い愉悦感を感じている。そんな顔である。
銃声が轟く。
誰もが、愛らしいメイドがその身より鮮血を吹きだし、倒れ伏す光景を想像した。
しかし次の瞬間、
突如、別方向から飛来した銃弾が、イスカの手から拳銃を弾き飛ばした。
「グッ!?」
突然の事態に、顔を歪ませるイスカ。当然、ミーシャは無傷であり、そのまま駆け寄ってユーリアに縋り付く光景が見える。
いったい何が起こったのか?
敵も味方も、その場にいる全員が戸惑いを見せる中、
一陣の疾風の如き人影が、司令部の中へと駆け込んで来た。
その人物は、両手に構えた銃を的確に操り、兵士達が持つライフルを正確に弾き飛ばしていく。
恐るべき、射撃の正確さである。
ものの数秒で、ライフルを持った兵士は1人もいなくなってしまった。
一同が見守る中、
司令部の中央に立った人物は、ゆっくりと顔を上げる。
その顔を見て、エストは歓喜の笑顔を浮かべた。
「キラ!!」
見間違えるはずもない、エストのパートナーにして最愛の男であるキラ・ヒビキが、両手に拳銃を構えてその場に立っていた。
瞳にSEEDの光を宿したキラは、中央に立つイスカを鋭く睨み据え、手にした拳銃の銃口を向けている。
対してイスカは、その姿に舌打ちを漏らした。
「チッ レニ、あの木偶人形が、しくじりやがったな!!」
キラ・ヒビキはレニ・ス・アクシアと月面、アッシュブルック基地で交戦、MIAになったと報告を受けている。しかし現実には、キラは健在な姿で一同の前に立っていた。
そこから導き出される答えは一つしかない。レニは仕留めそこなっていたのだ。
「これだから、半端な仕事する奴とは組みたかねえんだよッ」
口汚く言い捨てると、イスカは迷う事無く踵を返す。
キラの介入によって、状況は完全に不利になっている。これ以上留まるのは危険だった。
一方のキラも、無駄に追撃する気は無いらしく、暫く警戒するように銃を構えていたが、やがてホルスターに銃を戻して振り返った。
「キラ・・・・・・・・・・・・」
声を掛けるエストに対し、キラは微笑を返す。
「ただいま、エスト」
「はい、おかえりなさい」
普段通りの挨拶。
特別な事など、何一つとして必要は無い。
なぜなら、どんなに離れ離れになるとも、最後はこうなる事は、2人とも判りきっていたのだから。だから挨拶もただあるがままに交わすだけだった。
その時、
「ユーリア様!! ユーリア様!!」
ミーシャの悲痛な声を聞き、我に返り振り返る。
見れば、イスカに撃たれた王女の顔面は蒼白になり、流れ出た鮮血によって、床は一面深紅に染め上げられている。
出血量、撃たれてから経過した時間、現在の顔色、それらを総合して導き出される答えは、絶望を指し示している。
最早、ユーリアの命が助からないであろう事は明白だった。
そのユーリアに縋り付き、泣きじゃくるミーシャ。
そんなミーシャに対し、
ユーリアは最後の力を振り絞って、自身が妹のように可愛がっていた少女に笑みを見せる。
「ユーリア・・・・・・様?」
王女の手に着いた血によって、メイド少女の頬も赤く染まる。
だが、そんな事も構わず、ミーシャはユーリアの体に縋り付く。まるで、そうする事によって、ユーリアの命を繋ぎ止めようとしているかのようだ。
ユーリアが、何かを言おうとして口を開く。
きっと、名前を呼ぼうとしたのだろう。
しかし、ユーリアには、もはやその力すら残されていなかった。
最後に数度、ミーシャを見て口を動かした後。
ユーリアはゆっくりと、目を閉じた。
PHASE-24「悪夢は二度囁く」 終わり