機動戦士ガンダムSEED 焔を刻む銀のロザリオ 作:ファルクラム
1
華がある。とは、こういう状況を言うのだろうか?
L4へ向けての出発を数日後に控えた日の午後、キラはデッキチェアに寝そべりながら、呑気にそんな事を考えていた。
南国特有の強い日差しを浴びる中、涼しい海風だけは優しく吹き抜けていく。
およそ、争いとは無縁な平和な光景の中、
視界の先では、色とりどりの水着に身を包み、水辺で戯れる少女達。
ここはアスハ家が保有するプライベートビーチである。
国家元首の座を退いたとはいえ、アスハ家がオーブでも有数の名士である事に変わりは無い。それ故、カガリは今も、こうした別荘やビーチをいくつか所有しているのだ。ここは、その中の内の1つである。
キラ達は今、このビーチで内輪だけの海水浴を楽しんでいる。潜伏生活でユーリアの気が滅入らないようにと、接待役のカガリが配慮してくれたのだ。
波打ち際で遊ぶ少女達の姿を、キラは目を細めて眺める。
良い眺めだ。
健康的な肢体を水着に包んだ少女たちの姿は、こうして眺めているだけでも心が洗われるようだ。普段から血で血を洗うような戦場で生活していると、尚の事そう思う。
そんな事を考えている時だった。
「呑気な物だな」
頭上から降り注ぐ陽光を遮るようにできた影と共に、呆れ気味の声が投げかけられる。
寝そべりながら振り仰ぐキラの傍らに、長身の人影が立つ。
視線を向けると、それがクライアスだと判った。
クライアスもキラ同様に、水着の上からカラフルなシャツを羽織っただけと言うラフな格好をしながらも、秀麗な双眸は周囲に油断なく配られている。
先の戦闘以来数日、部屋で塞ぎ込んでいる事が多かったクライアスだが、何とかこうして、陽の光の下に出てこられるくらいには気分も回復したらしい。
良い傾向だとキラは思う。実際問題として、護衛隊長にいつまでも不抜けていられるのは困るのだ。
事に、先日の襲撃でスカンジナビアからついてきた護衛はクライアスを除いて全滅してしまっている。勢い、彼に掛かる責任は増大したと言える。護衛戦力を復旧する上でも、クライアスの復帰は歓迎すべきところだった。
その事は、クライアス自身が誰よりも自覚している事だろう。だからこそ、落ち込んだ気分を無理やりにでも振るい起しているのだろう事は、周囲に向けられる鋭い眼光からも見て取れた。
王女が遊んでいる時でも、否、遊んでいる時だからこそ、騎士としての役割を全うしようとしているのが分かる。
そんなクライアスに対して、キラは苦笑を向けて言った。
「そんなに緊張していなくても良いんじゃないですか? この周囲の警戒は万全でしょうし」
「そうはいくか」
宥めるようなキラの言葉に、クライアスは言下に否定を返す。
「姫様の身に何かあったりしたら、それこそ取り返しがつかんだろう。ここは何としても、警戒を怠る訳にはいかない」
そんなクライアスの言葉を聞いて、キラは思わず苦笑する。
一応言うとカガリに抜かりは無い。この周囲にはアスハ家のSPが取り巻き厳重に警戒に当たると同時に、沖合にはオーブ軍の監視船も遊弋している。
まさに、鉄壁の警戒線だ。それこそ、モビルスーツでも持って来ない限り突破は不可能である。
だが、生真面目なクライアスからすると、自分自身の手でユーリアを守らないと気が済まないのだろう。何となく空回り気味な気がしないでもないが。
とは言えキラ自身、こうした人間は嫌いではない。友人に1人、似たような性格の男がいるし。
今頃、紅の騎士が密かにくしゃみをしているであろう事を想像して、クスリと笑みを漏らした。
男達がそんな堅苦しい会話を続けている頃、エスト、ユーリア、ミーシャの3人は水着に身を包み、波打ち際を走り回っていた。
3人の中で最もスタイルが良いのは、ユーリアだろう。年相応に発達した胸と、見事なくびれが描く放物線を、赤いビキニが眩しく包んでいる。腰に巻かれた長いパレオがほっそりした脚線美を覆い隠しているが、それが却って大人びた色気を出している。
彼女より年上の筈のエストの方が、発達の度合いとしては劣っている。
そのエストも、今はピンク色のビキニに身を包んでいる。体型的にはあまり発達が良いとは言えないエストだが、幼い外見と大人っぽいビキニが織りなすギャップは、アンバランスな美を演出していた。元々、見た目通り華奢で小さい外見のエストである。少ない布面積の水着から、大胆にはみ出た四肢の美しさが際立っていた。
そんなエストは、怪訝な面持ちをミーシャに向けて首をかしげた。
「ところでミーシャ、一つ質問宜しいですか?」
「はい、何ですか?」
質問するエストに対して、ミーシャはキョトンとした視線を返す。
「その水着は、いったい何なのですか?」
ミーシャは今、紺色のワンピースタイプの水着を着ている。エストやユーリアの水着に比べると、布面積はかなり広く、体の大部分を覆えるくらいの大きさだ。そして、なぜか胸には白いプレートがあり、ひらがなで「みーしゃ」と書かれていたりする。
対してミーシャは、嬉しそうに両手を広げて水着姿をアピールして見せる。
「バルクさんに貰ったのですが、大変機能的な水着ですね。私、気に入りました!!」
「・・・・・・・・・・・・それは何よりです」
楽しそうに笑うミーシャに対して、エストは珍しくゲンナリした思いに捕らわれる。
本人が気に入っているならそれで良い、と思わなくもないが、あのセクハラ老人には後で鉄拳制裁の一つもしておこうと心に決めていた。
そんな2人のやり取りを横に聞きながら、ユーリアが長い髪をかき上げ、眩しそうに目を細めてみる。
「日差しも風も気持ち良いですね。スカンジナビアも良いところですが、こうした事は我が国では味わえませんから」
北極に近いスカンジナビアは夏と言う季節が非常に少ない。そこから考えれば、常夏のオーブは羨ましい気候でもある。
ユーリアは生まれてから、あまりスカンジナビアを出た事が少ない。ましてか海水浴を楽しむ機会など、今まで皆無に等しかった。その事を考えると、常夏のオーブの気候をこうして満喫できるのは、彼女にとってもとてもうれしい事だった。
ふと、エストは視線を頭上へと向ける。
その目は空を、否、その更に上、宇宙を見詰めている。
自分達は、もう数日すれば、あの場所を目指す事になるだろう。その道程は決して平坦ではない。必ずや、敵の妨害が入る事だろう。
しかし、
エストはもう一度、ユーリアの方へ視線を向ける。
その視線に気付いたのだろう。ユーリアもまた、振り返ってエストに向き直ってきた。
「どうしました、エスト?」
「・・・・・・いえ」
笑顔を向けてくるユーリアに対して、エストは首を振る。
スカンジナビアを出航して以来、行動を共にしてきて、エストは自分がユーリアに対して好感情を抱いている事は自覚している。それはカガリ・ユラ・アスハや、ラクス・クラインと言った友人達に向ける物と似ているが、彼女達との物とは微妙な差異も同時に感じられていた。
カガリやラクスは、エストに足して庇護欲とでもいうべきか、どこか保護者的な立場でいる場合が多く、またエスト自身も、彼女達とそうした関係でいる事を心の中では望んでいる。だが、ユーリアに対しては、逆にエストの方が守ってあげなくてはならない、と言う気持ちになっているのだ。
その違いが何なのかは、エスト自身にも良く判っていない。だが、ユーリアがエストにとって大切な存在であり、また全存在を掛けてでも守りたいと思える相手である事は確かだった。
「さあ、出発まで日にちもあまりない事ですし、今日はたくさん遊びましょう」
「はい・・・・・・」
頷くエストは、駆けだすユーリアに続いて自らも水の中へと入っていこうとする。
と、その時だった。
「・・・・・・・・・・・・え?」
短く声を上げるエスト。
思わず立ち尽くす。
そのエストの視界が、
徐々に暗く、狭まって行くのが分かる。
いったい、どうしたと言うのか?
エスト自身も事態を把握できないまま、視界は暗転し、そして徐々に傾いていく。
誰かが、自分の事を呼んでいる気がする。
それはキラなのか? あるいはユーリアなのか? それすら分からなくなる。
やがて、
エストの体は、ゆっくりと波打ち際に崩れ落ちた。
2
あの時の事は、今でも鮮明に覚えている。
モビルスーツに乗って戦場に立っている自分。まだ駆け出しと言っても良い年齢だったが、既にいくつかの戦場を駆け抜けて、実戦を戦い生き抜いてきている。それ故に、強敵と対峙する時になっても気負いを覚える事は無かった。
向かってくる敵はただ1機。対して味方は、周囲を埋め尽くす程の数が展開している。
頼もしい仲間達。この世界のどんな奴等よりも信頼できる、最強の存在。
本来であるならば、味方が圧倒的な勝利を収める事も不可能ではない。ましてか、味方とはぐれたように、ただ1機で特攻してくる輩など、物の数ではないはずだった。
しかし、そうはならなかった。
双翼を羽ばたかせ、瞬く間に駆けて来る鉄騎。
圧倒的な戦闘力を前にしては、味方の大軍も烏合の衆でしかない。
放つ砲火は、全て苛立たしいほどに空しく空を切る。
返礼とばかりに放たれる砲火によって、針を通す程の正確さで味方の機体を撃ち抜かれた。
味方に大破した機体は無い。
しかし、狙われた機体は、その一瞬の後には武装やカメラ、手足を破壊されて戦闘力を奪われていく。
たまらず接近戦を仕掛けようとする味方もいる、
しかし、それらも結局、蟷螂の斧でしかなかった。
敵機が掲げる大剣が華麗に旋回するたびに、モビルスーツは手や足を、いっそ面白いように斬り飛ばされていく。
例外は無かった。
あれだけ頼もしい存在であった仲間達。
ほんの数瞬前までは、威風堂々と隊列を組んでいた味方が、今やすべてが鉄屑の山と化している。
そしてついに、敵機は自分のすぐ目の前まで来た。
湧き上がる恐怖を押し殺し、ライフルを掲げて迎え撃つ。
しかし、必死に放ち続ける砲撃は悉く回避され、用を成さずに駆け抜けていく。
双翼を広げて攻め入ってくる敵機。
まるで天使だ。
人類全てに裁きを下し、滅ぼす為に降臨した存在。
あらゆる物を灰に帰す力を持った、最凶にして最悪の死神。
彼の者を前にしては、自分達の何とちっぽけな物か。
振るわれる大剣の剣閃。
一撃。
ただそれだけで、自分が駆る機体は腕を切断され戦闘力を失ってしまった。
「ハッ!?」
レニ・ス・アクシアは呻き声と共に、ベッドの上で身を起こした。
静寂の中、周囲を満たす暗闇のみが視界を埋め尽くす。
まだ朝の早い時間。時計の示す針の音だけが、孤独さを表すように聞こえてくる。
ひどい目醒めだ。寝起きだと言うのに、長時間の運動をした後のように疲労しきっている。
全身は頭から水を被ったように、汗でグッショリと濡れていた。シャツや下着が、汗のせいで肌に張り付き、途轍もない不快感を生み出している。
額に張り付いた前髪を、無造作な仕草で掻き上げる。
「・・・・・・・・・・・・また、あの夢?」
呟きは苦しげに漏れ出る。
既に何度も見た夢。
それはレニにとって苦々しい、過去の記憶に通じる悪夢。
かつてヤキン・ドゥーエ戦役の折、地球軍の兵士として戦場に出たレニ。
当時はまだ、最下級の兵士として戦場に立った彼女だったが、味方が瞠目するほどの才能を見せた彼女は、当時はまだ実戦配備が始まったばかりの最新鋭機動兵器ストライクダガーを任されるに至った。
そして多くの仲間達と共に参戦した最終決戦。第2次ヤキン・ドゥーエ攻防戦。
そこでレニは、奴に出会った。
まるで呼吸をするように味方を蹂躙する敵のモビルスーツ。
ただ1機だけで、戦場を支配する圧倒的な力を持った鋼鉄の天使。
どれだけの戦力を投入しても、あらゆる力を尽くしても、奴を倒すどころか、傷一つ負わせる事は叶わなかった。
気付いた時には、レニの乗ったストライクダガーは撃破され、無残な躯の如き残骸を漂わせているのみだった。
圧倒的と言うには温い、
絶望的と呼ぶにも、まだ遠い。
レニとあの天使の前には、それほどまでに計り知れない戦力差が存在していたのだ。
あの時の恐怖と屈辱は、今もレニの中で激しくくすぶり続けている。レニはあの天使と、まともに戦う資格すら与えられなかったのだ。
「・・・・・・・・・・・・鋼鉄の、死の天使」
ただ存在するだけで死を振り撒く者。
あらゆるものの頂点に立つ至高の存在。
レニにとって、忘れたくても忘れえない、憎き相手。
あの姿、あの動き、その全てがレニの中に深く刻み込まれている。
「今度会った時は、必ず、倒す・・・・・・・・・・・・」
低い呟きは、憎悪と共に発せられる。
普段は、感情を殆どあらわさないレニの瞳も、この時ばかりは、自身の仇敵に対する恨みによって暗く燃え盛っているようだった。
ユウキ・ミナカミ少将は、その日の仕事を終え、オーブ本島にある自宅へと戻ってきた。
ユウキの現在の役職は、第3後方補給部隊の司令官である。
主な役割としては、オーブ国内に集積された補給物資を迅速に前線へと送り、更に輸送部隊に対する護衛部隊を手配する事にある。
かつては大和、武蔵と言う2大戦艦の艦長を務め、最前線で采配を振るい、あのメサイア攻防戦においては味方の中でいちはやく戦線突破に成功し、ネオジェネシスを破壊するなどの活躍を示した事を考えると、閑職とも言える役職である。
とは言え、ユウキ自身は現在の自分の境遇に嘆いているかと言えば、決してそのような事は無い。
戦争と言えば、最前線でドンパチ撃ち合うイメージが強いし、恐らく多くの人間のイメージがそうだろうと思うが、戦争において最も重要なのは実は補給だ。前線で戦う自軍に物資を届け、そして敵の補給を妨害するのは、戦略における基本中の基本である。それを考えれば補給を扱う部署がいかに重要であるかは語るまでも無い。
補給が無ければ、いかなる屈強な兵士であろうと実力を発揮できないし、どんな強力な機体であろうと鉄くずと成り果てる。そう言う意味で、補給の有無こそが最も重要な戦争の要素であると言える。
それ故に、ユウキは現在の自分の役職を閑職だと思う事は一切無かった。
ユウキがこの役職に対して満足を覚えていられる理由は、他にもう一つある。それは、自分の時間を多く取れると言う事だ。
基本的に「お役所仕事」である為、勤務時間はきちんと決まっているし、よほどの事が無い限り残業が入る事は無い。つまり、自分の時間を充分に持つ事ができるのだ。
ユウキは今、自分自身の時間と言う物を何よりも大切にしている。
なぜなら、
「あ、お帰りなさい、ユウキ」
自宅のリビングに入ると、車いすに座った女性が、ユウキに対して笑顔を向けてくる。
まだ少女らしいあどけなさを残した女性だが、昔の彼女を知る人物が見たら、きっと仰天するのではないだろうか?
女性に対して、ユウキもまた答えるように笑顔を返す。
「ああ、ただいま、ライア」
そう言ってユウキは歩み寄ると、女性の頬に軽くキスをする。
この女性の名はライア・ミナカミ。旧姓はライア・ハーネットと言い、ユウキの11歳年下の妻である。
流転、と言う言葉ほど、ライアに似合う物は無いだろう。
かつてはザフト軍のクルーゼ隊に所属し、パイロットをしていたライアだが、ヤキン・ドゥーエ戦役の中盤、オーブ沖にて、当時地球軍最強を謳われたシルフィードと交戦した際に乗機であったブリッツが撃墜、オーブ軍に保護され、そこでユウキと出会う。
特例措置としてオーブの国籍を与えられたライアは、その後、オーブ軍人として第2の人生を歩む事になる。
その際に、ユウキと触れ合う機会が多くなっていった。
初めは上司と部下、あるいは戦友のような関係だった2人だが、やがて想いを通じ合わせ恋人となる。
だがそんな2人に、やがて試練が襲う事になる。
ユニウス戦役における最終決戦である、メサイア攻防戦においてモビルスーツ隊隊長として出撃したライアは、そこでザフト軍のインパルスと交戦、撃墜され重傷を負ったのだ。
その時の負傷が原因で下半身不随となり、パイロット生命も絶たれたライアは、その後軍を退役、以後は本国で療養生活を送るようになった。
時を同じくして、ユウキもライアのリハビリを手伝う為に艦隊勤務から外れて後方勤務に移るように要望書を出し、それが受理されたわけである。
そして現在、ライアのリハビリと入院治療が終わり、在宅治療への切り替えが許可されたのを機に、2人は結婚したのである。
「ねえねえユウキ、見て見て」
ライアは嬉しそうに笑うと、手に持っていた物をユウキの目の前に広げて見せる。
それは、大人用のサイズに作られたシャツだった。
ライアはリハビリの一環として服飾関係の作業を行っている。その為、時々こうして、自分やユウキの服を自作している。
元々器用な娘である。こうした細々とした作業も、初めは専門の先生に倣いながら作業していたが、すぐに自分1人でできるようになっていた。
「おお、良いじゃない」
出来上がった服を受け取り、ユウキは素直に妻の作品を褒め称える。
手に取った服は、服飾に関して素人のユウキから見ても、十分実用性のある出来だった。
以前、作った物を試しにフリーマーケットに出店した事があるのだが、出した商品は1時間弱で完売してしまった。それだけ、ライアの作った服が皆に認められているわけである。
このまま行けば、服飾関係の教室で講師をするなり、あるいは自分自身の店を持つ事も不可能ではないかもしれない。
そんな事を考えていると、ライアが話題を変えるようにして話しかけてきた。
「そう言えばユウキ、キラとエストが来てるんだって?」
「うん。て、ずいぶん情報が早いね」
妻の話題に、ユウキは口元に苦笑を浮かべる。
流石と言うべきか、軍をやめたとは言え、ライアは元三佐でありモビルスーツ隊隊長だった関係から、軍内部にコネも多い。やろうと思えば、ちょっとした軍の動きを察知することくらいは不可能ではない。
「スカンジナビア王女の護衛でね、来てるんだ」
「あの2人も変わってるよね。前の戦い終わった後、軍をやめて傭兵になるなんてさ」
ライアは苦笑を浮かべて、肩を竦めて見せる。
同じ戦う者と言っても、正規の軍人と傭兵では戦いの意味合いがまるで違ってくる。正規の軍人であるなら、国家や正義、大義の為に戦う事になる。だが傭兵が戦う理由は、報酬の為であったり、もっと個人的な信念や仲間の為に戦う事になる。
一概にどちらが優れている、と言う問題ではないのだが、正規の軍人から傭兵へ転身を遂げた2人の事がライアの目から見て奇異に映ったのは確かである。
「人には人の、それぞれ事情があるんだよ」
苦笑顔の妻に対してユウキはそう言って笑いかけると、ライアの背後に回り込んで彼女の首に手を回して抱き締める。
「僕達が、そうだったように、ね」
「まあ、ね」
夫の言葉に、ライアは納得したように頷きを返す。
言われてみれば確かに、必然だと思って歩んできた自分達の道も、もしかしたら他人から見るとおかしな物に映るのかもしれない。
自分達には自分達にしか、そしてキラ達にはキラ達にしか見えない何かの為に、それぞれの人生を歩んでいるのだ。
妻を抱く腕に、少しだけ力を込めるユウキ。
かつて自分達も、今のキラやエストと同じ場所にいた。最前線を駆け抜け、国を守る第一線にあり続けていた。
だが今、自分達はその場所から去り、キラ達は尚も前線にあって戦い続けている。
キラやエストは、もう自分達が戻る事の出来ない場所に、まだ居続けている。
その事がユウキには、少しだけ羨ましく思えるのだった。
3
ヤキン・ドゥーエ戦役における最大の負の遺産は、間違いなく、地球全域に打ち込まれたニュートロンジャマーであろう。
核エネルギーの運動を阻害し、世界に深刻なエネルギー不足を齎したこの広域ジャミング装置は、同時に深刻な通信障害を引き起こした。
「血のバレンタイン事件」の報復として、地球に大量に打ち込まれたNジャマー。それによって引き起こされた「エイプリルフール・クライシス」において、10億に及ぶ人命が失われた事は、未だに風化しえない忌まわしい事実である。
CE77現在、Nジャマーの影響は未だに完全に解消するには至っていない。各国政府は、Nジャマーの除去を急ぐとともに、通信障害下における意思伝達手段の構築を急いだ。
これは同盟関係にあるオーブ、プラント間にもおいても同様である。
先のユニウス戦役においては、長く国交断絶状態に置かれていた両国だが、戦後になって国交を回復、同時に独自のホットラインも確立していた。
「・・・・・・・・・・・・と言う訳なんだ」
カガリは机の上に置いた画面の通信画面の相手に、事情を説明し終えた。
話題は先日、ユーリア王女から聞いた話についてである。
スカンジナビアから、ユーリア王女をめぐる一連の戦闘。そして、その原因となった物。「デュランダルの遺産」について。
話は、誰もが思わぬ方向へと進もうとしているらしい。
話を聞き終えた画面の相手も、カガリの説明に対して思案顔になった。
《成程。事態は、思った以上に深刻な様子ですわね》
カガリと対面で深刻な顔をして思案する女性は、ピンク色の髪をしたふんわりした印象のある少女である。
一見すると、世間知らずなお嬢様風の少女である。まるで世間の辛さなど、何も感じた事が無いような、温室の花に似た雰囲気を持つ少女。
しかし、見た目で彼女の本質を判断する事はできないだろう。
彼女こそ、先のユニウス戦役を終結に導いた英雄の1人であり、現在では世界を二分する一方である共和連合のトップに立っている人物である。
現プラント最高評議会議長ラクス・クライン。それが女性の名前であった。
先述したとおり流石にオーブとプラントの間でリアルタイムの回線をつなぐ事はできないが、ラクスは今、前線視察の為に月軌道艦隊の司令部に滞在している。その為カガリとラクスは、こうして通信機越しの会話が可能となっているのだ。
戦後になって、プラント政府から要請を受ける形で最高評議会議長に就任したラクスは、政策の第一としてオーブとの国交を回復すると同時に、ザフト軍の戦力立て直し、地球連合の攻勢に対抗する為に共和連合の樹立を行うなど、八面六臂と形容して良いくらい精力的に活動を行っている。
現状、地球連合軍に対して戦力的に劣性な共和連合が互角に戦えているのは、ラクスの功績に帰する事が大きいだろう。
《それにしても、キラもエストも相変わらず忙しいみたいですわね。たまにはこちらの方にも遊びに来れば宜しいのに・・・・・・詰まりませんわ》
「いや、そう簡単にいかない事情があるんだろ」
拗ねた顔のする議長殿の天然的な発言に、カガリは隠せない苦笑を閃かせる。多忙を極めるプラント最高評議会議長に友達感覚で遊びに行ける者など、そうはいないだろう。
まあ、あの2人なら普通にやりかねないが。天然と言う意味では、ラクスと似たり寄ったりなところがあるので。
「それよりラクス、さっきの件だが・・・・・・」
《デュランダル議長が残した『遺産』ですわね》
それまでの友人同士の和やかな会話から一転して、ラクスも真剣な眼差しをカガリへと向けてくる。
既にユーリアから聞いた事について、全てラクスに話している。デュランダルは元々プラントの人間である為、こうした事は同じプラントの人間に聞くのが一番いいと考えたのだ。
こんな時、プラント議長が友達なのは、何かと便利だった。
「正直、噂は眉唾だと思っていたんだがな」
《事実上、実体が無いに等しいですからね》
2人揃って、嘆息するように呟いた。
雲を掴むと言う言葉があるが「デュランダルの遺産」は、正にその類だ。あるかどうかも分からない。あったとしても、その正体も判らない。
憶測に憶測を積み重ねた推論ならそれこそ百出しているが、その殆どが眉唾以前のがせねたである事は間違いないと言われている。
ただ、とラクスは続ける。
《こちらの方でも、議長の遺産の事については、まことしやかに語られていました。ですから、少し前になりますが、わたくしの方でも残っている資料について調査を行ったのですが・・・・・・》
「結果は空振りだった訳か」
カガリの言葉に、ラクスは難しい顔で頷きを返す。
実体が無いに等しい物を探すのだ。事実上、幽霊を捜すに等しい。いくら資料をあさったとしても見つからないのは当然だった。
《ですが、ユーリア王女が『遺産』の在り処についてご存じだとか。それが本物かどうかはさて置きましても・・・・・・》
「地球軍の妨害が入った以上、あながち眉唾でもないって事か?」
ラクスの言葉を引き継ぐようにして、カガリは呟いた。
「遺産」の事を知っているユーリアの存在と、それを追って現れた地球軍の存在が、俄かに「デュランダルの遺産」の存在が現実化しつつあるように思える。
ユーリアの「遺産」が偽物であるなら、地球軍があれほどまでに執拗になる理由が見当たらない。今のところ確証と呼べる物こそ無いが、信憑性と言う意味では高いように思える。
もし本物であるなら、そして噂で囁かれている通り、「遺産」がこの戦争を終わらせるほどの力があるというなら、共和連合、地球連合両陣営ともに、放っておく事は出来ないだろう。
西ユーラシア独立問題に端を発する欧州戦役だが、ここに来て別の局面が見え始めた感がある。
《予断は許されなくなりつつあるようですわね》
「ああ。下手をすると今回の騒動、戦局に大きな影響を及ぼす事にもなりかねない。お互い、準備は怠らないように軍部に働きかけるべきだろう」
泥沼化する戦局を打破する為、オーブもプラントも、急ピッチで戦力の強化を行っている。オーブの国営工廠であるモルゲンレーテでは現在、2機の機動兵器がロールアウトを目指し、急ピッチで調整作業を行っているのだ。
オーブの技術の粋を尽くした新型機で、完成すればオーブの戦力が大幅に強化される事が期待されているのだが、未だに実戦配備には至っていなかった。
「そっちの方でも、例の新型機、まだできそうにないのか?」
《ええ、そうなのです・・・・・・・・・・・・》
カガリの言葉に対して、ラクスは少し難しい顔をする。
確かにプラントの工廠でも、新型機の建造が急ピッチで行われている。それはこれまでの機体とは一線を画する、全く新しい運用思想の元に設計された機体である。
しかし、
《少し、開発が難航しているみたいです。これまでに例の無い機体ですから》
「私にできる事があったら何でも言ってくれ。何だったら、モルゲンレーテから技術者を派遣できるように要請してやっても良い」
《ありがとうございます。何かあった時は、よろしくお願いします》
地球連合軍は続々と新型機を戦線に投入を開始している。既に戦線では複数の特機が姿を現し、新型機グロリアスへの切り替えも急速に進んでいる。
対して共和連合は、明らかに出遅れている感があった。一応、エルウィングの開発や、ムウ・ラ・フラガ中将の愛機となっているアカツキのバージョンアップで対応してはいるが、それでも現状は足りているとは言い難い。シシオウを初めとした新型機の量産も急がなくてはならないだろう。
《人の意思とは炎に似ています》
ラクスは、静かな声で遠くを見るようにして言う。
《それよって、相手を温める事があれば、逆に傷つけてしまう事もあります。今、この戦乱と言う、多くの人の意思が交差する時代では、意思と言う炎一つで、自分を守りたい物を守る事も、また、敵対する方々を傷つける事も出来るでしょう》
「だからこそ、私達は力の使い方に気をつけなければならない。そう言う事だな」
力はただ力。多くを求めるのは愚かなれど、無暗に厭う事もまた愚か。
かつて、父ウズミが残した言葉を、カガリは頭の中で反芻する。
この戦乱の時代の中で、自分の意思を貫き通す為には、どうしても大きな力がいる。だからこそ、その力に振り回されないだけの、強い意思が必要となるのだ。
《それでは、お互いに、なるべく早く対応する事に致しましょう》
「ああ、判った」
そう言って、通信を切ろうとした時だった。
ラクスが、ふと思い出したようにカガリを見直して口を開いた。
《そうそうカガリさん。キラ達にお伝えください。用事が済んだら、いちどプラントに来るようにお伝えください。たまには遊びにきてくれないと、わたくしも寂しいですわ》
「あいつらにもいろいろと都合があるだろうから、確約はできないが、なるべく顔を出すように伝えておくよ」
苦笑しながらカガリは、友人との会話を終えてモニターを切る。
通信を終えた事で、執務室内には再び静寂が戻る。
その中でカガリは1人、椅子に座ったまま思案を巡らせる。
「・・・・・・・・・・・デュランダルの遺産、か」
かつて1度だけ直接対峙した事がある、ギルバート・デュランダル。
まだまだ政治家としては駆け出しだった、カガリから見ると、そこが知れない程に不気味で、それでいて巨大な存在であったのを覚えている。
そのデュランダルが残した遺産が、世界に再び波紋を投げ掛けようとしている。
その事が、カガリをして故人の巨大さを再認識せざるを得なかった。
4
世界とはすなわち、奈落の闇だ。
多くの者達の意志が介在し、その全てを飲み込んで尚、底の深さを伺う事はできない。
覗き込もうとすれば逆に飲み込まれ、そして這い出す事も出来なくなる。
それ故に、奈落での生き方を覚えた者こそが、この世界の中で生きて行く事を許される。
少なくとも、自分はそうして生きてきたと自負している。
光を一切排し、闇に閉ざされた室内で、仮面を被った男は沈思していた。
カーディナルと名乗るようになってから、この仮面を人前で取った事は無い。それゆえに、今はこの仮面こそが、自分の「顔」であると言える。
ローガン隊がユーリア王女襲撃に失敗したと言う報告は、既にカーディナルの元に届いている。
自嘲とも言うべき笑みが、仮面の中で漏れる。
ローガン隊と言えばファントムペインの中でも特に精鋭を集めた、地球連合軍の最強部隊である。その彼等が失敗したと言う事は、カーディナル子飼いの戦力では、彼等に対抗するのは難しい事を意味している。
「・・・・・・・・・・・・やはり、一筋縄ではいかんか」
闇の中で、1人呟く。
カーディナルにとって、この事態は充分に予測していた事である。
相手はあのキラ・ヒビキだ。世界最高クラスの戦士が相手では、仮にローガン隊が全力で事に当たったとしても、ユーリア姫奪取は難しいだろう。
だから、直接的な身柄の奪取よりも、カーディナルが狙ったのは、言わば「追い込み」だった。
こちらからアクティブにアプローチを続ければ、焦れた敵は必ず穴蔵から出て、攻勢に出ようとするはず。この場合の攻勢とは即ち、「デュランダルの遺産」を奪取する為に、ユーリア姫が自ら動くだろう。
つまり、放っておいても向こうから「遺産」の在り処に案内してくれることになる。こちらはただ、それを泰然と待っていればいい。そして連中が「遺産」を手に入れたところで、改めて行動に出るのだ。そうすればこちらは、労せずして「遺産」が手に入る事になる。
デュランダルの遺産。
それは必ずや世界に戦乱を呼び、自分が望む世界を現出してくれると確信している。
「月基地で建造中の『オラクル』も間もなく完成する。それと『遺産』を合わせれば、必ずや、望む未来を勝ち得る事が出来るだろう」
闇の中で、カーディナルが1人、呟きを漏らす。
もうすぐだ。
もう間もなく、自分が望む世界が実現しようとしている。その為に必要なカードは、もう間もなく揃う筈だった。
部屋の中に備え付けた電話のインターフォンが鳴り響いたのは、その時だった。
迷う事無く手を伸ばすカーディナル。闇に慣れた彼にとって、暗がりの中にあっても問題なく生活する事ができる。
誰からの通話であるかは、考えるまでもない。インターフォンを使ってカーディナルに電話を駆けてくる人物など、殆ど限られているのだから。
通話ボタンを押しこむと、予想通りの相手の声が聞こえてきた。
《カーディナル、私だッ》
勢い込んで話しかけてくるのはフィリップである。
スカンジナビア王国の第1王子であり、スカンジナビアと言う、列強の一国に潜り込む為にカーディナルが取り込んだ駒の1つ。
今や傀儡と呼んでも差し支えが無い王大使殿下に対し、カーディナルは慇懃な声を作って応じた。
「これはこれはフィリップ様。お申し付けくだされば、私の方から伺いましたものを」
《いや、例の件に関して、早く報告を聞きたくてな》
その言葉に、カーディナルは仮面の奥で目を鋭く光らせる。
例の件、と言うのは、フィリップから依頼を受ける形でカーディナルが進めている計画の一つである。
カーディナルは、その為にここにいると言っても過言ではない。
「ご安心くださいフィリップ様。既に閣僚の7割は切り崩す事に成功しました。全ては順調に進んでおります」
フィリップを補佐して、スカンジナビア王国の政権を奪取する。これはカーディナルの計画において欠かせない1ピースである。
だからこそ、わざわざカーディナルが自ら計画の指揮を行っているのだ。
既に計画は最終段階へと入っている。こちらは、あと数手でチェックメイトと言うところまで進んでいた。
《残る3割は、ユーリアシンパの者達だな》
「王女殿下は人気者でいらっしゃいますからな」
よほどユーリアの人気が疎ましくて仕方がないのだろう。画面の中のフィリップの表情は苦々しく歪んでいる。
カーディナルは仮面の下でほくそ笑む。
フィリップは決して無能な男ではない。現にアルフレート王もユーリアも、フィリップを信頼している。彼が一連の事件の黒幕だなどと、疑っている物は誰もいなかった。
しかし、とうのフィリップ自身が猜疑心と自尊心の塊であるが故に、その目を曇らせているのだ。
そしてカーディナル自身、そう言った人間の扱いは心得ている。要は「おだて」である。耳元で「お前の方が優秀だ」「お前こそが相応しい」「その為だったら協力は惜しまない」と甘い囁きを続ければ、一見すると堅固に見える精神も、たやすく罅を入れる事ができる。
カーディナルは今まで、そうして多くの者達を取り込んで来た。フィリップもまた、その中の1人であるに過ぎない。
《それと、もう一つの件はどうなっているか?》
フィリップは、先ほどまでとは裏腹に、少し不安そうな声で尋ねてくるのを見て、カーディナルは仮面の奥で嘲笑を閃かせた。
自分で陰謀を仕掛けておきながら非情に徹しきれない。所詮は、この程度の男であるにすぎないのだ。
「問題ありません、フィリップ様」
カーディナルは内面の嘲弄をおくびにも出さず、恭しく自分の「主」に応える。
「程無く、国王陛下は『ご病気』となられる事でしょう。そうなれば、もはやあなた様の天下を阻める者はございません」
《うん。頼んだ。くれぐれも、誤って父上を殺す事が無いように注意してくれよ》
「心得ております」
ユーリア姫は国から遠ざけた。あとはアルフレート王を排除するのみ。
それで覇権は確立する。
そう、フィリップは思っているようだ。
その後に何が待ち構えているか、など思いもよらない事だろう。
《万事、抜かりなく頼むぞ》
「はは、お任せください」
そう言って首を垂れるカーディナルに対し、フィリップは満足そうに頷いて通信を切った。
再び訪れる闇の中。
カーディナルは顔を上げる。
これで良い。
あのおめでたい王子様には、せいぜい御山の大将を張って貰う必要がある。
間もなくこちらは大規模な作戦を行う事になる。その時こそ、自分の計画を実行に移す時だった。
覚醒する意識に身を任せて瞼を開けると、そこがどこかの部屋の中である事が分かった。
倦怠感によって、体が縛られている。指一本動かすのも面倒に感じられるくらいだから、相当なものだろう。
「・・・・・・ここは?」
エストは視線を動かして、周囲に目を向ける。
そこが、アスハ邸で自分が借りている部屋だと気づくのに、そう時間はかからなかった。
だが、ここに至るまでの記憶が、綺麗に抜け落ちている。どうやってここまで来たのか、まるで分からなかった。
ふと、おでこの辺りがひんやりと冷たくなっているのが分かる。
手を伸ばしてみるが、妙に体が重い。腕一本動かすにしても、かなり億劫である事が分かる。
それでも、どうにか手を伸ばして、おでこに乗っている物を取ると、それが濡れたタオルである事が分かる。長い時間置かれていたのだろう。エストの体温によって、かなり温くなっている。
その時、扉が開く音がした。
「あ、気が付いた? 良かった」
安心したように声を掛けて来たのはキラだった。
キラは持ってきたドリンクのボトルを机の上に置くと、椅子を引っ張ってエストの枕もとに腰掛けた。
「覚えてない? 君は泳いでいる時に気を失って倒れたんだよ」
そう言われて思い出す。確か泳ごうとして、ユーリアに続いて海に入った時、急に意識が遠くなり、その後の記憶が無かった。どうやらそこで、意識が途切れたらしい。
キラはエストの前髪をそっと撫でて上げながら、優しく語りかける。
「貧血だって。ちょっと、最近忙しかったからね。疲れちゃったのかな?」
欧州での戦闘から、ユーリア王女の救出、そしてオーブまでの行程、そしてこの間のホテル襲撃事件である。今までなかなかのハードスケジュールだった。いかにエストと言えど、限界が来るのは仕方ない事である。
そこでふと、エストはある事に気付いてキラに目を向けた。
「あの、キラ。そう言えば、私は水着を着ていたと思うのですが?」
今エストが着ているのは、寝巻代わりのYシャツだった。当然、誰かが着替えさせてくれたのだろうが・・・・・・
そんなエストに、キラは少しイタズラっぽい視線を向ける。
「うん、僕が着替えさせた」
「・・・・・・・・・・・・」
その言葉に、エストは恥ずかしさで顔が赤くなるのを感じた。
何度もベッドを共にして、裸身を見られる事には既に慣れたが、着替えとなると、また話は別である。まして、下着から何からキラに着させて貰ったとなると、途轍もない恥ずかしさが込み上げてくるのを抑えられなかった。
と、
「嘘だよ。ユーリア殿下とミーシャが着替えさせてくれたんだよ」
してやったり、とばかりにキラは笑みを浮かべる。
最近のエストは、以前に比べると羞恥心が薄れてきたように思える。昔はそれこそ、パンツを見られただけでも恥ずかしがっていたくらいだが、今では多少薄着でいても気にしないくらいである。
勿論、それはキラの前だけの話であり、他人の前で無節操な行動に出る事は無いのだが。
しかし、当のキラとしては、少々物足りなさを感じないでも無い。そんなわけで、時々こうして、意表を突くようにしてからかってみたりするのだ。
もっとも、傍から見れば「好きな子を苛めて楽しんでいる子供」のような構図だが。
「そんな事する人は嫌いです」
そう言うと、エストはプイッとそっぽを向いてしまった。
そんな少女のほっぺを、キラはからかうようにして人差し指の先でツンツンとつついてみる。
「・・・・・・・・・・・・やめてください」
つっけんどんな調子で抗議するエスト。とは言え、本気で嫌がっているわけではなく、どうやらこれも、彼女なりのじゃれ合いの一環であるらしい。
それを心得ているキラも、クスッと笑い、少女に顔を近づける。
「ごめんね、エスト」
そう言うと、唇に触れるくらいの、軽いキスをする。
それで、少しだけ機嫌を直したのだろう。エストはキラに振り向いて見つめてくる。
「・・・・・・・・・・・・それだけ、ですか?」
上目づかいでされる「おねだり」。
そんな少女の様子に、キラは微笑を返す。
「勿論、エストが望むなら、いくらでもしてあげる」
そう言うと、キラは少女の華奢な体を優しく抱き寄せた。
PHASE-09「地上の休日」 終わり